2018年3月12日月曜日

裁くとは

週刊現代の「裁判官よ、あなたに人がが裁けるか」シリーズで3月3日号は以前私がネタにした「東住吉火災事件」(2017年12月19日「時間が止まった私 」)が取り上げられていた。これは娘を内縁の夫と殺して保険金を巻き上げたという検察の思うようなウソのストーリーを全く見抜けず有罪にした裁判官を断罪している。供述調書を1通目、2通目と読み込めば検察の背後の事情を読み取れるはずだが思い込みと安易さでクロと決めつけている。中にはひとり反対意見を出した滝井繁男氏もいたが反対意見は陽の目をみなかった。滝井氏はその意見を世に出そうとするも70才の定年が近づき反対する調査官に押しきられたという。冤罪は晴れたけれど結局20年という時間を刑務所で過ごす羽目になった。失われた時間はもう戻せない。

3月10日号では有名な「徳島ラジオ商殺し(昭和28年発生)」が取り上げられている。これは外部からの侵入で殺された今で言う電気店主の犯人を証拠不十分になったヤクザの代わりに検察が「無能な警察の代わりに犯人を挙げる」と大見得を切り、思い込みと焦りで内部犯行説として内縁の妻を犯人に仕立て上げた。住み込み店員2人を長期拘留しでっち上げストーリーに合うような証言を供述させている。その「おかげ」で有罪となった内縁妻は上告するにもお金が続かず懲役13年の刑が確定したのだった。その直後に店員らは「検事に強要されて偽証した」と告白したり、真犯人を名乗る人物が自首するも不起訴処分になるなどおかしな裁判であったことを示すエピソードがいくらも出てくる。内縁の妻は獄中から再審請求を続けた受け入れられず、仮出所後も続けるもついに1979年に腎臓癌で亡くなってしまう。その後姉弟が受け継ぎ再審請求がなされ、1980年再審決定後の1985年についに無罪判決が下された。無念は晴らせたが普通に過ごせたはずの人生は戻らない。

ただ、この件で無罪判決を下した当時新任の裁判官はそれまでの裁判を見ていて、また訴訟資料を読み込み、1978年には「これは冤罪だ」と確信していたという。マスコミもうるさいし迅速に進めようと裁判長とも話していたそうだが、再審決定まで2年半を要している。いやはや、裁判って時間がかかる。五次訴訟だか六次訴訟だかでようやく再審だからもっと早く受けていれば冤罪者も生きて汚名を晴らせたろうに。

今、鹿児島でも1979年の大崎事件が再審で話題になっている。これも真実は知らないが警察や検察の間違いであっても何ら不思議はない。選挙運動がらみの志布志事件(2003年)は明らかに警察の思い込みの誤認、強制逮捕だった。最近では17才少女強姦事件で罪に問われていた男性の控訴審判決で、懲役4年の実刑を下した一審判決を破棄し、福岡高等裁判所が逆転無罪を言い渡した。男性は、捜査段階から一貫して無罪を主張していてその証拠となるべき女性の体内に残された精液に関して警察と検察は「DNAが微量で型の鑑定はできなかった」としていたが、第一人者のある大学教授に鑑定を依頼したところ、簡単にDNAが抽出されただけでなく、男性とは別の人物のDNA型であるという結果がでたのだ。つまり、警察と検察は男を有罪にするために「精液のDNA鑑定ができなかった」と捏造していたのである。しかも、DNA鑑定以外にも、捜査の過程で様々な証拠隠蔽疑惑が浮上しており、さらに、捜査段階の鑑定を担当した県警技術職員が数値等を記したメモを廃棄していたことまで判明し、冤罪であることは明らかだった。

おそろしい。捜査権を持っている側がこのような思い込みと強制を行えば犯人でっち上げが簡単に出来てしまう。だ・か・ら、裁判官は公平な姿勢を崩さず、時には警察、検察でさえも疑うくらいの冷静さを持たねばならない。裁くとはそれくらい重みのあることなのだ。週刊誌がうるさくともそれくらいは屁でもない。冤罪で人生を狂わされる罪なき人を生んではいけないのだ。

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