2022年3月1日火曜日

富士航空事故を忘れない

夕方、MBCのローカルニュースをTVで流し見していた。すると、古い航空機事故の動画が出てきて「あら」と見入った。58年前、1964年2月27日に旧大分空港で起きた富士航空のオーバーラン事故だった。今はなくなった会社だが「富士航空」とか「航空機死亡事故」というのは少し聞いたことがあった。確か1963〜66年当時は日本で航空機事故が多発した時代だったというのも。

この事故で乗客乗員40名中20名が犠牲になり、乗客のうち10人は鹿児島の履物店が招待し別府温泉に向かう予定の団体客だったそうだ。その後国東市へ移転した大分空港の跡地の川沿いに慰霊碑が建てられていたが、いつの間に忘れ去られ、2004年に放送局勤務していた須賀克文さんという人が取材をしていた時にそれを発見した。須賀さんは語る。「空港跡を3日間ぐらい探してやっと見つけたのが、後ろにある記念碑で、最初は2mくらいのセイタカアワダチソウがびっしり生えていて隠れて見えなかった」「風が吹いて何か気配を感じて振り返ったら、慰霊碑があった」んだそうだ。何やらゾクッとする話ではある。

このまま何もしないわけにはいかないと感じた須賀さんはそれ以降毎年この時期に慰霊祭を行うことにした。今年は航空関連会社の関係者や市内の高校生など63名が参加したという。「鹿児島からも来て頂ければ・・」と須賀さんは言う。そうだね、鹿児島の被害者が一番多かったのに地元でこの事故のことは聞いたことがなかった。それではいけないのではと、大分のローカルな話題だったのに今回MBCが取材したのだろう。

いや、いいニュースだった。ローカルニュースも侮れない。当時多くの関心を集めたニュースも50年もしないうちにほとんどが忘れ去られてしまう。昭和40年(1965年)前後の航空機多発事故の教訓を糧に航空行政や航空会社は改善に取り組みその後事故は減った。大分空港も滑走路が短い等の構造的欠陥が浮き彫りとなり7年後には移転をしたのだった。しかしそれには多くの犠牲になった人たちがいたのを忘れてはいけない。犠牲者はまさに草葉の陰で「私たちを忘れないで・・」と呼んでいたのだろう。最後にニュースで流れた動画の一部を紹介する。


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