2022年11月16日水曜日

「青春のパチンコ台」

ついこの間、昼休みにYouTubeで古いパチンコ台を打つ動画を見ている時だった。その様子を見てか、外来の不束(ふつつか)Nsが「先生、NHKの『ドキュメント72時間』のパチンコの回を見ました?」と聞かれた。「はぁ?いや見ていないけどなー」「昔ながらのパチンコ台を打ちにくる人たちの話で・・」と言うので、もしかして「タンポポ」というその手の台を提供する店の話かなとは思った。東京の福生市にあり、そこの台をユーチューバーらが実際に打ってよくアップしている。それを私はひまひまに眺めているのだ。

帰宅して、REGZAのおまかせ録画をクリックすると、BS1での再放送でそれがあった。2022年11月4日初回放送の「青春のパチンコ台に会いたくて」というタイトルだ。
「東京・福生市にある昔懐かしいパチンコ台が並ぶお店。昭和から平成にかけて稼働し、その後、歴史に消えたパチンコ台などが約90種類。時間料金制で景品交換もなし。ギャンブルではないパチンコに連日大勢の人が訪れる。この台で青春時代を過ごしたという40代の会社員、成人した子どもと親子で楽しみに来る男性。思い出の台で打つことで、自分の歩みを振り返る人も。大当たりの音が鳴り響く中、その胸のうちに耳を傾ける」と紹介文がある。

その店「タンポポ」にある台はYouTuberらがたくさん紹介していてその中でもいわゆる羽根物といわれるタイプの台を私はよく見ている。「ドキュメント72時間」でもその手の台を打っている人たちが多かった。私もセブン台より羽根物が好きだった。一発台は嫌いで一度もやったことがない。羽根物はゲームとして面白いんだよな。その始祖たる「平和」のゼロタイガーも置いてあった。私は「SANKYO」の台をよく打っていた。当時よく通っていた与次郎ヶ浜の店「太郎」はそのメーカーの台が多かったからだ。↓は羽根物の名作「ビッグシューター」
昔の台を見ていると、ヒマはあったけどお金はなかった学生時代を思い出す。講義をサボって開店前に並んだこともあった。だって前日出た台の釘調整を覚えているからその台を見て釘が変わっていないかを確かめる。変わっていなかったからマッチ箱をそこに置いて確保し、その後に球を買って打つんだ。2時間もすれば終了台になってそれから大学に行くか、下手すりゃ夕方まで打ったりとか・・。そうやってお金を貯めてオーディオセットを買ったんだ。そのころはオーディオにもハマっていていいのが欲しく、オーディオ雑誌など読みあさって調べて選んだら合わせて30万くらいもした。パチンコで17万くらいまで貯め、後はオヤジに出してもらった。1982年9月30日のことだった。なぜ覚えているかというと、その翌日が日本で初めてCDプレーヤーが発売された日でかなり話題になったからだ。その時のCDプレーヤーって1台20万くらいしたしまだCD盤もほとんど出ていなかったから当然買えなかったけど・・。

いや、番組に出てきてインタビューを受けた人たちもそれぞれ若かりし頃の思い出と結びついて打っているようだった。私も行けるものなら福生まで出向いて打ってみたいな。単純にギャンブルならばそうは思わない。当時のパチンコは釘調整との勝負という意味合いがあって自分にとってはお金を稼げるゲームという感覚だった。だからパチンコがどんどんギャンブル化していった平成以降私はまったく打たなくなった。知り合いが5万、6万はては10万以上勝ったーと聞いても心動かされない。でも「タンポポ」では打ってみたいと思うんだな。30分の間、私も青春時代を思い出していたー。

店側からNHKの取材の裏側など語ったYouTubeも出ている。NHK側の「ドキュメントを作るんだ」という真摯な姿勢に圧倒されたと語っていて興味深い。→https://www.youtube.com/watch?v=nxdi65oNlh4

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