2020年3月21日土曜日

写真は鮮やかによみがえる

(ついに鹿児島でも3/26に新型コロナが発生した。イギリス帰りの40代女性ということだ。なんと姶良市がらみらしいが、入院したのはうちの青雲会病院ではない。ただ、確実に忍び寄って来ているのは実感する)

カールと田舎に墓参りに行ったついでに、実家に立ち寄り、家族アルバムをチェックしまくった。子どもの頃、特に小学校時代の写真をデジタル写真に保存しておこうという魂胆だった。例の松原小での講演の下準備のためである。コロナの影響でまだいつ講演するかは決まっていないが、どうやらイマジン校長は定年延長でまだ1年は校長職にあるようなのだ、きっとまた依頼は来る。

ところで、何冊もあるアルバムを見返したが、私の小学時代の写真がほとんどなくその代わりデンコーやアッキーエ、あこネーサなど若かりし頃の写真が多かった。それはそれで思い出深く何回もめくる手が止まった。で、これらの写真をほぼ全部デジカメで写し、保存した。気が付けば1時間半、あっという間に時間は過ぎた。白黒写真や色あせたカラー写真でも見れば一瞬にして鮮やかによみがえる。写真はいいわ。

その間、ヒラーキやチエコンさんもやって来て昔話に花が咲いたりした。ヒラーキは私のランドセルが焼かれた事件やデンコーの所有していた貨物船「栄進丸」に乗ったことなどまた保育園児だったのに記憶していた。しかし「昭和38年鴨池動物園にて」とデンコーの記した写真には二人とも記憶がなかった。私が4才、弟が3才だから覚えていないのも無理はない。私は6才になる直前の夏に初めて鹿児島市に列車で行ったという記憶があった。でも、その2年ほど前に家族4人で鹿児島の鴨池動物園まで来て遊んでいたのだ。へーえ。
(今もそうだが、昔から垢抜けないのは変わらないな。ハハ。↓)

小学校時の写真が思っていたよりかなり少なかったのは自宅のアルバムにあるのかも。そういえばまだ自宅アルバムをちゃんと確認していなかった。後で確認しよう。気が付けば時刻も12時前になり、あらかた確認できたし、昼過ぎから麻雀の約束があるしでお暇(いとま)したのだった。

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