(今日の日記は麻雀用語が乱舞します。敢えて解釈なしでそのまま載せます。知らない。意味分からない人は雰囲気だけ感じ取って下さい)
今日は鹿児島大学歯学部1期生(昭和53年入学)の卒後25周年の同窓会が城山で開かれ、それにちなんで麻雀大会があった。私はもちろん歯学部でなく同期の医学部なのだが歯科1期生とは縁が深く、何とその麻雀大会に特別参加することになった。
幹事をジャズ魔君が受け持ち、というより彼が主催したようなもので、彼は自分を入れて1期生8人2卓分をぴったし集めたのだが、私とも久しぶりに打ちたいという面子がいたことと自分が進行役をしないとスムースに事が運ばないという理由で私に打たせ、自分は裏方に徹することにした。 それではあまりに彼が(一番打ちたいだろうに)可哀想と思って、一昨日は「私が裏方をするからお前が打ったら」と提案したが、ちょっと考えた後、やはり予定通りにするということだった。何とも見上げた根性でよっぽど麻雀が好きなんだなあと思った。
昼前にかつての麻雀仲間が雀荘「真っ赤」に集まった。顔を見ればみんな老けてはいるが見違う程ではない。私が面識がないのは「泣かす魔」氏一人だけで後はもう何回何半荘打ち合ったか数知れない雀敵ばかり。 熊本の「寺ハゲ」、宮崎からは「イニシキ」「浜伸」「にゃんこ」、鹿児島組は「デス川」「ダイスキ」に「ジャズ魔」だ。宮崎は「さあいっしょ」君が来なかったのはちょっと残念。元はと言えば彼と「ダイスキ」、栃木の「ハタ坊」あとから鹿児島「泣かん咲き」ら歯学部バスケット部員といっしょに練習していたのが始まりだった。
当時医学部バスケット部の同期は私一人だけ。医学部と合同で練習する歯学部の部員が4人もいて私は当然のように彼らと遊ぶようになった。 2年生になり彼らは麻雀に手を染め始め、最後まで私はそれに抵抗していたが、練習の後、ハタ坊の部屋でみんなが打つのを眺め、それでも一人マンガなど読み過ごすもいつまでも仲間はずれになれる訳もなく、ほどなく麻雀デビュー。数ヶ月後、寝ても覚めても麻雀やろうぜとなったのは私だった。
そうだったな、成人式が終わって騎射場の雀荘「真珠」に集まって打ちながらもダイスキが「ちゃんとルールも覚えなきゃ」と麻雀入門本を買っていたのを私は借り、たった1日で役と点数計算をしっかり覚えた。 何年やっても点数計算出来ない人もいるが、まさに好きこそものの上手なれでその時覚えたことが生かされ、今日も「あ、それはツモって符がはねて1ハン50符の1600点は400(子)、800(親)で積み棒がついて600、1000だね」と即答してやったりした。 ジャズ魔はダイスキから「麻雀好きなやつがいる」と紹介され、それからずっとの付き合いだ。他の連中も似たような経緯で知り合った。(イニシキは後からバスケ入部)まさに学生時代に戻ったような感覚でくじ引きで2卓に振り分けられ闘牌開始となった。
私はダイスキ、デス川、にゃんこと同卓。南家から開始だった。パイを握るのも久しぶりで緊張したが聞けば他のみんなもほとんどが何年も打ってないという。最初の数局はこちらもあちらの卓もぎこちなさが感じられた。
1局目は鳴かずもがなの發を鳴いてしまったのはやはり不慣れが原因だった。案の定、リーチ攻撃にあったものの、にゃんこの放銃でかろうじて千点のみで上がったのはラッキーで、このおかげでツキが回ったようだ。次局の親番でにゃんこから親マンを上がり、その後もメンホンの西北シャボ待ちをリーチ一発でデス川から上がったりと東場でダントツ状態になった。
ルールが1時間で打ち切りになっていて最初の半荘は南の2局で終了。トップだった。お隣はイニシキがトップ。2人ずつ入れ替わり今度はダイスキ、浜伸、泣かす魔と対戦になった。実はこの第2戦が私には悔やまれる対局となった。南1局ダイスケの親番の時にチートイツに早く決め打てば良かったのに2ソウの暗刻を長く持ち過ぎ聴牌と同時に2ソウを1枚切り崩したところ、先ほど聴牌したばかりのダイスキに放銃してしまった。何とタンピン三色の親マン。がーん。いや、問題はその後だった。私も冷静さを失っていたのだろう。ここは守備を固めいずれ訪れるツキを待つべきだったのに、泣かす魔リーチの出したドラ白をポンのダイスケ(今度も親マン確定)に何とション牌の發をえいやっとばかり私は切ってしまった。理由は自分もテンパッていたから。これは明かな暴牌だった。当然ダイスキからロン!の声。一気に箱点へ沈んだ。2回続けて親マンとは・・。馬鹿野郎である。そこからは点棒を借りながらの闘牌。まったく惨めで、しかも運の悪いことにラス親だったので時間制限もありラストの親番も来ず結局箱点のまま終了した。これで一気に順位を下げた。
運はそれからツカないもので、その後の2回の半荘はいずれもラス親となり(時間制限あるとラス親はかなり不利だ)3位、2位でプラスは出したが点数稼げず結局4位に終わった。
最後の半荘はにゃんこと再び対局しトップ争い。ドラが2ソウの時、普段ならまずしないドラ単騎のチートイツリーチも敢行した。にゃんこもメンチンイッツーの4、7萬待ちリーチをするなどした。これはまずあり得ないリーチだ。でもトータルで点数が低くラスト半荘ゆえにできるだけ点数を稼ぐ必要があった。どちらも上がれなかったが状況に応じて打つ手も戦略も変わるのが麻雀というゲームである。 オーラス、私は親でトップ目。ここで連荘して点数稼ぎたいところだった。しかし。にゃんこもしぶとい。今日はなかなか調子出なかったが渾身のリーチは何と一発ツモでドラも乗って満貫。これでトップ逆転された。あーぁ。でも、にゃんこはさすがやなあ。
トータルではイニシキが優勝、ダイスキが準優勝。浜伸が3位で私が4位。ビリッケツは寺ハゲ、ブービーがデス川だった。トロフィーや賞金、賞品もジャズ魔はちゃんと準備怠りなかった。事前の連絡、ルール決め、雀荘との交渉、弁当準備など完璧にこなし、誰かが「雀マネさん」と呼んでいたが、それ以上の働きぶりでみんな彼に感謝だった。私は写真は撮るだけだったのに、ジャズ魔は自分でも撮りその後プリントして送ってくれていた。本当に頭が下がる。彼のような働きがないとこのメンバーがまた集まる機会というのはもう無いかもしれない。打っていて学生時代を思い出すことしばしばで、彼に賞金賞品を上げたいくらいだった。
終わって外に出ると夕方5時過ぎだというのに雨が降っていてかなり暗かった。私は寺ハゲ、デス川をマイプリウスに乗せ、天文館のホテルチェックインさせた後、城山観光ホテルまで送った。 車中で寺ハゲ(ちなみに彼はふさふさで全く禿げてはいないが学生時代からそう呼んでいたのでそのまま呼ぶ)が韓ドラに相当ハマっていたことを知り、俄然韓ドラ談議に花が咲いた。彼も冬ソナがきっかけだったらしい。韓流スターの動向にも詳しく私もここぞとばかりウンチクを語ると「うわー、よく知ってるなあ」と驚いていた。いや、それはこっちもそう。男性で韓ドラをそこまで語れる人は初めてだ。もっと語りたかったが、ホテルにはすぐに着きまたの再会を約束して別れた。 いやー、たった4回の半荘で昼間には終わった麻雀大会だったけど何だか疲労した。帰宅して夜はあっという間に眠ってしまった。学生時代のあの頃は徹マンなんてへっちゃらだったのが今ではまず無理。体力あったあの頃が懐かしいねぇ。
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