2022年1月8日土曜日

1999年の年賀状はいずこに

今日の土曜は休みで明日が成人の日、明後日も代休で3連休だ。しかし昼間は全く家から出ず、TVを見たりやネットをするなどして過ごした。

天鳳が現在六段で2285P、ということは七段まであと125Pともう一息というところまで来ている。山登りで言えば9合目あたりだ。しかし最初の半荘でラスを引き、少しこけた。六段坂はラスがマイナス120Pと大きく、これを取り戻すのにトップ75P、2位30Pしかもらえず手間が掛かる。その後トップ2回、2位2回取って盛り返すがまたラスになってダウン。なかなか頂上にはたどり着けず、今日の登頂はあきらめた。

1週間後に迫った朝礼スピーチのためにようやくスライドに手を付けた。まずはタイトルから。テーマは年賀状だ。私がこれまで作った年賀状の裏面を羅列するだけも半分は済んだようなものだが、それでは職員に「ためになる」話にはならない。ちょうど正月2日にNHKの「チコちゃんに叱られる新春拡大版スペシャル」で「なぜ年賀はがきにお年玉くじがついている?」との質問がチコちゃんからあった。

その際に年賀状の歴史がこれでもかと紹介され、初めて知る内容もあった。そのあたり日本人と年賀状の密接な関係を紹介しよう。私も1998年の暮れから年賀状に凝るようになり、毎年家族をコラージュした画像を作り続けた。「年賀状が楽しみ」「こてる先生の年賀状で初笑い」なんて言ってもらえるようにもなり、作りがいもあった。ただ少々苦痛でもあったがネ。そんなマイ年賀状の歴史の中で特に評判が良かったのが2002年と2006年の年賀状だった。その2つをそれを軸にし語ればまあまあ今年最初のスピーチとしては良い感じだ。

そうだ、1999年の年賀状もぜひ加えたい。新築した家に家族を遊ばせ、コラージュを取り入れた最初の年賀状で、その後の私の年賀状の規範になった。合成と分からない人からは、チッチが物干し竿にぶら下がる姿に「ちょっと危ないじゃない」とか、道路でボウリングする私に「ほんとか?」と聞かれたりもした。だが、その年賀状が手許にない。その頃はデジカメもなくデジタル画像保存をしていなかった。画像取り込みも馬鹿でかいスキャナーを大学内視鏡室の後輩Drから譲り受けてチマチマと作っていた。時間も掛かって2週間も掛かった。今なら1日で出来そう。送らなかった年賀ハガキが1枚でも残ってないかなと探したがなかった。あーあ。

で、ヒトミンチョにLINEで「年賀状を保存していないか」と尋ねてみたが「あら~去年全部捨てたような」との返事だ。ううむ、画像がないとスライドも楽しくない。もしかしたら医局に置いてある古いハードディスクに保存しているかも。なかったら親戚に保存していないか尋ねようか。もう残り1週間しかない、いやまだ1週間ある。探してみよう。

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