2015年9月12日土曜日

外来と当直の話

今日は外来&当直だった。

外来で印象に残ったのは87才の高齢男性で、この人は特攻隊の生き残りだった。特攻隊と言えば知覧が有名だが千葉からも出撃していたという。話では「鹿児島実業にいて当時は喧嘩に明け暮れていたが、戦争末期志願して愛知の岡崎航空隊で訓練を受けた。そこから千葉の館山海軍飛行隊に移動した。特攻隊要員として次の次に搭乗予定だったが終戦を迎えた。戦友たちは沖縄へ向かったが艦砲射撃で亡くなった」とのことだ。この男性が言いたかったのは特攻精神のことや亡くなった戦友たちの追悼ではない。「みんな言わないけれど軍隊の訓練や扱いはそりゃ悲惨なもんでしたよ。何かあればすぐに太い棒でケツを叩かれる。座ることも出来ない。首をつったやつもいます。脱走するやつもいましたがみんな必死で捜索です。見つかればただじゃ済まない。こんなことなら早く特攻に指名して欲しいと思うくらいでそうさせるためだったんじゃないと・・」と帝国軍隊のひどさを強調して止まなかった。

もう一人は私の古くからの友人グチやん君で「麻雀なんか最近しているか」と尋ねると「いや、それどころじゃないんで」と語ったのが、奥さんが子宮頸癌で手術を受け無事に済んでいたと思っていたら再発が分かり治療中だという。え?!「グチやん、お前、なんてこと。お母さんと奥さんが子宮頚癌だなんて・・」と私は絶句した。彼はまだ若い頃母親を子宮頚癌で亡くしているのだ。奥さんは化学療法と放射線の治療を受けているそうだが完治することを祈りたい。

外来と当直で4人は入院させたかな。入院依頼や救急は基本的に断らない方針なのでこれくらいはままある。しかし午後近隣の泌尿器科から受けた入院患者は診察後またそこに帰ってもらった。脳出血によるけいれんでは?との担当医の見立てだったが、脳転移しかも多発しているのみならず肝転移、肺転移もあった。腎臓癌の末期だとは最初聞いていなかったよー。てんかん発作を注射で止めたあと、担当医に電話連絡し救急車で再転送となった。てんかん発作の対処法をうちのポンシンDrに電話確認して丁寧に教えてからという親切さだ。

もう一つ、午前3時頃「就寝中の妻が意識不明だ、救急車を呼んでいいか」との高齢男性からの電話があった。これは普段なら「それは大変、どうぞ」となるがほとんど断りに近い応対をした。電話の主は不安症で院内では知られた人でしかもその妻は2日前に退院したばかりだった。「まずは揺すって覚醒するか確かめて下さい」と言うと「揺すって動かなくなったらどうするんですか」と答えるので「揺すっても全く反応なければその時は死んでいるんですよ」と言うと「そんなー」と埒が明かない。全くもう、確かめもせず不安がっている。話しがかみ合わず結局「もう救急車を呼びます」と言って男性は電話を切った。

それから20分後、案の定救急隊から電話があった。奥さんの状況を確認するとバイタルは安定し問題なさそうとのこと。「声かけに反応ありますか」と尋ねると、隊員の呼び掛けに「ハイ」としっかりした口調なのが電話でも聞き取れた。やっぱり、眠剤で少し眠りが深かっただけだった。救急隊に「医療機関に運ぶ必要のないケースです」と断りの意志を示した。意識不明で呼んだけれど結果意識清明だったわけだからね。その後救急隊がどこかに運んだのか止(とど)まらせたのかは知らない。まあさすがに何が何でも全てを受け入れるわけではないってことだ。

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