2021年11月24日水曜日

金閣「若き僧はなぜ火をつけたのか」

未明に覚醒したためTVのドキュメンタリーを見る羽目になった。すぐには寝付けなかったからね。

REGZAのおまかせ録画機能には私はドキュメンタリー番組を主に勝手録画するよう設定している。全てを見ることなどさすがに無理でどんどんたまっていく。最初は見ないと思う番組は自ら消していったがこれは面倒で、録画がいっぱいになったら古いのから削除されていくと知り、もうREGZAに任せっぱなしにしている。中には「お、これは」と思うのがあって、NHKBSのアナザーストーリーズ「金閣寺炎上 若き僧はなぜ火をつけたのか」を今回は見た。
「金閣」を放火焼失させたのは鹿苑寺金閣の見習い僧で大谷大学学生の林養賢であった。
日本海に面した小村の寺の息子で結核で亡くなった父親の頼みで寺にあずけられていた。ただ背後に僧侶として大成して欲しいと厳しく接していた母親がいた。さらに重度の吃音症があったのと住職の計らいで大谷大学にも入学するも寺の修行にも身が入らないところがあったようだ。厭世気分になり放火1ヶ月前以上から事件を計画していた。昭和25年7月2日未明、金閣内に忍び込み火を付け金閣と心中しようとするも怖くなり、近くの左大文字山に登りカルモチンを服薬し自殺を図ったがうまく行かず苦しんでいるところを夕方に発見され逮捕された。金閣は焼け落ち、事件直後、林養賢の母親は事情聴取のために警察に呼ばれ、息子との面会を望むも息子は大声で「絶対に会わない」と面会を拒否した。そして母親は家に帰る途中の列車から保津峡の峡谷に飛び降り自殺をしてしまった。精神科医で「金閣を焼かねばならぬ」で大佛次郎賞をとった内海健は養賢の母親を「毒親に近い」と事件の一番の原因に挙げている。

この金閣炎上は犯人の動機に複雑な感情があり、作家の創作意欲をかき立てるものがあるらしく、この事件をモチーフに三島由紀夫の「金閣寺」、水上勉の「五番町夕霧楼」と「金閣炎上」などが創作された。三島は供述書にあった「美に対する嫉妬」という言葉に刺激され、水上は自身が福井の寺の子で口減らしのために少年僧として寺に預けられるという境遇が犯人といっしょで「新聞の一字一句は私を極度に興奮させ緊張させ考えさせた」そうだ。

この中で割を食ったのは住職であった慈海和尚だ。三島には「好色家」水上には「吝嗇家」と書かれたが実情はそうではなく作家の脚色だった。水上はノンフィクション作品である「金閣炎上」の冒頭で「六年前高野分教場にいたころ、青葉山うらで逢った中学生がやったのだ。帽子を阿弥陀にかぶった額ぎわのせまい男。私と滝谷の会話を聞き入っていた吃音少年だ。あの男が火をつけたか」と明らかな嘘をついている。これは自身と養賢との類似性を「以前偶然にもあっていた」と書くことでリアリティを出すテクニックと考えられる。
ノンフィクション作家の吉岡忍は和尚にいくら実情を聞き出そうとしても「自分の不徳の致すところ」としか言わず決して人を非難したりなどの発言はなかったとのことだ。地域の人や他の修行僧にも慕われ、養賢やその母にも立派な戒名さえ付けている。金閣再建に向け奔走し再建後も30年間住職を勤め上げた。余談だが、私の友人の矢野謙堂(現在相国寺の和尚で臨済宗の教学部長)は小学生時に鹿児島の南州寺住職の父である矢野完道和尚と金閣の中に入るといううらやましい体験をしており、その時に案内してくれたのが慈海和尚だったことになる。養賢は事件から6年後に肺結核で亡くなり、統合失調症の症状が顕著ですでに廃人の様相であったという。

金閣炎上は不幸な事件ではあったが、それがなければ名作も生まれなかっただろうし、再建時に創建当時同様の金箔が施されることでさらに輝きを増し今でも多くの人を引きつけている。私もこれまで3回は見に行っている。番組では金閣には妖しいまでの美、歴史の重みが内在されていてそれらが事件を引き起こしたといった解釈もされていた。2年前に京都に行ったがまた行きたくなったよ。

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