2020年4月12日日曜日

習い、性となる

朝礼スピーチスライドは日中頑張って作って夕方にはほぼ終えた。途中、小6時の二科ジュニア展で二科会賞を取った新聞記事を載せたいのに見つけられずにいたところ、カールが「どこかにあるはず、見たのを覚えている」と一生懸命探して見つけてくれた。で、黄色く変色していたものの保存したのが出てきた。これはトシバーが亡くなった後、遺品の中にあったものだ。(審査前から美術担任に「この絵はいい、特選は取る」と誉められたのだが、我ながらこの作品のどこがそんなに良かったのか分からない。↓)
スピーチのメインは私の低学年時代の問題児ぶりでそのエピソードをたくさん披露した。大人になっても親から「お前はしょっちゅう学校から呼び出されていた」と言われ続けていた。それが徐々に変わっていくのが3年4年生のころからで、なぜなのかが今回のスピーチで言いたかったところだ。

このほか、こてる日記の原点とでもいうべき、「生活ノート」からセレクトしてスライドに載せた。1972/2月は「あさま山荘事件解決」「横井庄一さん帰還」など歴史的な事件のことを書いていた。それと1971/10/22にはあこネーサ母が「字が汚いのを先生からも注意してください」と万年筆でお願いもしていた。確かに汚くて雑な字だ。内容もへんちくりん。「きょうはつかれた。ゆめをみているみたいだ。頭がぼーっとする。しかしねむたくない。が、ねむたい。おかしい。わからない」何だこれは。字もおかしいが中身もおかしい。でも、何もなくてもとにかく日記を書くという姿勢がこのころから身についた。おそろしいことに還暦を迎えた今でも続いているのだ。「三つ子の魂百まで」「習い、性(せい)となる」ことわざは正しい・・ねっ!

0 件のコメント:

コメントを投稿