2015年12月26日土曜日

ああ、内視鏡グループ忘年会

19時半から山形屋近くの中華料理店「日火炎」でかつての大学内視鏡室グループの忘年会に出た。出るのは3、4年ぶりくらいかな。かつては少なくとも50人以上、最盛期は100人近い出席者がいたものだが大学の研究室がなくなってしまいじり貧で今回の出席者は14人、とほほの数だ。それでも2年前幹事だった山ウソDrが急病で会があるかないか不明で急遽別の店で開いたときはたったの6人しか来なかったというからいずれ消滅する忘年会だなこれは。同期の先生はオキパパDrのみで後輩は幹事の焦が鉄Dr、伊佐市の元坂Drだけだった。まこと淋しい限りなのだがそれでも十分楽しめた。2期先輩のソノマラソDrとも20年ぶりくらいの再会だったし、かしましい病院の元院長ジュンセイDrともまじめな内視鏡や医療の話が出来たり、今年いっぱいでそこを辞める内金Drの次の行き先なども知ったりと青雲や姶良郡がらみの情報しか知らない身には大いに刺激を受け、来て良かったと思った。

21時前にはサブアラドDrから電話があって店のすぐ隣の駐車場に今いるぞというので、オキパパDrともども降りて挨拶に行った。彼はいつもここに車を駐め奥さんと飲食するということで「今夜は日火炎で食べようと思っていたのにおまえたちが忘年会するせいで他に行く羽目になったわ」だって。同期生のオキパパDrとサブアラドDrは20年ぶりの再会で「サブアラド先生、ずいぶん(見た目が)変わったね」とオキパパDrは率直な感想を述べていた。現況でオキパパDrが指宿の医院を雇われではあるが院長をしていることを奥さんが聞き、「あらま、オキパパ先生は院長、こてる先生は副院長、うちの旦那はヒラね」といい、サブアラドDrをぎゃふんといわせていた。ハハーッ。
(↑左からヒラ、副院長、院長です。ちなみにオキパパDrという名付けは、かつてカールが彼を見たときに「まあ、まるで沖雅也のパパ(『日影忠男』氏のこと)みたい」と言ったのが由来です。)

お開きになった後は焦が鉄Drが「先生はふるさと納税を活用していますか?」と尋ねて来た。彼によると絶対に上手に利用すべきで相当お得だと力説していた。聞けば確かにそう思えてくる。ただ何となく面倒に思ってやらずにいるだけかも。カールとも相談して検討してみよ。少ない集まりでも行って良かったよ、ホントに。

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