2025年9月10日水曜日

患者を救え

水曜日は外来&救急担当日、そんなに忙しくない日もあるのだけれど、今日はそうじゃない日ていうかよくある水曜日だった。

前日当直の脳外科Drが救急入院させた内科系患者2人を私とダヒロDrとで1人ずつ受け持った。どちらも肝胆膵系の疾患で重症だ。ダヒロDrも外来担当で、私はさらに午後は定期の会議2つがあり、午後にはめまい症の救急患者が来た。他に近医からの内科紹介患者もいてどうにか夕方17時ごろに一段落したかと思いきや、内視鏡室から「こてる先生、レントゲン室に来てERCP手技を交代してくれませんか」との依頼が来た。「はあ?」と思ったね。

担当していたのは今日の内視鏡担当ではないダヒロDrだった。今朝受け持った患者さんが総胆管結石で急性の胆管炎を起こしていて今日中に処置が必要だ。非常勤の内視鏡担当Drらはもう帰ったか帰る頃でダヒロDrが内視鏡を握っていたのだが、胆嚢は切除済みでしかも胃や十二指腸の位置が通常とは違っていて1時間近くチャレンジするも十二指腸乳頭にすらアプローチ出来ていないという。

検査着に着替えることなく放射線防護のエプロンを掛け、私が代わりに内視鏡を握った。やってみるとやはり挿入と観察が困難だった。しかし私は簡単に諦める方ではない。30分さらに1時間近く経とうとする頃、どうにか十二指腸乳頭までたどり着いたが、内視鏡の位置からして総胆管内にカニューレを挿入出来そうになかった。私が四苦八苦している時、ダヒロDrは患者家族に病状説明をし次の手を打っていた。

とうとう私も諦めた。検査開始から2時間以上を経過し患者もスタッフもへろへろだ。その間、ダヒロDrは家族に説明をし外科に急遽対応を依頼していた。なんと、今夜開腹手術で総胆管結石を排石することになりそうという。本来なら手術は明日あたりが妥当だが、明日も2件手術が入っているそうで、それ以降は胆管炎が悪化する恐れもあり、大変だが今夜決行となったようだ。いや、内科もそこそこ大変だけど外科の先生方には頭が下がります。

翌朝、結果をみると、手術はうまく行き、立派な総胆管胆石が何個も摘出され、感染源である膿汁も出てきた。Tチューブという胆汁排出用の管がしばらく腹部に残りまだしばらくは入院は必要になりそう。それでも各科Drやスタッフの協力のおかげでおそらくは無事に済ませられると胸をなで下ろしたことだった。ふう・・。

2025年9月9日火曜日

物ではなくて

夕方、外来のベテラン看護師ブルゾンさんから院内電話あり、「今から院長室に来ていいですか」という。OKすると、何かしら袋を持って来た。「それは?」「外来患者のスキルフルさんが先生にこれをって。ハガツオですよ」と聞き、「ああ」と思った。

このスキルフルさん、かなり年配の男性患者で、以前からお魚系のレトルトやパックものなどを「先生、食べてください」と持って来ていた。それはまあ有り難いのではあるが、受け取っても食べきれないか、毎日お魚ばかりが料理に並ぶことにもなり、多くを外来看護師らに譲ったりしていた。つい、1週間ほど前もレトルト系をたくさん持って来られてほとんどを他の職員に譲ったばかりなのに・・。まあ何かしら頼みたいことがあったようだが、その時間帯は外来担当ではなかったので丁重にお断りした。で、ハガツオも生だし、氷もいっぱいビニール袋に入っていて持ち帰る気力をなくした。これまた「みんなに分けて」とブルゾンさんにお願いした。いやはや。

帰宅してカールにこの経緯を話すと、「あら、ハガツオ、良かったのに」と言ったが「いや、同じ魚が5パックもあったんだ。最初は良くても絶対に『食べるのが大変』ってなる」と私は断言した。以前のレトルトでも「捨てるわけにもいかないしー」と食べきるのに苦労すらしたからだ。

どうもねぇ、こうしたおくりものはやはり今後はお断りしないとな。ていうか断っていたんだが、置いて行かれたりしてそれこそ捨てるわけにもいかず今日みたくなってしまっていた。「先生のおかげで」とか「いつも診ていただきありがとうございます」の言葉だけでも医療関係者は嬉しいものなんだ。物ではなくて言葉で。これをよろしくー。

2025年9月8日月曜日

大谷中毒

日本時間の月曜のメジャーリーグの試合は現地時間で日曜昼間にゲームが行われる。西海岸ならば午前5時過ぎ開始が多い。しかし今日のドジャース対オリオールズ戦は東海岸のボルチモアであり、午前2時半開始予定だった。この時刻、起きたまま見るにしても寝てから見るにしてもどうにも中途半端だ。パーソナルチェアで寝たり起きたりを繰り返しながら、午前4時ごろにどうにか起き出し、ビデオ再生をし観戦を始めた。

すると早送りして止めたところが、大谷が相手の菅野から初っぱなにホームランをかっ飛ばした場面だった。おお、今日はイイ感じだ。やっぱりホームランは野球の華だ、気分上昇し気が晴れる。さらに第2打席でも大谷はホームランをかっ飛ばした。センターバックスクリーンの少しライト側のぎりぎりの場所だった。実はその付近にあのミニタニさんがカメラ構えていたんだ。ミニタニさんは芸名アキ・テリヤキといい、全試合ドジャースの試合を観戦し、大谷のホームランがあればそれを自身のYouTube(TERIYAKI TIMES(テリヤキタイムズ)→https://www.youtube.com/feed/subscriptions/UCgTScpqNaT_oQDSqMwZOFIA」で情報発信している。「打ったぞー!オオタニ、今季第47号だぁー」といった掛け声で始まり、ホームランボールを取った人にインタビューをし、後半は球場から帰るドジャースファンらにゲームの感想を聞き、子どもらには「大谷みたいになりたいかぁ」「大谷のようにスイングしてみよー」と煽ってそれを動画に収め、公開している。

試合は大谷やベッツのホームランなどで5ー2で勝利した。いや、大谷がホームラン打ってドジャースが勝つというのが一番精神衛生上いいんだ。昨日の落ち込みがこれで8割くらいは回復したわ〜。夜にもう一度ホームランシーンを見直すと、ミニタニさんが右手にカメラ構えてホームラン落下地点方向を見ているシーンも分かった。

↓NHKBSの画像より。ピンクがミニタニさん。
↓ミニタニ動画より。
↓恒例の「打ったぞー!」

いや〜、結果は知っているけれどこういったYouTubeを見直すことでまた満足する。これを野球シーズンは繰り返している。全国で私みたいな大谷中毒のような人が何百人、何千人、いや何万人もいるのではないかと思っている。それくらいの影響力を彼は今持っているのだ。

2025年9月7日日曜日

こんなに落ち込んだ野球の試合はなかった

沖縄最終日の今日午前はメジャーリーグ中継を見ていた。ドジャース対オリオールズの第2戦だ。ここまでドジャースは4連敗、今日の先発はいつも連敗ストッパー役が回ってくる山本由伸だった。試合は山本が絶好調で四球が2つあるだけで相手打線に1本のヒットも許さず、ドジャースは1点ずつ加点し3ー0で終盤に入っていた。普段なら6回7回あたりで投手交代となるのだが、山本がノーヒットピッチングを続けているので8回も投げていた。ドジャースのメンバーは誰も山本に声を掛けない。これはノーヒット状態に時にはよくある光景だ。ベンチもヒット1本打たれるまでは続投させるという意思がはっきりと出ていた。

そしてついに9回の裏に入った。ヒットを打たれず後3人をアウトに取ればノーヒットノーラン達成だ。メジャーリーグでは野茂が2回、岩隈久志が1回やり遂げている。山本は日本プロ野球では2回すでに達成しているがメジャーでは無論初めてのことだ。

すぐに2人をアウトにし、最後のバッターは1番の若手ジャクソン・ホリデーだった。こいつと3番のガナー・ヘンダーソンの2人がやっかいだなと私は睨んでいた。しかしそれでも今日の山本なら相当の確率でノーヒッターを達成出来ると思った。そこで私はデジカメで写真と動画を撮り始めていた。↓「あと一人!」とTV画面を指さす私。

カウントは2ボール1ストライクだった。私はスプリットを投げて欲しいと思っていた。今日の山本のスプリットは右外にそして下にすごく落ちて狙って打ってもとても当たりそうには見えなかった。カウントがやや悪いのが気になっていてストライクボールは投げずにボールになるスプリットを投げればたとえフォアボールでも記録は途切れない。しかし山本の投げた球はやや内角のほぼ真ん中に来た。あちゃー!しっかりボールを捉えられたぁ〜。その瞬間は動画に残っている↓。
ボールがスタンドに入る前に、私は「ホームランだぁ〜」と声を上げていた。がっくり・・。しかし、それよりもこの後山本は降板するだろうが、ちゃんとアウトを取って3対1でドジャースが勝利して欲しかったのだ。解説の小早川さんも「まだアウトは26個しか取っていません。27個取るまでは試合は終わりません」と言っていたが、なのにドジャースベンチは試合は終わっていないのになぜか山本への祝福モードって雰囲気だった。あとでこの日は解説ではなかった武田一浩が自身のYouTubeで「あれ、山本は打たれたけど、ここでリリーフには交代させない方がいい。まだ気力は残っているし、代わったら(リリーフは)打たれるよ」と言っていた。私も一抹の不安を持って見ていたが、その不安が本当になってしまった。トライネンがヒット打たれた後、制球が定まらずデッドボールフォアボールと満塁にしてしまったのだ。そしてここでピッチャー交代をベンチはミスった。次打者は左バッターだったので左のスコットに代えるタイミングだったのにそのまま動揺しているトライネンを続投させたのだ。結果はまたしてもフォアボールで押し出しとなり3ー2になった。

さすがにここで交代させ、スコットが登場したが、もうダメ。彼は昨日もそれほど悪い球ではなかったのにサヨナラホームランを浴び1ー2で負けていて、一言で言えば今はツキがない選手なんだ。それがこんな酷な状況を任させると実力以下のパフォーマンスしか出せないもの。低めの明らかなボール球を痛打されランナー2者が帰り3ー4で逆転サヨナラ負けを喫したのだ。はあ・・がっくり。本当にがっくり。ノーヒットノーラン逃したことよりも負けたことに呆れ、どっと疲れたのだ。

敢えて言えばホームランキャッチをやろうとしなかったライトのパヘスは悪くなく(あれは取れなかった)、2ボールにした時点で内角のカットボールを選択した山本に責任がある。いつもの攻め方をしてしまったのだ。ここはさっきも書いたようにノーヒットをさせない投球をすべきで外角低めへとあと2つフォアボールを出してもいいやくらいのスプリット中心の投げ方をすれば良かった。昨日のスコットも2ストライク取っていたのにホームランになる可能性のある内角に投げて延長へのチャンスを逃したわけで、山本の投げたのは昨日と全く同じコースだったのよ。その後のリリーフのトライネンは山本のナイスピッチングを無駄に出来ないという意識が強すぎて硬さが前面に出てしまった。結果チームが勝てばええんやという開き直りが出来ていなかった。まあ後からならいくらでも言えるが・・。

しっかし、こんな天国から地獄への暗転ってある?いや、滅多にあるものではない。少し後にどこかのAIかなにがはじき出したデータでは99.6%の確率で勝利するはずだったという。100に1つもないことが起きたのよ。午後は何もする気が起きずふて寝していた。U18の試合が琉球朝日放送であったがビデオでちょこっと結果を見ただけ。夜は21時ごろ飛行機で帰鹿し駐車場で阪神の優勝シーンを見たがどこかよそ事で「ふーん」って感じ。私らが子どもの頃、巨人が負けると機嫌が悪くなるオヤジがよくいたそうだが、その気持ちがよく分かるわ。

この塞ぎ込みが多少なりとも改善するには、仮眠を取って午前2時半から始まる第3戦のビデオを2時間遅れで見始めた明け方まで待たねばならなかったのである。

2025年9月6日土曜日

旧盆よりも野球

旧盆最終日、カーシェアでカールは車を借り、4年前に亡くなったサダオ叔父さんへの供え物を買ってヨーコバーバの家に寄った。仏壇にお供えして祈りを捧げてから、今度は旧実家に寄ってみることにした。
古かった木造家屋は完全に取り壊され更地になっていた。実は従弟の木いちご君が新築を予定しているんだ。オーバーバーは20年以上前に亡くなり、ギボヒサコも去年他界し、キシュン叔父さんから長男の木いちご君へと変遷していたのだった。その後、ギボヒサコが納骨されている識名霊園に向かった。お墓参りということなのだが、なんと今日はメインテナンスでお休みだった。旧盆の最終日なのになんで?と一瞬思ったが、実はだからこそ休みになっていたんだ。カールによると「沖縄の旧盆では先祖の霊はお墓ではなく家に帰ってきているとされているの。お墓には行かないんで今日をメインテナンスの日にしたんだわ」とのことだ。なるほど〜。

ちょっと予定が早まってお昼にしようとなり、私が「沖縄そばがいいかな」とリクエストすると、カールはナビで与那原町の「沖縄そば与那原家」というところに設定し向かった。午前11時からということで11時過ぎに着いたのだが、なんと旧盆でここもお休みだった。「もしかしたらそうかもと思った」とカール。そこで「旧盆でも絶対に休みにならないところにするわ」とピザのシェーキーズへと向かった。なるほど外資系なら休みにはしまいて。私はこの店は初めてで最初に1600円ほど払ってあとは食べ放題飲み放題システムだった。ピザがメインだがパスタにカレーもあった。で、予想されることではあるがこのシステム、食べ過ぎてしまうのよねぇ。
近くの席に青い服のゆったりとしたのを着ている外人男性がいたが、おっきな丸太ん棒のような体型をしていた。チラ見するとよく食べること。3人前はしっかり摂っていた気がする。彼にとってはこの店は安上がりで満腹できる最高のシステムだったろうね。

真っ昼間は私は昼寝してその間カールはサダオ叔父さん宅で供え物を下げ、実家ではギボヒサコへのお祈りもしっかりとやっていた。で、夕方からモノレールで壺川駅まで行き、セルラースタジアムにU18の野球ワールドカップの日本対韓国戦を見に行った。事前に予約しすでにチケットも取っていたのだ。

18時半からゲーム開始で、日本の先発は沖縄尚学の末吉投手だった。地元ファンらの大声援を受けてだったけれど、若干球が荒れていてヒットも打たれ2回に2点を取られ1対2と逆転されてしまった。しかしそこをダブルプレーで1点差で我慢するとその裏日本が同点からまた逆転した。相手ピッチャーは長身で150km以上を投げていたが日本選手もよく打ち返し、結局降板させた。末吉君もその後は要所を抑え4回でリリーフの健大高崎石垣元気投手に交代となった。その石垣君、代わりっぱなは末吉君以上に球が荒れデッドボールも出していた。しかし球速はある。150km以上の速球に加えカーブもよく切れてその次の回からは韓国選手は全くバットが当たらなかった。今夏の甲子園では活躍出来なかったが、さすが事前の下馬評では横浜とならんで優勝候補筆頭に挙げられていたのも納得した。↓上、末吉、下、石垣。

私たちはバックネット裏のいい席にいたが、ちょうど真後ろに韓国を応援しているおばさんがいた。周囲は日本を応援する客ばかりというのに、打席に立った韓国人選手の名前をリズム取って声援をしていた。「キム〇〇、安打(アンタ)せよ!」とか。勇気あるなぁ。私なんか甲子園でかつてソフトバンク対阪神の日本シリーズでソフトバンクを応援したくても阪神ファンばかりの中じっとおとなしくしていたのにさー(2014年10月25日「日本シリーズin甲子園」参照→http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2014/10/in.html)。でも4回か5回ごろにいなくなった。やっぱり応援しづらかったからなぁ。韓国側ベンチのある一塁側内野に移動したのかも(笑)。またカールの隣の中年のオジさんは何度も指笛を鳴らそうとするのだけれど「スー、スーって音漏ればっかしで、笑いをこらえなくてはならなかった」そうな。↓写真のピンク〇の人。
あと、日本の攻撃時にかわいらしい女の子たちがステージ衣装を着て応援の音頭取ったり、グラウンド整備の間はチアダンスを披露したりしていた。↓カメラやビデオ撮影していたのは身内の親や祖父母だったみたい。
試合は7回まででうーん野球は9回までとは思うが、7回まででも2時間は掛かっていたし、こうした大きな大会では実力を見るには7回にしないとスムーズに行かないのもよく分かった。結局4対2で韓国に勝利し予選ラウンド2連勝となった。上位3チームまでが次のラウンドに進出でまずは日本の進出は固い。あとはもう一方の台湾やアメリカがいるチームにどのくらいやれるかだ。このU18は前回2023年に日本はようやく優勝出来た。それまではアメリカが圧倒的に優勝回数は多い。今野球熱が高まっている沖縄でぜひ優勝目指して頑張って欲しい。

そうそう、今夜の観客数は5千人を超えていた。昨日の対イタリアよりは土曜ということもあってか多かったらしい。しかーしだ。驚いたのは一昨日の日本代表チームの壮行試合で、なんと1万8千人を越える観客が押し寄せ、外野席も開放するなどしほぼ満員だったそうだ。本試合でもない単なる練習試合になんで?実は日本代表の相手が沖縄選抜の高校生チームだったのだ。そしてその投げるピッチャーがU18が末吉良丞、県選抜は新垣有絃で、夏の甲子園を制覇した沖縄尚学の2枚看板が投げ合う夢の対決となったのだ。これは夏の甲子園優勝の余韻がまだ残る沖縄のファンにはたまらない。投手末吉に対し沖縄尚学のチームメートである眞喜志拓斗、比嘉大登、宜野座恵夢ら甲子園優勝メンバー同士の対決もあり、球場を大いに盛り上げたんだとか。↓本試合よりもすごかった、その様子。
試合は結局代表チームが沖縄選抜に4―3で勝った。これが逆の結果だったら「沖縄代表を本試合に出せー」って声がしきりだったろーね(笑)。

いや〜、朝はBSでドジャース、昼はほとんど寝ていたがNHKでソフトバンクの試合を見て、夜は高校野球の生観戦と、沖縄は旧盆よりも野球観戦がメインだったのかとカールと笑ってしまうほどだったよ〜。

2025年9月5日金曜日

沖縄旧盆の中日に着く

今日は午後から半日有休をもらって夕方沖縄へ向かった。沖縄は昨日から旧暦での旧盆3日間があり、昨年亡くなったギボヒサコをお迎え(ウンケー)、お送り(ウークイ)するためで、カールはすでに月曜には沖縄に行っていた。旧暦の旧盆は毎年日時が異なり、今年は9月4日から6日までだが、例えば昨年などは8月16日から18日までと結構揺れ幅がある。

最近の鹿児島空港は駐車場の空きが少ないケースがままあるので、余裕をもって出航の17時40分より前の17時ちょうどには着いた。幸い、駐車場は空きがあって、それは予定通りだったが「出航が18時30分に遅れます」とのアナウンスがあり、結果的にもう少しゆっくり出来たわけだが、これは仕方ない。なぜに飛行機が遅れたのかといえば台風15号のせいだった。東海、関東地方に大雨と突風竜巻を起こし鹿児島へ向かう羽田発の便が遅れたのだそうだ。

出発時にはまだ少し明るかったが徐々に暗くなっていき、眼下には志布志湾上空から南西諸島にかけての夕焼けと海から湧き上がる雲の様子見られてなかなか良かった。

那覇空港には20時少し前に着き、急いでモノレールに乗り込んだ。カールにLINEをすると、「奥武山(おうのやま)公園駅から沖縄セルラースタジアムが見えるよ、Uー18高校野球ワールドカップの試合で日本対イタリアをやっているはず」と返信だった。そうか、実は明日の18時半からこの日本対韓国戦を観戦する予定なんだ。窓から写真を撮ってみた。少しは客も入っているようだ。
20時半には沖縄の実家に着き、先にシャワーを浴びた。沖縄は関東の都会より暑くないという意見もあるがそんなことはなく夜でも蒸し暑い。食事してギボヒサコの簡易仏壇にお祈りしてTVなど付けると、今日金曜日が那覇市では学校が休みだったとニュースに出ていた。

旧盆が9月にあると盆の最終日(ウークイ)は1日学校を休みにしているようで今年は今日の中日(ナカビ、ナカヌヒー)を休みにしたという。沖縄では沖縄戦の終わったとされる6月23日も休みでこのあたりローカル色がよく出ている。

さて、2泊3日だけの滞在なので着替えもほとんど持って来ずに済ませていた。それにパナソニックのシェーバー洗浄器も沖縄に置いてあるので良かったなと思っていたら、肝心のシェーバーを忘れていたことに気がついた。さすがに明日以降はひげそりがないと困る、ということで近くのセブンイレブンに買いに行った。しかし、なかった。それで美栄橋を渡って川沿いのファミリーマートに行くと今度はあった。しかも1980円、2000円とちょっと高めのがあって躊躇していると、すぐ近くに198円のがあったよ。当然それにした。
沖縄では219年のセブン進出後、人口当たりのコンビニ店舗数が急激に増加し、2019年の全国45位から2025年には全国3位と大幅に上昇したんだそうだ。全国的なコンビニ市場が頭打ちとなる中、沖縄では市場自体が拡大を続けており、各社は店舗数の増加や新商品・サービスの提供でシェア獲得を目指していて、ファミリーマートは沖縄独自の商品をよく手がけていて売り上げもトップクラスらしい。カールが「実家の周囲にあっちこっちできている」と言っていたがまさしくで、私が購入したファミマの50m先にはセブンがその対面道路にはまたファミマがあって見通せる通りに4軒もあるんだ。まあ、それでも今夜は本当にコンビニがあって助かったぁ〜、だった。

2025年9月4日木曜日

右か左か、渋滞を避けろ

朝、出勤直前にサブアラドDrから電話が来た。彼は高速道路を走っていて鹿児島市から霧島市にある病院に向かっているところだった。「高速道路の北インター前の坂で交通事故があったばかりで軽自動車がひっくり返っていて渋滞が始まっているぞー」だって。おお、それは貴重な情報だ。高速で渋滞に巻き込まれると遅刻してしまう可能性がある。しかし、県道25号の鹿児島蒲生線を通ると病院に着くのは早くて30分、始業時間の8時半に間に合うかどうかだ。家の駐車場から右に向かうと高速道路コース、左に行けば一般道から吉田インターに入って残りは高速を使うコースだ。いつものように高速オンリーコースで最初の渋滞さえ乗り切れれば渋滞があっても早いかも・・と思ったが、せっかくのサブアラド情報を活かすには後者かなと思って、一般道+高速の左を選んだ。

結論から言おう。いつものように右の高速コースを選んだほうがおそらく早く着いた。始業時間にはきっと間に合っていただろう。私がまずそう思ったのは県道と高速が交わる場所、高速を下に見る橋から吉田姶良にむかう車の流れがいつもとほとんど変わらなかったからだ。↓図の下方赤色楕円の部位。

そして吉田インターに向かい近づいた時に(↑図ピンク色円の部位)判断ミスを確信した。三叉路の信号待ちで結構な渋滞にハマったのだ↓。
この渋滞がなければぎりぎり間に合っていたとは思うが・・。病院に連絡し「交通事故の渋滞で10分は遅れるだろう」と伝え、実際その通りになった。

後で、サブアラドDrから詳しい情報を聞くと、「軽自動車が道路に真ん中付近にあったのを当事者や周りの車から降りた人たちが4、5人道路の端に車を寄せて、それから車の通行がスムーズになった」そうで、まだ警察は来ていなかったのだとか。確かに事故担当車両らしき車が鹿児島からではなく姶良方面から向かっているのを2台は見た。警察が交通整理し始めると渋滞がさらにひどくなるが、あの時私が右に向かっていればまだそのタイミングを避けられ遅刻せずに済んだだろう。

いや、サブアラドDrのありがた迷惑なアドバイスがなければ・・いや、それはやはり言うまい。右か左か、あの時の瞬時の判断を誤ったのはやはり自分のせいなのだ。次回、同じようなケースがあったればそれを活かすことにしよう。うん。

2025年9月3日水曜日

伊藤看寿、神品の3局

今日は外来&救急担当日であったが、特に日記ネタはなかった。まあそんな日もある。ネタといえば、最近はネコがらみが多い。8月だけで9日も登場している。ちょっとネタがないなって時にネコは取り上げやすいんだ。従妹のヒトミンチョなんか完全にネコブログで毎日よくネコだけで書けるなというくらいそれは徹底されている(→にゃんこ☆最大幸福数)。まあ話のマクラとしての今日のゲンちゃん&ハナビの様子は↓だ。

引き出し台は最近のハナビのお気に入りで邪魔されにくいし、上から見下ろせるしでキャラに合っている。ゲンちゃんが何やつって感じで見ているネ。その後、互いに緊張は取れて、べた〜となっていた↓。
いや、実は今日はYouTubeで見た詰将棋の作品を紹介しようと思う。私、将棋はいっさい指さないし、詰将棋もルールを知っているくらいでほとんどやらないのだが、YouTubeで解説してくれているサイトはたまに見たりする。パズルみたい(実際パズルといってもいい)で面白いんだよな。囲碁好きな私は碁の対局紹介はよくYouTubeで見るが、詰将棋と違って詰碁はあまり見ない。今一好きになれず、それが私が碁の棋力が上がらない理由なのかも。

詰将棋はよりパズル性と一種芸術性もあってすごいなと思っている。今日は江戸時代の有名な将棋指しの伊藤看寿の作品を見てそれを話題にしようと思う。伊藤看寿は兄の名人伊藤宗看とならび幕府に献呈する詰将棋問題集100選を著したことで有名だ。米長邦雄元将棋名人は自著で「将棋のプロになるには宗看と看寿の詰将棋本「将棋無双」と「将棋図巧」200題を絶対に答えを見ずに解き切る訓練をすればよい」と勧めていたほどだ。だから新聞や雑誌に載っている7手詰め問題なんかとはレベルが違い、まず第1問からして69手詰めなのである。これを米長邦雄少年(中学1年だった)は毎日毎日6時間ほども考え続け1週間でどうにか解き切ったという。かように「脳が汗をかく」ほどの訓練がプロの将棋指しには必要なのだと。

伊藤看寿は名人になれるはずであったが40代で夭折し後に贈名人となった。しかし彼の作った詰将棋作品集「将棋図巧(1755年)」はすごい。名作だらけなのだが、100題のうち最後の3題は特に有名でかつ奇跡的な作品として知られている。何がどうすごいか言葉に出来るほどなのだ。3題ともすごすぎて、それらと同じような作品が作られるまで実に200年近くを要したほどである。神品と評される3作品を披露してみよう。

その一つ目、98番は「裸玉(はだかぎょく)」と言われている(31手詰め)。相手(詰まされる側)の駒がたった玉1枚しかないのだ。詰み手側は「飛車、金2枚、銀」の4枚が駒台にある↓。ビジュアルがすごい。

こんな問題ってある?いや看寿が献呈するまでなかった。そして驚くべきはこれと同様の「裸玉」の2番目の作品は1942年(昭和17年)まで待たねばならなかったのだ。

二つ目。99番は「煙詰(けむりづめ)」だ。煙詰ってどういう意味?これは最初は盤上に自陣玉を除くすべての駒39枚が配置されているが、どんどん詰ましに行くと盤上から駒が取って取られて行き、最後は相手玉と摘み手側の2枚しか残らず、王手なので相手玉がその駒を取ると自分の駒1枚が残るだけ、まるで煙のように駒が消えていくという詰め物なんだ。↓が出題時点。

そして詰め上がり図が↓のようになる。王手されている玉は馬を取るしかないが、と金に取られてしまい盤上にはと金1枚のみ残るという117手詰め・・すごすぎる。
この煙詰にいろいろな詰将棋作者らが挑戦したが簡単にはできず、2作目は1954年(昭和29年)で199年後であった。

そして「将棋図巧」の最後を飾る100番が「寿」という作品だ。上が出題図で、下が詰め上がり図だ。

これは何がすごいのか。実は詰ますまでに何と611手(!)もかかるのだ。なんじゃそら。詰将棋作家としても著名な會場健大さんによると、詰将棋というのは何手まで長くすることができるのか、というのも重要な問題意識のひとつだったそうで、それ以前の長手数記録は「将棋無双」75番の225手だった。それを一気に倍以上更新したのがこの「寿」で、持駒変換という新奇な構想を取り入れたことで手数が飛躍的に伸びたのだという。私にはその意味はよく分からないけれど600手を越えて王手し続けてようやく詰みに至るように作っていくというのはどんな頭脳をしているんだ?「寿」の長手数が更新されたのはちょうど200年後の1955年。時代が看寿に追いつくまでに2世紀もの時間を要したのだった。すごすぎないか。

そして先の米長邦雄の発言「宗看の『将棋無双』と看寿の『将棋図巧』を自力で解き切る訓練をすればプロ棋士になれる」を受けて、羽生善治少年は途中中断をはさみながら6、7年で解き切ったという。さらにすごいのが現代の藤井聡太だ。なんと小学4年で解き切ったという。彼は将棋を指すだけではなく、詰将棋もものすごい才能で、9歳の時に詰将棋専門誌「将棋世界」の「詰将棋サロン」という欄に作品を投稿した。9歳の子どもが専門誌に詰将棋作品を投稿してくること自体が異例だったが、その作品は採用されて掲載されただけでなく、年間優秀作品として元名人谷川浩司の名を冠した「谷川賞」を受賞している。さらに2015年小学6年の時に「詰将棋解答選手権」に参加し優勝してしまう。これは何がすごいって参加者はアマチュアではなくプロ棋士も含めての優勝なんだ。それからアマチュアの身で3年連続優勝も果たすのである。そして彼は14歳2ヶ月で史上最年少でプロになる。もう天才過ぎてなんて言っていいやら・・。

天才の系譜は時代を超えて受け継がれている。今回は、コンピューターも将棋ソフトもない江戸時代に天才伊藤看寿が新奇性、創造性の極み発揮して神品とも言える詰将棋作品を作り出したことに感銘を受け、この日記にも残して置きたかったのである。

2025年9月2日火曜日

65歳以上って・・

朝の医局会では薬品説明会があり、今週はファイザー社のコロナワクチンやコロナ治療薬の紹介とその説明だった。5年前の新型コロナのパンデミック以来、何度も流行が起き今は第何波なのか知りもしないし、知ろうとも思わないほどに当たり前の感染になった。面白いのは毎年夏に大きな流行があり10月ごろにかなり収まるがまた冬になると流行し出すというサイクルが続いていることだ。今の9月冒頭は大きな波の後半ってところか。

コロナで入院したり、重症化して不幸になくなる人ってどんなケースが多いのか。それを重症化リスク因子といって↓のスライドにも紹介されているように「65歳以上の高齢者」「喫煙」「肥満」「高血圧」「糖尿病」「喘息」「ワクチン未接種者」などが因子として出ていた。
しかしだよ、肥満で糖尿病で高血圧を持っている人は相当気を付けないといけないのかというと必ずしもそうではないのだ。上のリスク因子を平等に並べて論じるから誤解を招きやすい。↓のスライドを見て欲しい。
どんな重症化リスクを持っている場合が特に危ないのか?↑のスライドで一目瞭然だ。「65歳以上」かそうでないかが一番重要で、他の因子に比べて20倍も影響がある。肥満なんてリスクとは言えないほどでしょ。65歳以上の次に危ない因子は糖尿病でも喘息でもなく「50歳以上から64歳まで」と、要するに年齢が一番重要なんだ。持病があるかどうかよりずっと大事ってこと。これは高齢者ほど免疫力が低下するからだと考えられている。自治体がコロナワクチン接種について65歳以上に補助があるのも肯けるわ。

してみると・・・すでに65歳以上の私は危ないってことだ。やだねー。気持ちはまだ40歳くらいなんだがー。今度のワクチンは新しい株にも有効ということだから秋に予定されているコロナワクチンはちゃんと打っておこうと思ったわ〜。

2025年9月1日月曜日

暁のゲンちゃん、何をした

9月になった。でも暑い。外はもちろんだが家の中も暑い。エアコンを効かさないと特にうちの場合2階は蒸し風呂みたいになる。それで1階の居間でTV見ながらそのまま寝入って未明に覚醒しても2階の寝室に上がらず・・ってなりがちなんだ。特にこの前パーソナルチェアを購入して半分寝ながらTVを見られるので寝落ちしやすくなった。

未明に起きがあり、1階をうろつくとネコ2匹もうろつき始めた。もうすぐご飯の時間でゲンちゃんは給餌器の前でじっとしていた。しかしその後和室に来て何をやらかしたかというと、「ケッ!ケッ!ケッ!」と胃液と胆汁が混ざった液をゲロりやがったんだ。うわ〜またかよ〜。この間も明け方にやっていたけど、空腹時の胃の中に溜まるから出したくなるんかな。

急いでティッシュで拭き、その上をアルコール液の吹きかけ消毒を行った。この前もいっぱい使ったからティッシュがすぐなくなるじゃん。
おーそうか、昨日ガソリンスタンドでティッシュいっぱいもらったのはこのためだったか。それに和室に防水用カーペットに入れ替えていたのもよかった。一見畳に見えるが合成のカーペットで下に染みこまないんである。ふむ、ゲンちゃん、こっちは準備万端だったぜー、どうだ。

その頃、ハナビは浴室の脱衣室の蛇口にいて水が欲しそうだったんでチョロチョロ流して飲ませてやった。カール曰く「ハナビは野良時代があったからこうした水に反応するんじゃないかな」だって。そうかもな。ゲンちゃんは蛇口の水は飲もうとはしない。ついでに言うとゲロるのもほとんどしない。せっかく口に入れたものを吐き出すなんてきっともったいなくて仕方ないだろう、ねぇハナビ。


2025年8月31日日曜日

ティッシュをもう1セットもらう方法

朝、日曜ということでゆったりしているとカールに「近くのガソリンスタンド、ガソリン入れに行ったらいいよ。キャンペーンでティッシュもらえるわよ」と言われた。しかし「水曜日に満タンにしたばっかしだよ」と渋ると「それでもいいじゃない。少し入れるだけでももらえるんだから」となおも勧められた。

カールによると「最初はさー、ガソリン20ℓ以上の方だけプレゼントとかだったんで、ガソリン切れそうなのにガソリン消費を我慢に我慢してそろそろ大丈夫と行ったら来場者全員がもらえたのよ〜」なんだそうだ。そうまで言われれば家から1分のところにあるガソリンスタンドに行かない理由はない。部屋着に裸足のまま靴履いて、免許証とキーだけもって行ってみた。道路脇にで店員らが旗を振っていて「大キャンペーンでーす」とやっていた。

「どーぞ、どーぞ」と店員に誘導され、セルフスタンドでガソリン入れようとすると、カールの言ったとおりティッシュ3箱1セットをもらった。給油量はわずか7ℓとちょっとだった。店員は「ガソリンスタンドのクレジットカードを作りませんか」とこのキャンペーンの目的を明かし、名前と住所、携帯番号を記載する紙を持って来た。「あー、私、ここのカード持っているんですよ」といつも使っているクレジットカードを見せようとした。そこでハッと気がついた。なんと今日は財布を持ってきていなかったのだ。ズボンに財布をいつも入れているはずが、今日はステテコみたいな格好でいたんで持っていなかった。「あいちゃー、すみません、家はすぐそこなんで持って来るということでいいですか」と詫びると「いいですよ」とOKだった。

帰宅し、すぐに財布持ってガソリンスタンドへ引き返した。「すみませんでした」とカードを支払機に入れ支払いを済ませた。するとだよ、先ほどとは別の店員が「本日はありがとうございました」となんとまたティッシュの箱をくれたのだ。「いや、さっき・・」と言おうとしたがぐっと唾を飲み込み「ありがとうございます」と頂戴したのだった。

カールに「ほら2つもらったよ」と見せると、「もしかしてそうなるかもとは思った」んだそうで、「3箱1セットなら買えば2、300円はするわよ」とのことだった。へーえ。行って良かったぁ。ミスが逆にもうけにもなったしー(⌒о⌒)。

以上が、日曜の朝のお医者様とその令夫人の会話と行動である。何か参考になりましたでしょうか。

2025年8月30日土曜日

謝謝ポーズを間違う

そうそう、昨日話題にしようと思っていたことを思い出した。

外来で診ている中国籍の中年女性がいて、診察の終わりに「先生、今日は夕方までずっといますか?」と尋ねるので「ええ、いますよ」と答えると、「私の友人がブドウを作っていて今日はその規格外品をもらうことになっている、よかったらそれを先生にも持って来たい」というので、それは有り難いと了承した。

昼過ぎにそのブドウを2房もらった。そこで私は「謝謝(シェシェ)」と感謝のポーズとしたのだが、「先生、それは違う。正式なポースはこうよ」と教えてもらったのが、左手をグーにして右手でそれを包み込むポーズだった。

「そうそう」と言われ、写真にもポーズを収めたのだが、注意しないといけないのは左右反対にすると「感謝」ではなくて「哀悼」の意味になるんだとか。いや、そもそも正式なポーズもしらなかったんでいい加減になるといけないね。

それで日記にアップするに当たって、その中国籍の女性の教えが本当にそうか調べてみた。すると、「抱拳礼(ほうけんれい)」といって右手を拳にして左手で包み込む中国の伝統的な挨拶であるとちゃんと出ていた。そして解説では、一般的に、右手が攻撃を表す「武器」を持つ手と考えられているため、それを左手で包み込むことで、相手に「私は攻撃の意図を持っていません」という意思を伝えるとあり、右手を拳にするのが正式な作法で、左手を拳にすると哀悼の意を示す形になるため、注意が必要だとのこと。ふむふむ。

あれ?!

私の謝謝、左右が逆じゃん。攻撃側になる右手を握りこぶし、そして左手で覆うようにしないといけないのに、左手を拳(こぶし)にしている。これじゃー「ご愁傷様」になってしまう。彼女もちゃんと分かっていたはずなのに説明の時に間違って教えてしまったんだろう。こういうの、頭で考えで左右を動かすと間違いやすい。そんなの手が勝手に覚えているもので何も考えず感じたままに動かせないといけない。まさにブルース・リーが教えるところの「考えるな、感じろ(Don't think. feel.)」だったな。

2025年8月29日金曜日

ニトリパーソナルチェアPK02 Nシールド

ニトリから注文していたパーソナルチェアが2脚、段ボール箱で届いていた。これ、1脚4万7990円で送料も平日着で3300円かかり、5万円ちょっとで8月16日日記参照)、傷・汚れに強い合成皮革製で長時間座っても疲れにくいオットマン付きパーソナルチェアという売り文句の製品だ。

夜、シャワー浴びる前に組み立てを行った(風呂上がりになるとまた汗かく羽目になるしー)。↓さっそくハナビが乗っかりゲンちゃんにマウントを取っていた。どうしても勝ちたいんだな、ハナビは。

19時ちょうどにまずは1箱目を空け、チェアの各部品を取りだしたが、一人でどうにか取り出せるもののここは二人でやった方がいいレベルの大きさだった。
ボルトを六角レンチで締め付ける作業があって部品をしっかり固定しておかないとネジが上手く入らずこれに少し時間が掛かった。↓はこんな場合はいつもの「なになにゲンちゃん」です。

1脚を仕上げるのに約30分、20時過ぎにようやく完成した。↓肘掛けのボルト締めに少し時間を取られたわ。
このパーソナルチェアのいいところは背もたれてTVを見るのにちょうどいい感じなんだ。脚を乗せるオットマンが上手く機能している。カールに設置記念に写真を撮らせてーと頼むと「スッピンだからイヤ」と最初は嫌がったが「大丈夫、日記にアップするときはぼかすから」と撮ったのが↓の写真。いや、すっぴんどころかいつも以上に可愛いんで内心びっくりしたよ♡。
次は私のを撮らせた。TVを見る時は小っちゃい枕が欲しく、20年前から使っているぬいぐるみをはさむとちょうど良かった。
いや〜、このパーソナルチェア、TV鑑賞用に最適だが、きっとそのまま眠り込むよねぇ・・と思ったが、案の定「ワースポ&MLB」を付けて見始めたら5分も持たず寝入ってしまったのだった。あはは。

2025年8月28日木曜日

行きは迂回路、帰りはネギラーメン

夕方、霧島市国分にある消防署まで姶良伊佐地域の会議に出るため車を走らせていた。いつものように国道10号を通って途中から隼人方面に向かい、国分を目指す。18時過ぎに病院を出れば十分に間に合うはずだった。

しかし、加治木のタイヨー西加治木店を過ぎたあたりから車が空き始め、その後私のプリウスしか前後にはいなくなり、おまけに対向車線にも車が一台もないという状況になった。一瞬、快適やぁと思ったが、すぐに不安になった。夕方いつも混む時間帯なのにこれはおかしいぞ。そのまま走らせるとすぐに理由が判明した。網掛橋に通行止めの標識があったのだ。「ああ、そうだったぁ」3週間ほど前の大雨水害で橋の一部が破損していたのをすっかり忘れていた。通行止めだから国道10号のこの場所に車が近づくはずがなかったんだ。アホやねぇ。

しかし、嘆いてばかりもいられなかった。回り道をして国分を行かねばならない。一つ上流の橋を渡って加治木高校を横目に加治木インターを目指した。もしかしてこのままでは19時開始の会議に遅刻してしまうのでは・・。こんなことなら姶良の桜島スマートインターから行けば余裕で着けたはずなのにー。どうにか加治木インターから高速に乗りいつものように隼人西で降りたが、後で地図を見るともう一つ先の隼人東で降りるべきだった。結局、3分ほど遅刻してしまったわ〜。

メディカルコントロール会議は救急要請時に心肺蘇生を望まない場合に救急隊員は蘇生術を実施せずに対応するケースの約束事を決めていくものだった。今年度これで3回目でだんだん意見が収束されつつある。まじめな会議が1時間半以上も続き、消防署を出たのは20時40分ごろだった。国分のどこかで遅い夕食をと車を走らせていると「來來亭」というラーメン屋があった。ここでいいやと入ると、タブレットで注文するタイプで、スープから麺からトッピングまで事細かに指示を出す方式でちょっと戸惑った。

ちょっとこの方式は私の好みではない。ラーメンの種類はせいぜい3つ4つくらいで後はご飯か餃子が付くかどうかくらいでいいよ。面倒なんでネギラーメンにした。それでも細かく指示が必要でぜーんぶ「普通」を押して注文した。
全国チェーンとのことで「京都風醤油味の鶏ガラスープに背脂をふんだんに浮かせているのが特徴です」と確かに醤油ベースの味だった。麺も細麺で特に不満はない。ただ肝心のネギが縦に細切りしていたが、鹿児島の「ばってんラーメン」のようにネギは細切れにしてたっぷりの方が良かった。こっちはもろ繊維を食べているような感じでちょっと今一つか。ただこちらの方を好む客もきっといるのだろう。↓が「ばってんラーメン」。
同じネギラーメンでも別物に感じたな。ラーメン業界も生き残りをかけて工夫や差別化などし大変だ。今回は1030円とやや高いが今の物価高ゆえその値段でもOKだ。ただ、同じ京都発祥のラーメンチェーンの「天下一品」の看板商品「こってりラーメン」だけはダメだ。人生で食べ残した不味いラーメンがこれまで2回あるがそのうちの一つで、あのスープはスープじゃなくて「あぶら」であってとても飲めたものではなかった。天下一品の「あっさりラーメン」はまあ普通の豚骨ラーメンで特に問題なかったがー。食べられなかったもう一つのラーメンは初めて東京に行った46年前、九段にあった某店の醤油ラーメンで麺と具材が不味かったのを覚えている。

ラーメンは基本どの味付けでも好きだ。上に挙げた2つは例外中の例外で好みの問題とも言えるので悪しからず。

2025年8月27日水曜日

読売大誤報でフランク・キャプラを連想した

今日は8月27日だがこの日記を書いているの2日後の8月29日である。

読売新聞がその水曜日8月27日の朝刊で、日本維新の会の池下卓衆議院議員について、公設秘書給与不正受給の疑いで東京地検特捜部の強制捜査が近日中に行われる旨を報じた。朝刊右上、すなわち新聞紙的にはもっともニュースバリューが高い記事を置く位置に、大きく「公設秘書給与 不正受給か 維新衆院議員 東京地検捜査」という記事の書き出しが池下議員で始まり、同議員の顔写真も添えられていた。新聞の一面で他社は報じずスクープとも言える報道だった。ところがこれが、近年まれに見る大誤報だったのだ。実は、強制捜査の対象となったのは日本維新の会の石井章参議院議員だった。同日強制捜査が入り、実は報じたと読売も人間違いだったと気づき、オンラインの記事を27日午前に削除し、その日の午後には池下議員の事務所を訪れ、誤報を謝罪したという。池下議員は読売側に抗議文を手渡したとのことだ。
いやはや、天下の読売がこんな誤報を犯すとは。これに関して元テレビ東京社員の下矢一良(しもやいちろう)氏が自身のYouTubeチャンネルで取り上げ、「ネタ元からイニシャルなどで情報を知り、維新のI氏で元地方議員といったことからイニシャルと経歴が似ていた池下議員が公設秘書給与不正をしていたと思い込んでしまったのではないか」と推測していた。実際は石井章議員が不正疑惑の対象だったのだが池下卓議員とも名前が似ている。しかし取材もし、幾人かのデスクの監視もすり抜けて誤報してしまったというのは読売の罪は重いかな。

下矢氏はまた「似たようなケースで産経新聞もやらかした」と一例を挙げていた。2000年の日本でのサミット候補地を某関係者から「O」と聞いた産経の記者は「大阪やっ」と捜査四課ばりに確信し「大阪にサミット決定」と一報をぶったそーな。当時沖縄も最後発で立候補してはいたが、誰も選ばれるとは思われていなかったというのもあったらしい。この時にイニシャルで速断したのが誤報につながったということだ。今回の場合もそうだが他社よりもいち早く報道をというスクープ優先の態度が背景にあったということだな。

だとしたら、私がふと似たようなケースで思い出したのが、往年のアメリカ映画の名監督フランク・キャプラのエピソードだ。イタリア移民で映画界に入り監督として頭角を現し、1933年の映画「一日だけの淑女」でアカデミー作品賞と監督賞にノミネートされ、発表当日、フランク・キャプラはタキシードを新調し授賞式に臨んだ。きっと自分が受賞すると思っていた彼はプレゼンターの「フランク!」という声に「やったー!」とばかりに立ち上がった。しかしこれはプレゼンターの俳優ウィル・ロジャーズのちょっとしたいたずらというかどっきりのようなものだったのだ。実際に受賞したのは同じフランクでも「カヴァルケード」のフランク・ロイドの方だった。スポットライトを浴びるロイドを見て赤っ恥をキャプラはかいてしまった。この経緯は中公新書の川本三郎著「アカデミー賞」に詳しく記されている。引用しよう。

受賞者の名前の入った封筒を開いたあとウィル・ロジャーズはこう言った。『ああ彼か、彼か。皆さんご存じですか。私はこの若者のことをずっと見つめてきました。彼が底辺から這い上がってくるのを見ました。そう、まさに底辺です。このナイスガイにぴったりの賞です』キャプラはこれを聞いただけど自分のことだと信じた。イタリア移民の子として底辺から這い上がってきたからだ。しかも、ウィル・ロジャーズはこう続けたのだ。『さあ、ここへ来て賞を受け取ってくれ、フランク!』キャプラは長い間夢に見たアカデミー賞がついに自分のものになったことを知った。興奮して立ち上がり舞台に向かって歩きはじめた。よろけて近くの席にいたノーマ・シアラーやロバート・テーラーにぶつかった。スポットライトが受賞者を探して会場のあちこちをさまよった。キャプラはライトマンに向かって『ここだ』と叫んだ。しかしスポットライトは別の人物をとらえた。・・・中略・・・屈辱的な瞬間だった。キャプラはうなだれて席に戻っていった。キャプラはのち1971年の自伝でこの時の歩みを『もっとも長い、もっとも悲しい、もっとも胸張りさける歩み』だったと書いている。そのとき彼は『もし今後、アカデミー賞を与えられることがあっても決して授賞式には出席しないだろう』と思ったともいう。

イニシャルとは違うが名前が同じではやる気持ちを見越していたずらしたウィル・ロジャーズは当時最高ギャラを取る有名俳優だったがちとたちが悪かったな。ちなみにだがこの「カヴァルケード」という作品、アカデミー作品賞を全て見たという映画オタクによると「記録映画のようで今みると本当に全然面白くなくて逆にすごい」という評です(笑)。↓フランク・キャプラ。
キャプラはしかしあきらめなかった。翌年クラーク・ゲーブル主演の「或る夜の出来事」で大ヒットとアカデミー賞の両方を手に入れる。そしてこの作品は主要5部門(作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚本賞)全てを総なめにした初の映画となった。ゲーブルはこの映画でスターになった。そこからキャプラは都合3回も監督賞を受賞し大監督として名を残している。受賞作ではないがジェームズ・スチュワート主演の「スミス都へ行く(同年に「風と共に去りぬ」があり受賞出来なかった)」「素晴らしきかな人生」は名作だし、実際今見ても楽しめるのがすごい。

もしかして「不正受給疑い議員は日本維新の地方議員出身でイニシャルはIだ」などと漏らされたのは、読売記者の感違いを見越した悪意ある捜査関係者の極秘情報だったのかも。読売はなぜに勘違いをしたのか後日きっちりと報道してほしいものだ。今回は読売の大失態なのは間違いないが、もし悪意ある情報漏らしだとしたらそっちには罪はないとしてもなんらかの天罰が下るかもしれない。実は「フランクー間(ま)」のいたずらをしたウィル・ロジャーズはキャプラがアカデミー賞を初受賞した年の1935年8月15日に飛行機事故で亡くなってしまったのだ。トラウマを起こすほどのいたずらってーーーー良くないネ。