2024年2月19日月曜日

朝カラさんが来た

夕方、内視鏡検査も一通り終わってくつろいでいると、医師事務作業補助者の丁伝さんから「先生、今どこにいらっしゃいますか」と電話があった。「内視鏡室だよ」と答えると「分かりました」とだけの返事だった。なにか保険がらみか病名付けなどで分からないことがあって直接尋ねたいのだろうか。

しばらくすると、内視鏡室スタッフが「廊下に誰か来ていますよ」というので少し遠くを眺めると小さい頭の女性らしき姿が見えた。誰?と思いつつ行くと、元医療事務職員の朝カラさんだった。3年以上前に青雲会病院を辞めて今は鹿児島市で医療専門学校の講師をしている。今日は午後が休みだったので実家のある姶良まで帰ってきて寄ったそうだ。私にぜひ会いたいって。例によってセクハラまがいのツーショットを↓。
私の写真リストで彼女の入職日を調べると2012年10月1日だった。その時の表情がまあこわばっていること。生まれて初めて就職する緊張感がこっちまで伝わってくる。だいたい朝礼での新入職員の写真は撮っているので分かるのだ。↓。
彼女が医療事務で仕事をしていたころ、相談を受けた。上司の指導が厳しかったのか手先が震えるという症状が出るという。診察の結果は過換気症候群。見た目では過換気は起こしていないのだが酸素濃度は100%を示していて無意識に頻回の呼吸をしていた。そこで負担の少ない人間ドック室に配置転換してもらい、その後はそういった症状は出なくなった。そのうち医師事務作業補助の資格を取り、医局での作業、外来業務補佐などを担当した。私が結婚式に出席した数少ない職員の一人でもある。

思えば配置転換をさせたのは彼女にとって病院にとっても良い選択だった。仕事がうまく行かないときに本人の努力でどうにか乗り切れることも多いが、環境を変えて上げることで無理なく仕事を続けられることも多い。今、メンタルをやられて休職している職員もいるという。乗り越えていく方法は人それぞれ。朝カラさんのケースを思えば、他の職員も何かと手助けしていきたいネ。

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