2014年4月13日日曜日

井戸教授就任祝賀会

消化器疾患・生活習慣病学科という長たらしい科(旧第二内科)の井戸章雄新教授の祝賀会に出席した。場所は城山観光ホテルのエメラルドホールだった。最近、第二内科がらみの全体会には出席しておらず新教授のお顔も知らないのはまずいだろうと久々に出てみた。300人以上の出席者で出席表を見ると半数くらいは知っていたかな。ロビーで反省会病院のDrたちや内視鏡グループの先輩後輩らと挨拶やらしているとホールで写真撮影とのこと。全員を写せず、前半と後半入れ替えで撮られた。かつて医局員数日本一多いと言われただけのことはある。その中でも昭和60年入局は30名を越え一番多かったが、良し老、ホリゴー、ヤマコー、アップリバ、クッキーDrらが同じテーブルにいて結局6名だけだったようだ。

井戸教授は長崎大出身で当時宮崎医大教授だった前鹿大の坪内教授に誘われ宮医大に移りその後京大などを経て鹿大に来られこのたび第5代目の教授に就任されたということだ。まじめで温厚と挨拶のお偉方の先生たちが言われたように静かに微笑んでいる姿が印象的だった。

会もたけなわになりあちことで談笑するDr、招待者がいて私もあちこち飛び歩いた。とにかく久しぶりに会うDrが多かった。その中でかつて二内科病棟同期の川ミカNsに声をかけられびっくりした。お祝いの花輪の写真を撮っている最中だった。(カメラ構えていると目立つんかね)現在の部署が医療環境安全部で彼女はゼネラルリスクマネージャー、そこで井戸先生が顧問だったらしい。30年近く経っても面影がほとんど変わっていないのにびっくりでネームを覗くと「(姓は)変わっていないでしょ」と言われ「確かに変わらないね」とこれは誉め言葉でしたよん。

昨年長らく務めた居間きれい病院から天妖怪病院に移った焦が鉄Dr、及び同期の服を買う良しDr(長たらしいので以下服買いDr)は同じテーブルにいて「わ、久しぶりですね」と歓迎された。焦が鉄Drは同じグループだけど服買いDrは循環器グループなのに久しぶりだったのは沖縄でいっしょだったからだ。独身主義かなと思っていたら昨年元アナウンサーと結婚したとか。同期循環器で同じ沖縄出張組の田秀Drは未だ独身というからそれは何よりだった。

彼らより1年前に沖縄でいっしょだった血液グループのズキちゃんDrは私に驚き、現状報告や沖縄で昔話で盛り上がった。ヒッチコック映画、殺人物など当時興味があった話題に触れてきたのにはこっちが驚いた。そして田秀Drのことを「あいつはこれですから」と手の甲を頬に添えていた(笑)。さらに彼より1年前に沖縄でいっしょだったのがトクジュウDrで彼は好青年だったが今ではその名も好青年病院にいて大腸の粘膜切除の患者を私がたまに依頼するほどになっている。

沖縄組でいうと先輩にあたるのが今は市内団地で開業しているお通じDrだ。(元助教授のお父様には私の結婚式で祝辞を述べてもらった)ファミスタ、ドラクエなど私が一時期ファミコンにはまったのは間違いなくお通じDrの指導の賜物である。25年も経ち、お互い生活習慣病の服薬をしていることが分かって握手だった。

チェリーDrとは沖縄やグループも関係ないが囲碁で対戦したことがありやはりその話題になった。最近は囲碁以外にも楽しめるグッズ(ネットデバイスなど)もあり周囲に打つ相手がおらずほとんど打っていないということだ。彼が教えてくれたネットの「囲碁データベース」は毎日チェックしていて私がファンの結城聡十段のタイトルマッチも「今2勝1敗でリードしているね」と教えてくれた。(その後2勝3敗で高尾紳路に奪取されてしまった。(泣))

今では薩摩川内で大きなクリニックをしているビッグウエストDrとは学生時代、内視鏡グループ時代からの長い縁だ。開業前は設計図を前に将来の夢を聞いたりしたものだが10数年経ち予想より大きくなっているのには感心する。もともと知り合ったのは麻雀なのだが副院長の海広しDrとはボウリングでのつきあいがあるのに麻雀はしないねと言うと今度ぜひとのことだった。

このほかボウリング同好会出身で消化管グループに入ったサメジーDrや囲碁や同グループのきたぐにDrとも会いたかったが何せ大人数で会えずじまいだった。だいたい趣味が同じDrとは久しぶりでも盛り上がるな。

このほか会話したのは巨体でブックリバーDrとも面識がある重峰Dr、市立病院研修で外科のお父さんが私の指導医だった聞くっちDr、隼人の大先輩腹噛めDr(80代後半なのに内視鏡検査現役で「今年はまだ早期胃癌を見つけていない」と情熱未だ衰えていなかった)、内視鏡グループ先輩で今はコンサルタントかアドバザーの肩書きも持つ癌検診のやぶにらみDr、1年後輩の女医福繭Drは娘がS學館出身で後輩にセージがいて「オヤジがDrなんだって」と言っていたエピソードを教えてくれた。同じく女医のストンサークルDr(夫がバスケ部後輩の脳外科医)とは祝賀会の時は会わずばったりホテルの廊下で近況を話した。

こうして日記に書くとなるといっぱいになる。それだけ懐かしい人に会えて楽しめた。祝賀会とは同窓会のことだった。

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