2021年5月27日木曜日

「新日本紀行」〜五箇山の合掌造り集落〜

Macのマイナーバージョンアップを始めると1時間ほどはパソコンが扱えなくなる。

で、その間REGZAのタイムシフトを使って2日前のNHK昼にあった「新日本紀行」(再放送)を見た。カールから「合掌造りの村の話で非常に良かった」聞いていたからだ。合掌造りと聞いて世界遺産になった岐阜県飛騨地方の「白川郷(しらかわごう)」のことかと思ったら富山の山奥「五箇山(ごかやま)」の「相倉(あいのくら)合掌造り集落」のことだった。恥ずかしながら白川郷は知っていたが五箇山は知らなかった。同時に世界遺産登録されていたのだ。富山と岐阜の県の違いはあるがともに庄川沿いにあり、地図ではほぼ隣同士にあることが分かる。
放送は昭和45年(1970年)の「新日本紀行」だから50年以上も前のものだ。「万博」という言葉もナレーションで出てきた。私が小学5年のころだ。出だし「五箇村の住人はこの時期(4月)まさに陸の孤島となり、川を渡る船が唯一の交通手段となる」と説明が入り、とんでもない山奥だと知れる。合掌造りの家々があり、村人は農業や養蚕、紙すきなどで細々と暮らし、雪が溶け始めると獅子舞、神楽などで春が来た喜びをあらわすなど「やがて消えゆく日本の山村風景」といった趣旨で番組はまとめられていた。
ただ有名な建築家ブルーノ・タウトが「合掌造りこそ自然との調和の中で造り上げられた純粋の日本の美である」と賞賛しているとも指摘されていた。

50年前の30分番組が終わると、番組は後半、現在の五箇村の様子を映し出していた。なんと「やがて消えゆく」どころか、観光客が訪れ、住民も逆に増えてきていたのだ。1995年の世界遺産登録が大きく2000年には高速道路も通じていた。しかし10年ほど前にも高齢化で子どもの数が激減するなど危機があったがUターンIターンなどで少しずつ増えてきているそうだ。単に箱物的な建物を残すだけでなく培ってきた住民の文化も残したいと若い住民も考えているそうで立派なことだ。50年前の少年が今は子どもたちに獅子舞を教えつつ見守っているシーンなど、さすがNHKのアーカイブだ。このあたりは民放にはなかなか出来ない。
こんなまさに日本の最たる田舎だけど外国人に人気がある。究極の日本的なものは世界に通じるってことだ。
日本人でさえ美しい中にもほっとするような風景には癒やされる。大事にしていきたいね。

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