2020年5月17日日曜日

粗暴窃盗犯に教えられ

日曜だが相変わらずステイホームである。そろそろ一人でもボウリング練習復活をとも思ったが、結局だらだらと自宅にこもっていた。ネット麻雀天鳳は絶不調に陥り、先月末までは五段の基準である1000ポイントを越え1300P以上あったのに295Pまで落ちてしまった。この数字、四段降格がちらつく数字だ。あり得ないぜ。

韓ドラ「ドリームハイ」は今日最終話を見終わった。評価点数はやや辛めの7点。主要6人のうちの一人がいじめ役なのはしょうがないとして、あの頭上から鉢を落として怪我をさせるという行為は後で犯人が告白するけれど誰も犯人捜しをせずうやむやにしてしまう展開はあり得ないでしょ。しかし今となってはとうていキャスティング出来ない豪華な顔ぶれを観られるいう点では貴重なドラマだ。

そう、今日は「こてる日記記念日」だった。なんと20周年達成である。2000年5月17日に鹿児島大学医学部ボウリング同好会のホームページの1コーナーとして誕生したのが延々と20年も続くとは本人の私ですら考えもしなかった。

当初は普通の日記とネットの「こてる日記」を並行して書いていた。1年以上経過したころ、両方書くのがきつくなってきてネットの日記がどんどん遅れだした。2002年の1月になると1ヶ月以上も遅れだしどうしようかと思っている頃、2002年3月1日にあの事件が起きた。そのいきさつは「盗難事件~盗まれた物~」とのタイトルで日記に書いたが、ボウリング練習のためにトーフクボウル駐車場に車を駐め、終わって帰ってみると助手席側の窓がたたき割られセカンドバッグごと盗まれてしまったのだ。その中には手帳、日記帳とデジカメが入っていた。当然警察に届けるも犯人は二人組で捕まったようだが品は戻って来なかった。私は1ヶ月半ほどの遅れは暇なときにでも書いてアップするつもりだったけれど、手帳日記帳デジカメの三種の神器は「こてる日記」のネタ帳でこれがないと書けない。そこで思い切って手書きの日記を止め、ネットだけで2002年3月1日から改めて開始することにした。もらい物だったデジカメも新調しスナップ撮影も格段に増え日記ネタが増えた。それで続けられたのだ。

今ではこう思う。あの犯人は私に「日記は二兎は追わず一兎を追え」と教えてくれたんだなと。

↓に2002/3/1の日記「盗難事件~盗まれた物~」を再掲してみます。

ひどい目にあってしまった。車上狙いである。トーフクボウルでのボウリング練習を終えて大汗かいて運転席に座った途端である。妙に寒いのに気付き、助手席を見ると、窓ガラスが粉々に砕け散っているではないか。

「!!」

乱暴な憎しみさえこもっているような砕かれ方であった。すぐにトーフクの人と近くの派出所に連絡した。狙われたのはどうやら私の車だけのようだ。警察は少し来るのに時間がかかったが、鑑識も来て計6人と予想外の多さ。昨日も高麗町で同様の盗難事件があったらしい。最初は窓を割られただけと思ったが、バッグを盗られていることに気付いた。勤務用に雑然と物を入れており、金目のものはほとんどない。しかし、これを助手席の上に乗っけていたのがいけなかった。犯人は金がありそうで盗りやすいのを狙う。窓を割ってドアを開けずに腕を伸ばしてバッグごと取ったのは明らかだ。

警察の人に被害内容を聞かれた。これが結構詳しいところまで聞いてくる。まず金目のものとしてすぐに浮かんだのがデジカメのFinePix700だ。

「いくらぐらいですか?」
うむ・・。この際だ、もらった物だけど出来るだけ高く言っておいて損はないやろ・・。
「定価で9万9千8百円だったはずです。(結構被害額あるでしょ・・)」
「えーと、時価でですねえ今売るとしたらいくらぐらいか知りたいんですが」
「へっ・・。いや・・それは分からないです」
「製品名は何ですか。いつ頃買ったのですか」
「えーと、フジの・・」
「FinePixですね」
なんや、あんた結構詳しいやないか。
「そうです。FinePix700です。3年半前くらいかなあ(チトまずい展開だ)」
「それなら1万か2万くらいというところですね」
「は、はあ」
甘くはない。でもお情けで2万と書いてくれた。

「あとバッグの値段と色や形は?」
「バッグは携帯電話のAUからもらったものなんで・・。(何かもらい物ばっかし)」
「他に何がはいっていました?」
「日記帳です。これは自分としては大事な物だったんです。あと医学雑誌とか、文庫本もありました」これも作者名とか聞いてくる。
「阿刀田高の『ブラックジョーク大全』です」また値段ですか。まさか古本屋で100円だったとは言えない。お茶を濁すと、
「全部でいくらくらいか」ときた。他の本も合わせ1500円くらいで交渉成立(?)ってことに・・。
「指紋はありませんねぇ」
鑑識さんがそういう。まあ当然だろうな。被害届を書き、証拠写真には私もいっしょに収まった。割られた窓ガラスを指さしてくれとの注文。カメラ目線を向け微笑むいつもの癖をしないようにして硬い表情をする。何か変な感じ。

そうこうするうち寒気がしてきた。汗びっしょりでポロシャツのまま現場検証に応じていたのだ。着替えの長袖は助手席下に落ちていてガラスの破片がその上にびっしりだった。しとしと雨の中、窓が開いたままでは帰れない。警察とトーフクの支配人さんがビニールで窓をおおってくれた。これには感謝。そのうちノドが痛くなってきた。風邪をひいたみたい。参った。参ったと言えば手帳もバッグの中だった。日記といいこの二つはこの「こてる日記」の大事なネタ帳だったのに・・。いずれ全部うめる予定の手がかりがなくなってしまった。ボウリングマガジン3月号もなくなった。これは10年以上取り寄せている雑誌だし、買い足せばまだすむ。デジカメも新しく買わねばなるまい。家庭では子供たち、院内では職員、訪問診療の時は患者さんや花など撮りまくり、プリントを上げるのが最近の習慣みたいになっていた。今日も帰りがけ、残業の事務の西ヒナさんを撮ったばかり。この前飲み会のは変な写真ばかりだったからきれいに撮ってねとの注文。(ファニーな写真が私の好み)花を抱いた彼女を「今度はきれいに撮れたよ、プリントしてあげるね」と言ったが最後だった。

きっと見つからないだろう。デジカメも日記も。犯人は盗んだ物を見て呆気にとられたか。苦労の割に実入りはほとんどないものばかり。しかし私にとってはお金では取り返せないものだった。日記、医学、ボウリング、デジカメ、読書と今の私を具現するものばかり。犯人にはただの盗みでも被害者の痛みは思いのほか大きいのである。帰宅後も妻としんみりとする。風邪のせいか疲れも加わってぐったりと寝込んでしまった。

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