2022年4月17日日曜日

「天文館 まち歩き 意外な発見!」の驚き

昨日、MBCのローカル番組「どーんと鹿児島」の再放送をチラッと見ていたら、思わず画面に向かって前のめりになるシーンがあった。おそらく見ていた人100人いたら99人は興味を抱きようもない地味な画面だった。「天文館 まち歩き 意外な発見!」というタイトルの1シーンで昭和31年の天文館の一部の住宅地図が大写しになっていたのだ。(REGZAのタイムシフトマシンでそのシーンを再現してみる)

地図の左半分は樋之口町(てのくちちょう:右半分は山之口町)で私が昭和41年から昭和63年まで住んでいたまさにその場所だった。普通に見ている場合には画面の移りが早すぎてまったく分からなかったが、タイムシフトで静止画像にしたら一軒一軒の家主名がちゃんと確認出来た。私が指さしている↓黄色の区画が自宅のあった所だが、昭和31年時は小さな家が3軒奥に並んでいたのだと初めて知った。昭和41年当時は木造の割烹旅館になっていてそこを親が買ったのだった。
ピンクで囲った区画が私が訪問したり遊びに行ったりしたところで名前もそのままだった。向こう三軒の家主は変化ないが両隣と背後の家は福元レンガを除いて全く違っている。10年も経てばそれくらいの変遷はあって当然だろう。なによりこの頃は一部に小正商店(今の小正醸造;後に日置に移転した)など企業の区画もあるが圧倒的に民家が多い。天文館(厳密には樋之口町は天文館隣接区域)といえどもこの頃はごく普通の下町だったんだと分かるし、私の住んでいた時期もまだそうだった。それが昭和の終わり頃から平成に入ってバブルの時期を迎えると住民は家を売り櫛の歯が抜けた様になっていった。今では・・そのほとんどが駐車場になってしまい、当時のままの木造家屋は向こう正面の徳永さんちだけになっている(内村さんちはもうない)。いや、現在も徳永さんが住んでいるかどうかは分からない。

というのも、今日の昼、私たちは昔懐かしい樋之口町に行ってみたのである。あの新しい天文館のランドマーク、センテラス天文館に行った後、立ち寄ったのだった。私たちの住んでいた旧「みしま荘」跡地は完全な空き地になっていた。平成2年に売却し両親は田舎に引っ越し後はしばらくそこの経営者が継続していたようだが、平成10年(1998年)に取り壊された。その後プレハブのような平屋の怪しいゲーム喫茶になっていた。それも今はもうない。

↑「みしま荘」の敷地そのままだ。そして管理看板があって、見ればなんと近々「簡易旅館」の建設予定だという。↓。へー。
↓が昭和44年、解体前の旧「みしま荘」、シャッターの位置が今の管理看板のところ。
↓が昭和45年に新築した「みしま荘」、前経営者が付けた屋号をそのまま使用した。
周りを見渡すと、向こう正面「徳永」さんちの古家と、隣の区画角地の2階建てコンクリートビルだけが50年前と変わっていなかった。古家の裏庭には洗濯物が干してあって誰かが住んでいることは確実だ。
↓右の家が約50年前の「徳永」さんち、左端のお婆さんと家は「内村」さん。中央左があこネーサ母。中央右は親戚のオバサン。
昭和45年、新築開業前に親戚が集まっていた。↓の写真の大人男性は左からデンコー父、イチオジ、アキヤオジでみんな故人だ。子どもは左が従弟のタカヒロに右がヒラーキ弟。
写真も懐かしいが、古い住宅地図を前にし、知っている住民の名前を見るたびに様々な思い出がよみがえった。MBCの番組では隣町の「山之口温泉」が出ていた。私は近くの「染川湯」によく行っていたが、何回か「山之口温泉」にも行ったことがある。どちらも今はもうない。銭湯そのものが今や懐かしさという言葉と同義になってしまった。
地図を見ているとまだまだ様々な思い出が湧き上がる。「住宅案内図刊行会」っていうのか。昭和45年あたりの地図も見てみたいと思ったことだ。

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