2023年4月11日火曜日

畑正憲といえば

「ムツゴロウさん」こと畑正憲さんが4月5日に亡くなった。心筋梗塞だったという。マスコミはムツゴロウさんをいわゆる動物王国の主など動物好きのタレントという扱いがほとんどだった。しかし私は畑正憲といえば雀士のイメージだ。

大学2年後半から麻雀にハマった頃、麻雀雑誌で有名プロ雀士に対抗してタイトル戦で勝ったり並みの雀豪とは言えないほどの存在感があった。徹夜で半荘50回を打ち続け誰が勝つのかを決める「雀魔王戦」では第1回、第2回を優勝連覇し、しかも相手は小島武夫、灘麻太郎、田村光昭という当時最強プロと謳われた面々だった(第1期最高位灘麻太郎、2期最高位田村光昭、3、4期最高位小島武夫)。そんな短期戦ではなく半荘100戦ほどの長期戦で実質誰が最強プロかを決める「最高位戦」にも第5期に自ら参戦し決勝の5人に残ったこともある。この時に麻雀界で有名な「最高位戦八百長疑惑事件(1980年)」が起きた。決勝の4人に残った田村光昭、畑正憲、灘麻太郎、荒正義との一戦で荒正義が灘麻太郎の出した「南」でハネマンの上がりになったところを見逃したという一件だ。その時点で総合トップは田村光昭。荒に言わせるとわざとその「南」を見逃し、田村からの山越しロンを狙ったということだが、主催者側の「近代麻雀」誌の岡田編集長は荒の師匠筋に当たる灘麻太郎からの高得点上がりをわざと避けたと判断、八百長だとしてその半荘中止を宣告、荒と灘を失格にし決勝戦をこのままでは継続できないからその時点で総合トップだった田村を第5期最高位にするという判断を下した。

私は当時毎月「近代麻雀」を食い入るように読んでいたからこの事件のことはよく覚えている。非常に驚き、裏では何かがあったのかとか勘ぐりもしたが知るよしはなかった。その後、ライバル誌である「プロ麻雀」誌は荒、灘それに同調した小島武夫らを擁護し当時の麻雀界は二分された格好になった。畑正憲はどちらにも関与しておらず、ただ「あの時点で決勝を終了にされたのは納得がいかない」とは何かの文章に書いていた。結局その後、最高位戦から締め出された格好の面々は日本プロ麻雀連盟という麻雀プロ団体を創設した。その後いくつも麻雀プロ団体が出来るがその先駆けで今でも最大の組織である。畑は後にプロ麻雀連盟に所属しプロ雀士を名乗ることになる。

畑の動物関係の著作は1冊も読んだことはないが、麻雀戦術書「畑正憲の精密麻雀(1979年刊)」は当然私は買って読んだ。詳しくは覚えていないが確か789の三色手でカン8索待ちにした手順を「上がれなかったがもし8索を相手が持って来たら絶対に振り込んでいた」という記述を覚えている。

この前の日曜夜のフジTV系列番組ではそんな畑正憲の動物相手だけではない一面も披露していて好感が持てた。↓は畑を語る灘麻太郎。
これは今から30年前の家庭麻雀の様子。これで57歳とは結構老けて見える。

また畑は自身が東大出であることを自慢するどころか恥じているようなところもあった。麻雀をジャーナリズムに乗せた雀界の巨人阿佐田哲也こと直木賞作家の色川武大が病気になった時に見舞うために「二度と来ない」と思っていた東大病院に出向くのだ。それも畑が書いた文章で私は知った。色川は1989年に奇しくも畑と同じ心筋梗塞で亡くなっており二人はあの世でまた卓を囲んでいることだろう。

畑正憲の動物番組は1、2回程度しか見たことがない。覚えているのは畑がわざと川に溺れてみせると、飼っていた犬が主の危険を強烈に感じ川に沿って吠えて助けようという態度を見せるシーンだった。フジの追悼コーナーでも外国での誰にもなつかない凶暴な犬をわずか数分で手名付ける様子はすごかったな。単なる動物好きのオジさんではなく気骨のある文化人といってよかった。ご冥福を祈ります。

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