2017年7月16日日曜日

「辞書になった男」

10年くらい前、三省堂の新明解国語辞典(新明国、明解さん)の第6版が出た頃、このユニークな語釈の辞書が面白く何回か日記ネタにしたことがあった。その後第7版が出て数年経過して今だに日本で一番売れる国語辞書として人気がある。その三省堂には同じようなサイズでもう一つ三省堂国語辞典(三国=さんこく)がある。その二つの実質的編者、山田忠雄と見坊豪紀(けんぼうひでとし)の二人の関係と辞書の作成をドキュメンタリー手法で書いた本「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」(佐々木 健一著)を読んだ。

三省堂の辞書の歴史は戦前からある明解国語辞典(明国)を元に戦後に三国をケンボー先生が編纂しベストセラーになる。しかし用例採集を徹底的にしなければ気が済まない見坊先生は改訂版を出して欲しいという三省堂側の要請を先延ばしにしてしまい、10年以上も三国は改訂なしの放置状態に陥る。それは明解国語辞典も同じで建前は金田一京助編となっていたが京助先生は何もしておらず実質編者はこれもケンボー先生だったのだ。ここで同じ東大同期生で山田先生が三省堂の要請を渡りに舟と主幹となって新明解を出すに至ったのである。

三国の編集を手伝っていた山田先生は辞書界に蔓延する語釈の盗用・剽窃(パクりのこと)や堂々めぐり(男=女でない方、女=男でない方など)に怒っていてそれらを一新したいと日ごろ思っていた。その思いが独特な辞書新明解を作らせた。有名な「恋愛」や「動物園」などは山田先生の強い意志が感じられる語釈で他辞書の使い回しは許さないという姿勢があったからだ。特に第4版(1989年)では先生の個性が強く出ていている。

恋愛=「特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態」
動物園=「生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀なくし、飼い殺しにする、人間中心の施設」

この動物園の語釈はさすがに非難も多く第5版(1997年)では以下のようになっていた。

動物園=「捕らえてきた動物を、人工的環境と規則的な給餌(キュウジ)とにより野生から遊離し、動く標本として都人士に見せる、啓蒙(ケイモウ)を兼ねた娯楽施設」

このほかにもつっこみどころ満載の辞書で詳しくは先頃亡くなった赤瀬川原平さんの「新解さんの謎(1996年)」をぜひ参考にされたい。

ケンボー先生の三国は先生の膨大な用例採集の影響もあって新語に強くまた語釈が客観的で小中学生にも理解出来るような(これが意外と難しい)表現が特徴だ。
例えば以前の辞書には「水」の説明は「水素二、酸素一の割合で化合した、無色・無味の液体。地球上の表面の大部分をおおう」だった。間違ってはいないが、堅苦しく私たちの普段水に抱くイメージとは違う。そこで三国ではことばの写生という方法でこれを表現した。「われわれの生活になくてはならない、すき通ったつめたい液体」というふうにである。今ではこれが当たり前だが50年以上前の当時では異例の表現方法だったとのことだ。初版(1960年)では「女」も「人のうちで、やさしくて、子供を生みそだてる人」となった。「やさしい」といえるかは今だとどうかなと思うが当時の女性の一般的な見方だった。ただ、その後の辞書はこの三国の影響をかなり受けている。

本の中ではケンボー、山田両先生がある出来事をきっかけに仲違いする羽目になったことを詳しく検証している。実はその証拠とも言うべき用例が新明解にあった。それは「時点」という言葉の用例にあって「一月九日の時点では、その事実は判明していなかった」である。関係者へのインタビューや様々な証拠から新明解初版が出た1972年の1月9日に行われた完成打ち上げパーティに大きな意味があったのだ。この日以降二人は公式には会うことがなくなった。それが辞書の中にひっそりと記されていたわけだ。

辞書という堅苦しい本にも相当な人間くささがある。私がこの本の感想を一言でいうとこうなる。ちなみに作者の佐々木健一さんはNHKのディレクターで元々は二人の先生のことを扱ったNHKでの番組取材がきっかけだった。番組でもこの本でも放送、エッセイの賞を獲得している。なかなかの才人とみた。

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