2016年8月15日月曜日

お盆は大忙し〜中学同窓会〜

14日夕方から天文館の南端に位置するパレスインホテルで光頭中昭和50年卒同窓会があった。カールに送ってもらい近くで降り「ありがと、じゃーねー」と手を振って別れたがこの時に重大なミスを私はしていた。離さず持っていたデジカメを車内に置き忘れていたのだ。気がついたのは会場の受付ですぐに携帯に電話したが気付いてくれず、久しぶりに会う同窓生らを撮りまくろうという目論みはおじゃんになった。電池切れもあろうかとポケットに予備も持って来たのに肝心の本体を忘れては何にもならない。ふう・・。

同窓会は4年ごとに開かれていて今回は40名ほど集まり徐々に少なくなってきているがそれでも他の同年代と比べれば多い方なんだそうだ。私のクラスは3年2組で6名参加は多い方だった。当時は8クラス、ゆうに300名を越えていたが今は各学年2クラスしかないという。市の中心地で生活人口が減りしかも柄が悪いと悪評が立ってそれなりの親は子を光頭中には進学させたくない思惑もあるようだ。その昔は地方から生徒が集まってくる憧れの中学だったのにー。

そうそう、今回集まった同窓生でまさかこの人と会えるとはと驚いたのが中学3年時に種子島から転校してきたヨウジョウ君だ。当時のアダ名もヨウジョウで転校前の中学名が由来だった。彼は勉強が出来て主席で卒業した。彼が来てから私は1番にはなれなかった(と思う)。たった1年しかいっしょでなかったけどすごく印象に残っていた。高校も違ったので、卒業以来会うのは初めての41年ぶりで、自己紹介しなければ彼とは全く気付かなかった。コナン高校に進学しそこも1番で卒業しQ大医学部に現役で行ったとも聞いていた。確かめると「1番じゃなくて2番だった」とのことだ。卒業後は精神科に入り福岡にずっといて50才前に故郷の種子島の精神科にも勤めたことがあり、今はまた太宰府に戻っているが、いずれまた種子島に戻る気があるとのことだ。二次会ではカラオケも歌いまじめで木訥というだけでない気さくなキャラもみえて楽しかった。

さらに驚いたのがワダカッツ君と出会えたことだ。彼とはバスケ部でいっしょ、しかし2年生の途中からいつの間にか辞めてしまってそれきり話しをすることもなく卒業以来一度も会ったことがなかった。聞けば、普通に就職、結婚し子どもも3人いたが42才にうつ病を発症してから歯車がくるった。半年も入院しその後もすぐに仕事に就けず離婚もした。その後バイトを繰り返し最近になってようやく薬を飲まなくても済むようになり防音設備の仕事で鹿児島と福岡を行き来する日々だという。「ところでこてるは何でバスケを2年の時に辞めたの?」と聞かれ「オレは辞めていないよ、辞めたのはそっちだろ」「ああ、勘違いしていた。いや、オレは右膝を傷めて走れなくなったんだ。結局成人してから手術を受けてね」ああ、そうだったのか。バスケ部のエース的存在だったのに何でとずっと思っていた。「そうそう、お前のお兄さんもバスケのコーチに来てくれたことがあったよな、お兄さん元気?」当時大学生だった彼の兄貴のことを尋ねると「いや、兄貴は大学生の時に交通事故で死んだ・・」とぽつり。「ええーっ」と絶句する私。しかし「いや、久しぶりに兄貴のことを思い出させてくれてありがとう」と言われ41年もの歳月を感じたのだった。

同窓生と話しをしているとご時世に漏れず離婚経験者が多い。3人に1人はそうだ。隣の席のサメブー君は別姓になっていて仕事も銀行員から商社マン、今は個人土建業の社長と変遷している。対面のほんとケ君は以前鴨池球場で出店販売でばったり会っていた。彼も離婚組だ。詳しく聞くと本業は鹿児島市内の学校給食の委託をやっていて毎日1万人食以上も作り配送する会社をやっているんだとか。規模の大きさにびっくりだ。みゆき園さんは歯科用コンピューターの会社に務めていて歯科医師連中をよく知っていた。私のボウリングの知り合いノゾえもん先生もよく知っていて結婚後も仕事ばりばりのキャリアウーマンだった。セトミーさんは主婦とのことだがよく聞けばうちのテルと中学がいっしょだった。姓が違っていたのでお互い全く知らなかった。ナンマ兄君は例の天誅中との武之橋乱闘事件の主役で新聞で番長と言われていたが今では神奈川でまっとうな会社員をやっている。スマホ画像で友人の一人が見せてくれ元気そうで何より、決して半端者の不良ではなかったと私たちは分かっていたよ。ショーイチ君は今は東京は銀座で親から引き継いだ薩摩料理店をやっているのは知っていた。一度彼の家に麻雀しに行ったことがあって「それって見せたまえといっしょだっただろう」と言われハッとした。見せたまえDrも中学の同窓生だったんだ。この前麻雀したばかりなのにこの同窓会のことを伝えていなかったよ。

二次会は恒例のカラオケスナックで。ここで持ちながらさんに「私さぁ、こてる君に歌って欲しい歌があるんだよねぇ」と言われ私は即「『女のみち』だろ」と答えた。「そう!中学校のときこてる君って教壇のところで『女のみち』を歌ってたよねー」はは、それって私の強烈なイメージらしくよくみんなに言われる。あの頃、あんなくさいド演歌を中学生が歌うギャップが自分でもおかしくてよく歌っていた。で、リクエストよろしく歌うことにした。モニターを見つめると、何と懐かしい宮史郎本人が出てきて演じていた。そこで一曲、「♪わたしぃがぁ〜ささげたーそのぉ人にぃ〜」すると本職カメラマンのミッタケ君がパチリと撮影していた。オッケーオッケー、自分はデジカメ忘れたからよろしくな。ただこの歌、最後の「♪これが女のみちならばぁ〜」のところが難しく声がつづきにくい。これはー今後のためにも練習しとかなきゃ。

12時になってお開き。私は帰宅することにしたがまだまだ三次会に行く連中も多かったようだ。帰宅して明日の朝礼スピーチのスライドを作らねばならない。で、リオオリンピックで感動した場面をネタに作り始めた。すると午前1時ちょうどだった。ほんとケ君から携帯に連絡があった。「あのさー、ショーイチがねえ、おしっこはしたいんだけど出ないんだって」なになに?「脇腹は痛がっていないか?」「痛くないって」そうか、尿管結石ではなさそうで57才男性ならば前立腺肥大による尿閉を一番疑わねば。ショーイチに直接代わってもらいどうしても出なければ夜間救急の病院に行って導尿カテーテルを入れてもらうしかないぞとアドバイスした。脂汗をかくくらいとのことで場合によっては救急車も考慮せよとも伝えた。いやはや、ショーイチと言えばキャラはとぼけているがよく騒動を起こすタイプなんだよ。30数年前甲突川にかかる五石橋の一つ高麗橋の欄干に車ごとつっこんで大破損させあわや川に転落かという事故を起こし、新聞に大きく取り上げられたことがあった。石橋撤去問題が取りざたされているころで撤去派が「だから撤去を」と息巻くきっかけにもなった。中学の頃は城山団地の坂をノーブレーキの自転車で下ったらどうなるか試したくて実際にやり車に衝突しぶっ飛びドブに突っ込む事故(事件)も起こした。まったくこの歳になっても世話がやけるヤツだぜぇ。

で、スライド作りは完成しないまま、私はテーブルと椅子の間でこっくりこっくり・・。結局、朝6時までよだれ垂らして寝ていたのだった。

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