2025年2月8日土曜日

全ては「ラストダンスは私に」から始まった

YouTubeを見ていたら、「みのミュージック」というチャンネルで「あなたが知ってるあの曲、実はカバー曲でした」というタイトルを前面に、有名な日本のヒット曲が元は外国曲だったとか、以前発表された日本人の楽曲だったなどいろいろと紹介していた。

その中で1990年代の少女アニメセーラームーンのテーマソング「ムーンライト伝説」(1992年)が、今は女優の中谷美紀が所属していたKEY WEST CLUBの「夢はマジョリカ・セニョリータ」という歌であると指摘していた。その曲をアレンジし直して大成功したのが「ムーンライト伝説」であると。ふーんと思ってはみたもののさほど興味は湧かなかった。がしかし、Wikipediaでこの曲を調べると俄然興味が湧いてきた。実は「ムーンライト伝説」は1965年の倍賞千恵子の「さよならはダンスの後に」のパクリだったのだ。

ムーンライト伝説を知らない人もいると思うので↓をどうぞ。
この曲の出だしが特に「さよならはダンスの後に」↓と酷似しているのだ。

「さよならはダンスの後に」を作曲した小川寛興は「ムーンライト伝説」が自作曲との酷似に気付き、日本音楽著作権協会(JASRAC)を仲介して交渉し、最終的に著作権使用料の一部を小川に分配することで和解したという。同楽曲のプロデュースに関わった長戸大幸は作曲段階から本楽曲を模して「ムーンライト伝説」を作っており、バレないだろうと考えていたが後に上記の問題が生じた事を証言している。そもそも作曲者名も「小諸鉄矢(こもろてつや)」と小室哲哉のパロディであるのは明白だ。本名は吉江一男で長戸大幸とよくいっしょに曲を作っていた作曲家&プロデューサーとのことだ。ただ、この「ムーンライト伝説」、1990年代を代表するアニメソングとしてよく挙がり、アニメ曲の人気投票でもたいてい上位に入るし、カバー曲としてレコーディングする歌手もかなり多い。その人気は日本だけでなく今や世界中に広がっていて、そもそも1週間ほど前、YouTubeチャンネルでフランスの30歳代40歳代の女性がこのアニメを見て育っていて、「日本に行ったらセーラームーンのコスプレをして『ムーンライト伝説』を歌って踊るのが夢」というのを見たばかりだった。

そもそもある楽曲が作られる過程において、それ以前の楽曲の影響を全く受けていないことってほとんどない。パクりとまでは言えなくても昔聴いた曲の良さを自分の曲にも活かしたいと思えばどうしてもどこかが似てしまうものだろう。

さて、私は元歌となった「さよならはダンスの後に」にもある曲の影響を感じてしまう。この歌はプロデューサーの長田暁ニによると、もともと曲が先に出来上がっていて作詞家の横井弘に頼んだところ「"哀愁が漂っているので、別れの唄にしてみよう"と、女性の話し言葉で、自分の気持ちを切々と訴えるこの詞を書き上げた」のだそう。女優でもある倍賞が情感込めて歌い上げ、第7回日本レコード大賞の作曲賞も受賞し150万枚も売り上げた大ヒット曲なのだが、曲ではなく詞やモチーフに1960年のアメリカでの大ヒット曲「ラストダンスは私に(Save the Last Dance for Me)」を私は連想してしまうのだ。日本ではこれを1961年にシャンソン風にカバーしヒットさせた越路吹雪の代表曲の一つとして知られている。作詞家は当然「ラストダンスは私に」を知っていただろうし、タイトルもそっくりでダンスと男女の恋心をテーマにしているのは全くいっしょである。

この「ラストダンスは私に(Save the Last Dance for Me)」だが、歌ったのはザ・ドリフターズというドゥーワップグループでリードボーカルはあのベン・E・キングだ。日本ではドリフターズというと志村けんやカトちゃんのドリフターズを思い浮かべるが本家本元はこちらである。ちなみにこの曲を大学時代にFMラジオで知り、愛聴していた私は鹿児島のMBCラジオの「好きな外国曲リクエスト」という番組で「ドリフターズの『ラストダンスは私に』」とリクエストすると、対応した女性アシスタントから「済みません、日本の曲じゃーないんですよ」とたしなめられのに逆上して「ドリフターズは日本のじゃなくてちゃんと外国のグループで曲も洋楽ですからー」と言い返したことがあった。まあ曲はかからなかったけどねー。そのせいでもないがこれまでラジオ局に電話リクエストしたのはこれたった1回のみである。

この曲は何度聴いても全く飽きが来ないし「素晴らしい曲だ、レコードも欲しい」と探すもすでに20数年前の洋楽レコードなどそう簡単には見つからなかった。医師になり1985年、すでにレコードに代わりCDが主流になりつつある頃、鹿児島天文館の十字屋でアメリカのシックスティーズの名盤ばかりを集めたシリーズ物のCDがあり、その中に「Save the Last Dance for Me」を見つけた時は嬉しかった。
喜びすぎてレジの女性店員に「この曲が入っていてホントに嬉しいんすよ」と言ったため、「何、この人?」と変な目で見られたのを思い出すわ〜。良い曲なのにどうも女性とは相性悪いんかな・・。名曲中の名曲「Save the Last Dance for Me(ラストダンスは私に)」をどうぞ。→https://www.youtube.com/watch?v=n-XQ26KePUQ&t=53s

私はアメリカンポップスはそれほど好きというわけではない。1964年にビートルズが「抱きしめたい(I Wanna Hold Your Hand)」をひっさげてアメリカでも一大ブームとなり、それ以降はイギリスのバンドの進出(ブリティッシュ・インヴェイジョン)や音楽もロックが中心となり、ドゥーワップや作詞作曲家コンビが曲を作りそれを歌の上手い歌手が歌うスタイルは廃れ、シンガーソングライターが当たり前になった。そんなビートルズを私は1974年から聴き始め、いまだに毎日のように聴き続けている完全なるビートルズオタクだ。その私が数あるビートルズソングの中で一番好きな曲はあまりにもベタではあるが「ヘイジュード」(1968年)。このことはこてる日記でも何度も取り上げている。読んでみたい人は、今日の日記も含めて→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/search?q=ヘイジュードをどうぞ。

で、なんでこの流れで「ヘイジュード」を取り上げたのかというと・・そう、実は「ヘイジュード」は「ラストダンスは私に」という曲があってこそ出来上がった曲なのだ。作者のポール・マッカートニーは「ラストダンス・・」を聴きながら作曲したと言われている。その証拠にこの2曲のコード進行はほぼ同じなのである。「ヘイジュード」は「ラストダンス・・」とはメロディは違うし作詞もジョン・レノンの息子ジュリアン・レノンを励ますために作られたというエピソードはあまりにも有名で、「ラストダンスは私に」とはテーマが違うためパクリ疑惑すら出ず、ビートルズきっての名曲かつ最大のヒット曲としてよく知られるところである。しかしコード進行がいっしょということで日本の大瀧詠一がプロデュースしキングトーンズというドゥーワップグループに歌わせマッシュアップした「ラストダンスはヘイジュード」(1981年)という面白い曲がある。だいぶ経ってからこのことを知り、自分の大好きな曲が実はとても似通ったものだったのだと知ったのだ。→https://www.youtube.com/watch?v=CwiPJZGZnPU
名曲をそのままパクらずいわゆる換骨奪胎(かんこつだったい)してさらにまた良い曲が出来上がり連綿とつながっていく。今日私が話題にした曲は「ラストダンスは私に(Save the Last Dance for Me)」であるが、調べればこの曲もきっと何らかの曲から影響を受けているはずである。

しかし、とりあえずの本日の結論は・・全ては「ラストダンスは私に」から始まった、だ。フフフ。

0 件のコメント:

コメントを投稿