2024年11月10日日曜日

日曜の昼前、お昼、昼後

今日の昼は外食しようとは決めていたが、さてどこにするかでなかなか行き先が決まらなかった。で、こんな時は「左膳」にしようって以前日記ネタにした(2021/6/27「そうだ「左膳」にしよう」→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2021/06/blog-post_27.html)ように、カールが「左膳にしよっか」で「ああいいよ」と決まって午前11時過ぎに家を出た。11時半ごろに着いたが、幸いさほど並んでおらずスムーズに店に入れた。

カールは冬季限定メニューと大きくメニュー用紙にあった「牡蠣天そば」を注文、私は定番の左膳定食にした。 

天ぷらとそばという日本人にはなじみの食材をほどよい値段で上品にまとめていてどの品をを頼んでもまずは裏切らない。今回も美味しかったです。私たちが帰るころは待合で客が並んでいた。

店を出てその足で与次郎の「ニトリ」に寄った。私は特に買うつもりのものはなく、カールが「足ポカクッションっての買いたい」とのことだ。何だそれ?

そろそろ寒くなるころで、椅子に座って下半身が寒い時にこれに足をツッコむといいらしい。1290円で2個購入した。
帰宅すると、駐車場から庭の枇杷の木にはたくさん実がついているのに気がついた。うわ〜、このままではまた小さな実ばかりになりそう。もう少し経ったら摘果やな。それでも実を残しすぎる癖があり、今回はちゃんと摘果して来年は大きな美味しい実を付けてもらいましょう。

2024年11月9日土曜日

インプラント

午前中、鹿児島中央駅近辺にある「薔薇」歯科に行った。実は3月に部分入れ歯にした左上の4番5番の歯の代わりにインプラントを入れてもらうことにしたのだ。インプラントって仕上がればほとんど日常の食生活で困ることはないし便利でいいのだが、いかんせん部分入れ歯と違って値段がお高い。3月は歯痛がひどく、とりあえずは部分入れ歯でもいいかなと思っていたが、毎日の取り外しがやや面倒なのと食感に違和感がやはり残り、カールが「お金かかっても今のうちにインプラントにしておいた方が絶対にいい」という強力なプッシュもあり、半年以上経ってようやく決断した次第。

薔薇歯科にしたのはインプラントを年間200例以上手がけているといういうし、姪っ子のアサちゃんが歯科医として勤務する歯科グループの医院ということもあってだ。最初にマネージャーのスロープライクさんという担当女性が問診を行った。それは普通に終わったが、彼女の自己紹介の紙があり、ちらほらと眺めると、「趣味」の欄に「韓国ドラマ鑑賞」というのが目に止まった。

「おおこれは」と韓ドラの話題を振ってみた。「私も韓ドラは大好きなんですが、何かこれはというお勧めのドラマは何かありますか」と尋ねた。すると、すぐには口に出て来ないようすだったので「じゃー、私から言いますと」とここは最近のドラマがいいだろうと、今年見たドラマの中でまずは一押しの「ほら、女主人公が夫や友人の裏切りにあって死んでしまうのだけどタイムスリップするドラマで・・」と言うと、「ああ『私の夫と結婚して』ですねー。いやー、私も今それを言おうとしたんですよ〜」と笑って答えてくれた。そして「他にも『涙の女王』がよかったです」とのこと。「涙の女王」は私は第1話の途中まで見てそれ以降を見ていない。しかし、大ヒットしたドラマで出ている役者もキム・スヒョンなど一流どころばかりだ。いずれ見ようとは思っていた。

その後、歯科衛生士の歯の診察や歯科医のレントゲン&CT撮影、そしてまた歯の写真撮影などあって、インプラントにあたっての治療法とどのくらいの治療費がかかるなど詳しい説明があった。それらを聞いていて最初にマネージャーに「今の御自分の歯を自己採点するとしたら何点くらい付けますか」に適当に「70点くらいかな」と答えていた自分が少し恥ずかしくなった。レントゲンなどで指摘される自分の歯を客観的に見れば50点もないのではないか。インプラントを考えている歯2本だけでなくまだいくつも治療が必要な歯があることに気づかされた。しかし、お値段を考えればまずは今一番困っている左上2本のインプラント治療を頼むことにした。

2時間以上かかって歯科医院を出たが、骨移植も必要になり合計の治療費は高いなあと思う。義歯で我慢すれば100分の1の値段で治療は終わるのに・・。いや、ここは値段を言っても仕方ない。日本では予防歯科が大事という考えがあまりにもなさ過ぎると歯科医院で言われたがもっともだと思う。今まで放置していた自分が悪いのだ。治療は来月受ける予約をした。全てが終わるまで半年以上かかるらしい。ふう、でも作ってしまえば今の不具合も解消されるはず。部部入れ歯を利用した期間とほぼいっしょだ。あっという間ぜよ〜。

2024年11月8日金曜日

佐伯鶴城出身とな

夕方の院長室、私はそろそろ帰宅の準備をしていた。するとトントン、ドアを叩き入室しようとする来客がいた。餅持ち製薬の新しいMRドチヌラド君だった。高尿酸の治療薬のアピールではあったが、それより彼が大分は佐伯鶴城(さいきかくじょう)高校出身ということで話が盛り上がった。というのも以前餅持ち製薬の担当であったハイソコMRが私に取り入る時に高校野球ネタを使ってうまくいった経緯があるからだ。ハイソコMRは京都出身で「高校野球談義をしたい」と言って来ただけのことはあった(→2018/8/20「ハイソコMRと高校野球談議」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2018/08/mr.html)。ハイソコMRは私より少し年配だったはずだがまだ現役らしい。
その佐伯鶴城と言えば、高校野球ファンの私はすぐに「以前は時々甲子園に出ていたが最近はあまり聞かないなぁ」と言うと「ええ、でも今でも県予選ではベスト4とかには行くんです」とのことだった。「うん、同じ近くの津久見とかも昭和時代までは甲子園に出て優勝もしていたが、このところは別府の明豊がほとんどだな。大分南部のあのリアス海岸地域は21世紀になって全くと言っていいほど甲子園に出ていないわ」と言いつつ、佐伯鶴城をネットで検索してみた。甲子園には夏3回出場し1986年(昭和61年)にはベスト8にも進出した。最後は1996年(平成8年)で私の印象は間違っていなかった。

地図で見てみると佐伯市は津久見市の下にある。そうか臼杵市ともども小さな湾に出来た3つの市だと子どもの頃に地図を見て覚えたが、上から臼杵、津久見、佐伯だったか、順番はあやふやだったのが今回の確認ではっきり覚えたぞ。
ドチヌラドMRに「でもさー、この大分南部の海岸都市だけどこれまで一度も訪れたことが無いんだ。鹿児島からだと別府や大分くらいまでは行くことはあるけれどそこまではなかなか行くことはないし、しかも陸路だと遠いんだよ。宮崎からではせいぜい延岡まででそこから上の大分までは行くことがない。一生のうち一度も行く機会はないかもしれない」とその遠距離ぶりを話題にした。「確かにそうです」と同意するドチヌラドMR。鹿児島に行く時も列車で北九州から大回りで来るんだそうだ。ほう。

調べると、東九州自動車道は大分から宮崎まではつながっていた。その気になれば車で行ける。昨年7月に日向市まではカールとドライブしたんだった(2023/7/16「日向へ初ドライブ」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2023/07/blog-post_16.html)。
岩牡蠣料理も食べたのか。いわゆるリアス海岸地域ゆえに名物料理になっていた。そんなこんなで会話に花が咲き、帰りはちょいと遅くなってしまった。

しかし何はともあれ、ドチヌラドMRは大分、佐伯鶴城という地理的記憶とともに私の印象に残ることに成功したのだった。

2024年11月7日木曜日

ハナビの効用

朝夕が寒くなった。今夜はこの秋初めてガス暖房を入れたよ。でもさー、つい2日ほど前の日中はエアコンで冷房にしていたんだよ。さっき「秋」って書いたけど、最近は秋がない。あっという間に夏から冬だぁ。

夕食の後、ハナビがテーブルに上がって私のノートパソコンの前に来てお邪魔しに来た。甘えるように寝そべるので、顎やら額やらをなでなでしてあげると実に気持ちよさそうにする。

そのうちハナビは自分の手や指をちゅぱちゅぱし始めた。母親がどんなネコかは知らないが乳離れが上手く出来なかったんだろうねぇ。↓私も真似してみた。
私はパソコンが使えず少し困ったが、しばらくはハナビのするがままにさせた。そのうちパッと飛び降りて、今度はゲンちゃんがくつろいでいるソファに上がった。ゲンちゃん、何だよとにらみつける↓。
しばらく緊張が続いてにらみ合いだ。
にらみ合いがそのまま続いて、もしや取っ組み合いか?と思われたが、カールが「ハナビ!だめよ。ゲンちゃんに何かしたら許さないわよ、ママはゲンちゃんファーストなんだから」と、おらおらとハナビを居間から廊下に追い出した。

まだまだ平和な二匹の関係にはなれそうにないね。でも子どもたちがすでに家にはいなくなり、ハナビ以外はみな還暦を過ぎている(ゲンちゃんも14歳で人間に直したら還暦はゆうに過ぎている)。ハナビが家の中を暴れ回ってくれ、なにやら若さを感じる秋のこてる家であった。

2024年11月6日水曜日

わざと出血させて憩室出血を止める

さて、昨日のタクミDrの大腸憩室出血患者だが、今朝も新鮮下血があったというから「絶対出血源見つけたる」と意気込んだ。そもそも今日は内視鏡担当ではないけれど、夕方の外来を止めて検査に向かった。S状結腸から出血しているのは分かっている。2、30個もあるS状結腸憩室の中から出血源の露出血管を探した。送水を繰り返し憩室の奥に血管がないか探すんだ。

そんな中、チラッと見えたわずかに色調の違う粘膜部分があった。「おや?」とスコープを近づけてみる。↓大きさは1mmもない0.5mm程度のわずかに赤と白の所見だ。写真を見てもほとんどの人はどこが出血源か分からないだろう。
かなり分かりづらいので送水して鉗子で押さえ、拡大して観察する。どこが出血源か?
目印を付けて露出血管を示す。ピンク丸がそれだ↓。その目で見ないとまず見過ごす。
憩室の出血源たる露出血管にはいろいろなパターン、形があり、上の写真のようなものはやや少なく、もっとはっきりした形の血管のことが多い。この場合、本当に出血源かを確かめる必要があると思い、出血させてもいいやぐらいの気持ちでこの後鉗子で突いた。すると・・。
ウヒャー!やっぱり出てきよった。出血源間違いなし。私はわざと出血させたのである。最初の写真だけでは専門のドクターでも「本当に出血源か?」と確信が持てない人はいっぱいいるはず。しかしこの写真を見れば出血源と納得出来る。私は出血は怖れない。むしろ「やった!」と喜ぶくらいなんだ。実はこの前の学会で憩室出血を発表していた先生が、動画を出して私と同じように鉗子で突いて探っているのを見て意を強くした。出血憩室にマークリップを掛け、その後結紮ゴムで吸引結紮(EBLという)をして止血しいっちょ上がりだ。
止血出来上がり図は小さな果実が腸管に出来たようになる。
数日以内に絞扼された腸管粘膜は壊死してゴムもクリップも外れる。その後潰瘍化した粘膜はやがて瘢痕化し憩室もろとも消失する。

先月から続いた憩室出血は出血源止血2勝2敗だった。これでも全国平均(止血率2〜3割)よりは高い。わざと出血させて出血源を確定するというのは私がちょくちょくやる憩室止血法の一つだ。多くの先生方が「憩室の出血源はどうせ見つけられない。何もしなくても自然止血率が7割くらいあるからそれでよい」と傍観気味なのはどうなんかねぇ。いったん止まって退院してもまた再発してやって来る患者が多いから私は出来るだけ粘って止血に力を注ぐ。この10年、憩室出血の止血法に血道を上げ、今日みたいにうまく行くとまたやる気も出てくる。もうライフワークやっ!

2024年11月5日火曜日

「退会」欄で偲ぶ

久々に病院で仕事して、受け持ち患者が病状悪化していないか気になっていたが、下血していた患者はみんな出血が止まっていたし、悪化の人も少なくてほとんどいなくてよかった。ところがー。タクミDrから「この前、下血で入院させた患者なんですがー」と大腸憩室出血疑いの男性患者の大腸内視鏡を頼まれた。うわ、この2週間で何人目の大腸憩室出血よ。で、夕方検査したが、案の定出血源は見つからなかった。S状結腸に憩室多発ありそこからとは分かったが特定するのは難しい。しかしこの患者さん、数年前に2回目の内視鏡で出血源を突き止め止血処置をしている、今回も1回であきらめる私ではない。しばらく絶食点滴で我慢してもらい今度出血したら絶対見つけてやるぅ。

11月号の鹿児島県医師会報を眺めていたら、「退会」欄に二人知っている先生がいた。一人は枕崎の病院の大御所だった街一先生で、直接話をしたことはないが、鹿大第一外科出身で可愛いんだ理事長の先輩にもあたり青雲会病院の忘年会に毎年来られていてお顔は知っていた。もう一人は人藤斎先生で、9月4日に亡くなられていた。人藤斎先生は循環器が専門で出身科も違うが、学生時代にバスケ部のコーチをしてくれたことがありお世話になった。それとは別に、そのころの私は自分が医師を目指す意味が持てない頃で、先生に正直に「医師という仕事にあまり意欲も興味もない」ということを口走ったことがあった。すると先生は「何を言っている。医師という職業は自分がちょっと頑張ればすぐに患者さんに反映されて結果が出るもんなんだ。それって他の職業よりずっとやりがいの持てるいい職業なんだよ」と諭された。それは非常に印象に残っていて「なるほどそうか」と納得したのだった。

出水のスチョル先生は大学病院時代に人藤斎先生が直接の指導医とのことで、最近呼ばれて自宅までお見舞いに行ったんだそうだ。末期の病気で「もう助からない」と言われたんだとか。私が医師になり大学病院ですれ違った時には「おお、こてる君」といつも声をかけてもらっていた。確かまだ70歳前半くらいでだったはずだが残念だ。ご冥福をお祈りいたします。

2024年11月4日月曜日

昔懐かし「峠の釜めし」

新幹線で鹿児島中央駅に降りて、すぐに駐車場へは向かわず、お土産横丁に寄った。病院へのお土産を買うためだ。鹿児島以外で学会があったのになぜに鹿児島で買う?それはちゃんとした理由があるが、そもそ荷物になりがちなお土産はあまり持ち歩きたくない。鹿児島で買えば持ち運ぶ手間が省ける。たださすがに選ぶ時はありきたりなのが多くて困った。で、私が食べたことのない安納芋ランドグシャ「さつまがさね」というのを選んでみた。人気No1とも書かれてあった。これを各病棟や外来、人間ドック、他などへ贈るのに都合1万円をゆうに越えたが、多少なりとも迷惑を掛けたのでこれくらいは仕方ないね。

一旦帰宅してから病院に寄って各部署にお土産を配った。そして今度は空港へ。ココちゃんへのおひな様人形を買って上げに千葉に行って帰って来たカールを迎えるためだ。車に乗せて「夕食はどこか外で食べようか」とカールに言うと「それがねー」と彼女は声を落とした。実は銀座に売っていた「峠の釜飯」を夕食用に2人分買っていたのだそう。しかし、購入後トイレで落としてしまって1個釜を割ってしまったんだと。カールは昔埼玉に住んでいて「軽井沢に行った時に横川という駅で友人が『ここの釜飯って絶対美味しいよ、買おう』と言われたの。最初は駅弁なんてと思ったけど食べたらホントに美味しかった」という思い出があり、最近NHKのローカル線の番組でも出ていて懐かしく思っていて買ったんだという。今は横川駅に列車も止まらず駅では買えないらしい。へーえ。

帰宅して改めて開けたら、やっぱり釜が割れてご飯にちょっと破片が混じってしまっていた。それでもどうにか食べられた。昔ながらのオリジナル商品だという。

カールの青春時代を私も疑似体験しつつ、釜飯を美味しく食べたのだった。残った釜はまた再利用で一合飯を炊くことも出来るとか。ありがたや〜。

2024年11月3日日曜日

歯学部1期生麻雀大会にまた参加する

今日は昼から鹿児島大学歯学部1期生(1984年卒)の卒後40周年同窓会の一環である麻雀大会に参加した。

うん?私は鹿児島大卒であるが歯学部ではなく医学部だ。それがなにゆえ歯学部の同窓会に参加するってか。しかも今回が初めてではない。15年前の2009年卒後25周年の時も呼ばれて参加していて、旧「こてる日記」にもその日のことをネタにしている→「歯学部1期生を相手にする」http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2009/11/。参加者は8人で幹事役に私の雀友であるジャズ魔がいて「どうしても出てくれ、1人足りないんだ」という。私は「お前が出て、私が代わりに幹事役をしてもいいよ」と言うのだが、それだとスムーズに会を進行させる自信がなく「やはり、自分が(幹事を)する」というんだ。このやり取り、15年前と全く変わっていない(笑)。(ちなみに、私はボウリングでも鹿児島市歯科医師会と縁があって、以前は同大会によく参加していた)

まあ、参加者のメンバーを見れば8人中7人が私の知り合いの歯科医でしかも一度ならずも麻雀を打ち合った仲間だった。また歯学部は出来たばかり当時は部活動がままならない環境のため1期生2期生までは医学部に交じって練習をしていた。私は鹿大歯学部1期生と入学が同期で、たまたまバスケ部の医学部1年生は私だけ、他1年生は全員歯学部生だったため、当時は医学部生よりも仲がよく、デンコー親父は「こいつは歯学部生とばかり遊んでいて大丈夫か?」なんて心配をしたくらいだった。唯一初対面だったのが鹿児島市内で歯科医院を開業しているドアザワさん。最初の半荘で同卓したが、いきなりのホンイツ狙いに私は発を切って満貫放銃してしまった。いやはや。ただそれほど麻雀に詳しいお方ではなく、点数計算も人任せだった。ここで負けてなるかいとその後頑張ってトップを取ったけどね。

時間制限もありオーラスまで全う出来た半荘はなかった。こうした大会では厳密に勝負を競うよりも親睦第一だ。それで良かったと思った。半荘4回はあっという間に終わり、宮崎から来ている浜伸、にゃんこ、イニシキ、同じ鹿児島でも年に1回も会わないデス川、せっちん、ダイスキなどとも久しぶりに会えただけでなく、まるで学生時代に戻ったかのように麻雀を楽しめた。ダイスキによれば「浜伸が最後2回続けてトップを取って優勝するなんて思ってもみなかった」とダークホースが活躍したのも面白い。2位は上位常連のイニシキで私は5位。前回は最初トップも4位でまたしても出だしだけの息切れ馬だった。↓右が優勝の浜伸、左がイニシキ。

ジャズ魔は賞品やミニトロフィーなども用意しており、幹事役を全うしていたなぁ。「もうこれが最後の麻雀大会だわ〜」と言っていた。聞いた話ではデス川は大学を定年で辞め、今はバイトの医療系専門学校の講師を時々やる程度で、にゃんこも「歯科医院はやっているけどつい最近、経営からは身をひいた」とか。歯学部の同窓1期生は80名入学で6年で卒業したのは55名くらい、今回参加は26名だったそうだ。みんな65歳以上で会社員なら定年&年金世代なんだよな。そう、前回麻雀大会参加の泣かす魔さんは肝臓の病気で亡くなっていた。まだ現役バリバリで頑張っているのもいるけど、徐々にペースを落とさざるを得ない時期に来ている。

わずか半日のミニ同窓会だったけれど楽しく過ごせ、ジャズ魔や歯学部連中に感謝だった。そういえば、会場になった与次郎の「未来(みく)」だけど建物の耐震性の問題で、隣の雀荘「与次郎」ともどもいずれ閉店になる可能性があると聞いた。確かに昔からの与次郎ヶ浜の建物ゆえにいかにもな噂だ。40年も経てば時代(世代)を痛感するねぇ。

2024年11月2日土曜日

カール、事情聴取される

昨日の話題だが、ゴミ処理から帰宅して、私は仮眠を取るなどしてゆっくり過ごしていた。カールはというと、私の車で団地内のAコープに買いものに出かけていた。

今日になって警察官が二人やって来た。ピンポン!「お宅は昨日夕方17時ごろこの通りを運転しなかったか。あそこの交差点で事故があったのです」とのことだ。私は運転はしていないのでそう答え、妻が私のプリウス(白色)を運転をしたことは伝えた。ならば「奥さんとお話を」とのことだが、あいにくカールは外出中で、私がスマホで連絡し、そのスマホで警察と話をさせた。その事故現場は家からも見える信号のない交差点だった。後でカールに聞いたやり取りは以下のようだった。

「どこを通ってAコープに出かけたのですか」「白い車とすれ違わなかったか?」と聞かれ、カールは「その場所は通る直前に左折して通らなかったし、事故も全く目撃していない」と答えた後、「その車の運転手が私だと言っているのですか」と逆に質問した。すると警察は「いいえ、白い車の方全員に同じことを聴いているのです」とのことだった。それを聞いたカールは内心「あ、私、犯人扱いされてる。こんなやりとりって、ドラマではたいてい私が犯人なのよ」と思った。その後カールは「17時9分のAコープのレシートが残っている」という情報も教えたが、警察は「またお電話することがあるかもしれません」と言い終え、私にスマホを返した。そして私に「お宅の車のドライブモニターを見せてもらえますか?」とも尋ねてきたが、「いや、プリウスには付けていないんです」と正直に答えた。警察官二人はまだいろいろ聴きたそうだったが、その事故に遭遇していないのはこっちからすれば事実なのでそれ以上語りようがない。

一段落して、私は警察官の一人に「あのーあなた、前園真聖に似ているって言われません?」と尋ねた。見た目やや濃い顔でマエゾン風だった。こっちも聴取しなくちゃね。マエゾン風警察官は「いいえ、初めて言われました」と否定した。「そうですか。そう見えたんですがねぇ」と私からの聴取は終わった。写真を撮りたかったが、さすがにそれは出来なかったわ。ククク。
(追記:この日記を書いている11月4日の夜現在、警察からは何の連絡もない・・)

2024年11月1日金曜日

鹿児島市北部清掃工場

昨日の午後は小雨が降っていた。ワールドシリーズも終わり、午後の学会Web視聴も一段落していて、カールとプリウスで粗大ゴミ処理に出かけた。処理してもらうのは古くなったテーブル用椅子3脚で行き先は鹿児島市北部清掃工場だ。椅子はもう20年以上経ち、先っぽの縫い目が外れたり皮が破れたりして見た目が悪くなっていた。残り3脚も古びてはいるが何かとまだ使えるので残そう。その捨てる3脚は最近はゲンちゃんとハナビの休憩所になっていているが、時には2匹間の緊張が縄張り争いみたくもなり・・↓。
さて、北部清掃工場って以前1回利用したことがあったあはずだが詳しくは忘れていた。利用時間は月曜日から土曜日(休日を含む)の8時30分~17時15分で、手数料は家庭ごみは100kg以下は無料。100kgを超えた分は10kgあたり70円でまあ安いし住民ファーストだ。ただし、受け入れは鹿児島市から発生した搬入物に限り、持ち込み者は鹿児島市民という証明がいる。

工場入口に着くと、一旦停止させられる。赤ランプが青ランプになって進み、受付をする時に実は車重が測定されている。捨てる廃棄物が100kgを越えなければ問題ないので、今回はまず大丈夫だろう。もしものケースだが、帰る時に間違って助手席の奥さんを置いていったりすると100kg越えなんてことがあるかもしれない。まあカールは大丈夫だろうが、私の知り合いの女性などにそんな仕置きをすれば、間違いなく課金されることだろう(笑)。
なお、捨てられると思っても実は出来ないものも結構あるので↓の注意書きは事前にしっかり確認しておいたほうがいい。家電リサイクル品や産業廃棄物などはもともと対象ではない。
工場内に入ると、職員といっしょにトランク&後部座席から置いた椅子3脚を取りだした。どうするのかと思えばこれが奈落に落とすんだ。簡単、あっという間に終わる。あんまりあっさりし過ぎて、私は車に置いていたデジカメでその奈落を「撮らせて欲しい」とパシャリとやった。ちょっと怖い。腰が引けて撮影したせいか少しブレている。下方に私たちの椅子が見える。
北部清掃工場は結構人里離れたところにあり、ここは鹿児島市かと思えてくる。今日は雨が降っているためなおさらその感を強くした。ゴミ捨てはへんぴなところへー。まあ確かに広い場所が必要だし、もしかしたら異臭なども考慮されているのかもしれない。違法な粗大ゴミ業者にお金払うより、粗大ゴミで困っている人は自分で運びさえすればほぼタダで市が処理してくれる。利用しない手はないな。