2014年1月10日金曜日

家族愛あふれる・・のも

疲れた・・仕事が忙しいのもあるが、ある亡くなった患者の家族との話し合いに大いなる疲労感を感じたのだ。

年末に亡くなった患者の件でその息子氏が聞きたいことがあるというので本日午後院内で会うことになった。ううむ、ここでは詳細は書けないが、「比較的元気だったのになぜ入院して4日ほどで亡くならなければならなかったのかを知りたい」というもので、2枚の文書に5つ箇条書きで質問と息子氏の見解が書かれてあった。クレーム?いやそうすることで何らかの賠償を引きだそうという下心はなさそうだ。言い分を聞くにつれ息子氏は母親が亡くなったことをまだ受け入れられないのだと分かった。病院で行われた治療行為などがもとで母は亡くなったのではないかとくすぶっていた。カルテを検討し質問一つ一つにそうではなく何らかの病変(おそらくは心血管系でしょう)が起き年齢もあって(90才代半ばになろうという高齢)一気にダウンしたんでしょうと説明した。しかし「母は入院するまでは元気でした」と涙ぐむ。入院をしていて一見何もないような高齢者の急変死亡はままある。息子氏には言わなかったがいつまでも最愛の母が生きてくれるような気分というか錯覚にとらわれていたのではないだろうか。もし自宅で同じような急変になり亡くなったらこの人は「何で病院に早く連れて行かなかったんだ」と自分を責めそうな気がする。

というのもついこの間私の知り合いの女性が心疾患や血液疾患で何度か危機的状況を乗り越えた90才近い父親がとうとう亡くなったのだが、葬式も終え数週間になろうとするのに「入院する1、2週間前に胸部レントゲンを担当医に頼んでおけば胸の水も早く分かったのでは・・ああ、私がいけなかった」と悩んでいるとメールで相談してきたからだ。それまでも何度か父親のことで相談に乗ってきて本人も「これまで生きてこられたのが不思議なくらいだから」と言い、達観出来ていたのかと思っていたら、いざ最愛の父親を亡くすとその喪失感をどうしていいか分からないようなのだ。最後は今までお世話になった鹿児島市内の某病院がいいと入院させたのに「来月は母親も某病院の定期外来に連れて行く予定だったけど(父の死を思い出すからか)私は行けない。一人で行ってもらうつもり」と語るのだ。亡くなって欲しくない人が亡くなった病院へは行きたくないという心理は分からないでもないがこうも病院の扱いは変わる。

その息子氏にとってここの病院は母の死に関わった忌まわしい所・・きっとそうなんだろうな。家族愛にあふれ過ぎる人もまたややこしさを抱えることがある。人間って難しいものだ。

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