2016年9月30日金曜日

タナカッツMR筆降ろし投球

昨日は夜、久々国分スターレーンでボウリング練習だった。タナカッツMRがおニューのボール「ウォーリアー・スプリーム」を買ったので、その御披露目も兼ねてのことだった。エボナイト社系のボールでは一番曲がるタイプらしい。ま、曲がると言っても投げ方次第でタナカッツ君はまだまだ練習が必要だろう。

で、その初めての投球を当然デジカメに収めるため、私は彼の背後に構えていた。緊張気味のタナカッツ君、投げ始めたのだが・・。
↓ははは、笑っちゃいけないが、でもやっぱり笑ってしまうよネー(⌒о⌒)。

マイボールってのは親指の調整が命。その日によっても微妙に太さが変わるのでボールや親指にテープを張り調整する。初めてということで指が抜けないのは十分にありうることであった。くくっ。

2016年9月29日木曜日

こてる先生、TV出演収録

近々、私はTVに出る。今月からリニューアルしたKKB朝のローカル情報番組「かごとき」で月2回「愛甲孝の健康」なんちゃらというコーナーがあり健康診断特集が組まれ、今日、内視鏡やピロリ菌についてキャスターのよし俣とよしげさんのインタビューを受けたのだ。撮影は実際に健康診断を受けにきたよし俣氏が諸検査に胃カメラ(私が担当した)を受け、病院食堂での食事、温泉を利用し、最後が私へのインタビューだった。

診察室で本番前に軽く雑談をし、そこで私が彼の兄、吉俣良とは小学、高校で同期生だったことを伝えた。彼は当然初めて知ったのだがこっちは相手がTVタレントなもので以前から知っているような錯覚にとらわれた。そこそもよし俣とよしげさんはTVで見るまんまのキャラでとても親しみやすい。吉俣良も芸術家気取りはなくざっくばらんな人柄でこれは生まれつき、そして鹿児島の下町育ちというのもあるだろう。そんなわけでほとんど緊張することなく対話でき、TVデビューにしてはまずまずの対応だったのではないだろうか。ま、相手が素人、私が玄人ということも大きく、日頃患者さんに説明するにやればよかったからね。

番組出演はKKB(MBCじゃないよ)「かごとき」で、10月27日木曜日午前10時半から午前11時15分までのどこかに出るはず。働いている人は普段TVを見ない時間帯なので事前にしっかり録画予約をすべし!

2016年9月28日水曜日

テロみやげ

青雲会病院の某職員がこの前の連休を利用してタイに旅行に行ったという。80才代にもなる義理の母も連れてというからすごい。ただ案の定というか体調を崩して世話が焼けたらしい。それはとも各部署におみやげとしてタイ産生キャラメルが2種配られていた。以前なら一口は食べてみたもんんだが禁間食の私はもちろん味見もしない。内視鏡室でシホねえNsが「うわー、生キャラメル、マンゴスチンと・・え、ドリアン?」そう、あの匂いがきついと噂のドリアンのキャラメルだった。封を切るといわく言いがたい匂いが漂った。誰かが「え、ガス漏れ?」というほど。ふうむ、これはやばい。というわけで私はまったく手を付けなかった。(↓左がドリアン、右がマンゴスチン)

場所は医局。当然そこにもドリアンキャラメルはあった。そこでじっくりその強烈な匂いを嗅いでみようと思い、カメラを朝カラシタさんに渡し、嗅ぐ様子を撮ってもらった。実質0.5秒でぶっ飛んだ。甘いが腐った匂いとでもいうのかな。うわー。


すると電カルの所にいたポンシンDrが「何ですか、それ」と興味を示し、手に取りまずは嗅いでみた。ふん?「匂いますね」と言いつつ食べてみるという。
一口食べた。もぐもぐ。私と朝カラシタさんがじっと見つめる。ほう、ちゃんと食べているわ。
しかしそのままドリアンを呑み込むのかなと思いきや、「うわっ」と洗面所に駆け込んだ。うえぇと吐いている。
あー、やっぱり無理だった。あの匂いというか臭いには勝てなかった。彼は洗面所ではまずいと思ったかトイレにまで行きげーげーしていた。
その後、内視鏡室でこれにチャレンジした助手のスタッケイさんも途中で吐き出した。
これは果たしておみやげなのか?ドリアンって食べたことはないけれど、その味と匂いをきちんと封入したという意味で本物なのかも。

昼休みにお土産持参した某職員が医局を訪れた際、朝のいきさつをポンシンDrが伝えると、「え、そうかなあ。オレは美味しいと思うけど・・」と答えたそうだ。でしょうねえ。自分がいいと思わなきゃまず買ってこないもんな。でも朝の騒ぎを聞き「持って帰るわ」とドリアンを引き取っていったとのことだ。

いやー、食べると嘔吐してしまう、これはまさにテロみやげとでもいうべきものだった。

2016年9月27日火曜日

ひじてつゲンちゃん

昨日夕方、ゲンちゃんはお隣のハッピーちゃんが家に来たときにちょっかい出したところ、「何すんのよっ!」とものすごい反発とパンチを食らって首輪は取れるわ、毛を引きちぎられるわで散々な目に遭った。ハッピーちゃんに気があるのだが相手にはまったくその気がない。しかも彼女がこてる家にやって来るのはフードのおこぼれを食べたいからで、まさに色気より食い気、その邪魔をされうるさいオス猫に切れちゃったというわけ。気性の激しいメス猫に気押されゲンちゃんはしゅんとなったという。

さて、そのハッピーちゃん、今日は朝早くに散歩にやって来た。窓の外にきてネコ体操などしている。それをじっと見つめるゲンちゃん。いつもならそわそわ、走り始め、ハッピーちゃんに近づく・・なのに動かない。ただ見ているだけ。

ハッピーちゃんは「ミャー」と女の子らしい鳴き声で入らせてーというのでカールが入れて上げると案の定ゲンちゃんの残りエサのところへ。その後を追いかけるゲンちゃん。でもちょっかいは出せない。昨日の記憶がまだ残っているのだろう。

エサを食べて満足したハッピーちゃんは帰ろうとし、そのころようやくゲンちゃんもまた近づいていった。しかし「何っ!」とパッと振り返るハッピーちゃんにもろビビっている。
威嚇気味のハッピーちゃんに近づけないゲンちゃん。

それでも恋するゲンちゃんは近づきたい。いよいよ庭に出ようというときに寄っていって彼女の後ろ脚やお尻のあたりをクンクンし始めた。でもほんの一瞬だけ。
目的を達したハッピーちゃんはそそくさと帰っていったのだった。ゲンちゃんがっくり、彼女がいなくなってから部屋の中を走り回り始めたがいくら走っても時すでに遅し。男はもっと強くならなきゃ!

2016年9月26日月曜日

職場と家でハッピーバースデー

夕方、内視鏡検査が終わったあと、内視鏡室スタッフが集まりなんだかそわそわ。うん?みんな寄って来て私に何やらプレゼントを渡しそうな雰囲気だ。あはーん、私への誕生日プレゼントだろう。それは図星で「誕生日(57才)おめでとうございます」とゼロコーラ1.5Lを3本とシュークリームをお祝いにもらった。もっとも禁間食ダイエットの私だから躊躇したものの「今日くらいは食べましょうよ」という甘言にそれこそ甘えて1個食べた。残りは全部彼女彼らが食べて一休憩だ。

寄せ書きももらい、これも久しぶりで確か6年前はゲンちゃんが家に来たばかりのころでシホねえNsの猫の絵に「これからは愛猫家のこてる先生で」なんて書かれていた。今回は私の似顔絵を前面にボウリングのボールとピンが描かれてあった。いつもながらうまいものだが「せっかくだからパーフェクトのことも書いてよ」と頼んだら即出来上がった。↓参照。

帰宅し、家ではカールが手製のケーキにパスタに鶏のささみ、野菜など「テルくん、太ってきたからヘルシー食よ」だって。あんまり食べさせてはいけないから「外食も行きづらいわ」とこぼす。そうそう、日頃は節約して出すときは出す。それがカールの流儀だ。それをしづらいとは、うん、やっぱり痩せねばなっ!

2016年9月25日日曜日

倹約夫婦

当直明け帰宅で結局は仮眠ばかりの日曜だった。

今日の話題ではないが、22日の秋分の日は歯科医師会ボウリングが終わったあとシャワー、食事、水分補給で一息ついた後、カールと出かけたのだった。細かな用件がいくつかあったからだが、そこで私たちがいかにケチケチ倹約夫婦かというのを自認することになった。

まず私がボウリングプロショップ「イエパニ」にボールやボウリンググッズを今日注文するにあたって銀行振り込みをしようとしたら、カールが「だったら預金している関係で『穂積銀行』だったら送金料金がタダになる」とわざわざ天文館まで行くことを主張した。ふむ、600円ほどの節約になりそれは十分納得できる。「それに今日は22(にゃんにゃんデー)でスーパー『いいもん』で猫のエサが400円ほど安くなるわ」ふむふむ、なるほど。そう言いつつ安売りガソリンスタンドの料金をネットチェックする私。天文館と鴨池の間の松原小近くにリッター114円のスタンドがあってこれは団地のいつもの所より14円も安い。30L近く入るから400円強お得だ。日曜の午後、多少疲れ気味だったのけれど、ここまで来て二人は出かけるのに何の躊躇もなくなった。

そもそも前の日にカールが久しぶりにママ友の会に出た話題で高級シャンプーの一件があった。そこで相手ママから「5千円のシャンプーが4千円になってよかったわ」との発言があった。これにカールは「え、私そんな高いシャンプー使ったことない」と思ったが何も言わなかった。しかし相手ママはカールも当然その手のシャンプーを使っていると思っているらしく他の友人ママと話しを続けていった。しかし、カールはいかにも以前は使っていたけど今は使っていないような振りで「228円のパン〇ーン」と言ったものだから「え!(ウソでしょ)」と驚きの反応が・・。「子どもに今はお金かかるし・・ネ」とにっこりのカール。その後、「カットも〇円カット、それも50円の割引券を使っていて・・だから子どもに『人目に付かないよう店に入って』と言われているの」とこぼしたかどうか。会の最後に高級シャンプーママから「今日はカールさんの意外なケチさ几帳面さに驚いたわ。また会える日を」と締めくくられたそうな。

「うん、私、例えお金に余裕があっても4、5千円のシャンプーなんて(とても使えない)」とあくまで倹約ぶりを強調し、これに私も同意した。10倍もの値段のシャンプー使っても10倍よくなることは絶対にない。安いのにしてもっと有効なお金の使い方をしようよ。

それで、最後の買い物の「いいもん」での猫のエサ。カールは車を出るときに「これを持っていかなくちゃ」とエコバッグなるものを取りだした。何それ?「いいもんはネ、これを持っていかないと袋代2円を取られちゃうのよ、もったいないでしょ」

は・・・(^^")参った!

2016年9月24日土曜日

パーフェクト余波

明けた今日はパーフェクト達成のことをブログで速報したことで各方面からそこそこの反響があった。

最初に連絡があったのは早朝ヤマヒロDrからで「パーフェクト達成おめでとうございます。これからもご指導下さい」と「こてる練習会」のメンバーらしい祝辞メールだった。サブアラドDrには昨夜連絡済みだったがブログで動画を見て直接電話があった。「オレには脚の震えがわかったゾ」「何か祝いをせんとな」などと言ってくれたがそれは私からみんなにーとのことらしく、どうもゴルフのホールインワン大盤振る舞いと同じく捉えているよう。ふふ、残念ながらボウリングにはそのような風習はなく特にお祝いをしたり受けたりはない。昼には一昨日歯科医師会で優勝したMノ下から「パーフェクトおめでとう。試合出だすのは凄いなぁ〜」とのメールもあった。

ブログ書き込みには従姉のヒトミンチョから「すごいおめでとうございます。パーフェクトがでるなんて一生に一度あるかないか。絶対ないですよ。本当にすごい!」や寝太郎先生から「凄い!おめでとうございます!ずっと続けてきたからこそ結果につながったんですよね。我が事のように嬉しいです」そして、目撃者で動画撮影者でもあるスリウェルMRから「最後の先生の投球は、僕もけつ汗かきながら見ました!おめでとうございます!!!」と投稿あり、どうやら彼には興奮するとお尻に汗をかく習性があることが判明もした。

昼から明日朝まで当直でばたばたしている中、救急車が入り、某救急隊員からも「パーフェクト、おめでとうございます」と言われた。「お、知ってた?」「はい、今朝、泣かん薗先生から聞きました」「うん?」実は午前におーい病院に救急隊搬送した際、泣かん薗Drから私のパーフェクトのことを聞いたというのだ。ほう、彼もブログを見ていたんか。で、彼が言うには「パーフェクトもだけど800シリーズの方が難しくて価値がある」とのことだったそうだ。そう、確かに3ゲーム合計で800点以上出す800シリーズの方が出す確率は低く価値が高いとされる。単純に267以上のアベレージを3ゲーム続けて出さねばならず、昨日の私など300出しても3ゲームで659しか出していない。

そうか次の目標は800シリーズだな。それともう一つ、800シリーズより難しいのがスプリットで7−10残りを取ることだ。プロでもパーフェクトのおおよそ1/10の確率でしか達成できない(日本のプロの統計がちゃんと出ている)からこれはいつの日か出してみたい。ふうむ、ボウリング道に終わりはないわっ!

2016年9月23日金曜日

ついにパーフェクト300点、達成!!

いつもは1週間遅れだが、速報でお知らせ。これを速報しないでいつするってかっ!

念願のボウリングパーフェクトゲームを達成した。もちろん人生初で、ボウリングを始めて26年目での悲願達成だ。月2回の串木野トリオリーグ戦でのことで3ゲームマッチの3ゲーム目にストライクを12個並べ最高点の300点を達成したのである。

なんていうか、前触れとか予感めいたものは全くなかった。ボールは1年以上使ってきた少々お古のマスターマインド・アインシュタイン。調子はあまり良くなく1ゲーム目179、2ゲーム目180と並みのスコアでスリウェル君の192、235、海広しDrの215、235に比べればその差は歴然だ。ただ、1ゲーム目チームパーフェクトがかかった10フレの3投をアンカーらしく見事にパンチアウトしチームパーフェクトに貢献できていた。チームパーフェクトは今年3回目でいずれも自分が達成していて、さすがに最初の時ほどしびれずに投げられたのが個人パーフェクトがかかった3ゲーム目にも生かされていたのかな。

2ゲームの終わり頃からようやく立ち位置と狙うラインがここだと読めてきていた。3ゲーム開始から5フレくらいまでストライクが続き、ああ、頑張ればパーフェクトもあるなーと軽く思っていた。指の抜けが悪くテーピングも変えるなどし絶好調では決してなかった。いつか途切れるさ、これまでがそうだったし、今度もきっとそう、必ずストライクは途切れる・・。

しかし6フレ7フレもストライクだった。でもここからが大変なのだ。あと5つストライクを続けないといけないしー。8フレもストライクでいやが応にもパーフェクトがちらついてきた。いいや、きっと途切れる。9フレ、右側のレーン。今日はこっちの方が少しラインを間違うと厚く食い込みピンが残りがちだ。でもここはきちんと投げられた。ストライク!おおっ、少し周囲がざわつき始める。

10フレ、第1投球者のスリウェル君が投げる。当然チームパーフェクトもかかっている。1投目2投目とストライクが出た。ほう、次で本日2回目のチームパーフェクトだ。スリウェル君、緊張して「センセ、(緊張で)お尻が熱くなって来ました」と。しかしそこを見事ストライクとしこれでチームパーフェクト達成で今日は3ゲームとも全勝が確定した。海広しDrはストライクのあと9本ミスで終わり、いよいよ私の個人パーフェクトが成るか。

いつもならお節介ともいえるナインコール「XXレーンのこてる選手、ただいま9連続ストライク、パーフェクト目指して10フレの投球です」がアナウンスされるがそれがなかった。これは幸い、まずは1投目投げた。うん、若干厚めだがまずまずの投球。これはストライク出るだろう。ストライク!よしっ!

ついで2投目。実はこれまで10連続ストライクは何回かあったが11回連続はなかった。ここが難関なのだ。さっきと同じように構えたのだが、投げた瞬間、ミスったと分かった。やはり緊張していた。ボールの落とし場所が板目で2枚も内側(13枚目)に入った。当然厚めにヒットする。ピンが弾けるも、ああ10ピンが残った、がっく・・あれ?左に飛び壁に当たったヘッドピンがコロコロと10ピンに向かっている・・倒れろ!パタッ、倒れた!!思わず飛び上がったヨ。デジカメビデオを撮影頼んでいたスリウェル君も同じく飛び上がり後で見ると画面が揺れていた。↓。

うわぁー。なんというラッキーさ。これはパーフェクトが本当に出来るんじゃないか。いや、ここまでお膳立てされ出来ないのはいけない。本当に狙うゾ。

そして最終投球前についにアナウンスが流れた。「9レーンで投球のこてる選手、次の1投でパーフェクト達成となります、皆さま、9レーンにご注目下さいませー」確かそう聞こえたがあまり意識しないようにした。軽くため息をつき、後はこれまでと同じように投げるだけ・・さ。腕に力を入れないようにターゲット見つめ投球動作に入った。が、心臓がドキドキするのが分かったし右脚が少し震えるのも自分では分かった。ボールのリリースが若干早くなった。いけない。少し遠く投げるロフトボールになってしまった。スパットは今度は9枚目を通過しさっきと4枚もずれている。まずい。だが、ロフトしスパットも狂ったということはマイナス掛けるマイナスでボールはなんとポケットに真っ直ぐ向かっていった。もしや・・カーン!途中はどうあれ結果は完璧なストライク!やったー!私は両手を挙げ飛び上がったネ。本当にパーフェクトを達成しちまった。何だか信じられない。それほど調子は良くなく最後の最後まで好調時と違う違和感があった。でもどうだ。結果は最高だ。↓(投げる直前右脚がやや震えているのがよーく見れば分かる)。

チームのスリウェル、海広しDr始め、リーグボウラーに何人も握手を求められた。昨年11月にこのリーグでパーフェクト達成したさあいっどさんもやって来た。私がパーフェクトの瞬間を撮影し後日プレゼントしてえらく感謝されたあのおじさんボウラーだ。ガヤガヤの中で早速カールに電話し祝福してもらった。帰る前にきっと天鳳をやっているだろうサブアラドDrにも報告、やっぱり打っていたけど「それはおめでとう」と祝ってくれた。さらに三男のマイボウラーチッチにもメールを打った。返事は「個人で?」とまずは確認。「当たり前よー」に「すごい(笑) 自慢します」だってよ。ハハ。

いやー、でも正直まだそんなに実感が湧かないのよ。昨日の歯科医師会月例でも優勝するどころか4位、アベ177という凡庸な結果だったしー。ただ、今月のレーンコンディションがやや易しくそれに助けられたのは間違いない。スリウェル君は3ゲーム合計でアベ200アップは初めてだったというし海広しDrも200アベいった。先月の難しいコンディションだと200を出すのも容易ではなかった。パーフェクトって多少のミスショットも許してくれるコンディションの時に出やすいわけで私はそのチャンスをものに出来たってことだ。それは日頃練習してきたからでぽっと出のボウラーはいくら易しいレーンでも出来やしない。ただ、10フレ2投目のピンアクション(メッセンジャーと呼ばれるやつ)に最終投球のミスショットでもジャストポケットに入る幸運など、何だかボウリングの神様が私に「お前、ボウリング頑張って来たから今夜は私からプレゼントをして上げよう」と粋な計らいをしてくれたのではと思う。そうだ、もうすぐ57才の誕生日が来るんだった。ああ、誕生日プレゼントだったかあ。ありがとう、ボウリングの神様!

2016年9月22日木曜日

ぐったりボウリング

秋分の日は朝10時過ぎから歯科医師会月例ボウリング大会に参加した。1年ぶりにスリウェル君もゲスト参加した。T-MAXで6Gというアマのボウリング大会では多めのゲーム数だ。レーンコンディションは先月のオイルカラカラとは違いちゃんと入っていてまずまずの状態だった。だったらそこそこのスコアを出さねばならないはずなのに・・。1ゲーム目はガターを2回も出してしまった。これは理由が分かっていた。というのも、2日前の練習のビデオを見直した時にフォームが狂っているのを見つけそれをいきなり試合中に修正しようとしていたからだ。腕を後ろに振り上げる時の高さが肩より少し上げるようにしていたのだが、それが上がりきらず躍動感のない昔のフォームに戻っていた。試合前に急にフォームを変えるのは勝負にはまずいやり方だと分かっていたけれど欠点をそのままにしてはおけない性分だ。

結果は4位でアベも170台と優勝したMノ下君の185には全く及ばなかった。おまけにいつもよりなぜかすごい汗かいて脱水症気味で途中ふらっとする場面もあった。昨日一昨日の疲れもあったのかなあ。でも私よりひどかったのがスリウェル君。一昨日の練習ではダブルス戦で私たちに2連勝しそこそこ調子いいと思っていたのにまさかのブービー賞。ビリは今回初参加のハウスボウラーの衛生士さんで実質彼がビリだった。アベも144と日頃より2、30ピンも低い。彼は、会が終わる頃、昼食を歯科医師会の面々としないかと女性ボウラーに誘われたらしいが例によって断ったそうだ。ああ、長身イケメンで独身なのにそこで乗らないからいつまでも一人なんだよなあ。

明日も串木野トリオリーグに参加することになっており、私たち「こてるボウリング練習会」の二人はがっくりぐったりして帰宅したのだった。しかし、ボウリングって分からない。場所もレンコンも変われば内容もがらりと変わることがある。でもまさか、あんなことが起きようとは露とも思わなかった・・。

2016年9月21日水曜日

午睡できずに完敗

最近、午睡の効用が注目されている。午睡(ごすい)、要するに昼寝のことである。昼休みに15分程度の昼寝をするとすっきりし午後の仕事が効率よくなるという調査データがあり、職場のみならず学校などでも活用されているそうだ。寝る時間は長くなりすぎないことが肝要でせいぜい20分くらいでも効果がある。これは今分かったことでもなく多くの人が何度も経験しているはずだ。ラサール石井が仕事で休むヒマがない時期、この15分睡眠をすることで乗り切ったものだと述懐しているのを読んだことがある。私自身も運転中眠くても10数分仮眠を取ることで1時間以上運転再開できるなどよく経験する。

昨日も忙しかったが午睡することで夜のボウリング練習もさほど疲れずに参加できた。そして今夜は麻雀の約束だ。ボウリング以上にすっきりした頭で臨みたい・・。だが、それが全く叶わなかった。知り合いの大腸内視鏡があったために昼休み返上で済ませたあと、昼食したらすぐに検査で降りてこい(実際には「降りてきて下さい」と言われたが)とのことでバタバタが続き、病棟業務もあり、全く午睡も仮眠もすることなく、見せたまえ雀荘に向かったのだった。

結果、集中力がなく判断力も落ち、完敗。同じく見せたまえDrもお産のあとの新生児の呼吸困難でドクターカー要請する羽目になり休憩なしだったせいで負けた。麻雀は実力以上に疲労軽減した状態にする調整力がものをいうのだった。ああ、疲れた。

2016年9月20日火曜日

名曲「また逢う日まで」

BSジャパンの「あの時この歌」は毎週欠かさず録画して見ている番組だ。その年のヒットした曲の中から1曲を選び時代背景や歌手のエピソードを交え紹介している。先週土曜は尾崎紀世彦の「また逢う日まで」だった。この歌、私の大好きな歌でかつ何度聴いても飽きがこない。ちなみに先月青雲内視鏡室の飲み会二次会で私が歌った「女のみち」始めカラオケ曲3曲のうちの1曲でもある。「女の・・」に比べ歌いやすく別れをテーマにしているにも関わらず明るい感じのする曲だ。「名曲中の名曲」、これは私だけが言うのではなく、あの黛敏郎さんがのちに「題名のない音楽会」でも「最近の曲はつまらないがこの曲は」と紹介し、その年のレコード大賞、日本歌謡大賞のダブル受賞、100万枚のミリオンヒットと栄光にも彩られている曲だ。

作詞阿久悠、作曲筒美京平というゴールデンコンビによる作品でもある。元々はエアコンのCMソングで、お蔵入りになったのを惜しいと思った日音の村上司(むらかみまもる)が阿久悠作詞で「白い珊瑚礁」で小ヒットを飛ばしたグループサウンズのズー・ニー・ブーの次次曲シングルとして出した「ひとりの悲しみ」(1970)という曲である。「安保闘争」で挫折した青年の孤独がテーマということだったがこれはヒットしなかった。しかしメロディの良さに惹かれていた村上司は、「分かりやすい歌詞にして力強い声で歌えば必ず聴衆の心をつかめる」と考え、尾崎紀世彦に「ひとりの悲しみ」をテスト録音させたところ、これはヒットすると確信し歌詞を書き直してくれるよう阿久悠を説得したのだった。そこで「別れ」をテーマにした歌詞に書き換え、タイトルも「また逢う日まで」にし1971年にリリースしたところ大ヒットした。元々のいい楽曲に時代にあった歌詞それをダイナミックに歌う歌手の三拍子そろってこの曲は名曲となった。それにしてもエアコン曲で先に有名になったらと思うと・・この曲を採用しなかったエアコンメーカーには感謝しなければなるまい。

尾崎紀世彦はその後もそこそこヒット曲を出す(「さよならをもう一度」「ゴッドファーザー〜愛のテーマ」など)が実質この曲しか印象に残っていないのは、この曲があまりにも偉大だからだろう。「あの時この歌」では日本歌謡大賞(かと思われる)で歌うシーンが出てきて、何と若き日の筒美京平が阿久悠、和服姿の実母とともに見つめている!(中央黒スーツ)
これはとても貴重な映像だ。というのも筒美京平は日本作曲家で歴史上一番売れた人なのにマスコミ始め表には一切出てこず一時その存在すら疑われたこともあるくらいなのだ。本当に存在していてこんな顔をしていたのか。中学生のころ彼の作る歌が新しすぎて「この筒美京平の作る曲はなんかなじめないなあ」と平尾昌晃の歌の方がしっくりくる自分がいた。「また逢う日まで」も小学6年の私は「こんな歌がレコード大賞かぁ」と思っていて当時は良さが分かっていなかった。歌詞でいえば「二人でドアをしめて〜二人で名前消して〜」のところがいい。翌年の「女のみち」がド演歌調で「あなただけよとすがって泣いた」のに対し同じ別れでも前向きで希望がもてる。実際、ホステスなど大人の女性にここが受けていたらしい。

なおこの映像では実母の息子を見つめる表情がよくてなんどもリピートして見入ったしまった。
尾崎紀世彦もいい家庭で育ったんだなとその母親を見ただけで想像できた。調べると日劇ダンシングチームの1期生だったそうだ。さらに尾崎の父方の祖父はイギリス人だったそうだ。なーるほど、あのもみあげや西洋人っぽい歌い方はその血もあったか。番組ではなんと「ウルトラセブンの歌」(1967)の出だし「♪セブン、セブン、セブーン」の3番目のセブーンを彼が歌っていると紹介していた。いやー、それは知らなかった。聴けばそこだけよく響いている気がする。尾崎が亡くなったのは2012年でその時のワイドショーなど見ていると彼がよく慕われていた印象でいい人だったんだろうなと思う。

その「また逢う日まで」の動画だが尾崎自身のものも多くYouTubeで出ているhttps://www.youtube.com/watch?v=PDTzKSvXD7E
↑はコロッケがモノマネで披露したもの。もみあげや歌い方はまあ似せているのだろうが背後から本物が出てきて歌うとやはりその違いは一聴瞭然だ。たださすがコロッケ、マイクの握り方は本物と違いなく親指と小指を下にして間違ってはいなかったヨ(⌒о⌒)。

2016年9月19日月曜日

台風に備えたがために・・

今日は長島のクリニックで大腸内視鏡を頼まれていて、台風が心配されたが、例によって強大なパワーな持ち主の元刑事が鹿児島を避けるようパワー出していた(?)せいか鹿児島や北薩は何の支障もなかった(2015/7/7の「なぜに最近鹿児島に台風は来ないのか」参照)。

迎えに来た田久さんに「今日の大腸内視鏡は何人?」と聞くと「8人です」とこともなげに言われた。そうか。ま、外来を診ながらじゃないから集中すればそんなにきつくもないはず。で、1人目から気合いを入れどんどん検査を進めていった。

確か3人目か4人目くらいだったか。なんだか検査室の外が騒がしく感じて「どうしたの」と田久さんに尋ねると「救急車で心肺停止(の患者)が来たそうです」という。そりゃ大変、でもそこはバタフジ院長が対応してくれている。こっちは検査に集中するだけだ。どうも海に落ちて引き上げられた漁師さんらしい。え、落ちる瞬間を別の人が見ていた?!台風で生け簀(す)の片付けをしていた落下してしまった。目撃者は助けを求めに人を探しに走ったが5分くらい経って現場に来てみると行方不明になっていた。4、50分後に引き上げられ当番医のここまで救急車で運んだがダメだった。ああ、結局台風は八代海にはほとんど影響なかったのに・・。よく、田んぼの水を見に行ったせいで亡くなるケースがあるが実際の風雨で亡くなったのではないというのがあまりに切ない一件だった。

午後1時を過ぎ、7人が終わったところで、さああともう1人、と気合いが入っていたところ、田久さんが「先生、もう終わりです」と。「え、全部で8人じゃないの」と聞き返すと「いえ、元々7人で人数間違えていました」だと。なーんだ、拍子抜けしたがそれはそれでいい話だ。ほっとして何のダイヤの乱れもなく新幹線で帰宅できたのだった。

2016年9月18日日曜日

定番マウスはマイクロソフト製

あれ?マウスの左ボタンが反応しないゾ。クリックするけど次に行かない。それが天鳳の牌を切る動作だったから少しあせった。不要牌を切ろうとしているのにィ。仕方ないんでパッドで操作したが天鳳の時はマウスの方が少しだけ使いやすい。単なる接触不良かとその後チェックするもやはり壊れていた。ううむチト困った。パソコンマウスは私はマイクロソフトが発売している一番ベーシックなものがお気に入りで10年以上も使っている。軽くて握りやすくて実に使いやすい。おまけに安かった。今までいろんなマウスを使ってきたけれどこれが一番だ。気に入って医局で使うのもそれにしている。Macのライバルというか敵の製品は使いたくなかったがそれを越えてまで気に入っていたのだ。

で、ネットで即注文をと見てみると、私の使っていた型は相当古いので同じものはなかった。しかし、ほぼ同じデザインで若干洗練されしかも千円以下で同じマイクロソフトが出しているのがそれを注文。安いのも変わりない。2日後には届くという。よしよし。

(2日後届き、使ってみると使用感は全く同じ。よかったよかった。マイクロソフトにはこの定番ともいえるマウスはずっと作り続けて欲しいものだ。↓右がおニューのマウス。)


2016年9月17日土曜日

荒れる場

今日は土曜午前外来、午後は夕方まで日直だった。何もない日はゆっくり出来るのだが・・。はい、半日で5人の入院患者を受け持つ羽目になりました。台風が来るのか来ないのか分からないけれど青雲会病院には嵐が吹き荒れていた。この流れはこの間の信号Dr当直からのようだ。

昼食を摂っただけで午後もバタバタし救急外来にいたら、午後2時53分にサブアラドDrからの携帯が鳴った。何事かと思ったら、「へへ、先ほどスーアンコ、ツモりやした」だって。「う、それはおめでとうございます」「今、牌譜を見直しているところだが・・あ、なんと上家の親も四暗刻聴牌している!オレより4、5巡先に、しかもドラ5もあって出れば親バイだぁ−。ふう、なんて場だったんだー」「それはそれは・・でもセンセ、今救急なんで・・」「お、そうかそれはスマンな」

天鳳の麻雀卓も相当荒れていたようだった。

2016年9月16日金曜日

朝も夜も

金曜は今は非常勤となったええのんかDrが本来は勤務日だがたまたま休みで私が子宮頚癌の検診スメア検査をやることになった。彼女が常勤を辞めてから火水木は私が担当しているので検査自体は慣れている。でも最近は女性人間ドック利用者が増えて以前のように1、2名ということはなく多いときで7名くらいにもなる。今日も7名だった、うわー大変。

夜はスリウェル、難ガターの3人でT-MAXでボウリング練習。金曜日の練習は久しぶりだ。スリウェル君は来週木曜の歯科医師会月例会、金曜の串木野トリオリーグと連荘で参加するため練習参加した。来週火曜も練習予定でやはり試合があるとボウラーは練習をするようになる。ここ1週間ほど4回もボウリングなんてこのところなかった。ずっと以前は毎週こんなもんだったがー。

ラスト1ゲームは私がハンディをスリウェル君に15ピン、難ガターさんに10ピンやって勝負した。へへ、そこまで160アベくらいだった私だがここぞと202ピンで勝った。毎回ダブルスでは負けてばかりだったから少々うっぷんは晴れたぜい。

ところでここ1年愛用してきたお気に入りのボール、マスターマインド・アインシュタインをそろそろ引退させおニューを買うことにした。それでもここ数年使用しているブランズウィック社のボールは変えず、マスターマインドより曲がるタイプのニルバーナシリーズ最新作アブソリュート・ニルバーナにするつもり。マスターマインドと同系統の性質があり今回は何より色合い、デザインが格好いい。見た目も大事だ。
ただ、いつも頼んでいる名古屋のプロショップ「イエローパニック」に注文したいところ、まだ入荷していないようでちと困った。できれば22日の歯科医師会月例に間に合わせたいのだが。他のプロショップには入荷済みなんだけどなあ。ドリルも頼むのでいつも信頼しているイエローパニックさんでないといけない。早く入荷してー。

2016年9月15日木曜日

当直の夜に救急車は何台やって来る?

いくら夜の患者が少なかったからといって翌日はやはり疲れる。昼間が特にきつかったな。もともと今夜はボウリング練習を予定していたがこんなこともあるだろうと明日へ変更した。それで正解。夜はばったり。

アガサ・クリスティーの文庫本が届いていて、見れば10年くらい前から字体も大きく見やすくなっていた。そしてそれなりに値段も700〜800円となりかつての文庫本の安いイメージはない。(だから中古本を選びほとんど送料の方が高かった)

ただ、一つ失敗が・・。「鏡は横にひび割れて」だが、2階の本棚を調べると、ゲッ!20年ほど前に既に買っていた。数ページ読んだだけだったので持っていないと速断していた。ううむ、でも安かったし字も大きくなったからいいかっ。

翌日朝、病院で前日の当直日誌を見て驚いた。外科の信号Drが担当で何と救急車が9台!入院した患者が7人もいた。な、なんと。平日の夜当直でここまで救急が来たことはないんじゃないか。休みの当番日でもそれくらい来るかどうか。前日の私は救急車は1台だけだったというにー。姶良加治木蒲生だけではここまで増えない、隼人国分あたりからも来たに違いない。そっちの受け入れ病院が何かの事情で受けられなかったのか。緊急手術で対応困難ということはありうる。それにしても、あんまりの当直業務ではあった・・。

2016年9月14日水曜日

「誘拐婚」って

今日は当直。救急車は1台だけでそこまで忙しくはなくぱらぱらとTVを見る余裕もあった。

そんな中にTBSの特集で中央アジアのある国(キルギスと思われる)で「誘拐婚」という悪習がいまだに行われているという実態が映像付きで出ていた。村の若い女性を周囲が示し合わせて本当に誘拐して無理やり結婚させてしまうというもので、まだ20才前後とおぼしき娘が本当に「助けて!お母さん!」と泣き叫び連れ去られて行く様は衝撃的だし、あまりに理不尽だった。こんな風習が残っていることに憤りを感じるが、誘拐された娘を男の家族、親族が待っていて娘を説得し白いスカーフを被せることで結婚の承諾をさせる。娘もいやいやだろうが、一度男の家に行き出戻ってくるのは一族の恥という伝統もありおおかた泣く泣く受け入れるそうだ。しかしどうしてもうまくいかず自殺することもあるらしい。法律で禁止されていても伝統や慣習はまだ強く残りこの21世紀になっても続いていることが番組でさらされていた。

ただTBSは誘拐シーンで娘が抵抗する様子を一度ならず二度三度、4回くらい繰り返し見せていた。ちょっとセンセーショナルな方向に行きすぎじゃないか。私には娘がいないけれどもし自分にいたらあのシーンはとうてい許すことは出来ない。彼の国でそんな風習が生じたのには様々な事情が絡んでのことだろう。風土と歴史をよく知らないのでなんとも言えないが、中央アジアや中近東はあまりにも女性蔑視が過ぎると思う。たとえばもし娘が帰ってでもすれば一家の恥さらしとして実の親や兄弟に顔を変形させるまで暴行されたり、果ては殺されることもあると以前別の本で読んだことがある。同じアジアでも女性の扱いは大違いだ。今どきの若い女性たちよ、ささいなことで悩むんじゃない。君たちはつくづく日本に生まれてよかったのだから。

2016年9月13日火曜日

「アガサ・クリスティー完全攻略」

最近は本を買うのはもっぱらamazonでだ。通勤通路に本屋があれば立ち寄るのだが欲しい本があってもわざわざ出かける時間がもったいないし面倒くさい。amazonだと基本送料がタダでネットでクリックするだけで2日後くらいに届く。しかも中古でもいいやと思えば安くも買える。

でも一昨日、アミュに寄ったついでに本屋で立ち読みをしていたら面白そうな本がいっぱいあって瞬く間に1時間半ほど過ぎてしまい帰りが遅くなった。おそらくネットでは読まないような本も立ち読みしてしまい、中には買ってもいいかなと思えるものあった。「山」関係では「新釈日本百名山」樋口一郎著、ミステリー関係では「アガサ・クリスティー完全攻略」霜月蒼著が面白かった。本屋でなければ出会っていなかったはずだ。

特にアガサ・クリスティーのはミステリ評論家の霜月女史が「意外にも7冊しかクリスティーは読んでおらず今回改めて全作品を読破しそれぞれの作品に1から5までの評価をした」とあり、しかも日本推理作家協会賞も受賞していたもので買おうと思ったが値段が2700円以上もしたので後でamazonで安く買おうといらぬ根性を出して結局その場では買わなかった。この前時計買って7千以上(7千円分)もポイントが貯まっていることだし・・。

私はアガサ・クリスティーファンで高校生のころから読みはじめ特に医師になり子どもが出来るころまではよく読んでいた。アガサ・クリスティー読本とか評論本も買っていてクリスティーについてはそこそこ評論できるくらいと思っていたが・・甘かった。プロは違うね。女史の文章を読んでいるとまたもう一度、あるいはまだ読んでいない作品も読みたくなるほどその本質をよく捉えている。批評の中で最低評価を付けたのが「複数の時計」でこれには思わず「だろっ。オレもそうだっ」と唸った。クリスティーにはほとんど外れがないと言えるほど質のそろった作品ばかりなのだがこれはいただけなかった。私が40冊近く読んだクリスティー作品で最低評価がこの本だったのだ。それで発表年が1963年で彼女の晩期に入るころの作品だからと私は解釈していた。

だいたいにおいてミステリー作家は初期の作品ほど質が高く後期になればなるほど質が落ちるのがほぼ通例で、これは江戸川乱歩が「クリスティーに脱帽」という有名な評論で指摘していた。しかしクリスティーに限ってはそうではなく初期(1920年代)よりも中期(1930〜40年代)、後期(1950年以降)にも傑作があると乱歩は感嘆している。実際ずっと以前のこてる日記でも1953年の「葬儀を終えて」では真犯人をたいてい指摘できていた私が見事はめられ唸ったことを書いた。(その印象から私の中ではこれはベスト3に入る)だから「複数の時計」でがっかりしたためこれより以降の作品は1冊も読んでいない。しかし霜月女史の評価では晩年までそこそこのものも多い。で、読んでいない作品で高評価のものをamazonで注文した。その中にはミステリーでないウエスト・マコット名義の「春にして君を離れ」も入っている。これはミステリーではないので手を出していなかった。ほか、後期のミス・マープルものの「鏡は横にひび割れて」、某作品とメイントリックが同じと知っていた「終わりなき夜に生まれつく」、問題作という噂の「フランクフルトへの乗客」、短編集の「死の猟犬」である。クリスティーについては一度では語りきれない。またの機会に書こう。

そう、肝心の「アガサ・クリスティー完全攻略」をamazonで注文しようとしたら・・なんとこれが新作では売っていない。ミニ絶版状態で中古だと4千円くらいと逆に高値になっている。2013年に出たばかりというのに何ということ!しまった、あの時アミュで買っておけばよかった。まったく買い方は「攻略失敗」だったわ!

2016年9月12日月曜日

「こち亀」40年

テニスの全米オープンはバブリンカがジョコビッチを3−1の逆転で下し優勝した。ああ、だから彼に勝ってさえいれば錦織も優勝できたかもしれないのにー。いくら言ってもすでに後の祭りだ。それにしてもバブリンカはワウリンカとも表記されマスコミによってまちまちだ。見せたまえDrに聞いたなら、本来の出身ではバブリンカと発音するが英語読みだとワウリンカになる、とのこと。私は頭の中で「バブリンカ どっちが本当 ワウリンカ」としょっちゅうつぶやいていたのだがこれで腑に落ちた。

少年ジャンプのギャグ漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が掲載40年も経ってついに最終回、ギネス記録のコミック200巻をもって終わりになるという。いやー、そうか。まだやっていたのか。すごい。私がこの漫画を知ったのは昭和53年(1978)大学1年の時で、それまでの受験勉強から解放され漫画に限らずいろんな本を読んでいた頃だ。たまたま見かけたこの漫画が面白く第1巻から毎巻買って読んでいた。爆笑し何度も腹を抱えて笑ったものだ。作者は「山止たつひこ」でこれは明かにライバル誌「少年チャンピオン」の「がきデカ」の作者「山上たつひこ」をパロったものだった。「連載終了でこのペンネームは終わりにするつもりがまさかこんなに人気が出てしまうとは」ということで第6巻100話までで本名の「秋本治」になりその後は第1巻から秋本治名義になっていた。私はその6巻全部持っていたのだが結婚の時のごたごたでどこに行ったのか分からずじまいだ。もし6巻全部持っていたら中古市場で数万はするらしい。もったいない!

結婚後も捨てなかったのは「がきデカ」の方だ。一世を風靡しその後のギャグ漫画に大きな影響を与えたのはこっちの方で確か26巻まで出ている。最後のあたりは人気も落ちいつのまにか終わってしまったが、子どもたちにも読ませたところ非常に面白がっていた。継続は力なりで「こち亀」は誰もが知っているし一度や二度は読んだことがあるものの、「がきデカ」は忘れられ、今では40才以下の人たちに「がきデカを知っているか」と尋ねても誰も知らない。「こち亀」は10巻以上買って読んでいたがいつの間にか読まなくなった。初期のころの破天荒さが落ち着きそれとともに私は興味が薄れたのかもしれない。多分に「がきデカ」の影響を受けていたから自分は気に入っていたのかも。

長期連載出来たということは漫画の質も変えたということだろう。あの破天荒さはずっとは続けられないはず。ギャグの質を維持するのは並大抵で出来ることではなく、だからストーリー漫画と違ってたいていのギャグ漫画は短期連載で終わるもの。秋本治本人の趣味や時流を上手く取り入れ、両さん以外のキャラを上手く使ったからだろう。「漫画界の水戸黄門やな」とふと思ったら、水戸黄門もほぼ40年で終わって(1969ー2011)いた。長寿ものの作品といえどもこのくらいがどうやら寿命のようだ。おつかれさん!

2016年9月11日日曜日

ニューエクシード

おニューの時計が届いていた。デザインはすでにネットで見ていたが実物はというと、まあ想定内やね。興味津々のゲンちゃんがナニナニとやって来ていた。お前には何の役にも立たないさ、「猫に電波時計」って昔から・・言わないか。ハハ。
旧エクシードと並べて付けてみた。やはりこれまでの方がきらびやかさがあって好きだな。新エクシードは日曜日の赤が目立つくらいでそれ以外は実にシンプルだ。飽きが来ないといえばそうだが最初から飽きているとも言える。
バンド調整をしに近くのニシマタの時計売り場に行き少し短くしてもらった。324円で安くて良かった。前はアミュのチクタクでしてもらったら千円もしたのを覚えている。強制電波受信させるとさすがに1秒の狂いもなくなった。これで安心して行動できる。ここ1週間は時計が気になってホント落ち着かなかった。この10年、時計は正確なのが当たり前だった。その当たり前の日常を取り戻すためにそれなりの代金を払ったのである。

2016年9月10日土曜日

ダイボDrの逆襲

明け方、ネットでチェックしていた。錦織は第1セットを取り、2セット目も最初のゲームをブレイクしたので「お、これは」と思ったがその後失速した。プレーを見ていないのでよく分からないが第4セットは完敗だったからどこか故障したかな。(その後体力的に問題があったと聞いた)ああ、またもやメジャータイトルに手が届かなかった。今回は調子良さそうで行けると思っていたのにー。でも錦織が世界の一流プレーヤーでメジャーをいつ取ってもおかしくないことはこの前のリオオリンピックのナダルに勝利しての銅メダル、今回のマレーに勝ったことで誰がみてもおかしくないと証明された。4つのうちせめて一つでも取って欲しいわ!

午後は見せたまえ雀荘で福祉茸君、サブアラドと麻雀だった。福祉茸君には7月に負けていて、そう、あの時は四暗刻をツモられたんだった。今回は許さないヨ〜。

最初の半荘、私は絶好調。プラス44の大きなトップを取った。サブアラドがラス。ところが2回目、3回目と私がラス。すぐにマイナスの世界に入った。福祉茸君も1回トップを取り混戦模様。4回目また私がトップでこれでどうにかプラマイゼロに戻した。半荘5回して福祉茸君はマイナス50の負け、で、彼の代わりに夕方6時過ぎから仕事の終わったダイボDrが入った。このパターンはこれまでも何回かありダイボDrは調子今一のことが多かったが・・。何とこの後の半荘5回のうち4回もトップを取り、ふん!と鼻息が荒いこと。久々の一人勝ちでこれまでのうっぷんを晴らしたのだった。私とサブアラドがマイナス50、見せたまえがマイナス40と4人がきれいに負けを分担した。

ダイボDrとは大学2年に私が麻雀を始めたころからの付き合いだ。あの頃から彼は守備麻雀で放銃しないこともだが彼が上家に入った時は鳴きたい牌を鳴かせてもらえないことが多くそれは徹底していた。それが手作りの遅さになって負けにつながることもあったが、今回、目を見張ったのは親の時は早めの悪形リーチ(間チャンドラ待ちなど)もするし、オーラス私と上がった方がトップの場面で南の後付け(正式には先付け)で勝負した私から上がるなど戦法を変えたの?というくらい思い切りが良かった。みんな進歩しているなあ。今日は精一杯戦ったが負けた。こんなこともある。この次はやったるぜぇー。

そうだ、広島巨人戦を見ながらの麻雀でもあった。巨人ファンの見せたまえは「つまらん」といいながら、2点差の9回裏ランナーが出て次ぎ坂本までつなげば一発逆転サヨナラのチャンスと手を組んで祈っていた。しかし東京ドームに大勢のカープファンが詰めかける中、勢いは広島にあった。リリーフの中﨑の前に亀井はショートゴロに倒れ、広島25年ぶり7回目の優勝!イヤ良かったね、広島。かつてアンチ広島だった私も素直に優勝を祝したい。金のある巨人、阪神よりも選手育成など頑張って優勝を勝ち取り素晴らしい。願わくば金もあり選手育成もするソフトバンクに日本シリーズでは負けて欲しいものだが・・。(日本ハムに負けるなよ、ソフトバンク!)

2016年9月9日金曜日

救急の日「集団災害事故想定訓練」

今日は「救急の日」ということで姶良郡医師会も姶良保健所、消防局との共催で「集団災害事故想定訓練」があり、青雲会病院からも私、ネークチダ、ハムジン看護師の3人が参加した。どちらも男性看護師とはちと色気もないがそこはまあいいだろう。

秋とはいえ非常に暑い日だった。国分は官庁街にある消防局の広場でドクターヘリやら壊れた車やら出てきて「霧島大学(?)学生寮」が地震で崩壊し多数の学生の死傷者が出た模様という設定で訓練が行われた。私はおーい病院の泣かん薗Drらと運ばれてくる学生(加治木のドラゴン桜高校の看護学生がその役を担う)らをトリアージして診察する役割だった。ただ私はグリーンカードの学生相手でこれがさして治療を必要としないと判断されているため大してやることがない。

隣のイエローカードの泣かん薗Drらはいろいろと問診、診察してそれなりの雰囲気が出ていた。レッドカードのテントでは生死を争うという条件の被災者がいて本当に救急車に運ばれマスコミの写真、ビデオ撮影も行われていた。(私も当然デジカメで撮っていた)ドクターヘリも飛び立って行き、日頃なかなか間近で見られない迫力があった。

1時間ほどで訓練は終わりまあそれなりにいい感じではあった。今日は他の市郡でも同様の訓練があったらしい。姶良郡はかなり熊本地震を意識した取り組みだった。その地震に参加したボランティアの写真もあり新聞なんかよりひどい状況だったというのがよく分かった。いや、ホント鹿児島では大地震なんて起こって欲しくないわ。

帰りはすぐ近くの国分スターレーンにちょいと寄り道し、アイスを買ってネークチダ、ハムジン君にプレゼント。暑かったし彼らも喜んでくれたヨ。私は禁間食だから当然食べない。ボウリングテープを買っただけ。帰院したらすぐに病棟からお仕事の連絡が入った。ハイハイ、すぐ行きますよってー。

2016年9月8日木曜日

その時計にしたワケ

うちはWOWOWを入れていないので錦織対マレー戦は見ることが出来ない。ネットで速報をちょくちょくチェックしていたが、結局寝てしまい、後で3−2で勝ったと知り、ウオッ!となった。今好調のマレーに勝ったとなれば今度の全米オープンいけるかも。錦織がいつ優勝してもおかしくない実力を備えているのは間違いない。ただまだ準決勝、決勝とあり一筋縄ではいかない。期待半分不安半分だったが・・。

朝起きたら時計がまた狂っていた。1分や2分じゃない。10分以上だ。毎回セッティングし直してもこれが遅くなったかと思えば早くなったりもする。電波ソーラーでこの10年正確な時を刻んできたからこの狂いは精神衛生上よくない。7月からこうした事態がたまに起きてこの1週間は毎日のように起きている。カールとも相談し新しい時計を買うことに決めた。銘柄は前と同じシチズンのエクシードだ。ネットで調べいくつかあるタイプの中からこの前セージに買って上げたタイプと同じ系統のものにした。デザインは全く変哲もない。
同じくらいの値段のエクシードでも針が深みのあるブルーだったり縁がゴールドだったり華やかものもあったけれどこれにしたのは針が夜光対応だったから。私にはこの機能は大事で寝るときも時計は付けているので明け方暗い部屋で今何時?という場面がしょっちゅうある。なくてはならない機能だ。高いものになればなるほどデザイン上の制約からか夜光塗料を塗らない製品が多くなっている。私は時計に実用性を求めるのでそれらはいくらデザインが良くてもダメなのだ。

今の時計が2005年に購入して今年で丸11年、その前の時計が14年、今度の時計も10年は使うことだろう。

2016年9月7日水曜日

講演会はお後がよろし

城山観光ホテルで「鹿児島 高血圧フォーラム 2016」という講演会があり出席した。これ、薬品会社のベロリンガーと天照らすが共同で主催しお偉い先生を講師に招きそれを聴くという会である。昼間の仕事が忙しく19時前になっても全ては終わりきらなかったが、ベロリンガーのタナカッツ、タシケント両MRとはボウリングでの付き合いもあるしタクシーチケットももらったしで、これは仕事を端折っても行かねばと会場に着いたのは講演の始まる19時半ぎりぎりだった。結局チケットを使わず直接車で行ったのは家に寄ってからホテルに行く時間がなかったからだ。

座席に着くと、左横の座席には2内科同期のカピバラDrと脳外で開業医の内公Drがいた。振り返れば2内科先輩のお通じDrもいる。で、早速デジカメで写真を撮った。こういう時の写真はなんというか、撮っておくべき、自分の経験上そうなのだ。あれれ、タシケント君は「サブアラドDrも来ますから」と言っていたが来なかった。電話すると「ああ、そうだったっけ。忘れていたよ」「そうそう、タシケント君がこてる先生も来るからと言っていたな」うーーむ、どちらも「友人Drが来るからぜひ先生もー(来て下さい)」とのテクニックか。なかなかやるぜぇ、タシケントMR。

このあと、鹿大心血管・高血圧内科(1内科)の准教授講演や教授座長の東大の講師先生のカピバラDrに言わせると「ためになった」講演が約1時間半続いたのだが、なんというか私は全く頭に入って来なかった。後ろで見ていたお通じDrによると「寝ていた」ということだ。せっかくの有り難い講演だったろうに全くバカな私だ。がしかし、この後の懇親会で美味しい食事にありつけたし、何より久しぶりのDr3人との会話で盛り上がったのが良かった。お通じDrが懇親会のあともホテルのバーで「みんなでちょっと語ろうや」と誘い私もノンアルコールではあったが付いていった。

イタブローというバーは私らの他は誰もおらず(平日の夜10時くらいはスカスカ)気兼ねなしにおしゃべりをした。え、なんかこてる日記読者でもあるお通じ、カピバラDrから質問されることも多かったナ。特にカピちゃんはよく読んでいるようで「お前は仕事しすぎだ」とか「麻雀にボウリングにと人生を謳歌しているな」とか「この前のプリウスは近くの道路で自損事故で大破した」とかよう知っているわ!お通じDrは沖縄の病院で私やカピDrといっしょに仕事をしたことがありその時のことが懐かしいとのこと。それは私も同じで、その時にカールとも知り合い1年後に結婚することにもなったわけだし。カールの義理の叔父の開業医のハジメ先生は2内科の助教授でお通じシニア先生とは旧知の仲だった。それもあって私たちの結婚式ではシニア先生に祝辞を述べてもらったいきさつもある。どちらも今は鬼籍に入られた。もう、あの沖縄出張から28年も経っている。一世代分の時が過ぎたということだ。

いやいや、なかなか話しは尽きないが時間も23時を過ぎていて最後に記念写真を撮ってお開きになった。ふうむ、今夜は講演内容はともかくとても充実したいい会だった〜(⌒о⌒)。(左からお通じ、カピバラ、私、内公)

2016年9月6日火曜日

「李香蘭 私の半生」

「李香蘭 私の半生」という本を読んでみた。李香蘭こと山口淑子(よしこ)の自伝(藤原作弥との共著)で少し前にネットで偶然知り読みたくなって注文した。まだ第1章のみしか読んでいないが、さっそく以前から私が疑問だったことに答えてくれた。なぜ山口淑子は日本語も中国語(完璧な北京語を話したとされる)もペラペラだったのかというもので、中国旧奉天に生まれ撫順で育ち、父が中国語に堪能でその先生もしていた上に娘を徹底的に教え込み将来日中関係の仕事に就けるように教育していたからだった。李香蘭という中国名も映画に出るための芸名ではなく、当時李際春という軍閥将軍で当時瀋陽銀行総裁だった人物と父が親友でそのように家族同士が親戚のように親しくなると義理の血族関係を結ぶ風習があり将軍の義理の娘の養子縁組をしその時付けられたのが李香蘭だった。これはあくまでも名目上のことで李家に引き取られるわけでもなく国籍が変わるわけでもなかった。

義理の娘のことを乾姑娘(ガンクウニャン)と呼ぶ。お、クウニャンが出てくる。この呼び名を聞くと田舎のマサバー伯母を思い出す。「支那の夜」をよく歌い、その出だしの口上で「クウニャン悲しや支那の夜〜」と唸るのが常だった。この後「李香蘭」の名前で歌手となり満映の満州人女優としてデビューするのだが当時中国の人たちが中国人と信じたのも無理はない。それに日本においても中国人として振る舞わざるをえず彼女はこのことで悩んでいくことになる。それはまだこの本の先に出てくるだろう。私がTVで山口淑子を見たのは中学生くらいのころかな。司会者や参議院議員になっていて戦前戦中に大活躍した人と思っていたから歴史上の人物がまだいるのかと私は思って見ていた。後にコメンテーターとしてもしっかりしたことを言う人だな、もと一世を風靡した女優がここまできちんとできるなんてと感心していた。この本はなぜそうなのかを教えてくれそうだ。

なお、彼女が子ども時代近隣で起きた平頂山事件(へいちょうざんじけん)のことはこの本で初めて知った。抗日勢力による襲撃に激高した日本の守備隊が報復としてほとんど罪のない住民数百人を虐殺した事件だ。中国側は例によって3千人の被害者と言っているらしい(白髪は三千丈、南京は30万人だ)がそれはともかくも後の資料や証言で残虐なことをしたのは日本人で間違いない。中国も日本も故国と考えらる彼女にとって相当胸の痛むことだった。なかなか重みもありそうな本である。

2016年9月5日月曜日

なぜに寿司屋の店員にお礼を言われたのか

夜はカールが奥様仲間と飲み会とのことで私も別に外食することにした。4F病棟の新人看護師らに声かけようとしたら、今日は4人のうち憂鳥Nsしか勤務しておらず、しかし憂鳥さんが「(妹の)光鳥に電話して誘いましょうか」というのでそれならなおよく鳥姉妹と加治木の「鯛おどり」寿司で食事することになった。光鳥Nsは前日当直の今日は休みで「化粧もしてないわ」と眼鏡かけて姉の車に同乗してやって来た。そんなこと言われなければすっぴんなんて分からない、若いっていいネ。

聞けば父親が県外に今勤務しており帰って来たときなどこの鯛おどりを家族で時々利用しているそうだ。座った座席がこれまたいつもの席らしくスマホで見せてくれた父親と光鳥Nsの写真はまさに今座っている席だった。鯛おどりは私が青雲会病院に勤務したころからずっとあっていつも繁盛している。比較的安いにもかかわらず本格的な寿司でそれも納得だ。

そこそこ満腹になりデザートの焼きプリンを食べ終わったころ、3人いっしょの写真を店員のおばちゃんに何枚か撮ってもらっているうちに、そのおばちゃんが「青雲会病院の先生ですよね」と話しかけてきた。胃が痛くて胃カメラ受けた後、外来で説明を聞いているうちに、こてる先生に「何かストレスでもあった?」と聞かれたので「娘のことで・・」と相談した。それを聞いて先生は「おそらく娘さんはパーソナリティ障害の一種でしょう」と言い、今は時間がないからといくつかためになる本を列挙し読んだらいいと薦めてくれたという。

それを聞いていてなんだか思い出した。5年くらい前だったと記憶している。本の名前は覚えていないがノートパソコンで検索し教えたはずだ。で、それっきり彼女とは会ったこともなかった。しかしこれは意外にもえらく効果があったそうで私が教えた本以外にも読み漁りとても役に立ったとのことだ。特に「娘の症状が母親のせいではない」と分かりとても気が楽になり救われたという。「本当にありがとうございました」と言い、私がたまにこの店に来たときにそのことを伝えようと思っていたが出来ず、今日はそちらから声を掛けてくれたので思いきって言ってみたと。へー、それはそれは。こちらこそ感激です、ありがとうございます。

このいきさつを見ていた鳥姉妹も「先生、良かったですね」と言ってくれたが、店を出た時に意外なことを光鳥Nsが教えてくれた。「あの人の娘さんって私が中学のとき同じ学年にいた。店員ネーム見て分かった。ちょっと変わったキャラだった」と。
え!それはまた奇遇というか・・・縁は異なものである。

2016年9月4日日曜日

「後妻業の女」&6ピンよ出てこい

朝は台風なんてとんでもない、そよとの風もなく、起きてきたカールは「あら、台風はもう行ってしまったの?」と尋ねるほどだった。予想よりだいぶ西側にそれて直撃はなくなった。「なら、いっしょに映画に行かない?」と誘われ、8時20分からの「後妻業の女」を天文館のシネマパラダイスに見に行くことになった。「いっしょに行くなら半額になるわ」とカールにとってこれが三度目の正直だ。先にカールを映画館近くで降ろし先にチケットを買うようにし、私は中央公園地下の駐車場に車を駐めてから地下通路を通って映画館で合流した。シネパラではアニメの「君の名は。」はやっていないのでチケット購入で並ぶこともなくさっさと入場できた。朝一ということもあり客は10人もいない。ほんと、先週のアミュが異常だったんだよ。

「後妻業の女」は面白かった。大竹しのぶの演技はもちろん安定感がある上に金持ち独居老人の財産を狙う悪女の品のなさと妙な可愛げが同居していてさすがだった。裏で彼女をあやつるトヨエツもいい。鶴瓶はダマされるエロじじいかと思いきや・・それにトヨエツになびく若いホステス(樋井明日香=ひのいあすか)が可愛い顔しておっ〇いぽろりもあって・・。タイトルだけで何それと思っていた私だが見て損はない映画だと思ったヨ。

終わって早々に散髪に行き、昼から見せたまえDrのところで麻雀。今日は一人勝ちだった。その最大の要因は7回目の半荘の東1局、親の私がいきなり四暗刻を上がったからだ。1万6千オールで持ち点一気に7万3千点となりみんなに6万4千点もの差を付けた。
ただこの時、少し興奮気味の私は上がり牌の6ピンを卓に叩きつけた拍子に牌を落とし、それが後ろの置き棚の下に潜り込んでしまい壁際まで行ってしまってそれを取り出すのにすったもんだしてしまった。これにみんなブーブー。しかし私は必死で傘の先端を差し込み牌に当て動かすも上手く行かず、結局見せたまえと二人で棚を動かし取りやすくしてから傘先端でどうにか牌を出すことに成功した。上がり牌がないとせっかくの役満も成就しないからな。

ところがこの半荘、とんでもなく迷走して何とオーラスは私があわやトップ逆転されるというところまで追いつめられた。リーチした見せたまえがサブアラドから少し迷って「ロン」と宣言し「裏ドラ乗れ!」とめくった場面、ほぼ2位転落を覚悟したが乗らず、終わってみればわずか2百点差で私がかろうじてトップ。いや〜あんなにあった点棒も3万5千もない体たらくで親役満上がってこんなに冷や冷やした半荘はなかったな。

ともかくも映画に散髪に麻雀と台風一過の充実した日曜だったっす。

2016年9月3日土曜日

「女のみち」無限ループ地獄

明け方は少し眠れた。で、朝9時にはカールが病院まで迎えに来てそのまま高速で福岡まで行くことになった。地震よりも台風12号が心配だがまだ九州までは影響ないだろうと判断してのことだ。運転はカール。「こんなことなら割引、申し込んでいれば良かったね」と言われても台風のスピードを予測はできなかったしなー。

私はMacBookProのiTunesを開きBluetoothイヤホンで自分で編集しまとめた「昭和歌謡シリーズ」を聴き始めた。Bluetoothタイプは屋外、運動時でも良く聴けるようにと遮音性が高い。カールが何か話しかけているがよく聞き取れない。何回が外して会話したがそのうち眠ってしまった。音楽はがんがん鳴り続けていたにも関わらずである。デジタルの音はアナログ時代の雑音やワウフラッターといったゆがみもほとんどないので大音量でない限りこうしたことも可能だ。40分ほど完全に寝入っていてこれでだいぶ疲れが取れた。熊本を過ぎ山川というパーキングエリアでトイレ休憩し運転を交代した。

あっという間に用事を済ませ台風の影響を考え帰宅を急いだ。最初は私が運転していたが少し眠気を感じたのでまたカールに代わってもらった。今度はプリウスに差し込んでいるSDカードから音楽を聴いた。ちょうど八代を過ぎ、球磨川沿いのトンネル多発地帯に突入したのをきっかけに曲を最近の私の練習曲であるぴんからトリオ「女のみち」にセットした。以前にも書いたように曲のラスト「♪これがぁおんなの〜みちなら〜ばぁ〜」が上手く歌えないのでそこが流れるたびにいっしょに歌い練習した。

♪私がささげたその人に あなただけよとすがって泣いた
 うぶな私がいけないの 二度としないわ恋なんか
 これが 女のみちならば

 ぬれたひとみにまたうかぶ 捨てたあなたの面影が
 どうしてこんなにいじめるの 二度と来ないでつらいから
 これが 女のみちならば

 暗い坂道ひとすじに 行けばこころの灯がともる
 きっとつかむわ幸せを 二度とあかりを消さないで
 これが 女のみちならば

曲が終わる。しかしまた「女のみち」のあの大げさなイントロが流れる。「二度としないわ〜」のところから一緒に歌い「みちならば〜」がうまく歌えれば満足だ。しかし40年以上上手く歌えなかったせいかなかなか自信をもって歌えない。曲が終わる。また歌う。

♪私がささげた〜・・これが 女のみちならばぁ〜

イントロが流れる。また歌う。

♪私がささげた〜・・・

曲が終わる。また歌う。

♪私がささげた〜・・・

よしよしだんだん上手く歌えるようになってきた。

♪私がささげた〜・・・これがぁ(ここの息継ぎがコツ)おんなの〜みちならばぁ〜

上手く歌えたぞぁ。よーしもう一度。

♪私がささげた〜・・・

すると、長いトンネルを抜けたばかりのカールがようやくつぶやいた。

「ねえ、お願い。止めてくれない?私、拷問されているみたい」
「は・・やっぱり・・だろうねえ」

メニューボタンを押し、TV音声に切り替えてあげ、
カールはようやく「女のみち無限ループ地獄」から解放されたのだった。(⌒о⌒)

2016年9月2日金曜日

「頑固な人は頑固な病気になる」

昨日、Bluetoothイヤホンが届いてさっそくセッティングしてパソコンの音楽を聴いてみた。ジャック付きの普通のイヤホンと変わらないかより良いくらいだった。部屋の中を動き回ってみると少し音が飛んだりもするが自由が利くというのは素晴らしい。今のスマホ時代には欠かせないわ(スマホはもっていないけど)。近々発表の新型iPhoneにはイヤホンジャックがなくなるとの噂でそれはもう時代の流れといっていいね。

金曜日は外来から入院へパターンの患者を受け持つことが多い。常勤Drが減るしピッチ当番もあるしー。おまけに今日は当直でもあった。夜のうちに来た患者は二人とも尿管結石だった。そして未明に救急で来た57才男性も腹痛とのことだったので、これで3人連続尿管結石だったら珍しい記録だナーなんて思いながら救急外来に向かった。しかし電カルをみると石は石でも胆石がらみとすぐに推測できた。3ヶ月前に近医クリニックから当院外科に胆石の手術依頼で来ていて、MRIなど検査し「近々手術になるのでー」と言われるもその後「仕事の都合」という理由で本当は手術から逃げていた人だった。腹痛が始まったのは月曜からで治まることなく木曜からは食事も摂れないほどだったのにそれでも病院には行きたくないと我慢していた。そして今夜はもう我慢が出来なくなったのだ。

腹部を触ると、あれ?胆石にしては痛みの範囲が広いし表情が苦しそう。これはすぐにCTだ、ちょうど今夜は事務当直を放射線科技師のつくだ煮君が担当していて上等な方のCT撮影を任せられる。で、見てみると・・げっ、急性膵炎。胆石を持っているとこれを起こすことがたまにある。膵臓が大きく腫れてその辺縁がぼやけ、腹水も貯留している。結構重症だ。急性膵炎はうちでも診ることはあるが今終末は私やクニンダDrは休みだし重症管理が必要ゆえすぐに紹介転送を決断した。問題はどこに紹介するか。今切る病院は現在青雲とつながりがあって内視鏡に非常勤で何人も来てもらい患者の紹介は互いに頻繁にある。しかし深夜2時を過ぎている今はプーさん病院がいいのでは・・消化器内科が24時間対応をしていて4、5ヶ月前、胃の静脈瘤出血患者をようやく受けてもらえたのがプーさんだった。と、まずプーさんに電話してみると、おそらくは起こされて眠いだろうに勝佐Drが出て、矢継ぎ早に事情を話す(ただの膵炎でなく「重症」膵炎と伝えた)と「分かりました、いいですよ」と受け入れてくれた。ほっ、である。

つくだ煮技師にCD-RにCT画像を記録してもらい紹介状を書きさっき連れてきた姶良の救急隊にまた電話をし転送を頼んだ。急性膵炎は採血データも本来は必須だが検査技師を呼んで重症の程度をみているヒマはない(呼び出し時間も入れればトータル早くて1時間以上かかる)。症状と画像で間違いないと判断した。当直の有信看護師に添乗してもらい看護師不在はオンコールのマシだNsを呼び緊急に備えた。運ばれてから1時間かからず転送へ。バタバタだった。医局で待機し1時間ほどして帰ってきた有信君に聞くと「こころよく受けてもらえました」とのことだった。ふう・・これでようやく一眠り出来るなあ。

昨日の出血性胃潰瘍といい急性膵炎といい共通するのは病院を嫌がる50才代男性ということだ。結果、どちらも重症化し放置すれば間違いなく死ぬケースである。結局、病院に救急で運ばれしかも濃厚治療に長期入院と一番本人が望んでいなかった結末になった。それでも死ぬよっかよっぽどマシ。「頑丈な人は頑固な病気になる」とはヨーロッパのことわざらしいが、私が言いたいのは「頑固な人は頑固な病気になる」これである。

2016年9月1日木曜日

緊急!胃潰瘍出血手術

出勤するとすぐに病棟から連絡が入った。私の患者で3日前に急性出血性胃潰瘍で入院になった50代男性が緊急手術になっているという。明け方4時ぐらいに胃痛、血圧低下で悶絶し当初は胃穿孔を疑われたが潰瘍の再出血だった。すぐに手術室に行くとすでに閉腹され手術は終わりかけていた。信号Drが「大量に出血して吸引も大変、潰瘍の動脈をくくって止血できました。急いで要請した輸血が来るのが遅くてー(少しあせった)」とまさに緊急事態だった。3日前の胃カメラ観察時に噴水のように出血するのを見てムッちゃんNsが「先生、信号先生を呼ぼうか(手術を依頼しようか)」と言うほどひどかったものの、どうにかして内視鏡で止めようと、局注、クリップ、ソフト凝固とやってようやく止めきり、翌日の胃カメラ再観察でも出血はなく絶食点滴にしてどうにか乗り切れそうとやや安心しかけていた矢先だった。結局今どき珍しい手術での潰瘍出血治療が必要だったわけで、昨夜からの当直が信号Drで本当によかった。

そもそもここまでひどい胃潰瘍になったのには患者の受診嫌いというキャラクターも大きい。痛みや黒色便は1ヶ月近く前からあったにも関わらず、病院に行きたくない怖いという気持ちが先にたち、どうにかなるだろうと我慢に我慢を重ねていたようだ。もっと早めに来てくれれば出血を来たすこともなく胃カメラは必要だが内服するだけで簡単に治っていただろうに。我慢しすぎる人の病気はやっかいで大変だ。うるさいくらい病院に来る患者の方が結局は患者にも医療側にもいいことが多い。実地医療をやっていてこれを実感する。

さて、今日から青雲内視鏡室に新たな看護師がやって来た。五月鍋さんで鹿児島から姶良に引っ越してきたのをきっかけに青雲会病院に入職した。それまでは田袋クリニックで内視鏡の仕事もしていたそうだ。病院とクリニックでは扱う検査も病気もやや違うが全くの素人ではないので早く慣れてくれることだろう。

夜はいよいよ次期W杯の最終予選が始まるということで対UAE戦をちらちら見ていた。まず本田がヘディングを決めたまでは良かった。しかしすぐにFKを決められ怪しい雰囲気に。よそ見している間にPKを与え1−2となった。どうにか追いつき逆転するんじゃないの、でももたもたしているなー、と床に寝そべりながら観戦していたらいつの間にか寝入っていた。23時ごろビデオを巻き戻し早送りで眺めると・・アホ!負けてるやん。浅野の同点ゴールは入っていたが審判に文句言ってもそれもジツリキのうちなんだ。さあて、しばらくはハラハラワクワクでW杯出場が決まるまである意味楽しめるゾーーっ。