2021年1月11日月曜日

りおんのお悔やみ、高田みづえから若島津、相撲の思い出まで

 休みだったので、カールが「ヒトミンチョのところに行こう。りおんも亡くなってお悔やみにね」というので出かけた。りおんはすでに骨壺に納められていた。ちっちゃなそれを写真に撮りたいと思ったが、いつものデジカメを昨日病院に忘れてしまっていた。兄弟ネコのそらんは元気で抱っこしてみたが元々抱っこされるのがイヤですぐに逃げていった。↓の写真ははヒトミンチョのブログから。

この前は体調が悪かったヒカル姫も今日はいて仕事場の人の話題などをいつもの彼女の切り口でずばっと切っていた。面白いネ。ヒトミンチョのところ行くときはよくサッカーの試合をやっていることが多く(元日の午後が多いからな)、今回は高校サッカー選手権の決勝をやっていた。見れば、青森山田が絶対優位と言われていたのに、前半、山梨学院が1ー0とリードしていたのでこれは面白くなると思った。後半、青森山田が一気に2点を入れ「これでずるずる山梨が行かなければいいが」と見ていたら何と終盤に1点を返し俄然盛り上がった。2ー2になり、決勝では延長戦に入る。もし決着つかなければPK戦だ。そうなると今大会PK戦で勝ち上がった山梨に分があるかも・・。

そしてそのとおりになった。いやー、結構な番狂わせだった。でも11年前の決勝でも初優勝を争ったのがこの2チームでその時も1ー0で山梨が勝っていた。こういう結果ってその後もなにげに影響するもので現在最強チームと言われている青森山田(ここ5年で4回決勝進出)にとっては去年に続いての苦い準優勝になった。 

ヒトミンチョに「高田みづえに会える機会があれば一度会ってみたいな」と要望をした。高田みづえはヒトミンチョは中学の時からの友人で今でも二所ノ関部屋の鹿児島での後援会には出席している。彼女の出身地は私の生まれた頴娃大川の隣の村の耳原で諸事情がなければ先輩後輩の間柄だったかもしれないのだ。それに彼女がデビュー前に好きで持ち歌だったという「目ン無い千鳥」や「南国情話」は私の大好きな歌で鼻歌でもいいから一度目の前で聴いてみたいと思っている。二所ノ関部屋の後援会もコロナのせいで今年はないようだから難しいかな。

それに親方(若島津)もそろそろ65才の定年だそうで果たして今後はどうなるのか。私は若島津を日高六男のころの高校生(鹿児島商工)時代に見たことがある。甲東中の相撲部(実質柔道部)の練習にかり出され鹿児島商工相撲場へ中学1年と2年の時に稽古に行っていた。高校生とは無論相撲は取らないが監督が「こいつ(日高)は組んだら強いんだ」と言っていたのを覚えている。なお、甲東中は自分らの代は3年連続優勝だった。4チームの総当たり戦で私は1年の時に1勝2敗、2年の時は2勝1敗だったと覚えている。他の連中が強かったからね。3年時は助っ人は断った。もともとはバスケ部だったし成長期が早かった私は中1のころは大きくてもその頃は普通の体格になっていたしー。↓は中2の時の優勝記念撮影(左下が私)。今思えば、回し(ふんどしではないよ)を締める経験ってそうそうはないわな。


ただこの写真のせいで中学時代は相撲部だって思われることがあり、バスケ部だったんだって言っても信じてもらえないこともあった。バスケでは優勝したことがなくスポーツでの公式試合での優勝経験をしたのはこれっきりだ。今では相撲大会に出て良かったと思っている。

ヒトミンチョやヒカル姫と駄弁(だべ)ること2時間近く。いつもより長居した。りおんちゃんのお通夜代わりの時間だったみたい。

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