2024年4月25日木曜日

おつかれさまでした

この日も内視鏡の仕事は多かった。最後の仕事は大腸癌への金属ステントを留置するものだったが、少し特殊な物を使うため医療機器会社の会いたかさんが付き添ってくれた。その甲斐もあってうまく留置することが出来た。

終わって彼から「先生、ご存じでしたか。オダネストDrが今朝亡くなられたそうです」と聞いた。一瞬「え」と驚いたが「そうか・・」と返事した。オダネストDrは青雲会病院の近くで30年以上前から開業していて(平成4年の開業祝いには私も出席した)、今は長男が院長になり、ここ1年以上は紹介状のやり取りもその息子さんとばかりで先生の音沙汰が全くと言っていいほどなかった。具合が悪いのだろうと勝手に推測はしていたのだ。もう10年くらい前にもなろうか、動脈血管系の病気で緊急手術を受け、その後も同部位の追加手術を2回も受け、そのたびに「ちょいと手術を受けましてねぇ」と他人事のように話していた。さすがにそのあたりの負担が大きかったのでは・・と思った。

「明日には旧第二内科のメールが回ると思います」と会いたかさんが言っていたように翌日にはメールが来た。南日本新聞にも死亡広告が出ていた。通夜は土曜日、葬儀告別式は日曜にあるという。土曜は夕方まで病院の日直があるのでその後にお悔やみに行こう。オダネストDrには大学時代や青雲会病院勤務以降もずっとお世話になった。先生は車が好きでまたスピード狂でもあった。私は誘われても乗らなかったが、青雲の信号Drは一度助手席に乗って「死ぬかと思った、もう二度と乗らない」と振り返ったほどだ。ある食事会で先生は「その時の外車は相手にぶつかるよりは自損がマシと思ったんです。自分も少々怪我をしたんですが、降りて車を見たら何と平行四辺形になってたんですよ。はぁ~」なんてぼやいていた( ・_・;)。

一度自宅兼院長室を訪問したことがあって、部屋には巨大なスピーカーとアンプがあり低音を効かした音源を披露し悦に入っていたのも思い出す。私が「これは何の音ですか?」と尋ねると、ニヤリとして「ふっふっふ・・これ、恐竜に食べられる音です」だってー。凄い音と思ったが「それでも低音がねぇ・・」とご不満で「部屋も改造しないといい音が出ない」とオーディオにも情熱を燃やしていた。↓参照。

患者さんの紹介では面倒なケースはほとんどなくそこが不思議なくらいだった。きちんと診療され自分らでは出来ないが青雲会なら治療可能な患者さんを分かった上で紹介していたのだろう。いや思い出は尽きない。先生、本当におつかれさまでした。

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