2014年1月30日木曜日

「あんたは今までみてきた医者の中で一番最低の医者だ」

今日はなんともおっかない、刺激的なタイトルだ。しかし一言一句正確に患者の家族が言い放った言葉で、その最低の医者とは私、こてる先生その人だったのである。

午前の検査が一段落するころ内視鏡室に病棟Nsから「患者の家族が病状説明を求めている」と連絡があり、さらに「ちょっとした剣幕です」とも付け加えてきた。何となく察しはついたがどうにか仕事を切り上げ病棟のNsステーションに座ると、高齢女性患者の息子二人が椅子に座るなり怒声に近い感じで私をなじり始めた。「入院の時に説明があったきり10日以上も経つのに何の説明もないってのはどういうことか!」これが全てを言い表していた。その事実に間違いはないしそうなれば家族が怒るのも無理はないと当の私ですら思った。ちょっと言い訳がましいことを私も口走ったが怒りが収まる様子はなく先の言葉や「もう説明があるだろうと思って待ってきたが云々」「たまに病棟で見かけたが話は一度もなかった」他憤怒に満ちた罵声はまだあったも全部は思い出せない。ただ「いくら忙しくても昼休みくらいはあっただろうが」には「いいえ私にこのところ昼休みはありません」とこれだけはきっぱり言い返した。ともかくこのように怒、怒、怒の人に理屈っぽく言っても始まらない。どうあれ説明をせずにやり過ごしたのは私に非がある、そこをまず謝った。その態度がないと気持ちに収まりがつかず説明を聞く余裕など生まれてこない。それに「最低の医者」と言われても気色ばむことなく不思議をいらつきは湧いてこなかったしね。

このあと私は一気に病状説明をまくし立てた。この患者は90才で救急搬送され一時心肺停止状態で来院直後はVT(心室頻拍という致死的な不整脈)を起こしていて電気ショックを行い即座に気管内挿管、人工呼吸管理になり入院となっていた。心電図、採血などから心筋梗塞を起こしていた。それに気管チューブから消化物も逆流もあって誤嚥性肺炎も起こしていて、呼吸と心臓の動きが戻っても極めて危険な状態で助かる見込みは低いことを息子の一人に説明していた。

その後患者の容態は安定し心筋梗塞も改善しており肺炎の悪化も予想よりはひどくなく呼吸器も抜管出来るかもと期待し設定を下げたりした。しかし甘くはなく徐々に悪化の方向に行き肺炎が今日の時点では回復不能に近くなっていた。私は採血や診察、レントゲン画像などからポイントポイントを押さえ説明していった。家族の質問にも即答えた。だって休み以外の毎日私はこの患者を診てチェックして治療を行っていたからだ。当たり前のことをしていただけだが・・。

ではなぜ家族が怒ったように病状説明を説明しなかったのか。実を言うと私は入院4、5日経ったころ病室で家族を1回も見たことがなく「なんだか冷たい家族だな」と心中思っていた。「見捨てているのかな」とさえ。たまにそんな家族もいることはいる。でもこの家族はそうではなかった。毎日病院に見舞いに来て病室にも来てはいたが主にNsステーション近くの広い病棟談話室にいたらしい。そこは私も通り過ぎるが1回しか見たことない息子氏の顔は覚えていない。見知っていれば声かけて説明したはず。こうなるまでに数回は説明したいなと思ってはいた。しかし「病室で会うだろう」「説明要請があるだろう」と忙しさにかまけて自分からは時間を作らなかった。また重症患者が他病棟に多くこの病棟を回るころは夕方6時以降が多かったのもすれ違いを生む要因だったようだ。さらにこの家族は「先生からきっと説明があるはず。いや、先生から説明をするのが当たり前だ」と意固地なくらいに説明要求をしてこなかった。私が受けた印象ではこの数日は意地になっていたようだ。そして我慢に我慢を重ねた結果、こんな最低な医者に一泡吹かしてやらねば気が済まぬ状態になったのだ。

いやはや、背景にあるのは業務の忙しさだ。病状説明する時間も惜しい。それでも求められればたいてい時間を作って説明するようにしている。今回のようにすれ違いや思い違いで説明なしが10日以上も続くのは極めて例外的なことだ。「最低」と言われさほど腹が立たなかったのは治療法などではなく単純に説明なしという観点から吐き出た言葉で誤解に近いと分かったからだ。病状説明を十分にしてからは家族は非難めいたことは言わなくなった。まあ、ちゃんと治療していたのだと理解できたこともあるだろう。ただ治療専心や多忙にかまけて説明を怠ったのは私の間違いだった。大いに反省である。

(結局数日後に患者は亡くなった。お見送りもした。家族は内心どう思っていたかは分からないが非難がましいことは言われなかった。)

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