2020年8月18日火曜日

中山祐次郎氏随想から「森と湖の里」の思い出

 昨日の夕方、信号Drに「先生なんかも大学入学時に鰻池の『森と湖の里』に行きましたか」と聞かれた。鹿大医学部での新入生歓迎イベントのことで「ええ行きましたよ」と答えた。それがどうかしたのと思ったら「昨日の南日本新聞にその様子が出ていました」と教えてくれた。医局で新聞を見てみると、医師で研修医ものの本を出している中山祐次郞氏が「日曜随想 朝の文箱」にその時の様子を書いていた。彼の本は読んだことはないが鹿児島大医学部出身というのは知っていた。1980年生まれで2浪の末に鹿大医学部合格ということは2001年頃に歓迎イベントへ参加したはずだ。私が参加したのは1978年。何と20年以上連綿と鰻池での歓迎イベントは続いていたのか。信号Drも「今も続いているのかもしれませんねえ」と感慨深そうだった。

どんなイベントだったのか、中山氏の文を読んで私たちのころとほとんど変わっていないと思った。彼らは池田湖に寄ってからの鰻池だったが私の時は長崎鼻に寄ってからだった。せっかくだから中山氏の随想を↓に載せてみる。


私の時は、長崎鼻でバス停車している間「南国情話」がエンドレスで流れていてこの歌を初めて聴く県外新入生らがあきれていたこと、鰻池でのキャンプ所長さんが「医師は『国手』とも言われているほど重要な役目を持っているんだっ」と力説していたこと、中山氏と同じように「ストーム」「部活勧誘」があったこと、そして始めてアルコールを飲み(当時は18才でも平気で飲まされていた)体中がかゆくなって蕁麻疹が出来、自分がお酒に弱い体質だと始めて分かったことなど思い出す。読んでみて、私も信号Drもあまりの変わってなさに少し驚いたのだった。↓42年前の「森と湖の里」のパンフレット。日記帳に貼り付けていた。

この日記を書くにあたって当時の日記を読み直してみた。当時は最後の国立2期校ゆえに遅く4月3日に合格発表があって4月12日が入学式、歓迎イベントが4月15日の土曜から日曜にかけて、そして4月17日から講義開始だった。日記では、バスケ部5年生の伊佐秀夫さんが印象に残ったと書いていた。しばらくしてバスケ部に私は入部した。伊佐先輩は後に阪神大震災後の神戸の診療所で活躍しTV番組で特集されたことがある。そして入学から5年後の1983年4月9日、今度は私がバスケ部の連中といっしょに部員勧誘のため「森と湖の里」に行った。勧誘の際、当時のキャップのしんどかど君が私のことを「彼はパチプロです」と紹介したのを覚えている。というのも前年は留年していてパチンコに精を出し、ある台で攻略法を見つけ、それをクラスメートが知ってパチンコブームが起きていた。その日も朝から「出勤」し、2時間ほどで定量させ、その後昼に大きく勝ち合計2万3100円も勝って当時「自己最高記録を出した」と日記に書いている。それをしんどかどは見ていたのだった。ま、それを聞いて「バスケ部に入ろう」と思った人はいなかったはずだが・・。

ここでふと気がついた。当院の信号Dr、キブンDr、カムイDr、ピッピDrは偶然鹿大同期生でこの1983年入学だった。ということは鰻池の「森と湖の里」で出会っていた可能性がある。カムイDrはバスケ部に入ったしネ。一つのイベントでなにがしかの縁を感じたな。

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