2022年4月16日土曜日

脱腸から「やんばる」まで

土曜は外来だった。付いた看護師は仏顔Nsで名前のとおりとってもおっとりしたナースだ。しかし彼女も子育てのストレスでもあるのかちっちゃな円形脱毛があると嘆いていた。私が仏顔Nsとしたのは彼女、本当にそう見えるからだ。↓お目々を披露出来ないのが残念。

昼前になり、次の患者の問診記載を見ると「大腸が膨らんできた」と書かれてあった。何だこれ?直に訴えを聞き診察すると、典型的な高齢者の鼠径ヘルニア、いわゆる脱腸だった。これは・・「外科の先生に診てもらいましょう」と即転科診察を指示した。たぶん手術が必要なはず、後で確認するとやはり手術予定が組まれていた。

それはいいといして、「そういえばさー」と仏顔Nsに語りかけた。「私の弟がまだ幼いころ、鼠径ヘルニアになったことがあったのよ。ある時、弟がションベンするのを見てびっくりしたの。おちんちんの周りがすっごい大きくなってて・・」「へー、子どももヘルニアになるんですか」「鼠径ヘルニアって子どもと年寄りに多いの。弟は手術を受けて治ったけど右のキ〇タマの横に傷跡が残った」「それでさー、私はその時初めてダッチョーって言葉を覚えたのよ。それで弟を『ダッチョキン(タマ)』ってよくはやし立てていたんだ」「まあ・・」まあ、子どもって残酷なことを平気で言うからね。

そこからだ。子ども時代の連想から私は「うちのデンコー父がまた口が悪いところがあってね、今で言えば明らかな差別用語をよく言っていた」と語り始めた。足を引きずって歩いている人は見たら「チンバ」、明らかに認知の老人には「ドモ」、親戚のおじさんには「ダッパ(今でも意味不明)」そして後で意味が分かったが「カモンゴケンコ」というのがあった。これは親戚の従弟が実はもらい子だったのをそう呼んだのだ。いや、ひどいのはその本人に向かって「おい、カモンゴケンコ、返事せい」と呼びかけたりして、私はあまりいい意味で言っているのではないとは感じていた。知ったのは大学生くらいの頃だったかな。「蒲生の後家の子」という意味だったのだ。うわ、ひどい・・。

さらにこれは鹿児島の人しか言わないが「ジキジン」だ。沖縄出身の人を指す「琉球人」のことで鹿児島式発音でそうなる。戦前から戦後しばらくまで普通に鹿児島では使われていた(ようだ)。私は妻と結婚を認めてもらう時に初めて知った。デンコーが「デンシロー親父(私の祖父)が生きていたら『ジキジンなんかと(結婚なんて)』と絶対認めなかっただろう」と言われたのである。かつて薩摩が琉球国を支配下に置いていた歴史的事情は100年以上経っても残存していたのだ。ところが現代の沖縄から見たら鹿児島なんて日本の一部で東京なんかよりずっと田舎の県というイメージだ(現実そうだ)。当時、カールが「まだ一度も会ってもいないのになんで(結婚を)反対されるのか分からない」と言うのももっともだった。

カールは今でも絶対に周囲には言わないが、どちらか言えば私の家の方が下に見られてもおかしくない状況にあり、鹿児島に来て驚いたのは県民性の違いというより庶民の生活や庶民感情といったものだった。まあ沖縄は鹿児島よりも島のどの地域の出身かで差別意識というかそれらしきものがあるのでどっちもどっちなんだがネ。今、NHK朝ドラ「ちむどんどん」で山原(やんばる)が舞台になっているが、私が沖縄の病院にいた頃の内視鏡室のカミタミカNsが、ある時お顔を膨らまして「やんばるのどこが悪いって言うの!」と怒っていたのを目撃したことがある。彼女の出身はきっとやんばるだったのだろう。ドラマを見て分かるとおり相当など田舎だ。那覇の上等なレストランにビーチサンダルで入っていたけどよく入れさせてくれたものだ。

まあいい、ひょんなことから差別の話にまで広がってしまった。

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