2017年7月20日木曜日

高校野球の記録と記憶が大好き

今日は早帰りで自宅居間で高校野球の決勝神村学園対鹿児島を見ていた。鹿児島高校といえば私が小学1、2年の頃に出たことがあったはず。その通りで勝てば昭和42年以来50年ぶりだという。試合は前半互いに点が入らない展開だった。どちらかと言えば鹿高が良く守っている感じで地力は神村が上かなとみていた。5回に鹿高が1点先制で少し試合としては面白くなった。しかしその裏神村が同点にし主導権は渡さない。

さあてこのあとどんな展開になるのか・・だが、寝そべっていた私はうとうとし鹿高がまた1点リードしたころから寝入ってしまった。この後8回に神村が4点を入れ勝負は決まった。5ー2で神村学園優勝、甲子園へ沖縄の興南に次いで出場を決めた。

鹿児島はこの10年ほど鹿実、樟南、神村が3回ずつ出て鹿児島3強を形成している。かつては鹿商、鹿実、鹿商工(現樟南)が鹿児島3強と言われていた。1980年に川内実が出て以来2006年の鹿児島工が出るまでこの3校以外は出場できなかった。いい選手が鹿児島市内のその3校に集中していた。その後、特待生問題が起きてたくさんは集められなくったこと、地方にもいい指導者が増えたことで分散し鹿実、樟南といえども簡単には勝てなくなった。

高校野球の勢力図って10年単位でみるとどんどん変わってきている。さらに30年、40年のスパンで見るとどんな強豪校も安閑とはしていられない。PL学園を見よ。すでに野球部すらなくなっている。かつて野球といえば商業校だったが商業校自体が衰退しているのか松山商、広島商なども出場すらかなわなくなった。逆に長い低迷から復活躍進する学校もある。栃木の作新学院などまさにそうで初の春夏連続優勝や江川を擁して活躍したものの1978年を最後に30年以上も夏の甲子園には出られなかった。しかし2011年に久しぶりに出場するとベスト4、その後連続出場し去年は全国優勝、今年も7年連続出場しそうな勢いだ。

指導者の変遷、学校の方針、制度の変化、生徒や親の指向など様々な要因で高校野球の勢力図は変わる。私は高校野球を見るのも好きだが、成績などのデータをもとにそうかそうなっているのかなどとあれこれ思いをはせるのが大好きで、本や雑誌を昔からよく読んできたし、今ではネットで「激闘の記憶と栄光の記録http://www.fanxfan.jp/bb/」など高校野球オタクが好むサイトを飽かず眺めるのが大好きなんである。(このサイトの開設者には本当に頭が下がる。維持するのが大変なのか昨年4月以降情報がアップされていないのが気にはなる)

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