2025年4月4日金曜日

カールのイラスト作ったった

当直は日付が変わってからが大変だった。ワースポ&MLBを見ていていつものように寝落ちしていたら、午前2時過ぎに急性腸炎の患者、そして救急車、午前4時半にも救急、もう来ないだろうと思っていた午前7時半には気管挿管が必要なほどの肺炎の患者が来てバッタバタ。久々に当たりの当直で、睡眠不足のまま午前の外来に就きましたです、ハイ。 

今日から週1回マッコーDrが内視鏡に来てくれることになった。同じく非常勤の並ぶンDr、常勤のタクミDrと私も含めみんな鹿大二内科内視鏡室グループの出身だ。↓左からタクミ、マッコー、並ぶン。ただしみんな60歳代、年を取りました。

昼過ぎには当直明けの権利で早帰りが出来たのは良かった。天気も良く、姶良の用水路沿いの桜も今が満開、春爛漫だぁ。

しかし、帰りの高速で何度もこっくりこっくりして怖かった。帰宅後はそのまま床寝してグースカ。カールが帰宅したのも気づかず夕方18時くらいまで寝込んでいた。ふう。

パソコンを開き、MacOSを15.4にバージョンアップした。これでApple が提供するAI「Apple Intelligence」が使えると知り、立ち上げてみた。何をするということもなく画像処理のツールであるオリジナルの画像をわずか数秒で、しかもアプリから直接作れるImage Playgroundというのを開いてみた。「説明や提案されるコンセプト、さらに写真ライブラリ内の人物をもとに、見たこともない画像を生成できます」ということで、カールの写真をもとにイラスト作成をしてみた。最初は比較的リアルな画像が出てきて(シワもはっきり出る)今一つだった。その中でも一番若く見えて可愛い系の画像を取りだし、保存した。どうかな?
ほう、雰囲気があって特徴が出ている。お目々が大きくて鼻が高く口は小さい。頬も少し出ていて、その点はカールに言わせれば「生まれつきなのに、数年前同級生たちと旅行に行った時に『ヒアルロン酸入れているでしょ』って言われたのよ」と。その同級生は「私には分かるのよ」と自信満々だったそうだが、間違いなのはカールには分かっている。でもなぜにそこまで自信を持てるのか聞いたら「だって私が入れてるからよ」なんだって。ハハハ。

現実世界で美容整形はしなくても生成AIで簡単にそれらしき画像は作れる。面白い時代だよ、今は。

2025年4月3日木曜日

実はすごい佐賀県の胃癌対策

久々に平日の当直をすることになった。もともと今日は泌尿器科の合い言葉Drが当直担当だったが、流行眼(はやりめ)のためしばらく休むことになり、急遽交代したのだった。

夕方、さっそく救急車が来て、どうも重症のイレウス(腸閉塞)のようだ。ここで外科Drに相談すると「部長Drが明日まで不在で万一の時に対応しづらい」とのことで鹿児島市内の病院に転送になった。この後はしばらく呼ばれることはなかったが、いつ呼ばれるかは分からず待機しておく必要がある。でもこんな時にちょうどいい案件があった。それは「胃がん検診均てん化研修会WEB配信」を視聴することで、3月半ばから配信があり今度12日までが期限だったのでそろそろ視聴しないといけなかった。この手の義務案件はなにかと後延ばしにしがちなんだ。家にいるとネット麻雀したりついYouTubeやTVを見たりしてしまうからね。

最初、消化器がん検診推進機構の会長の草野健先生が挨拶し、その後鹿児島県の検診現況を谷口健二先生が講演し、そして後半は佐賀県の検診を遠藤広貴先生が詳細に語ってくれた。最初は適当に流し見で済まそうと思って見ていたが、案外に面白くてスライドをデジカメでパシャパシャ撮って記録までした。鹿児島県の胃癌検診状況は全国的にみても優秀で全国平均よりもほとんどのデータが上回っていた。ところが招待講演の佐賀県はというと胃癌の死亡率が高く2008年には全国2位にまでなったこともあり医療や行政の観点から対策が必要になった。↓のグラフを拡大すれば分かるが、塩分摂取(胃癌の危険因子の一つ)の多い東北が多いのは知っていたが比較的胃癌の少ない九州、沖縄において佐賀がこんなに悪いとは意外だった。
実は胃癌の発生により大きく影響するのは塩分摂取よりもピロリ菌感染であるのは最近では常識になっている。幼少時の汲み取り便所や井戸水の上下水環境が悪いとピロリ菌感染率が上がるのも分かって来ていて(私も田舎育ちで私を含め昭和30年前後の田舎の従兄弟姉妹たちがほぼ全員ピロリ菌陽性だった)、実は佐賀県は水道普及率が全国レベルよりもかなり悪かったんだそうだ。↓グラフ参照。
ほう、そういうことだったのか。これに危機感を覚えた佐賀県知事と当時の佐賀医療界はなんとかしないといけないと全国に先駆けて青少年のピロリ菌対策に乗りだした。2016年から中学3年生全員にピロリ菌検査(尿で分かる)を行い、除菌薬もすべて公費無料にしたんだそうだ。ただ除菌しても1、2割の人は失敗する。その時は薬の種類を変えて二次除菌療法を行う。それも佐賀県は全額補助して上げるという。そしてそれでもごく一部の人は除菌に失敗する。その時は保険は効かない三次、四次除菌療法があるがなんとそれも補助してくれるというんだ。えらい!私は2017年に鹿児島県も後追いで高校1年生にピロリ菌対策で同様の対策が始まった時に「これはいい。ただ、どうせなら除菌療法まで補助すればいいのに」とこのこてる日記で書いたものだ(→「鹿児島県「ピロリ菌検査事業」」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2017/07/blog-post.html)。

鹿児島県で残念なのはなぜかその素晴らしい対策を5年経過して止めてしまったことだ。佐賀県はピロマンというイメージキャラクターまで作ってピロリ菌対策を今でも継続している。
私は思ったね。今でこそまだ鹿児島県は佐賀県より胃癌の死亡率は低いかもしれないが20年後30年後は逆転されるって。20歳代くらいまでにピロリ菌除菌を行うともともと菌がいなかった人と同じくらいの胃癌発生率になることが知られていて若い人の除菌はそれくらい有効なのだ。

う〜む、他者との遅れからくる危機感ってすごい。演者の遠藤広貴先生はピロリ菌治療にも執念を燃やしていて(ちょっとかつての私に似ている。かつて某製薬会社のMRから「青雲会病院が除菌療法使用数で全国2位です」と言われたことがあったくらい)親近感を覚えた。
遠藤先生は鹿児島県の県民総合保健センターの鹿大第二内科初代教授佐藤八郎先生の書かれた記念碑「予防にまさるは治療はない」を引き合いに出していた。うわ〜、昭和61年4月ってその1、2ヶ月前に私は佐藤八郎先生と飲み会の二次会で隣同士の席に話しをしたことを思い出す。当時研修医1年目の私は鹿児島市医師会病院に3ヶ月だけ研修に行き、院長だった佐藤先生と直接会話することが出来たのだ。
あの時「ちょっとヘモ(痔)の調子が悪くてね〜」と語っていたが・・・。

講演後の質問コーナーでは第二内科出身のセトジンDrに皮タックDrらが質問をしていた。
↑は皮タックDrだが、後ろにはカピDrやニューマウンテンDrもいた。あはは二内科同期だよ。ちゃんと医師会館まで出向いて聴講していたんだね。みんなえらい!

2025年4月2日水曜日

3日3週間3ヶ月3年

昨日、新人さんたちが入職したばかりでさっそく彼女彼らたちにオリエンテーションが始まっている。私も昼14時から1時間の院長講話を頼まれていた。で、このネタも3年目で基本同じような内容をしゃべっている。まあ一部修正など必要で今回も直前まで手直しをしてからスピーチに臨んだ。

自己紹介から始まり、なぜ医学部を目指したのか、また青雲会病院へ就職することになったのかなどから話し始めた。1時間近くにわたる話の中で、最初のとっかかりなのだが、実は一番キモの部分なのだ。ありがちな医者になりたい特別な体験をしたか、青雲会病院への入職も劇的なエピソードでもあったかのかも思われるかもしれない。実はまったくそういうことはないどころか、医者にはなりたくないぁと思っていたし、青雲会病院も家を建てた鹿児島市内の場所が意外に姶良の青雲会に行きやすいという拍子抜けするような理由からだったのだ。

理想に燃えて学業や仕事に打ち込んでいたわけではない。だから他人からみたらやる気のない、テキトーなやつって目で見られたりもしていた。確かに頑張るどころか、学生時代は麻雀やパチンコ、修業時代はボウリングにハマっていた。でもそれなりに続けることが大事で、だんだんとそれなりに身についてくるものが多く、私の場合、不惑と言われる40歳を前に医師として残りの人生を全うしないといけないと思うようになった。なんとそれまでは「医師以外の仕事もあるのでは」なんて妄想を多少なりとも抱いていたのだ。

何事もまずは3日やってみる。どうにか我慢できれば3週間、そしてこの仕事はいやだ、だめだと思っても3ヶ月は続けてみてほしいと語った。それでやはり自分には合わない辞めようと思ったら仕方ない。さらに3年も続けて出来る仕事なら一生続けることもたいてい可能だ。

新人さん全員が意欲に燃えているわけじゃないことくらい分かっている。不安はあるだろう、そして自分の居場所はここじゃないって思っている人もいるかもしれない。でもほんのちょっと頑張ってみてーとアドバイスをしておきたかった。医業にさほど関心も熱意もなかった医師が今は現院長になっている。何事もちょっと頑張って続けてみるってこと、これが大事なんですよって。

2025年4月1日火曜日

40年間出来ていたことが急に出来なくなった

今日は新年度の始まりの日で、青雲会病院でも午前8時15分から入職式が行われることになっていた。私は新入職員への辞令交付の役目がありスーツで出勤する必要があった。それで、新しいカッターシャツを着てネクタイを締めてから出ようとしたのだが・・。

まずそのカッターシャツのカラーが非常に硬くてネクタイを中に入れるのが意外と難しく、カールに手伝ってもらっった。その後、ネクタイを締めようとするのだが、なぜか結べないのだ。あれ?と思って左右逆にして結ぼうとするとネクタイの三角形が裏面になったりする。あれあれ?とやっているうちにどうしても結ぶことが出来なくなった。時刻は午前7時40分にもなっていてもう家を出ないと式の開始に間に合わなくなってしまう。それでいったんあきらめてネクタイなしで出勤することにした。↓が実際に締めることが出来ずに慌てている様子の私。カールが写真に撮った。

私がネクタイを初めて締めたのは大学5年のポリクリ(臨床実習)の時で、同じポリクリ斑の宮砂糖君に教えてもらった。というより、宮砂糖君が締めるのを正面に見て全く同じように締めるようにして覚えたのだ。だから彼と私の締め方は同じではあるが、左右反対なのである。それ以来40年もの間、自分でちゃんと締めることが出来たのだ。なのに、なぜ急に出来なくなった?カールは「ボケてしまったのかしら」とマジに不安を覚えたそうだ。私も「そうかもな・・」と答えるしかなかった。でもそれよりまずは遅刻せずに病院に着かねば。

病院に着き、院長室に入って洗面所の鏡の前で改めてネクタイを締めてみた。すると、あら不思議、スムーズに締めることが出来るじゃないの。はあ?どうも家では遅刻しちゃいけないというのと、カッターシャツがネクタイとなじまなかったことで内心あせりが出てしまい、冷静さを失っていたからのようだ。そもそもネクタイなんて頭で考えて締めてはいない。手が覚えているというかねー。だから心の余裕がなくなって慌てるといつもやっていることが出来なくなってしまう。そんな現象だったのかも。

式では何事もなかったのように辞令交付も出来た↑。これでネクタイなしだったら、文字通りなんとも締まらない姿になっていただろう。良かったぁ。