昨日の南日本新聞に「元MBCアナウンサー横山欣司氏」死亡との記事が出ていた。
88歳慢性呼吸不全で亡くなったそうだ。私が生まれた1959年にMBCに入社し、音楽リクエスト番組「ユアヒットパレード」のDJを長らくやり、報道番組のキャスターとしても活躍され鹿児島では一番有名なアナウンサーだったといっていいだろう。
横山さんはMBC社屋近くの新屋敷町の公社ビルに住んでいて同じビルにいた同級生の水床君はよくすれ違っていて会話をすることもよくあったそうだ。中学3年の時、ユアヒットパレードでビートルズ特集を組み、リクエストでビートルズの楽曲ベスト10を決めるというイベントがあった。私も一通だけ応募していた。今も昔も私の一番好きな曲はベタだが「ヘイ・ジュード」だ。最初、当然そう書いたのだが、待てよと筆を止めた。
実はこれから書きたいエピソードは、2007年1月16日のこてる日記「32年前のリクエスト」で一度日記ネタにしている。しかし現在その頃のこてる日記はアクセス出来なくなっているため、一部再掲することにしよう。鹿屋の寝たろう君からウォークマンをプレゼントされたことで、久しぶりに古いカセットテープを聴いていると、中学時代のラジオ番組を録音したものが出てきた。それをカールとセージ(当時小学6年生)に聴かせたところ大受けした。それを日記に書いたのであった。↓はプレゼントされたウォークマンとチッチ(小学4年生)。
・・・それは高校受験を控えた(まさに今のテルと同じころ)1月のことだった。上旬にビートルズ特集がありその時、横山欣司アナが次はリクエスト特集でベストテンを決めるからからどしどしハガキ出してねーという。私はそれより以前、サイモンとガーファンクルの時に初めてリクエストハガキなるものを出した。その時もリクエスト特集で単に「明日に架ける橋」とだけ書きその他大勢の中に名前を読み上げられた。中にはエピソードを読まれている人もいた。それで今回はエピソード付きのハガキにしようと思った。出すからには名前とその内容も読まれたいよね。
私のビートルズで一番好きな曲は「ヘイ・ジュード」だ。当然最初に曲名を書いた。だがー。その後がどうしても書けない。DJが読んでくれそうなエピソードが「ヘイ・ジュード」にはないのだ。「ヘイ・ジュード」は止めよう。そうだ「イエスタデイ」にしよう。せっかく出すからには読まれたいし、それには一番目立つ1位の曲で紹介されたい。1位になるのはきっと「イエスタデイ」だ。当時ビートルズ関係の書籍や雑誌など読みあさっていたので私には確信があった。それに「イエスタデイ」なら思いつくエピソードがある。
ちなみに今でも一番好きな曲は「ヘイ・ジュード」で変わりない。次は「抱きしめたい」でその他はいろいろ・・。なのにその時は変節してまでも「一番好きな曲・・イエスタデイ」と書いた。私は純粋なファンというよりDJに自分のエピソードを読ませたいという不純な動機でハガキを書いたのだった。次週日曜日、そのビートルズリクエスト特集を心待ちにしていた。だが「あまりにもリクエストハガキが多くて」来週に延期しますということだった。次々週、またもや延期。反響が大きくハガキが整理しきれないという。「え~っ」とがっくりした。ビートルズが解散して5年ほど、まだまだ余熱のような人気は続いていた。で、やっと放送があったのは昭和50年1月26日のことだった。パーソナリティのおしゃべりとベストテンのカウントダウンが始まっていた。私には自分のハガキが読まれるという予感があった。だったら録音しておかなくては。それで順位発表の度に録音ボタンを押していた。万が一イエスタデイが早めに呼ばれる可能性もあるからだ。当時は録音テープも高くて私はその日のために30分テープしか準備できてなかった。確か3位にヘイ・ジュードが入っていた。うんうんそれでよい。2位はどの曲だったか忘れた。もちろんイエスタデイではなかった。
さて次はいよいよ1位の発表だ。「・・さていよいよ第1位でありますが、鹿児島市樋之口(てのくち)町こてる君のカード読みましょう」
「うぉおお~!」私は叫んだ。興奮した。また叫んだ。それまでの人生でそんなに興奮したことはない。弟や家の人がどうしたの?と驚くのに、私はただ「読まれた読まれたんだ。1位の曲に自分の書いたのが読まれた。やったぁー!」だ。エピソードは自分が書いたとおりだから分かっている。あとで大いに恥ずかしい思いをすることなどその時は思い至るはずもない。私の作戦はまんまと的中した。後日ちょっとしたプレゼントも届いたがそんなのはささいなこと。翌日、登校時から友人に声かけられ教室に入るとみんなの注目をいっせいに浴びた。一日中冷やかされるも嫌ではなかった。皆がAMラジオを聞いている時代だった。おそらくは一番聴取率が高い時間に自分の書いたものが読まれた。紅白歌合戦で言えば大トリを務めるようなもの。カ・イ・カ・ン。
私は好きだった女の子が転校していったエピソードを書いたのだった。私が彼女を好きだったなどほとんどのクラスメートは知らずラジオで知り驚いたようだった。中学生のこと、その後、ささいな鞘(さや)当てもあったが、かわいいものだった。問題は自分自身がこの録音を聴くと、うれしさと同時にもの凄い羞恥心が起きてくることだ。人に聞かせることはおろか自分でも聴いていても「ちょっと待ったー」と言いたくなる。それはやっぱり内容が純粋でない点にある。1位で読まれたいがために脚色し過ぎている点がひっかかるのだ。少なくとも「おれはそんなに女々しくはないよー」と言い訳したい。クラスメートの「コリーダ君に『あれを聴いたときテルの気持ちがよく分かったよ』なんて言われたときは顔から火が出る思いだった。ここまで書いてもその読まれた文章を載せることにはわずかな躊躇がある。しかし初めて子供や妻にも恥ずかしいながら聴かせてみた。日記ネタにしたからには本文を載せないともったいぶってると言われそうだ。寝太郎君もウォークマンといういい物をプレゼントしてくれたものである。
以下、テープからリライトしたものです。読み手は横山欣司アナウンサー。
「・・さていよいよ第1位でありますが、鹿児島市樋之口町こてる君のカード読みましょう。
ぼくはこの曲を聴くたびに2年生、中学2年生の終わりにはるか高松へと転校した彼女のことを思い出すのです。あまりにも急でした。この曲の詞に突然いなくなった人のことを言ってるところは何だか自分自身のことのように思われてつい悲しくなってしまいます。3年になって彼女がいなくなってもやっぱり好きでした。一人自分の部屋で昔のことを思い出しながら「イエスタデイ」を聴き、一言も『好きだよ』と言えなかった自分に腹が立ってくるのです。無理と分かっていても昨日に帰りたい。そんな気持ちでいっぱいです・・。
1位でした~・・(この後、♪イエスタディ〜と曲が流れた)」
ああ、ここまで書いても一言言っておきたい。告白することもなく片思いだった女の子が突然転校しショックを受けたのは事実なんだけど、「あまりにも急」「やっぱり好き」「一人、部屋で」「好きだよと言えなかった」だって?そんなことないよ、あああ、嫌だ嫌だ、恥ずかしーぃ!
このテープをセージに聴かせている様子が↓だ。まさに爆笑している。「ママも聴いてー!」とセージ。聴かせている間も笑いをこらえきれない。
そして、これ以降ラジオリクエストを出したことは私は一度もないのだった。はぁ・・。
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