2016年10月12日水曜日

クリスティーは30文字以内では語り尽くせない

1ヶ月ほど前に日記ネタにした「アガサ・クリスティー完全攻略(霜月蒼=しもつきあおい)著」だが、この前の土曜高校Dr同窓会に行く直前アミュの本屋で購入出来た。売れずに残っていたというわけだ。買ってやっぱりよかった。賞を取っただけのことはあり気に入った作品の評論は一度ならず二度読み返している。この本は評論にもかかわらずいわゆるネタバレを一切していない。これがつまらぬ本だと、意外な真犯人を簡単にばらす、あるいはそれと分かるように書いてあるので全くの興ざめ、いや取り返しの付かないことをしてくれたと怒りが収まらなくなる。

私が中学のころ、ミステリーに目覚めるきっかけとなったのは藤原宰太郎という人の書いた「世界の名探偵50人(KKベストセラーズ1972年)」という本だった。社会派推理小説の氾濫に対抗しミステリーには名探偵が必要だという主張とその紹介、そして推理トリック問題が載っていた。これでホームズや明智小五郎以外にいろんな名探偵がいるんだなと知識が一気に増えたのはよかったのだが、最悪だったのはコラムに「意外な真犯人」というのがあって、有名な古典ミステリのネタばらしを平気のへのざで10数作ほど紹介していたことだった。その中にはアガサ・クリスティーの「アクロイド殺し」「オリエント急行殺人事件」「そして誰もいなくなった」その他エラリー・クイーンの「Yの悲劇」「Zの悲劇」もあった。幸いガストンルルーの「黄色い部屋の秘密」やエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」は知っていたのでよかったが、他は知らなければどんなにこれらの古典作品を楽しく読めただろうと恨んだものだ。この中では「Zの悲劇」を未だに読んでいない。こうした紹介の仕方はミステリーファンにとって犯罪並みの行為だよ。

さて、「アガサ・クリスティー完全攻略」の霜月氏は一般に有名なクリスティー作品、「アクロイド殺し」「オリエント急行殺人事件」「そして誰もいなくなった」「ABC殺人事件」の4作だけがなぜ俎上に上がり知られているのかについて鋭い指摘をしている。それらは「だましのポイント/トリックが30文字以内で要約できる」もので昔の批評がトリック重視だったからだという。しかし、彼女の作品の特徴はたくさん読んだ人なら分かると思うが、「だましのポイント/トリックを30文字以内で説明できない」ものが多くを占め、それらにまた傑作、名作が多いのだ。それらは1930年から50年初頭の作品群でこれらの時期に発表されたものはほとんど外れがない。映画「ナイル殺人事件」の原作「ナイルに死す(1937)」など殺人トリックは特に新味はないが殺害動機をうまく隠すために人間関係を読者が間違う(ミスディレクション)ように仕組まれている。私が感嘆した「葬儀を終えて(1953)」もトリックはよくあるパターンなのだが被害者のコーラを殺す動機を読者はどうしても間違ってしまうよう誤誘導されてしまう。そのポイントをまとめるにはどうしても30文字では足らずアピールしにくい、宰太郎先生もだから自著で暴露できなかった・・でもそれはファンには幸いなことだった。

霜月氏はポワロ物のベストテン、ミスマープル物のベストファイブ、全体としてのベストテンを列挙しているがこれが一般のものとは大きく違う。ポワロ物が一般には知られているので紹介してみよう。

1位にはポワロ最後の事件「カーテン(発表は1975、執筆は1943)」を選んでいた。うーん、おおよそ共鳴できる氏の選択なんだけど、これには私は賛同しない。これも悲しいことに発売して間もなくの南日本新聞の夕刊の読者コラムであろうことかネタばらしをされた苦い経験が私にはあるからだ。氏はネタバレされても「ミステリの形式を逆手にとる野心と、犯罪に至るダークな心のありように切り込む容赦ない思索と叙述がここにはあり、それは現代ミステリを読む読者にも強い感銘をもたらすはずだ」とのことで1位に推している。そういう読み方もあるかもしれない。私にはよく分からない。

2位は「五匹の子豚(1943)」。タイトルは絵本の題名かと間違われそう。でもマザーグースから取ったタイトルでそんなに意味はない。しかし中味はクリスティーミステリーの完成形もしくは結晶体とも言えるほど(らしい)。というのもこの本を私は昔に買ってはいたがまだ読んでいない。学生のころあるミステリ好きの医学部の先輩が「私は老後のためにクリスティーは今は全部は読まないようにしている」と聞き、そんな読み方もあるのかと感銘を受けたことがあった。傑作量産時期にあたりいい作品だろうとは思っていたがまあいずれと私もほっといた。今から楽しめるわけで読んでおらずに良かったわ。

3位は「白昼の悪魔(1941)」。これは実は映画「地中海殺人事件」の原作で先に映画を見たため本は持っていたが読まずじまいだ。乱歩以下多くの人が傑作の一つに挙げていて見どころを30文字で言い表せないため一般人にはそれほど知られていない。

4位はご存じ「ABC殺人事件(1936)」。これは殺人のパターンが30文字以内で言え、横溝正史も自作品で同様のパターンのものを書いている。有名なあの作品はこれに明かに影響を受けているが名指しは出来ない。それがミステリを語る流儀なのだ。

5位は「死との約束(1938)」。聞いたこともないタイトルでしょう。この本も「五匹の子豚」同様に20年以上前に購入しているがまだ読まずじまい。「白昼の悪魔」とどっちが上かというくらいの完成度らしい。

6位「もの言えぬ証人(1937)」、7位「杉の柩(1940)」はすでに読んでいた。いずれもキモは動機だ。動機がうまく隠されている。被害者を殺して誰が得をするのか、そこをクリスティーは人間関係のアヤで誤誘導(ミスディレクション)する。たまたま先日NHKBSでデイビッド・スーシェ主演の「杉の柩」をやっていたので見たがすでに誰が犯人か忘れていた私は動機に注目し犯人が明かされるぎりぎりのところで当てることが出来た。そう、クリスティー作品は結構読後しばらくすると犯人が誰か忘れるケースが多い。それは30文字で説明出来ないタイプのこの時期の作品に多い。故にまた読める楽しみもあるということ。「杉の柩」は私にしては珍しく2回読んだ。ドラマを入れると3回だ。クリスティーファンにはこの作品が一番好きという人が大勢いる、隠れた名作なのだ。

8位は一番有名かつネタバレ度が圧倒的に高い「アクロイド殺し(1926)」。ネタバレしていても面白いという意見もあるが退屈さもある。横溝正史は作品の中でこれを例に挙げ「探偵小説家というものはこのように書くものだ」とクリスティーに教えられたと書いている。その作品はネタを知らず読んだので感嘆したものだった。ここでも藤原宰太郎を読まなければ良かったと返す返すも悔しさがつのる。藤原宰太郎、当然故人かと思っていたら調べるとまだ生きていやがった(恨みま〜す)。

9位は「マギンティ夫人は死んだ(1952)」。これはよく知らない。私の推す「葬儀を終えて(1953)」の前年の作品だから悪いはずはなかろう。霜月氏は「葬儀を終えて」をベストテンに入れなかったのに惜しい作品の筆頭に挙げている。見事な完成度だが3位の「白昼の悪魔」と同系統の傑作ゆえに毛色の違う「もの言えぬ証人」を入れたという。だろうて。本来なら「葬儀」は3位に挙げてもいいくらいだ。

10位は有名な「ナイルに死す(1937)」。これを発展完成したのが「白昼の悪魔」でこの映画を見た後、私は「ナイル」を読んだ。「似ている」と思ったものだった。

超有名な「オリエント急行」は入らなかった。犯人の意外さは特筆ものだがそれゆえに弱さもあるってことだ。「トリック一発のストイシズムが作品をやや味気なくしている点がマイナスにはたらく」とは霜月氏の言である。

まだ語りたいことはあるが、クリスティーの本当の面白さの神髄は30文字では書ききれない、そして読み返しに耐えうる、1936〜1953までの作品群はどれを取っても外れがないということを今回は言いたかった。彼女の作品が未だに古びず読み継がれているのはこのような理由があるのだった。

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