2021年2月25日木曜日

田山幸憲さんが記事に出ていた

 夕方、ハッピーちゃんがエサほしさに窓の網戸に爪を立てていた。

なんだがまるで我が家のような振る舞いだな。
でもかわいいからエサ上げちゃったヨ。

末井昭という編集者はまったく知らなかったが、Yahooニュースに「東大中退のパチプロ・田山幸憲の死。過酷な舌がん闘病の果てに」という氏の記事を書いていて思わずクリックした。氏は「写真時代」という雑誌をヒットさせたが、発禁処分になって、「ライフワークのようなつもりで編集していた雑誌だったので、次に何をやったらいいのかわからなくなりました。それに、前年の10月に商品先物取引で大損したこともあってウツ状態になり、人と会うのが辛くなっていました」という時期に、以前はバカにしていたパチンコにハマってしまったのがきっかけでパチンコ雑誌を作ろうと思い、ある編集者から田山幸憲氏を紹介してもらったという。昭和の終わり1988年の頃である。

田山氏に「パチプロ日記」というのを書いてもらい、1988年12月に出した『パチンコ必勝ガイド』の最初の号は増刊号扱いで「内容的にはとても恥ずかしいもの」だった。ところが、10万部出して、それが完売したのである。すぐに月刊創刊となり、2年後には月2回刊になり、部数も10万部から40万部に増えて行き、関連雑誌の『パチスロ必勝ガイド』や『漫画パチンカー』などの雑誌も次々に創刊され、会社の売り上げの80%をパチンコ・パチスロ関連の雑誌が占めるようになったという。

私はもうその頃はパチンコはほとんど打っていなかったのでその手の雑誌を買ったことは一度もない。しかし田山幸憲氏はその編集者よりも以前に知っていた。学生時代、パチンコにハマっていたころ氏の『パチプロ告白記』(1977年刊)を読んで非常に面白くまたタメになったものだった。医学部1年先輩のトクダプロは「やっぱ、東大に入る人はパチンコを書かせても違うな」と感心していた。パチンコをテーマに雑誌が出来るものか?と言われていたそうだが、田山氏のエッセーなら読んでも面白そうだ。

末井昭編集長は言う。「一日中パチンコを打ってしまい、気が付いたら閉店の時間になっていて、負けてとぼとぼと家路に向かっていたとします。「ああ、オレ、何やってんだろう」と思いながら、缶コーヒーを買いにコンビニに寄り、雑誌ラックを見ると『パチンコ必勝ガイド』という雑誌があったとしたら「それは買うでしょう」と思ったのでした。だから、コンビニに配本することが重要でした。この説明では、なぜその人がパチンコ雑誌を買うかということを理解してもらえないかもしれませんが、パチンコを打つ人の「疚(やま)しさ、虚しさ、寂しさ」が、その雑誌で慰められるからです。マーケティングという抽象的なことではなく、パチンコを打つ人だけが感じているリアリティです」と。なるほどと思った。

田山氏は「パチプロなんかになるもんじゃない、何も社会に貢献してないんだから」「いくら稼げてもパチンコは遊びだ、あの姿が働いてるように見えるか?」「パチンコでその日の酒代だけ稼げればよい」と無頼な生き方を信条としていたようだ。「パチプロ告白記」にはパチプロ仲間の生態も出てきて興味深かった。あの本、どこにいったのだろう。また読んでみたいが、今じゃ手に入らないな。後に新書版になった本ですら中古で8千円以上するらしい。

田山氏は雑誌で10年以上連載を続けた後、舌がんで2001年に亡くなってしまう。氏は読者や知人に慕われていたようで、末井氏は「田山さんが亡くなった次の年から、田山さんの命日に、みんなで墓参りをするようになりました。田山さんのパチンコ仲間やライターや編集者やファンの人たちが墓の前に集まり、田山さんを偲んでいます。それがもう18年続いていて、年々墓参りの人が増えているのです。昨年はコロナ禍でみんなで行くことはしなかったのですが、一昨年は30人近く集まりました」なんだと。

一介のパチプロをこれだけの人たちが偲んでいる。氏の人柄なんだろうが、たかがパチンコでもそこに文化があり、皆の共感を得ていたからこそだろう。たかがパチンコ、されどパチンコである。

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