2020年1月2日木曜日

フサンコ、驚きのエピソード

(元日の続き)
ヒトミンチョ家に近づくと家の前まで釜蓋(かまふた)神社への初詣の車が並んでいた。いまだにブームが続いているとはねえ。

家に入るとトシ登り、フサンコ、ヒトミンチョはいたがヨカトモ従兄は不在だった。兄妹全員がそろうのは稀なのはどこも同じだ。ただ、TVでサッカー天皇杯決勝を付けながらワイワイガヤガヤというのは毎年恒例だ。今年は鹿島対神戸。Jリーグで一番多くのタイトルを持つ鹿島に対し、タイトルが一つもない神戸とでは神戸に応援したくなるのは人情だろう。結果もその通りになりめでたしめでたしだ。

今年は主にフサンコ従兄とよく話をしたのだが、私にとってすんごい興味深いエピソードを知ることが出来た。若くして胃癌で亡くなったエキアハハのことで、フサンコが小学5年の夏休みに大川のデンコー宅の床下で遊んでいた時のことだった。エキアハハとデンコーの会話が聞こえてきた。「あなたは私が死んだら若い人と再婚するんでしょ」とエキアハハがデンコーに言ったというのだ。実際、エキアハハは1ヶ月後には亡くなってしまうのだが、幼いフサンコはそんなことは知らなかったので驚き、しかも大人の会話を耳にしてその場をすぐには動けなくなってしまったという。30年以上経過してから彼はその一件をデンコーに話したが覚えていなかったそうだ。

へーえ。まずエキアハハが実は死を覚悟していたということを初めて知った。胃癌発覚から2ヶ月あまりで亡くなったのだが、周囲の話では手術も受けた(実は開腹のみで取り出さず)から「(私は助かるけど)子宮癌のフジコ従姉さんは助からないんだって」と言っていたとも聞いていた。しかし実際は衰えていく自分の体から死を予感していたのだ。そして先の会話などいかにもありそうではないか。同じようなシーンはラフカディオ・ハーンの「怪談」にも出て来る。亡くなった妻が幽霊となって新妻に害を加える話だったが、小説でも現実でもとかく亡妻は夫の新妻が嫌いなようだ。あと余談だが、フジコさんは子宮癌を乗り越えその後もいくつかの病気を克服し去年95才で天寿を全うしたのだった。

さらにエキアハハの葬式ではフサンコは同年の従妹コーコさんが墓場で泣きじゃくっていたのを思い出すという。ああ、私は墓場に行く前にコーコの姉星娘さんらが「エキア姉さ〜ん」と泣いていたのを思い出す。あまりに周囲が泣くので私とヒラーキは無邪気に笑っていた。後年、エキアハハの三十三回忌でヒラーキも「あの時は笑っていたよな」と覚えていた。二人とも小学校に入る前のことだから責めることは出来ない。

さらにフサンコは「イチオジは古賀政男の『男の純情』が好きで、踊りが得意だったアキエハハとその曲で長崎鼻で踊ったのを覚えている」という。ほう、それは珍しい光景だ。アキエハハが踊る様子は私は写真でしか知らない。フサンコと私は5才違いだから幼い頃の差は大きい。私とフサンコは50年以上も前の昔話で盛り上がったのだがセージやチッチには退屈だったかも。で、帰りがけにフサンコ宅に寄って、一昨年の県美展、南日美展での最高賞を取った油絵を見せてもらった。新聞でしか見ていなかったので意外に大きなキャンバスに繊細に描かれているのを見て子どもらもギボヒサコまで驚いていた。
↓4枚のうち左の3枚が受賞した絵。モチーフはいずれも一緒だ。

帰宅すると年賀状が届いていた。今年は若干いつもより少なかったかな。私の出した年賀状も例年と路線が全く違い、もらった人は少し驚いたかも。子どもらをいつまでも載せるのはどうかということやコラージュも毎年同じようだからとカールに言われてのことだが、縁なし全面写真プリントで目立つ年賀状であることだけは変わりないか。途中まで作っていた例年通りの年賀状の片鱗は昨年12月23日の日記を見ればうかがえる。

1月2日に例年通り護国神社に初詣をした。明日になったら子どもらはまた帰ってしまう。二人帰って来るだけで賑やかだったのがあっという間に寂しくなる。しばらくはこんな正月が続くね。

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