2021年8月15日日曜日

甲子園最遅試合問題

午前4時までスライド作りして、その後ぐたっと寝て、朝ガバッと起きて、またスライド作りは続いた。結局昼の15時くらいまでかかった。で、さっそく出来たものをカールにしゃべりながら見せた。すると27分もかかってしまってこれではちょっと長すぎるか。エピソード的なものを減らし、だいたい20分で収まるように修正した。ふう・・どうにか当直前に済ますことが出来たわ。

今回は夕方からの当直で、夕食摂った後は医局ソファでまたぐったり。目覚めたのは22時前だった。ちょうど夏の甲子園の試合が終わったばかりだったようでチッチからLINEでメール来ていた。実は今日の試合開始が3時間ほども遅れたせいで4試合目が終わるのがきっと最遅更新になるだろうと昼前にチッチから連絡が来ていたのだ。高校野球オタク同士、甲子園での記録にはチトうるさい。試合終了時刻が何時何分かだなんて普通の人は気にもとめないだろう。しかし前にも書いた「高校野球事件史」に当時の最遅記録が20時42分とあってその愛読者たるチッチは最遅試合に思い入れがあった。その更新されたというのが2007年8月14日の第4試合沖縄・興南と栃木・文星芸大付の試合で20時43分とわずか1分だけだが更新されたのだった。ちょうど父デンコーの初盆で田舎のヒトミンチョ家にいて観戦した後帰りがけの車中でのことだった。その時の様子は当時のこてる日記のネタになっている。チッチの甲子園オタクぶりが初めて確認されたエピソードとして記憶に残っている。↓に再掲しよう。

・・第3試合佐賀北対宇治山田商の延長15回のせいで興南対文星芸大付属の試合が大幅に遅れたんだった。カールもギボヒサコも沖縄出身だから当然興南高校を応援していた。だが、初回先制はしたものの文星芸大付のピッチャーの球の切れがよくなかなか打てない。 私も沖縄のチームを応援はしていたけど負けを覚悟した。で、結果を待たず車で鹿児島に帰ることにした。帰鹿前にヒトミンチョの家に寄ったときが最後の9回表の攻撃時だった。でも3点差でこれはほぼ絶望的な点差だ。 

どうにかランナーが出てわずかな希望をつないだ時、チッチが「今何時?」と聞いてきた。「8時37分」「そう」 続くバッターはいい球を見逃し、「あ、こりゃいかん。三振だろう」結果やっぱり三振。あー。 いよいよだなと嘆息した時、またチッチが尋ねた。「今何時?」こら、さっき聞いたばかりだろ。うるさいな、全く。「8時40分だよ」「えー、あと2分だー」 うん?何言っているこいつは。その時、私もひらめいた。うるさいチッチの言ってる意味が分かったのだ。「おい、過去最遅は8時何分だった」「うん。確かね8時42分だったよー」「え、そうか。このバッターもっと粘れ~」 これはまさにオタク同士の会話だ。甲子園オタクのそれである。

甲子園には様々な公式記録がある。優勝回数だとか三振記録だとかの他に最長試合などもあり、その中に終了時間の最も遅い記録というマニアックなものもある。オタクの私はそれが10年以上前の佐賀商と北海の雨の中断を挟んでの試合だったことは知っていた。(1994年=平成6年) 劣勢の北海高校の校長が「これは中断再試合にすべきだー」と学校応援の席で力説していたのを思い出す。それが午後8時42分だった。さすがに私も正確な時間は知らなかった。だがチッチは雑誌で読んで知っていたのだ。それでもしかすると新記録達成かとそっちが気になり時刻をしょっちゅう尋ねていたわけ。何というマニアさ。おたくっぷり。

で、そうと知ったからには私も気になり始めた。この打者がアウトなら試合終了となり8時41分で記録達成はならない。「おい、粘れ。なんでもいいから塁に出ろ!」打ったー!どうか?センター前ヒット。 おーし。8時42分。どうせなら43分になれ。確実に新記録だぞ。じっとマイ電波時計を見る。次の打者で8時43分になった、バンザーイ!新記録だっー!車の中、はたしてこのことで喜んでいるやからがこの鹿児島にどれだけいる?そのあとファールアウトでゲームセット。2ー5で興南は負けてしまったが私もチッチもそんなこともう気にしてない。終了時刻午後8時43分。記録達成となるそのシーンを体験出来たことで大満足じゃ~。 

この記録はその夜Yahooトピックスにも載ったし今日の新聞にも載っていた。だけどこんな記事なんてほとんどの人は気にも掛けないしすぐに忘れる。だがオタク道を歩むものはそういうことではいけない。そんな些細なことに喜びを見いだすのがオタクのオタクたる所以なのだ。そうだ、ゆくんだ、チッチ。オタクの道を!

なんだか星飛雄馬に「巨人の星を目指せー」という星一徹のような言いっぷりだったな。まあ順調に甲子園オタクの道を歩んでいったチッチだったので当然今日の最終試合は気になっていた。それで、試合終了後まもなくLINEが届いた。「小松大谷(石川)―高川学園(山口)による第4試合が午後7時10分に開始し、午後9時40分に終了した。」とニュースになっていたということだ。しかしーである。我々甲子園オタクにとって重大な事実がその中に含まれていたのだ。記事の後半「・・大会本部によると、試合時間が確認できる第35回大会(1953年)以降、これまでで最も遅い試合終了時刻は第50回(68年)の1回戦、津久見(大分)―高岡商(富山)=延長12回=の21時27分だった。」とあったのだ。え?何?20時43分じゃなかったの?いったいどういうことだ。当然チッチにLINEで連絡した。
チッチはそのことをしっかり把握していた。午前のニュースではちゃんと最遅は20時43分となっていたのだ。証拠のサンスポのサイト。→https://www.sanspo.com/article/20210815-KB5WCZ6XFFMJLKY5AVNUQNSU7I/
それで16時くらいまではそのままだったという(一応、サンスポ側に立てば『60回大会以降での最遅は』となっていてそれは間違いではなかった)。しかし誰かが大会本部に確認を取った思われるが、14時21分の毎日新聞の記事で記録の残る35回大会以降では第50回大会の前述の試合が最遅と書かれていた。それを見たチッチはガクッとなった。え、なんで?と。最遅試合が「今更津久見と高岡商の試合が一番遅いだなんて信じたくないね」「なんか今まで騙されてた気分だ」私も「昔、ヒトミンチョ家でコーフンしていた時間を返してくれ」「こてる日記のネタにもなっていたのに」と応じれば「本当だよ!甲子園好きの純粋な子供が雑誌で得た知識を無駄にしやがって!」ときて、私の「雑誌も新聞も間違えていたのはチト珍しいがな」に「『事件史』なにしてんだよ!もっと調べないと!『事件史』星5から星4に降格です」と甲子園関連本での一番の愛読書を揶揄していた。

チッチは「でも、午前中からこの事に目をつけてたのは凄い優越感あったからいいやー。笑」そして「友達に朝、教えたら、『なに?そんなことも知ってんの??そのアプローチいらんくね?』って言われたー」だったそうだ。いやまさにそのとおり。こんな記録に一喜一憂するなんて、ほんまア〇かバ〇ですわー。

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