私はタイムシフトで偶然この番組を見ていた。
物議を醸している内容というのが以下のようなものだ。
番組は、沖縄県出身の二階堂さんが沖縄弁の質問につられることなく、方言を話さずに「標準語」で返答できるかという企画を放送した。17日に番組公式Xが番宣投稿をすると、次のような批判の声が寄せられ、物議を醸した。
「こんな企画が通ってしまう無神経さ。『方言札』という沖縄差別を知らないのだろうか」
「方言札の再来じゃん。TBSがこんな露骨な方言差別をやったら絶対にダメだろう」
「沖縄出身者に『方言禁止記者会見』をやらせるの普通に植民地主義的でエグい」
「沖縄出身の人に『方言禁止記者会見』を課すのは、戦前に日本帝国が方言を禁止した史実をなぞる差別行為です」
私はこれらの物議なるものに呆れ、怒りすら感じた。何を知ったかぶって批判&非難しているんだ。ふざけるんじゃない。
「当該企画は、『どんな役も見事に演じ切る俳優さんでも、自身の出身地の方言には釣られてしまうのではないか?』を検証するもので、過去に別の俳優さんで同様の企画を放送した際は好評だったこともあり、沖縄の歴史的背景についての十分な検討ができておりませんでした。今回の企画が差別的であるとのご指摘は、私どもとして真摯に受け止めており、今後の番組制作に活かして参ります」
まあ無難な回答だ。でもね、TBSさん、上の物議をカモしている連中のいうことなんか聞く必要ないよ。ただのいちゃんもん連中なんだから。まあ、内心では「そんなに差別を煽るような内容でもないしいいんじゃない」とは思っているはずだが、表だって反論してもごちゃごちゃするだけだろうし、この手の批判している連中は自分がえらいとさえ思っているような輩だから言うだけムダかもしれんしね。
それでもTBSの意図したとおり共通語を駆使してドラマや映画に活躍する俳優さんは簡単には方言に引きずられず大したものだと思ったし、最後にお婆さんを意味する「おばー」と言いかけたところ、「おばーさん」とすんでのところで回避し、方言発言3回未満を達成出来たのは拍手拍手だった。そもそもこの企画の狙いは、方言を使わせない方言札とは正反対の方言を言わせよう、だよな。(方言を言わないようにする仕草と言い方が、なぜかローラっぽくなっておかしみ倍増の二階堂ふみ↓)
これのどこが沖縄差別じゃい、ああ?!
方言札なるものは別に沖縄でのみなされたものではない。共通語政策は日本各地で行われていたもので共通語を使いなさいと学校では指導されていた。それが沖縄ではより切実な問題あったがゆえに方言札が使われていたのだ。カールの沖縄の親戚のおばさんからも戦後に方言札があったと聞いたことがある。私は昭和34年鹿児島生まれだが小学生のころも方言札と同じような学校教育があったのを経験している。「今週の努力目標」に「方言をしゃべらない」というのがたびたび取り上げられたものだ。方言札は沖縄を差別するためのアイテムではなかった。沖縄人が差別されないためにあった代物なのである。沖縄の人たちはそれくらい必死だったのだ。ただ、そのように方言札を使った指導、政策が強要され、それによって苦い思い出の多い人たちを生み、差別の象徴と捉えられることはあったのは事実である。
今回の二階堂ふみさんの方言我慢企画を見て、彼女の俳優としての実力を再認識したし、沖縄出身者としてのちょっぴりの自負も垣間見えたしで非常に好感の持てる企画だった。それを頭でっかちの半端もん連中が沖縄の味方になったつもりぐらいで批判していやがる。ああいう企画はその地方の良さを引き出しさえしているんだよ。現に他地方の回は好評だったわけじゃない。方言禁止は沖縄だけでなく鹿児島も東北も大阪ですらあったし、今では方言使いましょうの時代だ。今回の放送でTBSに落ち度があったとは到底思えない。むしろこのようなさほど意味の無い批判や物議を醸すことで自由な製作を萎縮させ大きく言えばTV文化の後退を来すさえあると思う。自由さが失われると文化芸術に良いものがほとんど出なくなるのは古今東西の歴史が証明している。
あまりTBSの番組を褒めることはしないが、今回ばかりは邪険な意見に負けずに面白い番組を作ってくれと応援したく思って、一気にこの日記を書き上げたわっ!
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