2023年2月26日日曜日

櫨山さんのお母さんが・・

南日本新聞の死亡広告欄に小さな告知が出ていた。見過ごしそうだったけれど「櫨山(はぜやま)」の名前にオヤ?と思って確かめた。「母 櫨山京子は・・満八十八歳の天寿を・・」の横に長女櫨山裕子とあり自宅が南林寺町だったので確信した。同級生の母親だったのだ。

おもわず「櫨山さんのお母さんかぁ、うわー」と声を上げた。同級生の櫨山裕子さんについては3年前のこてる日記のネタになったことがある。「2020年5月2日 あの女の子が今はTV局プロデューサー」とのタイトルで、同級生が日本テレビのプロデューサーになり活躍しているという内容だったが、最後のあたりに「櫨山さんでいうと、私は彼女のお母さんを小学1年の時にPTAで見た時にとってもきれいで品があって子供心に「うわ、あんなお母さんだったら素敵だ」と思ったものだ。同じく今は京都の高僧になっている矢野謙堂和尚のお母さんも優しくて好きだったな。どちらも生きていれば90才近いお年のはずだ。」とわざわざ書くくらい憧れのお母さんだった。京子というお名前だったのか。いかにもふさわしい名前だ。日記には90歳近いはずと書いたが実際は当時85歳だったか。私が会った小1の頃はまだ31、2歳で若くてきれいなはずだ。今は、私たちも同級生の親たちがどんどんお別れする年齢になった。矢野君の母上も消息は分からないが鬼籍に入られていても不思議ではない。うちのあこネーサ母が93歳でまだ健在なのが驚くほどだもの。

ただねえ、老人施設に入っているあこネーサ母との面会がいまだ許されない(コロナがらみ)ため、今日再度面会出来ないか施設に連絡したが、やっぱりダメということだった。カールとも話したけど、先行き短い親たちにいくら感染防止のためとはいえ、せめてガラス越しでも面会とかさせてくれないものかねえ。預けていると身としては強くは言えないけれど・・。

櫨山さんはずっと40年間東京暮らしだったからお母さんとはそんなにしょっちゅう会っていたとは思われず亡くなる直前は会えたのかな。コロナのせいでそんな親子の交流すら断絶強要されてしまいがちだ。だからうちの病院ではいよいよという時は遠方から来られたお子さんらにはできるだけ面会できるよう計らっている。コロナも近々感染扱いが軽くなるから、今後は面会にあまり神経質にならないよう各医療&介護関係者にはお願いしたいナ。

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