2016年9月6日火曜日

「李香蘭 私の半生」

「李香蘭 私の半生」という本を読んでみた。李香蘭こと山口淑子(よしこ)の自伝(藤原作弥との共著)で少し前にネットで偶然知り読みたくなって注文した。まだ第1章のみしか読んでいないが、さっそく以前から私が疑問だったことに答えてくれた。なぜ山口淑子は日本語も中国語(完璧な北京語を話したとされる)もペラペラだったのかというもので、中国旧奉天に生まれ撫順で育ち、父が中国語に堪能でその先生もしていた上に娘を徹底的に教え込み将来日中関係の仕事に就けるように教育していたからだった。李香蘭という中国名も映画に出るための芸名ではなく、当時李際春という軍閥将軍で当時瀋陽銀行総裁だった人物と父が親友でそのように家族同士が親戚のように親しくなると義理の血族関係を結ぶ風習があり将軍の義理の娘の養子縁組をしその時付けられたのが李香蘭だった。これはあくまでも名目上のことで李家に引き取られるわけでもなく国籍が変わるわけでもなかった。

義理の娘のことを乾姑娘(ガンクウニャン)と呼ぶ。お、クウニャンが出てくる。この呼び名を聞くと田舎のマサバー伯母を思い出す。「支那の夜」をよく歌い、その出だしの口上で「クウニャン悲しや支那の夜〜」と唸るのが常だった。この後「李香蘭」の名前で歌手となり満映の満州人女優としてデビューするのだが当時中国の人たちが中国人と信じたのも無理はない。それに日本においても中国人として振る舞わざるをえず彼女はこのことで悩んでいくことになる。それはまだこの本の先に出てくるだろう。私がTVで山口淑子を見たのは中学生くらいのころかな。司会者や参議院議員になっていて戦前戦中に大活躍した人と思っていたから歴史上の人物がまだいるのかと私は思って見ていた。後にコメンテーターとしてもしっかりしたことを言う人だな、もと一世を風靡した女優がここまできちんとできるなんてと感心していた。この本はなぜそうなのかを教えてくれそうだ。

なお、彼女が子ども時代近隣で起きた平頂山事件(へいちょうざんじけん)のことはこの本で初めて知った。抗日勢力による襲撃に激高した日本の守備隊が報復としてほとんど罪のない住民数百人を虐殺した事件だ。中国側は例によって3千人の被害者と言っているらしい(白髪は三千丈、南京は30万人だ)がそれはともかくも後の資料や証言で残虐なことをしたのは日本人で間違いない。中国も日本も故国と考えらる彼女にとって相当胸の痛むことだった。なかなか重みもありそうな本である。

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