2022年8月15日月曜日

戦艦武蔵の生き残りから学ぶ

本来なら今日が朝礼スピーチをするはずが、先週に引き続き朝礼そのものが中止になった。だから、ちょっと気合い入って作りかけたスピーチスライドは放置プレイ状態になった。その時間を利用して早く作ればいいのにねぇ、と思われるかもしれないが、夏休みの宿題といっしょ。期限が迫らないと人間はやる気が起きないものよ(と達観する)。

世間では8月15日はお盆休みの人もいるかもしれないが、病院は開けているところも多い。青雲会病院も10年くらい前までは14、15日と休みだった。この時期の私のTV鑑賞は戦争ドキュメントと甲子園が中心だ。REGZAタイムシフトと朝礼延期のおかげでここ1週間はそれらをよく見た。戦争についてはNHKが何と言っても充実しているが、それ以外にもBSで各放送局が特集を組んだりしていた。その中の九州朝日放送制作の「父の戦争 戦艦武蔵 甲板士官の遺言」では番組ディレクター野村友弘氏の父親が戦艦武蔵の生き残り軍人だったことから作られたもので、冒頭父の生まれ故郷に向かうシーンがあって、それが鹿児島姶良市だった。

野村治男氏は海軍兵学校72期で卒業後若くして武蔵の甲板士官という乗組員の風紀を正す役目を担うことになる。しかし武蔵は1944年10月24日フィリピンのシブヤン海海戦で爆撃を受け撃沈し1000mの海底に沈んだ。野村氏はかろうじて生き残った。そのことを家族に語ったことはほとんどないという。ただ「自分は運が良かっただけ」と語るのみだった。

この放送のあった前年に沈没した武蔵の映像が初めて撮影され話題になった。野村治男氏が生きていたらきっと目を食い入るようにして見たことだろう。氏は手塚正己のノンフィクションの大作「軍艦武蔵」では貴重な証言者として多くを語っていた。そのテープも残されており息子であるディレクターは「確かに父の声だ」と驚く。そんなことなど家族にはほとんど語ってこなかったからだ。撃沈時に乗組員2399名のうち半数近くが亡くなりその後の戦争もあり内地に生還できたのは400名程度だったそうだ。生き残った者の苦しみ、悔恨が生半可には語らせないのだろう。氏は亡くなる数年前に青雲会病院に入院したことがあった。もしこのことを知っていたら尋ねてみたかった。まあ、私なんぞにはほとんど語ってはくれなかっただろうが。

船首から沈みゆく武蔵。このあと爆発し撃沈。駆逐艦磯風から撮影された。

あと、NHKが今回放送した戦争前から戦争時の庶民や兵隊、軍人などの膨大な書き残した日記、記録などからキーワードを抽出しドキュメンタリーにした番組はなかなか面白かった。真珠湾攻撃の直後の多くの日本人が「この感激は忘れない」などと書き、日中戦争の泥沼から対英米との戦争で打開してくれると期待していたようだ。現実はさらに悲惨なことになっていくのだが・・。

情報統制し国民全体をある種洗脳していたために、戦争末期になっても「日本は決して負けない」と多くの国民に思わせることが出来ていた。これは「あのころは本気でそう思っていました」と今では有名になった人がよく語っていることから間違いない。現代でも北朝鮮では「我が祖国は将軍様のおかげで素晴らしい国だ」と本気で信じている国民が多いのは情報統制が厳しく守られているからだろう。当時の日本は今の北朝鮮とさして変わらないんだというのも見ていて思った。自由にものが言えることは素晴らしいことでこれは絶対に今後も守っていかねばならない。北朝鮮ほどではないにせよロシアや中国、ミャンマーなど言論を封殺されがちな国と比べて今の日本はまだずっとマシだ。私はいつも言うのだが、トップである総理大臣を「だめだ」「アホだ」など言うことに対して何のおとがめもなく、堂々とそう言える国は良い国。この状況を悪化させてはならない。

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