2019年2月28日木曜日

「あさま山荘」から学ぶこと

この前の休日、BS朝日の「ザ・ドキュメンタリー」をビデオで見た。2年前に放送された「あさま山荘事件 立てこもり犯の告白 ~連合赤軍45年目の新証言~」の再放送だった。これを今日の日記ネタにしたのには訳がある。2月28日は「あさま山荘事件」の終結の日だからだ。1972年(昭和47年)、浅間山荘に籠城した連合赤軍(学生運動の成れの果ての過激派)5人は山荘の管理人の妻(〇田〇子さん、知ってはいるが名は伏す)を人質にとって10日間もの間銃撃戦を繰り広げ、死者3名重軽傷者27名を出した。特に機動隊突入日の2月28日はほとんどのTVが生中継し、全ての視聴率を合わせると日本TV史上最高の視聴率89.7%に達したと言われるほどで日本社会に様々な影響を与えた事件だった。

私は当時小学6年生。学校から帰宅すると家でも当然TVが付けられみんな見ていた。有名になったクレーン車鉄球と放水攻撃で犯人らは追い詰められ、暗くなってから警察が突入したと報道されていた。そのうち、「犯人全員逮捕、人質も無事救出」と現場アナの声があり、皆ホッとしたのだった。管理人妻が担架で運ばれていくシーンを見たような気がするがはっきりとは覚えていない。そして犯人の板東國男が逮捕されるかどうかという時に実家にいた父親がトイレで首つり自殺をしていたというなんともやりきれないニュースもあった。冷静になれば自殺することもないのだけれど、これだけの大きな騒ぎになり全国民注目の中、当時の日本人の精神ではいたたまれず責任を感じてのことだったのだろう。

その時の日記がある。学校に毎日提出するというのに汚い字でチト恥ずかしいが↓に示す。両親とともに20時20分までTVを見ていたとある。

この連合赤軍の暴挙と実はグループ内で凄惨なリンチ殺人(山岳ベース事件)が行われ、12人も死者を出していたことが発覚し、学生運動、左翼運動が大きく衰退するきっかけにもなった。番組では当時19才だった加藤倫教他数人の関係者の証言、右翼の意見などなかなか見応えがあった。加藤倫教は立てこもり5人の一人で16才の弟元久もその中にいた。なんと私とは4才しか違わない。元久のみが罪には問われず少年院送りになっている。実は長兄の加藤能敬は山岳ベースリンチ事件の最初の被害者の一人である。「総括」という名の自己批判、反省強要行為はリンチ化し、主犯だった森恒夫に殴られしかもそれを弟たちを含むメンバー全員に強要させていた。兄が死んだ時、三男はさすがに泣きじゃくったという。

この一連の事件はいろいろな教訓を思い起こさせる。なんといっても世の中の不条理を正したいという若者の情熱があらぬ方向に行くとトンデモナイことになるという事実だ。番組では正反対の立場をとる右翼一水会代表の鈴木邦男氏の「愛と正義が一番おそろしい」とのコメントが皮肉にも的を射ていた。連合赤軍(「赤軍派」と「革命左派」の合体)になる前のどっちかのメンバーは銀行を襲う理由に「資本主義の手先だからそこから金を取ってもいいのでないか」と「理論武装」して強盗を行うのである。「正しいことをしているのだからいいのだ論理」の恐さだ。

この事件は大きすぎていろんなところに余波が生じた。今回知ったことで是非とも言っておきたいのは本来被害者である人質となった管理人の妻のその後だ。救出された時は私の日記にもあるように「ほんとうによかったなぁ」でそれでずっと行くべきだったのに、相当な批判、非難にさらされたのである。Wikipediaの「あさま山荘事件」に詳しく載っているのでそれをそのまま載せる。

「3月1日に開かれた短時間の記者会見で、「(退院したらまず何をしたいかとの問いに対し)みんなと一緒に遊びたい」といった、気が動転している中でなされた女性の発言の一部がセンセーショナルに切り取られたうえ、あたかも犯人達と心の交流があったかの如く(女性が所持していたお守りを夫が勘違いで犯人から貰ったものと別の記者会見で語ってしまっていたことも一因であった)報道された。この結果、女性は広く世間の批判を受けることとなる。実際には、「一日一食、ごった煮みたいなものを食べさせられた」「26日からはコーラ1本しかもらえなかった」「2月29日の報道(朝日新聞の「スクープ」)を見たらまるで私が赤軍と心のふれあいをしたみたいに書いてあって驚いた」と、女性は後に述べている。

この会見後、女性のもとヘの激励の手紙が激減し、逆に「うどんが食べたい(病院で食欲を尋ねられ、うどんを所望していた)とか、遊びたいとは何事だ」「お前のために警官が死んでいるのに何を考えているのか」といった文言やカミソリの刃を同封した脅迫の手紙が届くようになり、週刊誌は女性のプライベート情報や虚偽の内容を織り交ぜて『ウソ泣き〇〇(女性の名前)』『偽善者』と書き立てた。女性は予め夫が目を通して問題がなかった手紙のみを渡されていたが、精神的に不安定になっていった。女性は衰弱しながらも3月11日にそれまでの報道を否定する記者会見(全国からの励ましへの感謝、殉職警官遺族への「お詫び」の意向、監禁中は常に拘束と監視を受け生命の危機にさらされていた旨)を涙ながらに行った。それ以後、女性はマスコミとの接触を拒むようになった」

どうだろう。誤解と「正義」の意見によってなんら事件と関係ない被害者ですら攻撃され人生を狂わされたのだ。現在のようにネットが普及している時代ならもっとひどいことになっていただろう。だからマスコミやTV、新聞その他で見知らぬ有名人を私は安易に非難すべきではないと思っている。事件被害者の一人(民間人)はこの女性の身代わりになりたいと山荘に近づき犯人に撃たれ後日死亡したのだ。正義感あふれる人だったのだろう。でも後に残される人のことや自分の人生を考えて正義を行う前に冷静なっていれば命を失わずにすんだと悔やまれる(これも非難のうちに入るかもしれないが・・)。

正義で正義で行動しがちな人は本人も周りも気をつけよう。

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