2017年12月20日水曜日

相撲に注文をつける

(ああ、現在12/28の午前3時過ぎ。年賀状作成の真っ最中だ。裏面は完成しプリントし終わるところだが表の住所と一言添えがまだ全く手を付けていない。もう眠いよー。でも市外住所の人たちには今日あたり送らないと元日に届かない可能性もある。眠い目をこすりつつもあと一踏ん張りだぁぁ)

でも眠い。眠いから簡単に書く。

日馬富士の暴行事件以来、大相撲のマスコミでの話題が尽きない。問題は貴乃花親方や白鵬にもあるとかで横綱審議委員会だけでなく関係者、識者、一般ピープルまでかまびすしい。少々うんざり気味だ。それに自分も加わる気はさらさらないが、こうした騒動の中で私が一番関心があるのは、白鵬の相撲の取り口批判についてだ。横審やマスコミ、一般ピープルが張り手やかち上げなどの取り口が「横綱らしくない」と非難ごうごうだ。身近な人ではサブアラドDrもそのくちだ。麻雀しながら相撲を見ていて「ありゃいかん」と言っていた。

私は・・まったくそう思わない。そりゃ今場所の取り直しを要求する態度はいかんでしょう。それは確かに見苦しい。でも土俵の中でルール違反をしているわけでもないし、私は周囲に言われるまで全く「らしくない」取り口だとは気付かなかった。そう言われてもそうかなあ・・と思うだけ。みんな本当に横綱らしい相撲、受けて立ち、こざかしい技は出さず、堂々と寄り切りや上手投げなど真っ当な決まり手で勝つ相撲を見たいのだろうか。横綱はいわゆる横綱相撲で勝たねばならないのだろうか。それがどんな相撲かぎゃーぎゃー言っている人たちは分かっているのか。

私は前にも書いたことがあるが、そんな横綱相撲の代表に大鵬がいる。上り調子の頃の大鵬はそりゃ人気があった。しかし昭和40年代前半、優勝するのはいつも大鵬で大相撲は人気低迷時期を迎える。大鵬の相撲は典型的な受け相撲で無理はせず十分に組んで最後は寄り切りだ。観客やファンは正直だった。面白くないため、TV視聴率も下がり、民放は大相撲中継から手を引き、残ったのはNHKだけになった。今、白鵬にそれを望んで白鵬がそんな相撲を取ったらさすが横綱とみんなは褒め称えるのか。

そもそも相撲内容までいちいち注文を付ける必要があるのかと言いたい。「面白い相撲を見せてくれよ」「ハラハラするような真剣勝負を見せてくれよ」でいいんじゃない?大相撲が危機的な時に一人横綱で看板しょっていてしかも前人未踏の40回優勝など大きすぎる実績の白鵬に対してあまりにもリスペクトされなさすぎだと思う。

おっとそうだ、貴乃花も上り詰めていくころのフィーバーはすごかった。あんな人気はこれまでなかったと思うほどで、スポーツ紙が場所中毎日一面を飾っていたのを思い出す。でも横綱になってしばらくすると「終わってみれば貴乃花」と安定感ある取り口に勝ちすぎる点を揶揄されもした。強かった北の湖も風貌も損して勝ってもどちらかと言えば敵役だった。マスコミや一般のファンなんて移り気で流されやすいもんだ。そんな浮き草のような連中の「御意見」をまともに聞く必要はない。

年月が経てば白鵬はもっと評価されていくだろう。大鵬や貴乃花の相撲よりずっと面白いしネ。そうそう、白鵬、「けたぐり」なんてのも年に1回くらいやってくれんかな。ちょい昔、1回だけ「猫だまし」もやってくれ私はにんまりした。ただ、「横綱がするなんて」と非難の大合唱だった。意外性のある横綱って観客は喜ぶと思うんだが。ああ、簡単に書くつもりが結局簡単には終わらなかった。年賀状はきっと予定通りには終わらない・・。

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