2017年9月5日火曜日

宗像

日本人の名字は数が多く変わったものもおおい。50才を過ぎても初めて見聞きする名字が毎月ある。今日は「許斐」という人がいた。なんて読む?音読みだと「きょび」訓では「ゆる・・」カルテを確かめると「このみ」って読むんだそうだ。へーえ。ネットで調べると九州北部に多いとあり、尋ねたら福岡は宗像(むなかた)の出身とのこと。おっと宗像と言えば最近では沖ノ島や宗像大社が世界遺産に選ばれたことで話題になった。でも私が真っ先に思い出すのは宗像中央中だ。

昭和48年夏、私のいた鹿児島市立「光頭中」男子バスケ部は何と県大会で優勝し長崎で行われた九州大会に出場することになった。当時の3年生が強くて2年生の私はスコア係で参加した。いっしょに国鉄の列車に乗って鳥栖で長崎本線に乗り変えた時に同じ車両に乗り合わせたのが福岡代表の宗像中央中だった。何というのか大人びた雰囲気でうちの悪ガキの先輩たちより強そうな感じがした。驚いたのはバスケ雑誌でアメリカのバスケプロ(当時はNBAなんて言葉は知らなかった)の記事を読んでいたことだ。当時の中学生でそんなを読んでいるやつなんていなかった。

カリーム・アブドゥル=ジャバーという超有名なNBA選手を知ったのもブルース・リーの「死亡遊戯」からでそれでも2年後の昭和50年のことだ。ジャバーはリーにカンフーを習っており「燃えよドラゴン」前に製作が始まった「死亡遊戯」に出演し最上階での格闘シーンはすでに撮り終えていた。当時は写真と記事でしから知らずリーの死後代役を立てて完成した「死亡遊戯」を見たのは昭和53年だった。だからジャバーって昔の選手と思っていた私は平成に入って最初の年、NBAのファイナルに出ているのを見て驚愕した。当時42才、異例の長寿選手でその年で引退するという状況だった。自慢スカイフックも決まらずアナウンサーが「ジャバーも外すのか」と言ったのを覚えている。

おっと、話がそれた。大会では光頭中は予選リーグで長崎と宮崎のチームに2連敗の敗退したが、宗像中央中は勝ち上がって優勝したのだった。やはりねえと私は思った。そして1ヶ月後のバスケ雑誌を見たら全国大会でも活躍し準優勝していた。ほう。福岡でも都会といえないところからよく活躍できるもんだと驚いた。それからずっと宗像と聞けばこの中学校を連想する。ちなみに「あなた、宗像中央中出身?」と尋ねたがそれは違っていた。

たった一度の縁であったが宗像という名は私に鮮烈な印象として残っているのだった。

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