2021年2月3日水曜日

五百旗頭真著「日米戦争と戦後日本」

南日本新聞を見ていたら、ラ・サール中高教諭の丸山晃氏が書評で五百旗頭真(いおきべ まこと)の「日米戦争と戦後日本 (講談社学術文庫)」について感想を述べていた。
その中で戦中時の外相東郷茂徳の知られざる功績が興味深かったという。東郷茂徳と言っても今は知らない人が多いかもしれない。
私は高校時代、東京裁判(極東国際軍事裁判)に関する分厚い本が愛読書だったので当然知っていた。名前からして鹿児島出身だ。ただあの元帥東郷平八郎と親戚関係はない。のみならず、実は本籍は「朴」で朝鮮から連れてこられた朝鮮人陶工の末裔である。明治になって東郷籍を士族から購入してその戸籍に入ったのだ。優秀だった茂徳は東大卒業後しばらくして外務省に入り、日米開戦時の外相を務める。そのせいでA級戦犯になり東京裁判を受ける羽目になるのだが、三国同盟には反対しナチスからは嫌われ、ずっと対米国協調派で戦犯とは反対とも言える人だった。裁判の結果は禁固20年、あのミズーリー号での降伏調印を推した戦時中と戦後直後の外相重光葵が禁固7年でこの二人だけが期限付きの刑だった。他は終身刑もしくは死刑だったことを考えれば相当に罪は軽かったといえる。(後、戦犯らは終身刑の連中も恩赦ですぐに出所できたくらいだったが、病気で2年後に獄死したのは残念だ)

同じく日中戦争時の外相広田弘毅は死刑になっている。軍人以外で唯一の死刑でこれは今から見れば不当な判決に思える。というのも、あの南京事件時の外相だったことが大きく影響していて広田にそれほどの重責があったとは思えない。裁判官の間でも意見が割れ、わずか1票差で死刑となったが減刑嘆願が起きるほどだった。東京裁判では南京事件の関与する割合は大きかったのだ。

話を東郷茂徳に戻すと、開戦前の御前会議で昭和天皇が平和を志向する発言をしたことを東郷は駐日米国大使ジョセフ・グルーに非公式に伝えていた。開戦回避に向けた必死の努力の一環だったという。この大胆な行為は開戦後に決定的な意味を持ち、それは本書を読んでのお楽しみだと。ふーむ、読みたくなるじゃないか。東郷はポツダム宣言を最初に知ったときに「これは基本的に受諾した方がよい」と主張するが陸軍大臣は猛烈に反対するなど時局を把握出来ていなかった。もしすぐにでも受諾できていれば原爆やソ連参戦はなかったかもしれない。そのあたりその本ではどう書かれているのだろうか。

もうこうなれば買うしかないな。さっそくAmazonで注文したわ。

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