2025年6月15日日曜日

それ、本当に27cmサイズ?

雨の日曜、夕方になって外に出かけた。夕食をどこかで食べるのと、靴屋でちょいとした調べ物があったからだ。

駐車場があって靴を売っているところといえば私にはABCマートしか思い浮かばず、与次郎ヶ浜のその店に行ってみた。単独の店ではなくショッピングモールの一角にあり、事前に調べていたニューバランスのCM996 GORE-TEX(ゴアテックス)防水用を探した。しかしCM966シリーズはあるが防水用のゴアテックスはなかった。まあそれでもよい。一番の目的はCM966が自分にはどのサイズかを知ることだった。私はニューバランスの27cmのスニーカーを持っているがどうも銘柄によってサイズがまちまちらしいのだ。カールに「実際に試し履きしないとネットで買ってはダメよ」と釘をさされていた。それもそうだと試し履きに出かけたのだった。

で、27cmのCM996を履いてみてびっくり。ぴったりどころじゃない。きつくて「これは絶対に27cmじゃ履けたもんじゃない」だったのだ。いや〜、やっぱり言うこと聞いてよかったよー。
後でネットでの評価に「このシリーズのニューバランスはプラス1cmくらいに割増しして選んだほうがいい」とあってなるほどと思った。28cmを履くとちょうどくらいだったのだ。防水用も売っていないし、店員も今一要求に応えてくれなくて出て、近くのフレスポジャングルパークの靴屋に行ってみた。そこのSHOE •PLAZAという店を以前利用したことがあり、そこでは最初から「防水用のスニーカーはないか?」と尋ねてみた。すると、スケッチャーズやセダークレストのスパットシューズなどを店員が紹介してくれた。どちらも手を使わず立ったまま履けるというのが売りだ。しかも1万円を切っていて値段も安い。履き心地はまあまあかな。ていうより、私の足にぴったりサイズが少なく即決する気になれなかった。

私が防水シューズを買おうという気になっているのは、GW時の岩手、小岩井農場で一件で、濡れた芝生を歩いていたらスニーカーがびしょびしょになったのが気持ち悪くてねぇ。それに昨年秋の空港での防災訓練でも皮靴だったけど濡れすぎてしばらくその靴を履けなくなったこともあり、多少の雨や濡れ場でも靴下が濡れないシューズが欲しくなったんだ。梅雨にも入ったことだしねー。

ただ、シューズって長さや幅、履き心地って実際に履いてみないと分からないことが多い。もうしばらくあちこち探すことになりそうだわ〜。

2025年6月14日土曜日

関東、北海道ではほとんど食べないもの

カールが沖縄に所用あり、朝一番の飛行機で送っていった。

帰宅後はゆっくりし、ドジャース対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦を見つつ、昼食をしデザートに枇杷の瓶詰めをヨーグルトでまぶして食べた。これ、今月始めに枇杷の実を一個一個皮を剥いて種を取りだし、種の回りの薄い皮も剥いて何百個も集めて、煮て作ったものだ。ほとんどカールが一人で作ったが私も少しだけ皮剥きを手伝った。えらい根気のいる作業だった。
カールは「とっても面倒だけど(枇杷の実を)捨てるのももったいないから」と、小さくて食べるのにはちょっと物足らなかった今年の枇杷を最大限利用したのだった。
瓶詰めと比較的実りのよかった枇杷はそれぞれ子どもたちに送っておいたが、先週セージとチッチのところに行ったカールから聞いて驚いたのが、「(セージの妻の)マーヤさん、枇杷を食べるのが生まれて初めてだった」ってこと。マーヤさんは茨城出身で、隣の千葉は枇杷の生産地でもあったはずだが・・。それとチッチからは「北海道出身の友人に上げたら彼も『枇杷は初めて食べた』と言っていた」そうだ。まあ北海道ではなかなか手に入らないだろうからねぇ。関東でも実際は枇杷ってそんなに生えていないんだろうな。鹿児島や長崎、九州では枇杷って庭先や路地にも生えていて時期になるといっぱい実を付けるから「食べたことがない」ってのは考えられない。ともかく「美味しかった」そうで、こりゃ来年はもっと大きくて立派な実がつくようちゃんと剪定、摘果をしないとな。
そんな事を思いつつ、ヨーグルトの酸味と枇杷の甘みが渾然となったこてる家特産「ビワグルト」を一人食べて悦に入っている私であった。

2025年6月13日金曜日

ノリヒック叔父さんの通夜

朝、チエコンさんからLINEメールに「ノリヒック叔父さんが亡くなりました。詳細はまだわかりませんので、わかり次第お知らせします」とのメールがあった。しばらくして「今夜お通夜になりました。頴娃のみやび会館です。明日が告別式です」とあり、「通夜に行く」と返信をした。ノリヒックとネキバー夫妻はついこの間、墓参りの際に星娘従姉さんから「二人とも施設に入っている」と聞いていて、一応「ノリヒック叔父さんは体は問題ないが・・」ということだったが、何せ昭和2年生まれの今年で98歳になるという超高齢者だったから急に亡くなったと知ってもさほど驚きはなかった。大往生と言えるだろう。

明日の告別式参列は、カールは明日朝沖縄に行くし私も用事があり無理だ。で、通夜も病院が終わってからとなると19時以降になりそう。カールにその旨伝えると、なんと夕方はキッチンの入れ替え工事のために業者が来るため通夜にも行けそうにないとのこと。それで私だけいったん帰宅後、喪服に着替えて一人で田舎に向かった。

葬儀場のみやび会館は一応場所は知っているが、近道があるはずとナビを設定し、知覧から加治佐、青戸を経由して石垣に向かう道を通った。頴娃町生まれの私でもこのコースはほとんど使ったことがなく何か新鮮だったな。加治佐地域は頴娃大川に流れ込む加治佐川や高校時代のクラスメートや外科の大先輩の出身地で名字もそのままなので地名としては知ってはいたが、実際に通ったのはおそらく初めてだった。夕方の黄昏(たそがれ)時だったせいか人っ子一人いず、「ここは限界集落か」といぶかるほど寂しい所だった。ただ開聞岳の眺めはよかったかな。

会館に着いたのは19時20分ごろ、ようやく周囲が暗くなり始めていた。会場にはヒラーキ始め、ほぼ全員が従兄弟姉妹だった。ネキバー叔母さん92歳は体調が今一つらしく夫の通夜には来られなかった。親世代で来ていたのがブンコ叔母さん89歳だけで、残るのがあこネーサで今年で96歳になる、無論通夜には来られなかった。施設入所で胃瘻造設後1年以上経過し比較的安定している。ふう、後2、30年で我々世代が同様の仲間入りやな。
ノリヒック叔父さんには親戚のオジさん連中と比較してもお世話になった方だ。親戚の中で唯一囲碁の相手が出来る人で、私とはいい勝負だった。そうだ、2011年のトシバーの通夜でこのみやび会館に一晩泊まった時、磁石碁盤で一局打ったなあ。思えばそれが最後の対局になってしまった。中高生の頃は叔父さん宅でヒラーキとともに大晦日から正月にかけて年越しを過ごしたものだった。4才年下のシューイチ君ともその頃まではいっしょ遊んでいた。通夜にはシューイチの孫3人が県外から来ていた。シューイチが出張先のホテルで確か脳出血かなにかで急死してもう8年になるという。長男は41歳になったそうでそこでハタと思いだした。昭和59年のシューイチの結婚式に出席し、その時も私は当然写真を撮っていて、新妻のお腹がほんのり膨らんでいるシーンも写っていたね〜。あの時の子だったか。
通夜は従兄弟会の様相を呈していたが20時半を過ぎたあたりでいったんお開きにしようとなった。明日の告別式もあるしで、私もそこから帰路に着いた。今度は通い慣れた海岸線を通ってから知覧へ向かい川辺鹿児島線から帰宅した。

若い頃や子育ての頃は冠婚葬祭は少々面倒に思っていた時もあったが、最近は冠婚葬祭に出るのは通夜、告別式ばっかしで、婚は年1回程度、ココちゃんが生まれたので冠と祭は1、2回はあるか。親戚との付き合いは減って来ているのでそうした冠婚葬祭での集まりは貴重だと思えるようになった。今回は従兄弟連中の健在ぶりと子世代の状況が分かって何よりだった。

2025年6月12日木曜日

息子同士、バッタリ

例によって前夜から深夜、未明に至って居間で床寝をしていた私。LINEのメールが何通も届いていたのに気づいたのは夜が明けてからだった。全部で5通。それらはテルとサブアラドDrからだった。しかもどちらも同じ内容だったのだ。

テルがサブアラドDrの長男「はこがまえ」君と偶然出会ったという話題だった。テル「サブアラド先生の息子さんに会ったよ」「めちゃくちゃたまたま」、サブアラド「大分の息子さん?左はワタスの息子」「知り合いとの飲み会にたまたまいたらしい」とあって写真付きだった↓(例によってイラスト化)。
テルからのメールによると、知らないもの同士会話していたら「サブアラドって名字で、話を聞いてたら、んー?んー?知ってるなぁーってなって」「お父さんネット麻雀します?
とか聞いてたら、あっちもこてる先生?って」その店のオーナーが大分にも来ることがあってテルの知り合いだった縁で店に行ったらしい。そこで二人は赤ちゃんと幼児のころに会って以来30年以上ぶりの出会いを果たしたのだった(正確には1992年12月20日に当時私たちが住んでいたアパートで会っているのは確認できた)。

親同士は毎日のようにメールや電話などで連絡を取り合っているが、息子同士はおそらく初めて口を利いたわけだ。2週間ほど前は私が偶然天文館でサブアラド夫妻とばったり出会っているが、それ以上の奇遇とでも言うべき出会いだった。サブアラドDrが「縁を感じるねー」とつぶやいていたが、まさに。こんなご縁、大事にしましょうねー。

2025年6月11日水曜日

最強のアロハシャツ

今日は久しぶりにトムとジェリーのアロハシャツを着て勤務した。

3年前に沖縄に行っていたカールが興奮して「すっごくいいアロハがあった」と画像付きでわざわざ送ってきたのが、このトムとジェリーをデザインした↑のアロハだった。当初は「え、こんなんのがアロハなのか」と訝りつつもまあ言うとおりに着て出勤したのだったが・・・。

それが周囲から「可愛い」「素敵」「格好いい」と言われまくったのよ。特に女子職員からの注目はすごくて「先生、このシャツ可愛い」って言われるのが当たり前で、時には高齢の女性患者からも「いいですねぇ」と言われたりもした。さすがに去年は以前ほど言われなくなってきていて、それは周囲も見慣れたということだろうと思っていた。

でも、今日これを着て仕事をしていると、やはり注目度が高く、5人以上の女子職員に「可愛い」「いいわ〜」と言われたんだ。もう最強のアロハシャツって言っていい。ただ、今でもどこがそんなにいいのか、私にはよく分からないんだ。この前、かけ出しのビートルズを見出したのは若い女子連中だったと書いたが、たかがアロハにしても女子連には見る目があるんだと思わざるを得ない。私も着ればなにかと注目を浴び「いいね」と言ってくれるのでまた着たくなる。結局、こてる先生もミーハーなんですよ〜(⌒о⌒)。

2025年6月10日火曜日

体のお悩みですか、AIに任せなさい

内視鏡室の茶の里Nsが「自分のことで・・」と健康相談にやって来た。「どうしたん?」

「私、昔から胆石があるって言われ続けてきているんですけど、このまま放置しておいていいんですかねぇ」

まあよくある相談だ。胆石の正常、腹部症状の有無など詳しく聞けばそれなりにアドバイスは出来る。でも、ちょうど別の患者の仕事も残っており、ふとひらめいて「そうだ、そんな一般的な相談ならChatGPTに質問してみたらいいよ」「は?」「いいかぃ、私が今やってみせるから」そう言ってChatGPT先生に以下のように質問してみた。

私の知り合いの看護師51歳は、健診で胆石があり小さな石がたくさんあると言われています。経過観察のほか、場合によっては手術も考慮されてはいかがと言われています。でも、何の症状もないし手術も怖い気がすると言っています。今後どう対処したらよいでしょうか。

すると10秒ちょっとで返答があった。

ご相談ありがとうございます。
胆石が見つかった場合の対処については、「症状があるかどうか」「石の性質や大きさ」「年齢や他の病気」などによって判断が分かれます。以下、一般的な考え方をお伝えしますが、最終的な判断は担当医とよく相談することが大前提です。

今の状況:「無症状の胆石」

ご友人は「小さな胆石がたくさんあるが、症状なし」ということなので、おそらく「無症候性胆石」に分類されます。

無症候性胆石への一般的な対応は原則、経過観察(手術しない)が基本です。
胆石のある人のうち、症状が出るのは約20~30%程度(多くは生涯無症状)。
年1回くらいのエコー検査などで経過観察されるのが一般的。

ただし、手術(胆のう摘出)を考慮することもある状況:

以下のようなケースでは、無症状でも手術を検討することがあります。

● 胆のうがんのリスクがある場合:
石が多く胆のう壁が慢性的に刺激されている(胆のうポリープがある/石が胆のうの出口を塞ぎそうなど)
胆のうがんの家族歴
胆のうの石灰化(磁石胆のう:がんのリスク↑)
● 糖尿病や免疫抑制薬を使っている人
感染症が起こった場合、重症化しやすいため予防的に手術を考慮することがあります。

💬 ご友人が言っている「手術が怖い」という気持ちもとても自然です。

現在の手術(腹腔鏡下胆のう摘出)は比較的安全で、入院も数日で済むことが多いですが、やはり「無症状」の場合、急いで決める必要はありません。

今後の選択肢として:

・年1回のエコーなどで経過観察(症状や石の変化がなければこのまま)
・症状(右上腹部の痛み、背中の痛み、吐き気など)が出てきたら、早めに医師に相談
・気になるようであれば、消化器専門の病院でセカンドオピニオンを受けるのも安心につながります

👩‍⚕️ 最後に:

ご友人は医療職の方ということなので、情報を冷静に捉えていらっしゃるとは思いますが、「怖い」という気持ちはとても自然です。その気持ちを否定せず、手術を前提にせず、きちんと経過を見ていくという選択も立派な方針です。何か症状が出たらすぐ医師に相談する体制があれば、今すぐの手術は不要な可能性が高いです。心配なことがあれば、またいつでもご相談ください。

いや〜立派、実に見事な返答だ。私はおおむね同じ方針で説明は出来るが、ここまで丁寧かつ詳しくは返答出来ない。だから条件を正確に伝えれば生成AIは医者とほぼ同様のアドバイスをしてくれる、そんな時代になったのだ。茶の里Nsは驚きかつ感謝してくれたが、して見せた私の方がもと驚いたかも知れない。AI先生、これを使わない手はないな!

2025年6月9日月曜日

私の好みは〇〇です!

今日の朝礼スピーチは医療事務のリバレーナさんだった。まずは自己紹介から入るのが定番で、年齢、出身、経歴などが露わになる。彼女はまだ20歳代後半で人生まだまだこれからだが、病院に勤め始めてすでに5年になっていたとは知らなかった。彼女の2、3年先輩の森舞さんも似たような経歴でスピーチでは好きなことに韓ドラ鑑賞と旅行を上げていた。それでしばし私とは韓ドラトークを病院受付でするようになった。リバレーナさんはどんな趣味というか好みがあるのだろう。

ほう、野球観戦と編み物だと。プロ野球はソフトバンクホークスのファンということだ。そこはいっしょだな。彼女が去年観戦しに行った試合は全部ホークスが勝ったんだって。勝利の女神だぁ。
あは、それと似ているというか逆パターンなのが出水のスチョル先生かとチラッと思った。以前「阪神タイガースの応援に試合を見に行くとたいてい負けるんよねぇ」ってボヤいていたもん( ・_・;)。

あと、お宝写真が2年前のWBCの宮崎キャンプで山本由伸選手の写真を撮ろうとしたらちゃんとカメラ目線で応えてくれたというもの。いつかその写真にサインしてもらうのが夢だってさ。ふむ、仮に私が同じことをしてもこんな笑顔で対応してもらえたかどうか・・。

こうしたスピーチで互いに好みが分かると楽しいネ。イヌやネコという一般的なペットからはてはウサギを飼っているとか、意外な音楽や本やスポーツが好みだったりと聴いていて楽しい。職員スピーチは各自が好むものを思いきっり語る場にすれば語る方も聴く方も有意義で楽しい時間になると確信したわ〜。

2025年6月8日日曜日

正反対の2枚の写真の相手とは

結局、ドジャースは点が全く取れずに9回表にかろうじて1点を相手のミスで取ったものの、その裏に1点取られ、また負けてしまっていた。打線が売り物のチームなのにねぇ。まあ長いシーズン、こんな時もあるだろうて。

体調はあんまし良くない。昨日休めればよかったがそうもいかず、外はしとしとといかにも梅雨の雨で体を休めるにはちょうどいいかも。今日は6月8日で明日6月9日がロックの日だそうで、NHKが再放送の「ザ・ビートルズ来日〜熱狂の103時間〜」をやっていた。この放送、初回は10年前の2015年6月だからビートルズ初来日約50年を意識して作られたんだろう。以前も視聴していたにも関わらず、ビートルズ好きゆえにまた見てしまった。

いやー、本で読んで知ってはいたけれど、当時の日本の大人たちのビートルズ拒否感ってのはすごかったんだな。一言で言えば「不良の音楽」「馬鹿騒ぎしているだけ」「日本の価値観を壊すな」といった感じで、良識ある大人だけだなく右翼も街宣車で反対、抗議活動をするほどだった。現代からというより、私がビートルズを聴き始めた1974年頃の感覚からしてもおかしいと思えるほどで、旧来の人たちが得たいの知れない音楽、見た目、パワーに拒否とある種の恐怖心を抱いていたのだろうと思える。彼らが現代にタイムマシンに乗ってやって来たら、ビートルズはいまだに新しいファンを生み続け、その音楽は現代のクラシック音楽になりつつさえあることに驚き、自分が恥ずかしくなるだろう。そして↓の写真のような行為をしたら現代人からは「まるで野蛮人?」って言われるのがオチだろうネ。
そんな中、本国イギリスでもアメリカでも日本でもビートルズの本質的な素晴らしさをいち早く感じ取ったのが若い女性、少女たちだったのだ。画面を通してそれらががんがん伝わって来た。後に学校の教科書に載るほどの名曲を作っていたとか、20世紀を代表する音楽グループだなんて理屈で理解しているわけではなかった。そのことに「すごさ」を感じた。若い女性に人気のものって今でもよくTVのバラエティー番組などでよく取り上げられるが、「ミーちゃんハーちゃんがまた面白がって」なんて舐めちゃいけない。その中には古い大人たちや男性の視線ではよく理解出来きなくても実は本質的な素晴らしさ秘めているものがある。それらを彼女らは直感的に分かる能力を持っているんだ。
女性の本質を見極める能力を侮ってはいけない。

2025年6月7日土曜日

倦怠感でもやらねば・・

この前、カールが風邪を引いていて、それが私にうつったか昨日くらいからで、倦怠感や鼻水、咳などが出ていた。それが今日土曜日も午前は倦怠感がピークで居間のMOGUソファを背もたれにし、ぐたぁ〜と 寝入ってしまった。一応、ドジャース対カージナルスのゲームをTVで見ながらではあったが、ドジャースがてんでダメでカージナルスにやられてあんまし見る気がしない展開で、それで何度も寝ては起きてを繰り返した。午前中にこてる日記を書いて午後からのリアル麻雀に備えて天鳳で腕ならしをしておこうという腹づもりだったのだが・・結局、家を出る13時半までずっと居間での寝込みを続けていた。

いやはや、こんな体調で麻雀を打つのもちょっとつらいな、誰か代わって打ってくれる人がいるならそうしてもよいがなどと、雀好きな私が珍しく弱気にもなってた。

そうやって始まったリアル闘牌であったが・・あに図らんやとはこのことで、出だしからなぜか好調、トップ、2位、2位、トップ、トップと一人勝ち状態になっていた。後半は落ち着いたが、ラスも1回だけで大勝ちではなかったけれどプラスだったのは私だけ。一人勝ちだったのは間違いない。体がきついんで無理に勝負には行かず冷静に打つことが出来たからかな。

でも帰宅してからがやはり大変。すぐにシャワーを浴びてこてる日記を書き始めた。ここで書いておかないとそのままダウンは必定で、翌朝「こてる日記」を開いた人が「あれ?アップされていない」となるのだけは避けたい。どうにか6月5日分の日記を書き終え、そのまま床のMOGUソファでの寝込みをきめた。ドジャース戦が午前3時過ぎからだって言うからねぇ。まったくこの時期はメジャーリーグ観戦で生活のパターンが影響を受けるわい。しかし、これも案の定というか寝入ってしまって覚醒したのは午前5時。あちゃー。で、途中経過を見ないようにして冒頭から録画を見始めた。風邪で寝転んでじーっとしておくだけの休日にまたなりそうだ・・。

2025年6月6日金曜日

当直の指導はしたけど当直は

昨日から夕方からの当直を新しく非常勤のトマリンDrにしてもらうことになった。青雲会病院で働くのは全く初めてで今月から毎週木曜の夜を担当してもらうことになる。となると、病院のシステムや電子カルテの使い方などオリエンテーションをしなくてはならない。そういうわけで私自ら説明を行った。教えるだけでなく、実際に仮カルテに入力してもらったりするなどさせた。特に電子カルテは各病院でそれそれ違いがあるからやってもらわないと見たり聞いたりしただけでは覚えられないしね。

結局、一通り終えるまで1時間以上かかった。それでも一人ではきっと惑うはず。幸い昨夜の当直看護師はベテランのカッコちゃんNsだったからどうにかやり過ごせたはず。当直記録を見ると、夜の21時過ぎに発熱の救急患者が来て診察、検査後に入院させていた。昨夜診察したのはその患者一人だけだった。うむ、最初の当直にしてはあきれるほど忙しいこともなくあるいは全く患者ゼロでもなくいい感じの夜だったようだ。

15年くらい前の青雲会病院は院外Drの当直日は週に1回かせいぜい2回あるかないかくらいでほぼ週5日を院内のDrらで交代して担当していた。だから私も月に5回くらいの当直は当たり前にあったのだ。その後大学病院外科教室から定期的に週1回、土日は月2回派遣してもらえるようになり、木曜も院外Dr、そしてここ最近は火曜、日曜を外科、脳外科の院内Drが決まってするようになり、私の出番もかなり減って月1、2回になっていた。そして今度の6月7月の日当直予定表では私は1日(半日も含めて)も日当直が入らなかった。いやー、青雲会病院に来てこんなことは初めてだ。別に院長になったからというわけではなく、他の常勤Drも回数はかなり減っていて、今回だけたまたまなんだが、8月以降も当直はあっても月1日くらいだろう。

これまで忙しかった当直の話題などよく「こてる日記」ではネタにしてきたが、ここしばらくはそれもなくなりそう。当直の指導はしたけど当直はしないってこと。まあ前期高齢者の仲間入りしているんでそのあたりはちょっとは楽させてもらいまひょか( ・_・;)。

2025年6月5日木曜日

7月5日に大地震が起こるだって

少し前から妙な噂が日本及び近隣諸国で広がっている。今日のYahooニュースでも出ていた。

それは日本の漫画家で霊媒師のたつき諒という人が「今年の7月5日に日本で大地震が起きる」というものだ。たつき諒は2021年に発表したベストセラー漫画『私が見た未来』のなかで、2025年7月5日に日本で重大な災害が発生すると予言した。災害の詳細は不明だが、この予言は1999年の漫画でも予告されたもので、2011年の日本の大震災と津波を予見していたと言われている(当時の表紙に『大災害は2011年3月』と書かれていた)。これを信じた一部の人々は、ソーシャルメディアで日本への旅行を避けるよう警告する投稿を拡散し、旅行を予定していた多くの人々が予約をキャンセルまたは延期する事態に至っているという。ブロンズウィック調査によると、香港や台湾、韓国からの日本行きの予約が大幅に減少し、とくに6月下旬から7月初めの期間においては、予約数が前年の50%減、または最大83%減となっている。さらに、春休みの旅行も影響を受け、日本旅行の予約は2024年の半分にまで減少した。
このたつき諒という人は予知夢を見ることが出来て、自身の予知夢を題材にしたというこの漫画には「2025年7月5日に大地震が発生し、東日本巨大地震(2011年3月)のときより3倍高い津波が日本の南西部に押し寄せる」といった内容が描かれている。この作品には「2011年3月に大災害が起こる」という内容も描かれ、これが東日本大地震を正確に予測していたと話題になり、うわさはSNS(交流サイト)で急速に拡散された。それで作者が言いたいのは「大切なのは準備すること。災難の後の生き方を考えて、今から準備・行動しておくことの重要さを改めて認識してほしいのです」ということだそうだ。その忠告は至極まっとうだが、3倍近い津波というのが私にはとても信じられない。いや、そもそも予知、予言などは私は全くといって信じない。

しかし中には信じたり、不安に思う人もいるようだ。防災アドバイザーの高荷智也氏は自信のYouTubeの中でこの予知を解説し「書籍の中でフィリピン海の中央辺りの海底がボコンと破裂(噴火)した」と書かれているが、その場所はこれまでの大きな地震の震源地からは全く外れているところでおよそ考えにくいという指摘をしていた。
まあ、およそまともでない書籍に書かれたことをまともに反論、検証してもしょうがないと私は考える。それはかつてのノストラダムスの大予言で私たちはすでに経験しているではないか。私はこのこてる日記でノストラダムスに限らず予言、予知を語る人への批判的なことを数回書いてきた。そして信じたがる人はまあ一言で言えばダマされやすい性格、それに原著を確認したがらない傾向、そして摩訶不思議なものへの単純な憧れなどがあるように思える。

まあ、私はこの予知がまずデタラメで当たるはずがないだろうから、それが確証出来る意味で今度の7月5日が楽しみではあるな、ふっふ。

(特に2014年にこの手の予言へ批判的な記事を書いている。以下参考。
2014年3月15日「リトルミイの名言・・・ってか」→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2014/03/blog-post_15.html
2014年9月2日「予言者『松原照子』」→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2014/09/blog-post_2.html

2025年6月4日水曜日

「あれはこてる先生の生き霊だぁ」

夕方、内視鏡室のスタッフらが面白いことを言っていた。

「午後の大腸内視鏡検査中にですね、並ぶンDrが『あれ、黄色い検査着のこてる先生がこっちを見ている』って言うんですよ。でも、先生はずっと外来にいましたよねー」「おう、救急や外来で忙しかったし、内視鏡室には今日は1回も行ってないぞー」「ですよねぇー」

で、話は終わりかけたが、並ぶンDrは「いや、あれは絶対にこてる先生だった、間違いない」と言い張ったらしい。と、なるとだよ。その見えたこてる先生って・・・「生き霊?!」そう結論づけたら、内視鏡室スタッフが「うわ〜怖ぃ〜」って、なんだかはしゃいでいるんだ。「生き霊って六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)じゃぁあるまいし」って私はつぶやいたが、それには彼女らの反応は全くなしで、「生き霊ってこてる先生は何か並ぶン先生に恨み辛みでもあるんですかぁ?」などと、すでに生き霊説は当然といった物言いだった。で、内視鏡室スタッフにこれだけ受けたので並ぶンDrが見たという私の生き霊をAIでジブリ風イラスト化してみた↓。ふむ、きっとこんな感じだったろう。いやはや並ぶンDrも面白い日記ネタを提供してくれるわい(⌒о⌒)。

2025年6月3日火曜日

長嶋茂雄を一度だけ見た

長嶋茂雄が亡くなったとネットニュースで知った。ほう・・と思った。私は長嶋の現役時代をTVなどで見知ってはいたが、それは昭和40年代後半の比較的現役晩年時代で熱狂的な長嶋ファンというわけではない。しかしプロ野球、巨人という人気スポーツ、人気球団を牽引した日本人なら誰でも知っているスター選手だったというのは実感している。王貞治がいくらプロ野球記録を更新しても人気という点では長嶋に敵わなかった。そこがよく分からないという点で一世代上とは違っていた。

かつて大学内視鏡室メンバーの飲み会で私より12学年先輩の草野健Drが「TVで野球中継が始まった頃、長嶋がホームスチールで勝ち越す試合を見ていっぺんでファンになった」と語っていたのを思い出す。長嶋は記録よりそのプレーで熱狂させるタイプの選手だったようだ。その私が直に長嶋を見たのが今から30年以上前の日米野球でのメジャーオールスター対巨人の試合だった。1992年10月30日東京ドームでのことだ。たまたま消化器系の学会で東京に行った私は時間も空いていて観戦をすることが出来た。その試合は長嶋が10何年ぶりに2回目の監督復帰をしての最初の試合だった。後で知ったが当時の巨人ナインともその試合が初対面だったそうだ。

当時、私はメジャーリーグの試合をBSで観戦したり、メジャーオタクだった親戚の大学生トヨ丼君としょっちゅう会っていたこともありどちらかというとメジャーチームを応援していた。トヨ丼君のために彼の推しチーム、ピッツバーグパイレーツの帽子をお土産に買ったりし、相当喜ばれたのを覚えている。で、結果はというと、これはもう大人と子どもの試合で、巨人はかつて阪神で活躍したセシル・フィルダー(タイガース)やケン・グリフィー・ジュニア(マリナーズ)に特大ホームランを浴び、打線は同年18勝を挙げたロジャー・クレメンス(レッドソックス)に完璧に抑え込まれ、ヒットはベテラン篠塚の一本のみ、見せ場は失敗したがヒットエンドランのサインを長嶋監督が出した時くらいだった。なんと11対0という内容だったのだ。日本のマスコミは長嶋監督の再登場という面を強調しメジャーリーガーたちのプレイにさほど注目した記事は少なかったように覚えている。球場のファンも長嶋がユニフォームの背番号33を見せたシーンにどっと歓声を上げていたしね。
その日から約3週間後のドラフトで長嶋は松井秀喜を引き当てるのだ。もう30年以上も前のことだ。時代は変わって、今もしメジャーリーグのスター選手チームが来たら、当日チケットで簡単に入場出来るはずもなく、空席が目立っていた観客席は隙間も無いくらいの満席になっていたはずだ。大谷翔平という長嶋と王の両方を併せ持つ世界のスーパースターが日本から誕生したのも長嶋、王、松井、イチロー、野茂などスーパースターらの築いた土台があったからだろう。亡くなってなお長嶋茂雄の存在の大きさに気づかされるな。

2025年6月2日月曜日

ネコが2匹いると・・

YouTubeで時々眺める動画にネコ動画がある。ネコたちの俊敏な中にも面白い動きがあって楽しい。↓なんか「このエサ、ボクのもんだも〜ん。上げないよっ!」ってそのもの。

ネコはネコなんだが時に人間くさい動作をすることもあってかなり笑ってしまった。↓なんかまさにそうで、ちょっかいだそうとしてまさに手を出す瞬間、「なに?」と睨まれて、「いや、ボク・・アタマかいているだけなでしゅ〜」ってね(笑)。
そこで家のネコ2匹。ちょっかいを出すのは決まってハナビでしかも真っ正面からはなくそのほとんどが背後からだ。ゲンちゃんが油断しているとき、何かに気を取られているときに決まって狙ってくる。
ゲンちゃんに「何だ?!」って睨まれてそこでおしまい。この後本格的なケンカになることはないのであった。

2025年6月1日日曜日

採れたはいいけれど・・

何の予定もない日曜日、朝はドジャース対ヤンキース戦をTV観戦した。ドジャース打線が爆発し、あまりの大差に後半はもう見る気が失せた。 ていうか明け方から起きていたので寝入ってしまったのだ。

今日は庭の枇杷の木から実を全部採りきろうと思っていた。あまりの数の多さにまとまった時間が必要で、朝か夕方に脚立を使って採りまくろうと。まだお日さまが高い昼過ぎはMOGUソファでまったりと休んでいたら、ゲンちゃんもやって来て私の胸の上に乗っかってまどろんでいた。たま〜にハナビも乗っかるがやはりゲンちゃんは長年の付き合い、互いに安心感がある。

上の写真から約1時間経過してそろそろ日も暮れようかという頃、ようやく枇杷採りに向かった。左腕にレジ袋を持ち、右手でどんどん枇杷の実をもぎってゆく。とにかく今年は実が小さいのが残念。ただうちの枇杷はちゃんと熟したものは甘くて美味しい。時たま落下した枇杷を口に含むとじわ〜と甘みが広がる。
1時間、2時間経ってどうにかほぼ全部の枇杷を採りきることが出来た。レジ袋が4袋以上になった。カールが↑や↓の写真を千葉のマーヤさんに送ると「わあ、欲しい」ってことだったので箱詰めして明日宅急便で送ることにし、チッチにも聞くと「欲しい」とのことでいっしょに送ろう。テルはというと、実は先週採った時に先に送っていた。
それでもまだ相当余っているので明日リハビリと内視鏡室に持っていこう。それでもまだ200個以上余っている。結局、カールが「頑張ってまたジャムにするわ」と少し力なくつぶやいた。ジャム作りは皮を剥いて種を取り、中の薄皮も剥かねばならない。200個ともなれば何時間もかかるんだ。「テル君も手伝ってよ〜」とのカールに「むろ〜ん手伝いますよ、ハイ」と私も苦笑いしながら答えたのだった。

2025年5月31日土曜日

リハビリ飲み会初参加

病院のリハビリチームから「新人歓迎会を鹿児島の天文館の店でやりますから参加出来ますか」と頼まれていたのが今日だった。ちょうど用事もなかったので参加することにしたのだが、実はリハビリとの飲み会は初めてだった。脳外科のシマッチDrなどはちょくちょく参加しているとは聞いていたが、私は参加もなにもこれまで誘われていなかったのだ。院長にもなるとこんなお誘いも増えるんかな・・。

カールに車で天文館まで送ってもらって目的の店まで行こうかと歩道を歩き始めたら・・なんと目の前を歩いていたのがサブアラド夫妻だった。ちょっとびっくりするサブアラドDrに奥さんは「わー、こてる先生久しぶり〜、会いたかったぁ」と喜んでくれた。

私は天文館は久しぶりで夫妻は住所が歩いて行けるところだからちょくちょく出かけているのだろう。麻雀以外で会うサブアラドDrも新鮮で良かったっす(笑)。

飲み会の店はまさに天文館のど真ん中にあり、3階4階のうち3階を貸し切り状態だった。40名くらいの参加で、ドクターは私とシマッチ、カワゼンDr(ともに脳外科)3人で、リハビリ科のヨシダーキDrは都合で欠席だった。で、会の冒頭にリハビリ部長の市葉旗君に「院長としてあいさつを」と事前に頼まれていた。OKし、ただ「実は普通にリハビリ新人を歓迎するとか言っても面白くない。ちょうどその日は私が青雲会に就職してぴったし丸25年になる日だ、そこで『今日は私の満25周年を祝ってくれてありがとう』ってボケるから、君は『こてる院長違います!リハビリ新人の歓迎会ですよ』ってツッコんでくれないか」と頼んでおいた。笑って承諾してくれ、私は予定どおり語り始めた。実際、2000年6月1日がこの病院に初めて勤務し始めた日だから今日でぴったし四半世紀の25X365+6=9131日経ったことになる。そのことを語り、市葉旗部長の「先生、違います」の一言を待っていたのだが失敗した。いや、市葉旗君はツッコんだらしいのだが、なんとリハビリ職員の私への拍手にかき消されたのだった。これはちょっと予想外だった。まあ、どうににか無事にあいさつは終えられたけどね(汗)。

リハビリ職員とこうした雰囲気で話しをするのは初めてだったが、みんなフランクにいろいろな話題を提供してくれた。特に私は仕事のことより何が好きなのか、何をするのか楽しいのかなどこの日記でも書いた偏愛するもの、遊びなどをよく聞いた。すると高位置君は「脳を見たり調べたりするのが好きなんです」という。ほう。まあ仕事がらみと言えばそうだが、ヒマな時でも脳のイラストなど眺めるのが好きらしい。試しに私が「自分は昔親指と人指し指がしびれる症状が出たが脳脊髄神経で言えば・・」と聞いたら「Cの6」とちゃんと正解を言ったよ。好みと仕事がマッチしとるねぇ。

一般的なところではゴルフの練習を始めたスタッフとかサッカー好きとかのスポーツ系、わさび餅が大好きでとか食べ物系、そしてほかいっぱいしゃべったり聞いたりしたのだが、現在書いているのは2日後であってもうすっかり忘れた。新人さん7人いてしょっちゅう名前が出ていたけれど半分以上は名前が出てこない。いや物覚えが悪くなった。実は飲み放題とのことで私も冒頭だけはビールジョッキ1杯を飲んだんだ。あとはノンアルコール系のカクテルとかジュースとかでやり過ごしたがアルコールの影響もあったかな。ともかくも若いスタッフが多いリハビリ部だからみんな元気やったね。

一次会は約2時間半ほどで予定通り終了した。昔なら二次会でカラオケなどもあったかもしれないが、今日はワースポ&MLBで大谷が活躍したドジャース対ヤンキースの様子を見たいと思ってすぐにタクシーに乗って帰宅したのだった。

2025年5月30日金曜日

女性風薬品名から結局またあの話題に・・

今日の外来に付いたのは和墨玉Nsだった。三十代後半で三児のママさんナースだ。

ある高齢の患者さんの他医からの処方薬をいっしょに調べている時に「リオナ」という名前の薬があった。「おや、女性の名前にもありそうな薬品名だね」と私がつぶやき、薬効を調べると・・慢性腎臓病(CKD)に伴う高リン血症の治療薬で腎機能が低下すると体にリンがたまりやすくなるため、それを下げる薬で、リオナは一般名が「クエン酸第二鉄」といって水和物体内のリンと結合して、便として排出を促す働きがあり、鉄分も含んでいるため、鉄欠乏性貧血の改善効果も期待されるってことだった。実際、鉄欠乏性貧血があって処方されていた。

「ふむ、リオナって言ったら芸能人で最近は出て来ないけど葉月里緒奈を連想するな。あは、そうだ。ジュリナって薬もあるんだ。私はAKBの推しが松井珠理奈だったから使ったことのない薬だけど名前は知っている」と女性名薬品を話題にした(ジュリナは更年期障害などの治療薬エストラジオール製剤)。その手のネーミングって婦人科系の薬に多い。調べるとほかに「マリナ:黄体ホルモンのIUS製剤(避妊用)」「セリーヌ:低用量ピル」「ミレーナ:子宮内避妊具(ホルモン放出型)」などあり、精神科では「レオナ:抗てんかん薬(ラモトリギン製剤)」「アリス:抗精神病薬(アリピプラゾールのOD錠)」もある。

でも私が一番に上げたいのは一般によく使われる薬で30年以上前に発売開始された「クラリス」だ。一般名もほぼいっしょでクラリスロマイシンである。別会社が「クラリシッド」の名前で発売していたけれど私の思い入れと書きやすさでクラリスの方をよく処方していた。このクラリス、私の偏愛するアニメ映画の傑作「ルパン三世カリオストロの城(1979年:宮崎駿の初監督作品)」に登場するヒロインのお姫様の名前である。
「カリオストロの城」はこれまでこてる日記で何度も取り上げてきているが、Wikipediaで概要を紹介すると「『ルパン三世』シリーズの中でも、屈指の人気を誇る作品として知られる。公開当時の興行収入は低かったものの、評論家や関係者の中では高く評価され、その後はテレビ放送や上映会等が繰り返された事もあって人気が高まっていった。また、本作での宮崎の演出やレイアウト手法は、後世のアニメ業界に影響を与える事となった。現在では日本アニメーション史に燦然と輝く名作として評価が定着している」とあり、実際、キネマ旬報の2010年にあった「オールタイム・ベスト 映画遺産 アニメーション篇」で1位を取っている。同じ宮崎駿の「天空の城ラピュタ」「風の谷のナウシカ」「千と千尋の神隠し」などより評価が高いのだ。これはそれらのアニメを実際に見た私の感想とも一致する。はるかに面白いのだ。

そこで子どもの一番上が小学校高学年という和墨玉Nsに「ぜひ『カリオストロの城』を見せてやってくれ。お勧めだから」と強調した。ルパン三世もその年くらいになると十分に堪能出来るだろう。「カリオストロ」とか「クラリス」という名前はモーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパン」シリーズの一冊「カリオストロ伯爵夫人」に登場する名前でそれを宮崎駿が拝借したものだ。小学5年生の私はホームズやルパンシリーズに夢中になってそれらの本を読んでいた。だからクラリスやオルタンスなどフランス風女性名をよく覚えていて、名前を映画で知った時に「あ、ルブランから取ったな」とすぐにピンと来たものだった。

女性風薬品名という話題から始まったよもやま話も、結局は自分の好きなアニメ映画に帰結するのであった。(今年6月27日の日本テレビ系『金曜ロードショー』でノーカット放送されるらしいので見たことない人はぜひ!)

2025年5月29日木曜日

その人を運ぶのは、必要か不要か

夜は霧島市消防署の会議室で姶良霧島伊佐地域の救急搬送に関する協議会のワーキンググループ部会に出席した。今年1月末にもあって今年はまだ数回が予定されている。

人生の終末期にある人が心停止など起こし家族や施設の人が救急車を呼んだとする。要請を受けたら救急隊は必ず出動する。そして患者を救急病院へ搬送するのが当たり前の手順だ。だが、事前に患者と家族がかかりつけ医と相談していてその様な場合は無理に心肺蘇生は行わないと取り決めしていたら、その証拠(文書が望ましい)が確認され、かかりつけ医などに即連絡し確証が得られれば救急隊は患者を搬送しなくてよいという取り決めを作ろうとしているのだ。東京や山梨ほか都道府県ではすでにそれが現実化している。だが、癌や老衰などで望まない心肺蘇生をしないのはいいとして、窒息や外傷などで同様の瀕死状態になったときはちゃんと蘇生行為を行うのが当然で、無論救急隊は搬送や蘇生を行う。その見極めも大事になるし、かかりつけ医に連絡がつかない時どうするかなど検討事項が結構あるのだ。
会では霧島、姶良、伊佐地域からドクター、救急隊員、看護師、保健師、そして今回は弁護士も参加していた。1時間半以上、かなり熱の入った検討、意見などが出され、有意義な会だった。私はメモを取りながら論点を頭の中で整理していった。来年4月にはこの体制が姶良霧島伊佐地域でスタート出来るようにしていく予定だ。

つい1週間ほど前、ある施設から心肺停止の患者が運ばれてきて、当直医が施設職員に「心停止時の対応は?」と施設職員に尋ねると「フルサポートでお願いいたします」とのことで気管挿管、心臓マッサージ、人工呼吸器装着とやって入院になった。翌朝、私が引き継いだのだが、やや遠方の家族が1時間ほどして来院した時、人工呼吸につながれている患者を見て絶句したらしい。なんと施設職員が勘違いしていて、その患者は実際はいわゆるDNAR (Do Not Attempt Resuscitation)=心肺停止時に心肺蘇生を行わないという方針で決まっていたらしいのだ。全く真逆の医療行為を行ったことになる。でも心拍が戻っていたので私が引き続き診たのだが結局は亡くなってしまった。

もし、事前にDNAR だとしっかり取り決めがなされ、救急隊が施設に到着し確認が出来れば来年4月以降はこの患者さんは運ばれず、いったん施設で安置され、かかりつけ医が死亡確認してから葬儀屋に運ぶということになる。それを本人家族も望んでいたということだから一番いい結末になるだろう。

しかし簡単に書いたが、これまでとは違う取り決めをいざ実行するとなると1年以上、5、6回の会議を重ねる必要があるってこと。この対応がマスコミなど通じ一般の人たちにも浸透すれば患者も家族も救急隊も病院もお互いがそれほどつらい思いをせずに済むと思う。正直、最初はやや面倒な会への参加を頼まれたと思ったが、なかなかまじめで住民や医療関係者のためになるものなんだと今は実感している。いやー、今日は珍しくまじめなお話でした。

2025年5月28日水曜日

「怪我の功名」ってか

カールの友人の、さらにその友人の話。

その人は50代の男性で今開催中の関西万博のチケットをけっこう前に買っていたらしい。そして日にちに合わせてホテルの予約まで完了、家族みんなかなり楽しみにしてたそうだ。ところが、出発の2週間前にまさかのアクシデントが起きた。なんと、足の小指を骨折。これ、私も10年くらい前にやったことがある(2104/5/12「左基節骨骨折」)。いや、小指って地味だけど、歩くと痛みがヒシヒシ・・結構つらい。で、万博の会場ってとにかく広いはず。こんなんじゃ楽しめないかも・・って一時は行くのを迷ったらしい。でもまあ、せっかくのイベントだし、家族のこともおもんぱかり、なんとか行くことにしたとー。

で、結果どうだったかというと・・・これが思わぬ展開に。

そのままじゃ移動が大変なんで車椅子を使うことにしたんだそうだ。それでなんと障害者扱いになったことで、パビリオンとかも優先的に入れるようになって、他の人たちが炎天下で行列してる横をスイスイ通過。結果的に普通の人の倍くらい見て回れたんだって。
本人もまさか骨折でそんな展開になるとは思ってなかっただろうけど、結果的には「来てよかった、ありがとうお父さん」ってなった。優先ルートでストレス少なめだし、何より家族が満足そうだったのが救いだったとか。骨折は痛いし不便だし、喜んでなるもんじゃない。でも、その状況を逆手にとって楽しむ方法があったってのはなんか生きてゆく上でなにがしか参考になるというか、物の見方は柔軟であるべきというか。

 ちなみに私は「禍福はあざなえる縄のごとし」って言葉も思い出した。中国の故事から出た言葉で。いいことと悪いことは交互にやってくるみたいな話だ。たぶんその人も、次はまた何かやらかすかもしれないし(失礼)、でもまたそこから何か得るかもしれないしー。とりあえず、「あーあ、ツイてないな」ってことが、ちょっと視点を変えると「むしろラッキーじゃん」ってなることもあるんだってことやね。

2025年5月27日火曜日

私のAI活用法

このところちょいとばかし私を悩ませているのが、年に一度の病院の業績報告冊子「年報」に寄稿する文章作りだ。総務の畠鏡さんから頼まれたもので「年報の冒頭は可愛いんだ理事長の年頭所感ですが、その次にこてる院長のこの1年を振り返っての一文が欲しいです」と。ううむ、院長ともあればその手の文の掲載はよく聞く話だ。だが、毎日ブログを書いている私でもそんな文章は書いたことがない。しかも院長という立場で何か書いて欲しいとなるとどうにも書きづらい。

で、こてる日記同様、私の関心事などを職員が興味を持てるようにアレンジして書き連ねるか、はたまた一般的なかしこまった文章にするか、迷っているうちに1ヶ月以上が経過して、締め切りまであと数日となったのだ。

で、ハタと思い立ったのがAI、ChatGPTを利用してみることだった。以前もこてる日記をChatGPTに書かせたことがある。でも修正をしたり、私の文体に直したりして結局時間もかかるので特に利用することはなかった。でも、いかにもかしこまった院長らしい文章にしようと思い立ったので、今回は利用することにした。ChatGPTに私の立場をまず知らせ、1年を振り返っての書きたい事柄を箇条書きのようにして書いていった。それをらしい文章にしてちょーだいなと依頼したのだ。

すると、最近のAIはすごいな。「・・これらを元に、格式を保ちつつも温かみのある文章を作成します。負担にならない範囲で構いませんので、思い出すままに箇条書きで教えてください」と返事があり、投稿するとかなり自然ないかにもらしい文章を提供してくれたよ。ちょっと丁寧すぎる文体が一部にあったのでそこは修正したが、ほとんどわずかである。年報が出来上がるのはまだ数ヶ月先だと思われるが、日記には一部を紹介しよう。

1年を振り返って

昨年4月に院長を拝命してから、早いもので一年が経ちました。この間、地域の中核医療機関としての責務を改めて実感するとともに、多くの学びと気づきのある一年となりました。

地域連携の強化を目指し、近隣の医療機関との交流や見学、懇親会などが増えたことは、大きな意義を感じています。各医療機関の特色や取り組みに直接触れ、私たちの病院との違い、学ぶべき点を知る機会にもなりました。そして何より、私たちがこの地域で患者さんを共に支え、見守っているという連帯感を強く持つことができました。

また、毎朝、各部署からの業績報告や課題、職員に関する情報などを受け取り、それらに対応することに努めてきました。すべてに十分な対応ができたとは言い切れませんが、病院全体の声を聞き、それを次の行動に結びつける重要性を改めて痛感しています。

(残り半分は省略・・・・・・)」

私が書きづらいと思っていたのはそれ(院長)らしい文体を書くのが億劫だったのだ。しかし内容は自分で考えて文体だけをAIに依頼するということで1ヶ月悩んでいたいたことがいとも簡単に解決出来た。最近AIの活用をすべきなんてよくマスコミや雑誌、ネットでも言われるがこういうことだったか。ジブリ風イラストも面白かったがほんまAIっていろんな使い勝手があってますます興味が出てきたわ〜。

2025年5月26日月曜日

ゲンちゃんがうらやましい

5月末というのに夜間はまだ寒い。すでに半袖半ズボンにしている私は夜に暖房まで入れる羽目になった。そしてテーブル席から対面の畳部屋を見ると・・カーペットをひっくり返したゲンちゃんとゲンちゃんにマウントを取りたがるハナビが久々に睨み合っていた。

この後、取っ組み合いのケンカになることはまずない。基本的にゲンちゃんの方が体が大きくて強いからだ。普段、ハナビはゲンちゃんの背後からちょっかいを出してゲンちゃんに「こらぁ」ってされて逃げるってパターンだ。

で、ゲンちゃんはというとパソコンに向かっているカールに「抱っこしてぇ〜」と寄ってくる。もう邪魔くさいわねぇと言いつつカールも相手してあげる。年は取ってもカールには赤ちゃんのゲンちゃん。

それをうらやましそうに居間のソファからじーーっと見つめるのがハナビだ。
1分もするとハナビも畳部屋にやって来た。きっと自分も抱っこして欲しいのだろうが、人に捕まると激しく抵抗する癖があって私ですら簡単には抱っこ出来ない。ただ、人によるのか、この前ハナビ好きな小学生が抵抗されることもなく抱っこ出来たのにはカールも驚いていた。で、カールとゲンちゃんのそばでなにかしらもどかしそうなハナビを下に見て、ゲンちゃんは「えへへ」って表情で満足げなのであった。

2025年5月25日日曜日

枇杷の実の活用

今年はとにかく枇杷の成りが遅い。私のところだけじゃなくていつも通る姶良の高速出口の家にある枇杷も実が小さいし生育が遅い。5月も25日ならこてる家の枇杷はほぼ無くなっているのが例年なんだ。なのに↓だよ。

特に手が届かず2階にまで届きそうな高い枝はまったく摘果していないので小さな実がいっぱいだ。去年、庭のロッジを取り払い、いっしょに1m以上あった柵も取り払ったためそこに乗って上の枝にアクセス出来なくなったからだ。今日は実は小さくとも食べられそうな枇杷を200個くらい摘んだ。それらは病院のカッコちゃんNsと対面のしもどーすん家などに持っていくため振り分けた。それでも小さな枇杷の実が余る。
そこでカールは「ジャムにしよう、思い切って」と取り組み始めた。
カールは「砂糖はキロ当たりの標準量より1/4くらいに抑えたの」と言っていた。「砂糖を入れると日持ちはするんだけど、甘すぎるのがイヤなのよ」とも。ふむふむ、なかなかの有効活用だ。

まだまだ半分ほども残っている枇杷の実、今年は6月初めまで採って食べることが出来るぜぇ〜。

2025年5月24日土曜日

ChatGPTの言うとおりに事が運ぶ

今日の土曜午前は病院外来勤務、午後は日直だった。

割に余裕のある日でゆったりと外来をこなしていった。そのゆったりが急に慌ただしくなったのは昼前に「嘔吐して血が何度も出た」という中年男性が受診したからだ。問診でどんな経緯かを尋ねると・・「昨夜飲食をしてアルコールもしこたま飲んだ。嘔吐を何度もして4度目くらいから血が混じるようになった」とのことだった。

これはもう問診だけでほぼ診断が付く。マロリーワイス症候群(Mallory-Weiss症候群)である。AIのChatGPTに尋ねてみよう。

マロリーワイス症候群(Mallory-Weiss症候群)は、食道と胃の接合部(食道胃接合部)に生じる粘膜の裂傷によって、出血を引き起こす疾患です。主に激しい嘔吐や嘔気の後に発症します。
原因:繰り返しの嘔吐・激しい咳・過度のアルコール摂取
好発部位 :食道下部から胃の噴門部(胃の入り口)
症状 :吐血(鮮紅色)、下血(稀)、上腹部痛、貧血症状
診断 :上部消化管内視鏡(胃カメラ)で裂傷を確認
治療 :多くは保存的治療で改善。出血が止まらない場合は内視鏡的止血(クリッピング、硬化療法など)
予後:一般に良好。再発はまれだが、原因の除去が重要
発症メカニズム:嘔吐や咳などにより腹圧が急激に上昇 → 食道と胃の接合部に機械的ストレスがかかる → 粘膜が裂けて出血

最近の青雲会病院では土日の緊急内視鏡は行わないという方針だ。これは御多分に漏れずスタッフ不足の影響である。ムッちゃんNsやシホねえNs、佳及Nsがいたころは吐血下血患者の緊急内視鏡をちょくちょくやっていた。で、今日は私と内視鏡室関係の看護師が花ゆりNs、五月鍋Nsと二人いた。時間も終業時間までまだ1時間以上ある。おまけにもう一人の外来内科系Dr勤務がタクミDrだった。私が外来をしなくてもどうにかこなせる。そこで「よし、緊急内視鏡をやる」となったのだ。

結果は予想通りマロリーワイス症候群で、食道と噴門の境界部に大きく2ヶ所に粘膜裂創があり現にじわじわと出血していた。まさにChatGPTが解説しているとおりで、治療も「出血が止まらない場合」に相当し、そこをクリップを何個も掛けて縫縮し止血した。程度が軽ければそのまま帰宅させることもあるが、この患者さんには「数日は入院しましょう。絶食点滴で過ごした方が安全です」と説明した。せっかく掛けたクリップが食事摂取で外れたらまた出血してしまうかも。

マロリーワイス症候群の治療の流れ:
安静・絶食(まずは胃腸を休ませる)
輸液・補液(出血による循環維持のため)
内視鏡的止血(必要に応じて)
PPI(プロトンポンプ阻害薬)投与(胃酸による再損傷予防)

私は事前にAIなど参考にしていない。日記を書く際にChatGPTは何て言っているのだろうと試しに聞いてみただけだが、「治療の流れ」などまさにそのとおりに事は運んだのであった。現在は2日後にあたり、再度内視鏡で確認し、しっかり血は止まっており、食事を開始しさせ近々退院予定である。画像をデジカメに撮っておけばよかった。そこは残念。代わりに似たような画像をネットから補充しておきましょう。

2025年5月23日金曜日

「薩摩義士慰霊祭」よりも後ろの風景が気になった

MBC(南日本放送)の今日の「あの日のふるさと」コーナーは「薩摩義士慰霊祭」だった。

薩摩藩は江戸中期に幕府に命じられて濃尾平野の木曽三川の治水工事を請け負うことになり、家老の平田靱負(ひらたゆきえ)が総奉行として難事業の治水工事にあたった。1年3か月にわたり工事は完了し、地域住民が「薩摩様には足を向けて寝られない」と感謝するほどの実績を上げたが、完了までに約1000人を要し、そのうち病死や自害などで80人余死亡、工費40万両を要した責任を一身に負い平田は自刃したとされる(宝暦治水事件)。

工事にあたった藩士らは今では「薩摩義士」として慰霊祭が行われ、平田の屋敷のあったところは平田公園となり平田靱負の銅像が鎮座している。平田靱負の命日の5月25日に平田公園で例年慰霊祭があり、TVではまず1990年の慰霊祭の様子が出ていた。当時の赤崎市長が弔辞を読み、岐阜県側からも150人が参列するなどの様子が出ていたが、それはまあ私が知る城山の麓の平田公園の光景で特に違和感は感じなかった。
しかし次に白黒フィルムで流れた1960年の慰霊祭には驚いた。いや、慰霊祭そのものではない。平田靱負の銅像は全く変わらないけれど周囲の様子や風景がまるで違っていたからだ。1960年といえば昭和35年。私は生まれてまだ1歳にもなっていない。
平田公園は天文館のすぐ近くで鹿児島市内では中心地と言ってもいい場所なのに周囲の建物が平屋かせいぜい2階建てでしかも木造だ。現代の衛星写真を示そう↓。鉄筋のビルだらけじゃないか。ただ平田公園だけが昔と同じ場所で同じたたずまいを見せている。
より市内側の住居の様子が背景として写っている。
おいおい、言葉は悪いが、背後の家は掘っ立て小屋と間違うくらいじゃないか。わずか60数年前の鹿児島市内の家はだいたいこんなものだったのか。私が鹿児島市内は天文館周辺に引っ越したのが1966年で、確かに木造の家がまだ多かった。しかしそれから10年経った頃の天文館周辺は上の写真にあるような家はどんどんなくなって行き、平成に入った1990年ごろは今と変わらないような眺めになっていた。

慰霊祭では剣の演舞や相撲大会も開かれるなどの様子が出ていた。
後ろの「北海道木材」の会社もよく見れば店構えだけコンクリート風だが後ろは木造家屋ってすぐに分かる。昔はそんな構えの店が多かった。半世紀も立てば町並みはガラリと変わるってTV画面を見てしみじみ感じさせられた。変わらないのは桜島と平田公園だけ。町並みってそれを保存するのってすごく大変なことだ。だから江戸風が残る埼玉の川越や秋田の角館の武家屋敷通り、昭和の町並みが残っていることで大分県豊後高田市などは人気なのだ。

「あの日のふるさと」を見ていて、もしタイムマシンがあったなら、1960年の鹿児島市内の町を歩いてみたいと思ったわ〜。

2025年5月22日木曜日

這えば立て、立てば歩めの・・

 この間ココちゃんと会ったばかりだが、今日「みてね」にマーヤさんから動画が投稿されていて思わず見入ってしまった。生まれて1年経過してつかまり立ちはできていたがまだ歩けてはいなかったところ、ほんの数歩だが歩けたー!ってことなんだ。

まさしく「這えば立て、立てば歩めの親心」だねえ。おっと自分らの子の時はどうだったのだろう。男児3人、初めて歩いた時の記憶があんまりない。長男のテルが4、5ヶ月で初めて寝返りをうつシーンは8ミリビデオで撮っていたのを思い出すが・・。次男のセージが立つも歩くも早くて1年も立たずにどんどん歩いていたのは分かっているが「初めて」のシーンは思い出せないんだ。

今はスマホやデジカメなどで簡単に撮影でき、しかもすぐに保存、転送できて何度も見直せ、それが記憶にも残りやすくなっている。千葉と鹿児島とかなり遠方なのに私らはココちゃんが少しずつ成長してシーンをほぼ毎日のように見続けられている。いや、嬉しきこと哉!

2025年5月21日水曜日

手指消毒する時の歌って

昼休みの13時半から病院全体の勉強会があった。感染症委員会の感染管理認定看護師であるハマケイ君の「手指消毒の必要性」についての教育講演だった。

簡潔でなかなかよくまとまったスピーチだった。特にシャーレの培地にベッド回りやパソコンキーボードなどから採取付着させた画像がインパクト抜群だった。

これらを見せられるとちゃんと消毒しなきゃと思う。その消毒も流水の手洗いだとしっかり30秒は洗わないと拭き残しが生じるらしい。でも30秒って時計を見ながらというのはやりにくい。そこで「ハッピーバースデー」を2回歌うとちょうどそのくらいになりますってことだった。ううむ、ちと長いかなぁ。似たようなケースで心臓マッサージをするときのビージーズの「ステイン・アライブ」を思い出した。曲のリズムが心臓マッサージ(胸骨圧迫)の1分間に100~120回というテンポに合っているため、心肺蘇生法を実践する際にリズムとして役立つって言われているんだよ。
アルコール消毒は15秒くらいすべきだという。まあ、ともかくも病室で何か処置や触れたりすればそのたびにアルコールで消毒すべきと覚えておいて間違いはない。
これが終わった後、さっそく私は院長室に入る前、廊下のアルコール消毒用スプレー
手を消毒した。思い立ったら即行動、いい話を聞いたら即行動やで〜。