2024年9月18日水曜日

スピルバーグ初監督作品「激突!」

YouTubeでなぜかスティーブン・スピルバーグ監督の映画(TV映画)第1作として有名な「激突!(原題;Duel)1971年」のカーチィスシーンが10分ほど紹介されていた。もうTVで何度も見たことがあるのだが、見始めると10分ほどとはいえやはり最後まで見てしまった。

それで夜、UーNEXTで最初からきちんと見てみた。この映画、他の動画サービスでは扱っておらずUーNEXTだけみたいで入っていて良かったわ。今回じっくりと見て、主人公がなにかのセールスマンをしていてお金の回収のためにテキサスからカリフォルニアに向かうこと、妻と今一つうまくいっていない様子でその仕事を早く済ませて妻に会うために長い1本道を車で走らせていたことが分かった。とりあえずあのルートを引き返そうとは思わなかったってことだ。

まあそれはいい。この映画、アメリカではTVで放映され高視聴率と高評価を得た。スピルバーグとちょっとしか面識のなかったジョージ・ルーカスはフランシス・コッポラ宅のホームパーティに出ていた。その席を外して「10分か15分くらい見てやろう」と「激突!」を見始めたらやめられなくなった。そして「この男はすごく出来る・・」「もっとよく知りたい・・」と思ったという。それくらい、いったん見始めると止められなくなる素晴らしい演出なんだ。

物語では主人公の車が不気味なタンクローリーに嫌がらせを受け、次第にタンクローリーは主人公を殺そうとしているのではないかという動きを見せるようになる。途中、給油所やドライブインでタンクローリーのドラーバーらしき人影を見るが顔は最後まで確認出来ない。線路の踏切で待機していると後ろからタンクローリーはぶつかって来て線路内に巻き込ませようと明らかに殺意を表面化させてきた。その後、タンクローリーを振り切ったかのように見えても待ち伏せされたりししつこくからんでくる。

ヒッチコックのほぼ全作品を見た私は、この映画でいくつかヒッチコックに共通する演出を指摘出来た。スクールバスの下りとかでは主人公と観客以外は何でそんなに慌てているか分からないもどかしさがあり、そして急場を切り抜けた後、居眠りしていた主人公、観客はそんなことで大丈夫かと不安を駆り立てられているところに轟音が聞こえ、ほうらまたタンクローリーが近づいたぞ逃げろと思うのだが、実際は近くを通った列車の音だったなど、緊張と弛緩、ブラックユーモアなどヒッチコックの影響が明らかにある。

1971年と言えばヒッチコックは晩年にあたり衰えも見られた時期だが、以前この「激突!」やそれに続く「ジョーズ」をヒッチが撮っていたらと思ったこともあった。でも、スピルバーグはその道の後継者でもあるなと再認識した。この手のサスペンス、若さも重要だ。ともかくも若干25歳とはいえ才能あふれる監督の作品だと見れば分かる。ラストシーンの少し前、主人公の車がもう相手はいないだろうと思って運転しているところ、遠景で撮影し道路の真ん中で、急に右に左にのたうち回るシーンがある。何をしている、回りには何も誰もいないのに。しかしカメラはすぅーと引いてみせる。すると手前にあのタンクローリーの車体の一部が現れ、なぜ車がそんな動きをしたのか観客は知る羽目になるのだ。うまいし面白い。
なお今回、この作品を調べて初めて分かったことがあった。迫り来るタンクローリーの正面になぜか車のナンバープレートがいくつも張り付けられているシーンが何度も出てくる。実はこの物語、タンクローリーの煽り運転のお話などではなく、もともとの正体不明の相手はハイウエイで車を狙って人殺しを楽しむ殺人鬼であっていくつも張り付けられたナンバープレートはその戦利品なんだと。これって連続殺人鬼が殺した記念に被害者の持ち物を手元に飾っておく事例といっしょだわ。
それとこのTV映画が日本でまだほとんど知られていない頃、TV朝日の「日曜洋画劇場」担当の高橋浩さんという人が自宅で16ミリフィルムを取り寄せ、見てすぐに購入を決めたところ、後で映画化の話や洋画劇場で放送するためには70数分という時間が短すぎて90分のするよう撮影を追加依頼させ現在の90分の映画になったというエピソードで、高橋氏は「今思えばあのスピルバーグによくフィルムを継ぎ足させたなぁと思う」と話しているそうだ。

スピルバーグの初監督作品がこの「激突!」でアニメの宮崎駿の初監督作品が私の大好きな「ルパン三世カリオストロの城」だが、共通するのは現在ではどちらも映画を目指す若者向けの演出の教科書的作品になっていること、そしてどちらも見始めると止められなくなること、さらに言えば初監督作品といえども天才と言われる監督は処女作でも凡庸の人に比べはるかに優れた作品を作っているということで、映画監督で元々優れた才能の持ち主は第1作目でも非凡な作品を作るし、努力すればどんどん優れた作品を作れるものではないんだなということだ。その道を目指す若い人には可哀想なくらいの現実だがたぶん当たっていると思う。

私が中学2年の冬にこのTV映画では日本では劇場公開された。TV映画がそんなふうに普通の映画館で公開されるということは異例で私はこの映画を知ってはいたが見には行かなかった。高校の時にTV朝日系で放送されて後半からたまたま見た。当然最後まで見たが、なぜかその後の放送でも冒頭の15分くらいを見ておらず、今回はそれもしっかり見られてよかった。古い映画でも名作はやはり名作、皆さんもその機会があったらぜひ視聴してみよう。

2024年9月17日火曜日

平松地域の明と暗

出勤前に南日本新聞朝刊を見ていたら「自宅放火疑い 71歳男を逮捕 姶良警察署」との記事があった。何?姶良だと?71歳くらいだと病院にかかりつけの人かも知れないと思った。

名前を見て、ああやっぱりと思った。旧青雲病院時代の20年くらい前からたまに受診する独居男性だった。昨日の未明、午前3時半頃から5時10分頃までの間、自宅に放火し全焼させたという。火事のあった平松地域に住む外来看護師のマシだNsに聞くと「朝からワ〜ンワ〜ンとサイレンがうるさくって何かと思ったら火事だった。私が気づいた時(午前5時前)にはすでに白い煙になっていた」とのことだ。彼女によると「〇〇さんは朝早くからコンビニの中で座っていることがよくあった」そうだ。ちょっと何を考えているのか分からないところがあったようだ。もう一人、外来のエンドグッドNsは旧病院時代から〇〇さんが苦手で「先生、ちょっと悪いけどあの人には付きたくないんです」と言ってきたのを思い出す。理由はここでは書けないが日頃そんなことをあまり言う彼女ではないので覚えていた。放火となれば例えそれが自宅でも結構罪は重いのだろうか。動機など全く知りようもないが、ただ〇〇さんが孤独な人だったのでは?ということだけは間違いないだろう。

それにマシだNsともう一つ話題に上ったのが、鹿児島県の地価上昇率でトップになったのが姶良市でしかも平松がその中で一番の上昇率だったことだ。記者曰く「姶良体育センターの近く、平松の閑静な住宅街が土地の上昇率トップでした」とのことで、価格を評価した不動産鑑定士の泊成人さんは「近くに桜島スマートインターができた」ことや、「鹿児島市に比較的近い」ことを理由に挙げ、「鹿児島市のベッドタウンとして人気で、新しい分譲地は高値で取り引きされる傾向」なんだとか。
ただ、上昇率なので平松地域の実際の価格は1平方メートルあたり2万6400円で、県内で一番高い鹿児島市上荒田町17番の25万3000円と比べれば10分の1の安さだ。人気があるのも肯ける。マシださんも「気がついたら薮や田んぼが更地になっている」とかで住宅地化が進んでいるという。

県内では新規住宅地として人気の一角にもなっているが、一方では昔からの住人が独居に火を掛けたりもする。姶良市平松の明と暗が表面化した日だった。

2024年9月16日月曜日

妻が寝込むと・・

今日も休みだ。朝は大谷&ドジャースの対ブレーブス戦を見ていた。4連戦で2連敗しておりここで負けると西地区優勝も怪しくなる状況で、序盤から接戦だった。0ー2から大谷の2塁打2本で同点に追いついたのが効いた。9回にチャンスを迎えたドジャース、打者は大谷となれば当然申告敬遠された。がしかし、このシチュエーションでこの前も燃えたムーキー・ベッツが今回もヒットを放ち逆転に成功した。そればかりか、その後が続き、なんと一気に7点取って9ー2で一見大勝したかのような結果に。これで1勝返し、どうにか同じ西地区で迫っているサンディエゴ・パドレスとの差を保った。「ヒリヒリした9月」を本当に味わってますな、大谷くん!

その野球を見ている間、カールは「なにかきつい」と言ってまた2階で休んでいた。珍しい。風邪でも引いたのだろうか。昨日は特にきついこともしていなかったようだが。昼にはどうにか起きてきて食事を作ってくれた。関節痛や喉の調子がよくないようだ。咳も少しある。これってセージの症状とそっくりだ。鹿児島に来ている間、彼は風邪っぽかった。カールは車でしょっちゅういっしょに行動していたからうつった可能性はある。解熱鎮痛剤の「カロナールを飲んだら」とアドバイスした。

カールが寝込むと心配になる。思えば結婚以来大きな病気はしたことがなく風邪で寝込むこともほとんどなかった。2009年11月に私以外一家全員新型インフルエンザに罹って、全員の弁当分を私が買って来たことがあったくらいか。あの時はタミフルを飲ませたら皆1日で症状が改善し、その効果にびっくりしたのも思い出す。私だけ罹らなかったのは、当時医療関係者だけ10月に新型インフルエンザのワクチン接種が実施されていたからであった。

夕方には「関節痛もないし気分も全然ちがう」といつものカールになっていた。「カロナールって効くね」とも。そうかそれは良かった。でも元気なのが当たり前がそうではないのだ。カールは週に2、3回はエクササイズにも出かけ身体作りもしている。そして定期健診も怠らない。妻がいつも健康である有り難さを感じる1日であった。

2024年9月15日日曜日

7年も入れなかったお店

昨日の話になるが、セージ一家を見送った後、田舎へ行った。ベビーシートをチエコンさんから借りていたのでそれを返すのと、来週のお彼岸の代わりに墓参りするためだった。終わって帰りがけに知覧で昼食を摂ろうとなった。先月のお盆は吹上庵そば道場でチッチも交えて食事していた。で、今回は・・・ついにというか、トンカツで有名な「とまと」になった。実はここで食事しようとこれまで何度もチャレンジしてきたが、一度も食べることが出来なかったのだ。

いつだったかな?調べると最初は7年前の2017年で、TV番組で紹介されていたので田舎に行った際に寄ってみようとしたら、申込時間ぎりぎりの13時半に着いて、私たちの前まで入場OKだったが入れなかった。それがケチの付き始めだった(→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2017/05/10.html)。その後、何度か立ち寄るも休日だったり客が多かったりで、5、6回ほど一度も店に入れなかった。実は先月も寄ったのだが、木曜が休日とかで、「そば道場」にしたのだった。それで「もうこの店は私たちには縁がない」と言うようになっていた。今日も駐車場には車がいっぱいだったが「一つ空いている」とカールが気づき、そこに駐めて予約表に申し込んだのだった。やれやれ。↓お肉の販売もしている。

20分ほどで席に着くことが出来、私は黒豚ロースカツ定食をカールはヒレカツ定食を頼んだ。黒豚ロースカツが一番高くで1650円、ヒレカツは1100円と結構割安だ。↓は黒豚ロースカツ。

私もカールも美味しく食べたが、カールには少し量が多かったようでロースカツは二切れ私が食べた。「少なくして値段も少し安くしてくれれば」とカールはこぼしたが1100円でも十分に安いと思ったゾ。この値段にしてこの分量は人気が出るはずだ。食べ終えた後は知覧茶をぐいっと一飲み。トンカツには知覧茶が合います。
7年越しのチャレンジをクリア出来て私たちは満足であった(⌒о⌒)。

2024年9月14日土曜日

またね、ココちゃん

朝、セージ夫妻&ココちゃんが千葉に帰るのでカールの車で空港へ見送った。昨夜は「しばらく会えないねぇ〜」と言いつつ、いっしょに何枚も写真を撮ってもらった。

やっぱり笑顔はいいねー↑。↓指をちゅぱちゅぱするので私も真似てみた。
後からは髪の毛を引っ張られたりして・・。セージ夫妻がケラケラ笑うこと!
今朝は体重がいっしょくらいのゲンちゃんといっしょにハイチーズ。すぐにゲンちゃんを追い越すね。ハナビはまだこんなこと出来ないので一匹だけ仲間はずれだ(m(._.)m)。写真を見ればネコっていつまでも赤ちゃんのままやね。だから可愛い生き物なんだ。
ココちゃんはじきに寝返りもうつだろう。昨日、昔の写真を見ていたらセージは7ヶ月で立ってじきに歩きもしていた。兄弟の中で一番成長が早かったな。ココちゃんはパパほどではないがまず順調な生育ぶりだ。何より両親の愛情たっぷりに育っているのが分かるから何にも心配ない。そうだ、来月関東に私たちは行くのでまた会えるんだった。またね〜ココちゃん。

2024年9月13日金曜日

医師は定年を迎えても

朝、ホテルバイキングは食事内容も品数、中身ともに美味しいものが多くまだまだ食べたかったが、私だけ先にホテルを出た。カールも「昨夜も食事が多くて食べきれなかった。今朝もまだまだ食べたいのにお腹がいっぱいなのが悔しい」とこぼしていたな(笑)。30分ほど遅れると事前に伝えていたので午前9時までに着けばよい。緑の中をゆるりと一人でドライブがてら下っていった。

朝は眠かったねぇ。だから昼休みはしっかり仮眠を取った。病院の仕事が終わっても、夜19時から姶良郡医師会館での脳外科・整形外科救急輪番の協議会に出席せねばならなかった。この秋から来年初めにかけて霧島市立医師会医療センターが新築移転をすることになっているが、3ヶ月半ほどMRIが使えなくなるそうだ。そのため救急輪番の脳外科疾患のMRI検査が出来なくなりその代替を残りの救急担当をする病院が診ることなどが話し合われた。実は青雲会病院は姶良市なのでこの問題の影響は少ない。ただ、まれに霧島市でにっちもさっちも行かなくなったときは受け入れてくれるかという司会者からの問いには即答で「はい」と答えた。医師会医療センターの河野院長は病院の都合で周辺施設に迷惑がかかることで恐縮していたが、事情は分かるのでそこを指摘する意見はなく、皆協力的な態度だったのは好感が持てた。

終わって河野院長が私にわざわざ挨拶に来てくれた。実は学生時代の先輩後輩の関係なのだ。特に私が1年生の時の夏の知覧川辺バスケ合宿と名古屋への西医体遠征が懐かしい。河野先生も鹿大教授を定年退職の後は医療センターの院長として尽力されている。新築移転なんてこのクラスの病院だと50年に1回くらいの大きな事業だ。青雲会病院の場合は16年前に一気に2日間で終えられたが医療センターは規模が大きい分大変らしい。それはともかく、せっかくだからと写真を撮った。それを見て先生「お互い年取ったねぁ」と一言。思えばいっしょにバスケをしていたのは45年以上も前だ。半世紀近い・・言われてちょっとびっくり。なんだかつい20年くらい前のことに思える。

他の業種ならともにとっくに定年を迎えている年齢だが、医師はまだまだ働けるし働くべき仕事がいっぱいある。ありがたいことだと思おうか。

2024年9月12日木曜日

「ラビスタ霧島ヒルズ」にて

セージ家族は昼にカールの車でギボヒサコのいる老人施設へお見舞いに行き、ココちゃんを初めて披露した。 あこネーサ母と違って家族を誰か分からないということはないが、ギボヒサコも若干衰えがある上に脳梗塞後遺症で言葉を発することが出来ない。大きな目を見開くだけの反応だったということだ。

おっとその前に午前はセージ&マーヤ夫妻は青雲会病院で胃カメラを受けた。二人とも胃カメラは受けたことがなく、こんな機会はないからと私が強く勧めていたのだ。結果は特に問題なしでめでたし、その間ココちゃんはカールが待合室で預かっていた。ココちゃんはいつものようにぐっすり寝ていい子だった。ベテランのブルゾンNsからは「お孫さんが出来たんですねー、わぁ可愛い」と言ってくれたとか。

夕方、私は少し早めに病院を出た。今日はセージ家族と霧島のリゾートホテルに一泊する予定なのである。先にカールらは着いて温泉に入っているという。ナビで設定すると蒲生を通って空港を通り過ぎ国道223号線に出ると早いと分かった。高速を併用すればまだ早く着くが、夕食時間が17時半と19時半があって後者になったというので急ぐ必要はなくなった。1時間ほどかけて着くと、ホテルは丸尾滝の近くにあるラビスタ霧島ヒルズで初めて利用した。6年ほど前に出来たホテルで各部屋に露天風呂があり料理もイタリアンとこれまでの霧島のホテルにはないタイプだ。

着くと、ロビーには風呂上がりのカールがソファに座ってウイスキーの炭酸割りを飲んでいた。「お酒もコーヒーもタダなのよ」という。ほう。私はホットコーヒーを飲み、外を見れば湯煙が湧き眼下には錦江湾と桜島が見える。いいねえ。
食事がまだしばらく後なので一人で大浴場へ行くと、私以外にはおじさん一人しかおらず、それもすぐにいなくなって独占状態になった。大きな内湯でまずは身体を温め、外に出て露天風呂で風を感じたり、打たせ湯の後、サウナに入った。5、6分後出て水湯に浸かっていると若い外人さん二人が入ってきた。外人さんてたいてい局部をタオルで隠すことなんかしないのよねぇ。見えてしまったわ〜。

夕食はセージ家族といっしょだった。ココちゃんを間に置いてセージ夫妻、対面に私たちで食前酒の後に飲み物を注文したが、私たちはイタリアの大衆ビールをセージ夫妻はノンアルコールのフルーツジュースを頼んでいた。マーヤさんは実はお酒が全く飲めないそうで(ファミリーみんな飲まないそうだ)、その影響かセージは飲めるはずだが最近は全く飲まなくなったとか。
料理はちゃんとしたイタリアンで美味しかった。メインディッシュではなく期待もさほどしてなかったサツマイモのスープが絶品だった。へーえ。

お腹いっぱいになってそれぞれ部屋に帰り、私はこてる日記を書き、カールはセージらの部屋に寄った後、また温泉に行った。カールは着いた時、夜、そして翌早朝とたいてい3回温泉に入るんだ。「せっかく温泉宿に来ているんだから〜」と。いや好きだねぇ。

時刻も過ぎ、22時45分になり私はBSで「ワースポ&MLB」を見始めた。この番組はいつもはビデオ視聴だが、今日はそうもいかずリアルタイムで見るしかない。カールはすでに寝入っている。がしかしー。大谷やドジャースの活躍のあった内容を10分も覚えず寝入っていたようだ。後からカールに「TVの音とテルくんのいびきがうるさくて何度も目が覚めた。TVを消さなきゃと思うのだけど身体が動かなくて・・」と文句を言われたわ。未明に自ら覚醒しTV消して椅子からベッドに入り込んで寝たのだが、カールのスピスピといういびきに今度は私の方がなかなか寝付けなかったのであった。

2024年9月11日水曜日

ココちゃんは世界で一番だって

千葉からセージ夫婦&ココちゃんがやって来た。2ヶ月前は私たちがお宮参りに関東に行ったが、今度は向こうが墓参り&旅行ってことだ。朝、カールが空港に迎えに行き、その足で田舎に行ってヒラーキ&チエコンさんらのいる実家へ、そして墓参りも済ませたという。あこネーサ母のいる老人施設は面会がいまだに厳しくかなわなかったそうだ。残念。

帰宅するとココちゃんはぐっすりお眠りの最中だった。ちなみに帰郷で疲れたセージパパも寝ていた。

やがてみんな目が覚めて、カールの作った夕食を食べ、セージはココちゃんをお風呂に入れた。自分のうちにあるような赤ちゃん用のベビーバスがないため洗面器にお尻を漬け洗っていた。可愛かったんでその写真もアップしておこう。
セージ曰く、「こういっちゃなんだけど、他の赤ちゃんよりうちの子がずっと可愛い。うん、世界で一番可愛い」と。私は「そういうのは親バカって言うんだ」とは言わず、心の中でニヤリとし、ただ肯いただけだった。そんな言い草を以前別のところでも聞いたことがある。世の中の全うな親たちはそう思うのが当たり前かもね。

そんな私にセージは大事なココちゃんをそっと抱かそうとするのよ。おっかなびっくりで抱っこしました、ハイ。

ちょうど生後4ヶ月を迎えることでもう少しで寝返りをうちそうだが、まだとのこと。明日は大バーバ(ギボヒサコ)にも挨拶しようね、ココちゃん。

2024年9月10日火曜日

新型コロナワクチン投票結果

朝の医局会で一つの議題が出た。それは2024年10月からの定期接種となる新型コロナ・ワクチンをどこのメーカーにするかということだった。コロナワクチンは今年3月までは公費負担があったが、10月からは65歳以上の高齢者と60歳から64歳までの重症化リスクの高い人で一部費用負担(開始期間や負担金などは自治体によって異なる)をする定期接種となり、それ以外の人は全額自己負担となるのである。何の補助もなければ1万円以上はかかるが65歳以上は各市町村から何らかの補助が出るので接種を受ける人は一定以上はいるはずだ。ちなみに私も10月にはすでに65歳になる(!)ので受けるつもりではいる。

で、その前に各病院はどこのメーカーを使用するか決めねばならない。以前は海外の1社か2社しか選択肢はなかったが、海外のF社からmRNAワクチン、国内からT社の不活化ワクチン、D社のmRNAワクチンが新たに開発され、それぞれアピールしてきている。先週はT社、今週はD社が医局会で説明会を設けたのだった。値段はほぼ同じで有効性もそんなに差はなかった。気になる副反応もさほど差はない。こりゃどこを選ぶのか迷ってしまうな。

それで「選択するのに期限も迫ってきているので今日の医局会で決めてしまいましょう」となった。司会の信号Drが意見を求めると、まず、可愛いんだ理事長が「ここはやはり国産にしようか」と言った。そんなに差がないなら国産にしたいというのはまあ肯ける。ではT社かD社となるが、カムイDrが「不活化タイプのワクチンが発熱などの副反応がかなり少なく良さそうでT社にしたい」と意見をした。mRNAワクチンは副反応が出やすいというイメージがあり、不活化タイプがその点でいいのではということだ。他のDrから「不活化タイプは免疫が出来るのが若干遅いのではないだろうか」とmRNAワクチンタイプを推す意見も出た。どっちにも決まりそうになく挙手で決めましょうかとなったが、その前に私が手を挙げた。実はここまで3社を聞いてきて全然違う観点から、海外製ではあるがF社のワクチンが院内職員に好まれる点があるのではと意見したのだ。というのもF社の新製品は従来のように一つの瓶から6人分を針で吸い取って注射器に分けるのではなくすでに1人分の注射器として仕分けされている。使い勝手がよさそうなのだ。その分医療従事者にとってかなり実施負担が軽減されるはず。D社のは2人分の瓶をそれぞれ吸って1人分にするという手間が残っている。これって病院職員にとって大きくない?看護師さんらは絶対F社がいいって言いそう。ただその分100円割高にはなる。

私は自分の意見のとおりF社に挙手するつもりだった。が、やはり国産の2社からでとなって結果は半々くらいかと思ったら、その通りで8対6で結論が出た。後で知ったがタクミDrは挙手の前に病棟に呼ばれて席を外していた。「もし自分がいたら・・」と選んだ方を入れると結果は8対7になっていた。いや〜大接戦だった。まだ現時点ではその結果をここでは出せない。また接種の値段をどの程度にするかなどもある程度まとまりつつあるが正式にはまだ決まっていない。全国の各医療機関はどこも同じような悩みをかかえているんだろう・・な。

2024年9月9日月曜日

こてる家最新ネコ事情

最近のこてる家の内外のネコ事情。

外ネコではモリサンチー家のキタローことクネオが相変わらずよくやって来る。同じモリサンチー家のハッピーちゃんは来るのは月に1、2回程度かな。クネオは2日に1回はやってきて、ロッジがなくなって剥き出しになったコンクリートの上でクネクネくねっている。

ハナビが外ネコから家ネコになってちょうど1年経った。まだたまに引っ掻いたり噛みついたりがあるが、だいぶ慣れてきてナデナデさせてくれるし、私には乗っかってくつろいだりもする。そのハナビと兄弟ネコとおぼしきクロちゃんは相変わらず警戒心が強くエサがもらいたいのにすぐには寄ってこない。だから「心配ないよ」と決して驚かすことなくそっとエサを上げてすぐに窓を閉めてあげる。すると、そろりとやって来てエサを食べ始めるんだ。

その様子をじっとハナビが見つめている。1年経過し2匹の体格差がはっきりしてきた。クロは痩せたままだがハナビは一回り大きくなっている。
外のクロちゃんをよそに、うちの2匹はまた緊張状態になった。
だが見つめ合っているときはケンカにはならない。ゲンちゃんが油断、もしくは余裕を見せて後ろを見せた時がいけない。ハナビがここぞとばかりに突っかかる。でも今日はじっと見つめあっただけで何事も起きなかった。
しばらくするとハナビは窓から外を眺め、ゲンちゃんはカーペットでくつろいでいた。ずっと後に、ゲンちゃんは台所の裏窓から外を眺めていて私がカメラを構えるとちらっとこっちを向いてじーっ。
何か哲学しているような感じだったネ。

2024年9月8日日曜日

ぜひとも50−50!

日曜の今日は朝から夕方まで病院日直だった。と言っても当番医ではなかったのでさほど忙しくなかったのは幸いだ。近隣の訪問診療専門のクリニックから救急入院依頼があって入院させたくらいか。

だからドジャース対クリーブランド・ガーディアンズ(以前はインディアンス)戦もSPOTVNOWでゆっくり観戦出来た。大谷は全く打てず走れずだったがドジャースは1回裏に大量6点を先制したのが大きく、結局7ー2で勝利した。昨日は大谷はホームランも打ち活躍したがチームは負け、今日は大谷は活躍出来なかったがチームは勝った。理想は当然大谷が活躍しチームが勝つことだ。ただ今はどちらかと言えば前者を望むかな。まずここまで来たら絶対にホームラン50本、盗塁50個の前人未踏の50ー50は達成して欲しいからだ。来年以降は投手も兼任するのでほぼ困難な数字で今後もなかなか出ない偉業だからだ。

私がメジャーリーグに関心を持ち始めたのは1988年の半年間の沖縄出張の時だった。ファミリースタジアム’87というファミコンゲームに熱中し昼休みや仕事終わりに出張仲間のグッドリバDr、カピバラDrなど対戦したものだった。そこに出てくるメジャーリーガーズというチームを使うのが楽しくて、「かんせこ」「まくが」「ぐいん」「すとろう」「ぱけと」「おすみす」などの攻撃陣に投手は「らいあん」「ばれん」などがいてそら強かった。それに先輩のお通じDrが野球大好き、メジャーリーグにも精通していて、モデルになった選手が「ホセ・カンセコ」「マーク・マグワイア」「トニー・グイン」「ダリル・ストロベリー」「カービー・パケット」「オジー・スミス」「ノーラン・ライアン」「フェルナンド・バレンズエラ」などと教えてくれ、ちょうどNHKBSでメジャーリーグの放送も始まったころ(1987年から)でもあり俄然興味を持ったのだった。

メジャーリーグオタクでSPOTVNOWでは解説もしている福島良一さんの書いた講談社現代新書「大リーグ物語(1991年)」を買ったり、東京出張に行った際にメジャーリーグオールスターと巨人の試合(1992年10月30日)を観戦したこともあった。ちなみにこの時の試合で巨人は元阪神のセシル・フィルダー(タイガース)やケン・グリフィー・ジュニア(マリナーズ)に特大ホームランを浴び、打線は同年18勝を挙げたロジャー・クレメンス(レッドソックス)に完璧に抑え込まれ、ヒットはベテラン篠塚の一本のみ、長嶋采配もヒットエンドランを出したくらい(しかも決まらず)で、結果は11ー0の惨敗だった。さすがメジャーリーグと私はそのすごさを体感したものだ。唯一の見所は長嶋が2度目の巨人監督になり12年ぶりにユニフォームを着るということだったらしくそっちが話題になっていた。私なんぞ野球は監督じゃない選手なのにーと日本の野球マスコミの態度に呆れたのだった。

話を元に戻すと、1988年にカンセコがホームラン40本盗塁40個を達成した時に史上初めてと話題になったのは覚えている。その後何人かが達成し今年大谷が6人目の達成者となった。一般的に、40本のホームランを打てるパワーのある選手は40個の盗塁に必要なスピードを持っておらず、その逆もまた同様だ。同一シーズンでなくても40ホームランと40盗塁を両方達成した選手はそれほどおらず、大谷がいかに傑出した才能の持ち主かということで、それが50ー50となればどんだけすごいんだってことだ。開幕当初、私は大谷には三冠王が出来ればいいなと思っていたが、現在打率はかなり落ちて.290ちょっとなので三冠王は難しく、ホームラン王(これはほぼ確実)と打点王(現在1位2位を行ったり来たり)、そして50ー50を達成し、ぜひナ・リーグのMVPを取って欲しいと願っている。
こんな夢のある記録を狙う大谷とメジャーリーグは今や日本プロ野球より面白く、日本球界も大谷とまでは言わないが、ワクワクさせてくれる選手が出て来て欲しいものである。

2024年9月7日土曜日

使用前使用後が別人!

ネット鑑賞では韓ドラもちょくちょく見てはいるが、一番見ているのはYouTube動画だ。素人、玄人さまざまなYouTuberたちが比較的短時間で面白く興味を持ちそうな動画をあふれんばかりにアップしてくれているのでおそらく1日中見ていても飽きないだろう。それくらい利用しているので当然CMが入るのはウザすぎてGoogleに毎月プレミアム利用代1280円を支払っている。しかしそれほど高くは感じない(ハマってるネ)。

YouTube動画にはショートといって長くても60秒以内の短い動画もある。その中に数秒の似たような面白動画を5〜10個詰め込んだものもあって今日見た動画の一つがちょっと衝撃が強すぎて写真に保存した。いたずらで相手を驚かすものの一つで、被害者は白い服を着た外人の美人さんだ。その彼女に水圧の高い水をホースでぶっかけるというもの。まずは最初の画面。

どう?いかにもいそうな西欧系の美人さんだよね。日本人にはいないタイプだ。そんな彼女に強い圧の水をぶっかけるんだ。びっくりして防ごうと手をかざすがすでに遅い。
で、このあと水を掛けられた後のお顔が出てくるのだが、私は驚いた。いくらなんでもこれは別人でしょ。原型をとどめていない。その顔からあんな美人顔が出来るんですかい?!まさか「猿の惑星」のメーキャップ使用前、使用後だろうか。みなさんもぜひ驚いて欲しい。↓さあ、どうぞ。
あり得ない。上の写真がインチキと思われても心外なのでそのわずか数秒の動画も↓にアップしておこう。ぜひご覧あれ。

2024年9月6日金曜日

アランドロンはなくなったが・・

 午前外来に90歳を越える女性患者が来た。最近は90才越えの患者さんも全く珍しくなく、この人も少し腰が曲がっているが自力で歩いて来ていた。高血圧や骨粗鬆(こつそしょう)症の内服を定期的に処方している人だった。少し耳が遠いが話をするとまだしっかりとしている。いつもと変わりないのを確認し処方を出した。

すると、その中に骨粗鬆症の治療薬で週に1回起床時に飲むアレンドロン酸という薬があり、それが少し残薬があるので今回は3週分でいいと言ってきた。ふむ、ならばそのように処方しておこう。そこで私は彼女の耳に口を近づけてこう尋ねてみた。

「アラン・ドロンが亡くなったって知っています?」「え、何ですか」さらに耳に近づいて「アラン・ドロンを知っていますか」と聞いた。すると「ええ、もちろん。若い頃はアラン・ドロンの映画はよく見ました」と期待通りの返事だった。そこで「アラン・ドロンはつい最近亡くなったんですよ」と教えたら「あら〜」とのこと。

今時の20歳代はフランスの俳優アラン・ドロンってほとんど知らないんじゃないかな。彼を一躍有名にした映画「太陽がいっぱい」は1960年作だからすでに60年以上は経っているしー。私が中学生の時、同級生のある女の子は20歳以上年上にも関わらずアラン・ドロンが大好きだった。それくらい日本では人気があった。だからその90才越えの御老人も当然知っていると思ったのだ。

骨の薬であるアレンドロンは当初商品名でフォサマック(万有製薬)やボナロン(帝人)という名前で売られていた。しかし特許が切れてから一般名のアレンドロンの名前が前面に出てきた。これを知り私なんぞ「最初からそのままアレンドロンで売っておけば覚えやすいし書きやすくもあった。年寄りになったアラン・ドロンを広告に使ってもいいくらいなのに」とさえ思ったものだ。特にフォサマックがフォッサマックと書きたくなり入力しづらかったのだ。そんな経緯もありカルテに↓のように書いた。ま、許されるよね、これくらいは(⌒о⌒)。


2024年9月5日木曜日

疥癬の治療ってノーベル賞ものだよね

先週、6階の回復期病棟の患者さんに「疥癬(かいせん)」が発生した。疥癬とはヒト皮膚角質層に寄生するヒゼンダニの皮膚への感染により、体や四肢に激しい痒みがみられる感染症だ。一般に、ヒトの肌から肌への直接感染により感染し、多くは生活を共にする家族間での感染が多かったが、近年では老人病院、老人福祉施設などの高齢施設における患者間、介護する家族あるいは従事している人などで発症が増えている。疥癬は私が青雲会病院に入る数年前に病棟で流行したことがあったそうで、可愛いんだ理事長曰く「そのために病棟閉鎖に追い込まれた。今後は絶対にそういうことがあってはないらない」とトラウマ級の出来事だったそうだ。

それ以降たまに発生患者はいても病棟流行することはなかったが、20年以上前までは治療薬に決定的なものがなく塗り薬や簡単には手に入らない特殊な薬を使ったり、特殊入浴剤の六一〇ハップ(むとうはっぷ)を使うこともあった。六一〇ハップは硫化水素発生を利用し自殺目的に使う人が出てきたため2008年には販売自粛となりついに製造中止になってしまった。「やがて飲むだけで疥癬を治療できる薬が出ます」と当時皮膚科のナオン湖Drが言っていたのがイベルメクチン(商品名:ストロメクトール)だった(2002年承認)。このやっかいな疥癬の治療は今ではイベルメクチンを体重に応じて3錠から4錠を1回空腹時に飲むだけでほぼ退治できるのだ(場合によっては1週間後2回目を服用する必要がある)。

回復期のエッコ師長に尋ねると疥癬患者さんは順調に改善しているという。危機管理対策の鼓笛隊看護師も同様の報告をしてきた。私は鼓笛隊さんに「イベルメクチンって素晴らしい薬だよなぁ。さすがノーベル賞を取っただけのことはある」というと、鼓笛隊Nsはうん?という表情だった。「あれ、この薬でノーベル賞受賞した日本人の大村博士を知らないの?」というと本当に知らなかった。えーー。すぐにネットで「大村 ノーベル賞」で検索するとほら、出てきた。

2015年のノーベル医学生理学賞は大村智博士による新種の放線菌の発見と、その生産する抗寄生虫抗生物質エバーメクチン・イベルメクチンの発見による感染症への治療法に関する研究の業績が高く評価されたものだ。大村博士は静岡県伊東市のゴルフ場の土壌から放線菌(S.avermectinius)という微生物を発見し、1973年から米国メルク社と共同研究を行い、1979年にこの放線菌が生産する抗寄生虫薬「エバーメクチン」及びその誘導体である「イベルメクチン」を発見・開発した。「イベルメクチン」は線虫類やダニ、ウジなど寄生虫に対して高い効果があり、発売後1983年から20数年間、動物用の薬として最も多く使われ、畜産業の発展に貢献した。人間に対する薬としては、重症の場合に失明することもある寄生虫病オンコセルカ症(河川盲目症)及びリンパ系フィラリア症(象皮症)の特効薬となっている。イベルメクチンは「Mectizan」と命名され、1987年よりメルク社と北里研究所から無償供与が開始され、アフリカを中心に世界各地で年間4億人が服用して、既に中南米のほとんどの国ではオンコセルカ症は撲滅を達成したのである。このあたりは9年前のノーベル賞受賞時によく報道されたものだ。ただ、イベルメクチンは商品名「ストロメクトール」として疥癬(かいせん)や糞線虫症の治療薬として日本を始め世界中で使用されているという事実はそれほど報道されていなかった記憶がある。日本の病院、臨床現場ではそれがもっとも重要なことだというのに。

ともかくもこれだけ人の役に立つ薬の開発に携わったというのは研究者冥利に尽きると言っていいだろう。また1ヶ月もすればノーベル賞発表の時期になるがこのような素晴らしい業績に日の目が当たる受賞者を選んで欲しいものである。

2024年9月4日水曜日

沖縄建設不動産業界事情

今日は沖縄のカールのアパートの建設・管理を行っている建設会社のグージョー社長が来るということで18時半前には帰宅し待機した。グージョー社長はアパート建設前にも鹿児島に来たことがあってなかなか気さくな人だ。今回はアパート管理部門を切り離し沖縄で不動産業を行っている別会社と合同で新会社を作ることになりその了承を取りに来たのだった。その不動産社長もいっしょに来ていた。

これまで違うのはメリットとしてクレーム対応が日中だけだったのが24時間対応になるということ、家賃支払いの支払日が変更になる、清掃代が無料になるということであるが料金は変わらないという。ならば変更を受け入れるのは何の問題もない。

聞けば今の建設業界は仕事は多いのに働き手が不足して大変なのだという。沖縄は観光客やインバウンドなど活気があって「国際通りなど毎日がお祭り騒ぎのようです」「北部に来年テーマパークが出来ますが渋滞が心配だ」とかだそうで、当然ホテル建設ラッシュ、不動産の値上がりも著しく「2LDKなどずっと以前は月5万なんてのもありましたが、今は9万10万が当たり前になってきています。それを昔の家主さんなど昔の値段を提案してきて『今はこれくらい』というと仰天する」とのことだ。「しかし仕事はあるけれど建設業界に若い人は20代30代ほとんど入って来ません。技術もないのに以前は大量採用したこともありましたがトラブルが多くてその後始末に手間がかかって・・年配者が年食っていても熟練さで上回っています」とか「以前は沖縄から本土に出稼ぎに行っていましたが、今は逆に本土から沖縄に出稼ぎの人を集めています」などその業界に生きる人の生の情報は興味深かった。幸いにカールのアパートは築4年目で全室満室で当初やや割高かなと思っていた賃代も社長によると「次から値上げしても問題ないくらいです」という。実はカールも近隣のライバルのアパート、マンションの部屋代をチェックしていて「最近はうちの部屋代は普通か借り得なくらいだ」と言っていた。

人手不足などのために1社で何でもするより共同で不動産管理を行うという相手側の都合ではあったが、こちらも悪い条件ではなく今日のうちに契約にサインすることにした。ゲンちゃんも見つめていたわ〜。

そういえば、カールのアパートは「GEN」という名前でゲンちゃんからとっている。知らない人が来ても人懐っこいゲンちゃんは部屋をテーブルの上をとあちこち動きまくっていたがハナビは警戒してギボヒサコの部屋にこもりきりで最後まで出て来なかった。1年半以上野良だったハナビと1ヶ月半で家ネコになったゲンちゃんとの差がここでも出ているなぁ。
「どやっ」て表情のゲンちゃん。ゲンちゃんよ、いつまでもー。

2024年9月3日火曜日

え!米騒動?

最近、米が町のスーパーマーケットなどでも品薄が続き、買えるお米が不足し、令和の米騒動なんて呼ばれているとか。TVなどマスコミではそう言っているのをよく聞く。↓は加古川市のスーパーの様子とのこと。
「本当に米不足なの?」とカールに尋ねてみた。するとカールは「いいや、スーパーでは米袋はちゃんと積まれてあるわよ。それに特に買い数の制限もない」そうだ。そして「うちではここ数年お米はふるさと納税で購入しているから米不足って言われてもピンと来ない」と。こてる家では魚沼産コシヒカリを5kgx6ヶ月分を6万円で毎月送ってもらっている。「去年は同じ量で5万円だったけどこんなものかな」とも。
今回の米不足は去年の米が大雨や酷暑で生産数が落ち込んだかららしいが、地域によってはそうでもないようだ。カールは「鹿児島は新米が出回るのが早いからかも」とも分析していた。なるほど。この前チッチが帰鹿するということで、確実に早く届く熊本のヒノヒカリ5kg9千円を頼んだら「結構美味しくて魚沼産コシヒカリといっしょかもしかしたらそっちより美味しかったかも」という。へーえ。安くて美味しくて家に届くのも早いならそっちがいいんじゃない。そう提案すると「やっぱ、魚沼産ってブランドだからねー」とさすがのカールも一気に熊本産ヒノヒカリに変更する気はないようだった。

最近はどの地域もどのブランドも美味しい米作りに精を出して以前ほどの差はないような気がする。日本人に美味しいお米は欠かせない。パンも食べるけれど、じゃーずっとパンにしますかって言われたら、やっぱりお米は食べたいよー。

「♪米はたからだ たからの草を 植えりゃ こがねの花が咲く〜」中山晋平作曲の文部省唱歌「田植え」の一節だ。今回のミニ騒動で実感する、毎日食べても決して飽きない米は本当に「たから」なんだって。

2024年9月2日月曜日

「NTTファイナンスよりお知らせです」

朝、スマホに不在着信が入っているのに気がついた。何、発信元はトルコからだってか?

その時点でもう怪しさ十分なんだが、留守電も来ているというので聞いてみた。
日本語で「NTTファイナンスより重要なお知らせです」と言って電話をかけ直すように誘導してくる。ふ〜む詐欺電話ほぼ確定やな。ネットで調べると、NTT側は「そのような連絡は一切していないので決して電話を掛けたりしないように」とちゃんと出ている。電話掛けると未支払いのお金を入金するよう言ってきたりするようだ。あまり疑うことを知らない真面目な人はひっかかるかもしれない。

カールにもLINEメールで「カールなら大丈夫とは思うが念のため教えておく」としたら、「NTT、以前から何度も来るよ、相手にしてません」とプイッだった。そして「お馴染みさんでやんす(笑)」とも。さすがカール、詐欺メールも敵わないってさー(⌒о⌒)。

2024年9月1日日曜日

メジャーリーグを観戦していたら

今日のドジャースの試合は対アリゾナ・ダイアモンドバックス戦でナ・リーグ西地区の首位攻防4連戦の第2戦だった。昨日は打撃戦の接戦で10ー9でドジャースが初戦をものにした。ていうか大谷が8回表にダメ押しの43号ホームランを放ち10ー5にし楽勝かと思いきや、9回裏に4点を入れられ結果1点差のヒヤヒヤ勝利だった。

ダイアモンドバックスってチーム、誰かスター選手がいるというわけでなくコツコツと打ち、走り、バントも厭わず全員がチーム打撃に徹する日本で言えばプロ野球選手が高校野球をやるような特徴がある。去年は前半ナ・リーグ西地区をトップで走っていたが7月に大失速しドジャースに抜かれたものの9月以降調子を取り戻し、10月からのポストシーズンでは勢いに乗ってドジャースを地区シリーズ3勝0敗で突破しナ・リーグ優勝決定戦でもフィリーズに勝ち、なんとワールドシリーズにまで進出してしまった。さすがにア・リーグのレンジャーズに最後は力負けしてしまったが侮れないチームなんである。今年も前半は今一だったのにオールスター戦後の勢いがすごく勝率8割くらいの勢いでダントツだったドジャースに一時2ゲーム差まで迫っていた。だから今度の4連戦はレギュラーシーズンの山場とも言えるシリーズだった。

日曜の今日は確か午前9時くらいから始まるはず・・あれ、9時半からのNHKBSの放送か。私の事前録画予約もそうなっていた(実はBS102で9時から放送があったのを知らず)。録画再生をしてみると・・アナウンサーが「初回、ドジャースが大谷、ベッツ、フリーマンの3者連続ホームランで・・」というではないか。へっ!と驚いて画面を見た。しかし2回表、3ー4でリードしていたのはダイアモンドバックスの方だった。何ぃ?1回の裏に先頭打者去年の新人王キャロルがセンターオーバーのランニングホームランを打ってその後3点入れ逆転していた。いやはや。まったく侮れないチームって思ってはいたがあきらめないチームもあるなダイアモンドバックスは。

この後も2回にドジャースが2点入れて逆転するもすぐに追いつき、ドジャースが1点入れるとまた追いつき・・って9回に入っても6ー6の同点のままだった。ヒットの数はドジャースが3倍以上(結果、ドジャース16本に対しダイアモンドバックスはたった5本)も打っているのに。まるでマムシのようにしぶとくて執念深い・・そう、ダイアモンドバックスってガラガラヘビの名前だった。名は体を現すってことやね。結局、9回にドジャース伏兵のエドマンが2点タイムリーを放って8ー6でようやく決着を付けた。いや〜ドジャースを応援する側からは疲れる試合だった。これで6ゲーム差を付けて残り1ヶ月、ドジャース地区優勝の目途が立ったといえよう。それにしても初回先頭から3者連続ホームランというドジャース始まって以来の快挙を挙げたのに試合は負けましたでは話にならない。勝ってこそ価値がある。

そこが去年までのエンゼルスと違うとこだよな。去年7月のエンゼルス対デトロイト・タイガースのダブルヘッダー2連戦は1年しか経っていないがすでにメジャーリーグ伝説の日といわれている。大谷が1戦目完封勝利をしてその40数分後の第2試合で今度は打者として2本もホームランを打ったのだ。今後100年こんな偉業があるかどうか・・しかしだよ。その2戦目、エンゼルスは大谷2本のホームランを生かせず負けてしまっているのよ。はあ・・。2年前も対ロイヤルズ戦で大谷が躍動。6回に14号3ラン、9回に同点の15号3ラン、2本の犠飛で4打数3安打8打点と打ちまくったが、11ー12と勝利を手にできなかった。大谷はよく打った、なおエンゼルスは敗れたの「なおエ」の典型的な試合だった。

そんなヒリヒリする試合の後半の観客席のシーンで「おおっ!カール、ギボヒサコが観客席にいるぞっ」と私は叫んだ。ビデオ観戦なのでいったん画面を止めて巻き戻し静止画にしてカールに見せた。「あら、本当」と同意してくれたよ。黒髪で鼻が高くて着ている服が赤くド派手な女性。まさにギボヒサコだ。↓画面左下の女性。

老人施設に入っているはずがこんなところで野球観戦していたとは・・。広い世の中には自分とそっくりな人が3人はいるとはよく言われるが本当や(笑)。