こ て る 日 記
「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移転しました。
2024年11月20日水曜日
火野正平とこてる日記
2024年11月19日火曜日
プーさん病院地域医療連携会
2024年11月18日月曜日
血まみれな月曜
当直の深夜、救急車は来なかったが病棟からの連絡はわりにあった。それが私の受け持ち患者のうち大腸憩室から1人、十二指腸潰瘍から1人確かに出血を来しているという所見やデータがあり、明日は内視鏡を追加しなきゃなと思いつつ寝込んでいた。午前7時半前に救急車で来た高齢御婦人は当初は右の胸痛という訴えだったが、救急外来で安静にしていたら頭痛嘔吐納手があった。頭部CTを撮るとなんと脳出血が判明。すぐに脳外科に連絡して入院となった。昼に内視鏡をやっていたら、さらに回復期病棟の患者が黒色便が出て貧血を起こしているという。うわ、この人は1週間ほど前に十二指腸潰瘍出血があった人だ。再出血か。しかし検査は明日することにした。今日の午後は早帰りなんだ。
なんとも血まみれな月曜なこと。
結局、早帰りといっても病院を出られたのは15時半を過ぎていた。帰宅してもカールは不在で、例のREGZA65型を宅配の店に運びに行っているのだった。一人では当然無理でヨカトモ従兄やヒトミンチョ従妹に手伝ってもらっていた。ありがたい。
私は75型REGZAを付けてタイムシフトで過去番組を流しつつウトウト。血なまぐさい月曜から少しでも身体をきれいにしていく気分でしたよ・・。
2024年11月17日日曜日
REGZA75Z870Nを設置したぁ
さてやっと届いたREGZAの75Z870N 、これのセッティングをしないとー。しかしまずはREGZA65Z740XSを片付けるのが先だ。実はこのTVはまだ十分に使えるので沖縄の別宅に送ってそこに据えるつもり。沖縄の古い42型REGZA(2008年製)が壊れたので玉突きのように鹿児島のお古を送って利用するわけだ。
保存してあったREGZA65Z740XSの専用梱包段ボールを持って来て床に置いたら、早速ゲンちゃんとハナビがやって来たよ。ネコにとって段ボールの中って興味津々でしかない。まずはゲンちゃんからだ。
ゲンちゃんが出たら今度はハナビが侵入する。それをカールとゲンちゃんがのぞき見する。しばらくすると、警戒心を解いたゲンちゃんにハナビが例のごとく背後を狙っている様子が・・。しかし結局は何事もなく終わった。65型の台座を外し、付随しているハードディスクを外し配送可能の状態にTVを段ボールに入れた。ここまでで結構疲れ、汗もかいた。しかし、まだ75型を取りだしセッティングする作業が残っている。この時にはネコ2匹は居間から追いやった。ネコのを手を借りたいどころかお邪魔でしかないのでね。↓台座を取り付ける様子。座った後、立ち上がると少しクラクラする。汗かいて脱水気味から低血圧になっているんだろう。2時間程度でほぼ据え付け作業を終わり、昼食を摂ったがまだハードディスクの取り付けが終わっていない。↓NHKBSで剱岳や黒部渓谷の錦秋風景をやっていた。これまでのREGZAより色合いが鮮やかだ。タイムシフトマシン用のハードディスク設置が終わり、しばらくして鹿児島県高校サッカーの決勝戦をタイムシフトで試合開始から見てみた。全く問題ない。今回は8テラの容量にしたので1週間以上は持つと考えている。通常録画用のハードディスクは沖縄のTVのやつをカールに持って来てもらう予定。何事もムダがないようにしなくちゃネ。さて、夕方から病院当直が組まれていた。その前におニューのTVでAmazon Primeを開き、今年1番面白かった韓ドラ「私の夫と結婚して」の第1話を見始めてみた。画像チェックとせっかくだからカールにも見てもらおうとの魂胆も。ネット画質も明らかに4年ほど前の機種REGZA65Z740XSより綺麗だ。言われなければネットの番組だとは気づかない。1話が終わったところで「そろそろ病院に行かないと間に合わない」と私は出かけた。
後で、カールに聞いたら「テル君たらもう、おかげで(いつも見ているTVドラマの)『坂の上の雲』は見なかったし、結局7話まで見て他のことが何も出来なかった」とドハマリしたんだそうだ。だろーね。タイムスリップした主人公が悪人たちにやり返す、まるでサイダーのようにスカッとするドラマだって世界的に人気なったもんね。↓掃除機も片付けないでゲンちゃんといっしょに「私の夫と結婚して」を見ているカール。
75型はそら大きいがもともと居間が大きめなので違和感は全くない。65型の時の方が42型からのアップだったので大きくなったと感じた。いつも言っているがTVの大きさはすぐに慣れる。買ったばかりだが、かなりお気に入りのREGZA75Z870Nだわ〜。2024年11月16日土曜日
勤か休か待か
今日の土曜は仕事はなく休みだった。で、朝はすぐには起きず、布団の中でうだうだとしていたら・・病院の外来のホットウォーターNsから電話があった。
「先生、今、家ですか」「ああ、そうだけど(まだ布団の中とは言えない)」「今日は外来担当日ですよ。しかも救急ピッチ当番も」「ええーっ、休みだと思っていた。誰か(外来診察に)来ていないか」「いいえ。内科を診る人誰もいませんよ」「ちょ、ちょっと待って。確か誰かと診察は交代した気がするんだが」「うんもう、誰もいないから早く来て下さいよ〜」
そんな言われてもー。時刻はすでに午前9時半にもなろうかだ。早く当直表を確かめなくては。その前にヒゲを剃って、着替えも持ってから下に降りた。まず手帳を見ると今日は確かに休みだった。そして「勤」の字を消していた。ああ、最初は勤務だったんだ。当直表を確認する。ほう、合い言葉Drと交代していた。そうだった。合い言葉Drが2週間後の土曜勤務が都合悪く、私に「今日の土曜と交代してくれ」と先月頼まれたのだった。ただ、その変更を当直表に反映させていなかったのは私のミスだ。
すぐに病院外来に電話をし、経緯を話した。合い言葉Drは泌尿器科なので内科外来にDrはいなくて当然だった。ふぅ〜、あせったぜ。
今日はこの前注文していた液晶TV、REGZA75Z870Nが届く予定だった。ネットで最安値の販売所から注文し30万円台だった。今回は画面サイズアップをしたくて前回65型を75型にすると決めていた。単にそのサイズなら今時20万円を切る製品もあるが、私の場合24時間録画可能のタイムシフトマシン付きでないと絶対にダメだ。となると今年新発売の中からはこれとさらにその上のREGZA75Z970Nしかない。75Z970Nは40万円以上もする。私は最上級クラスにこだわるタイプではない。また前回買った65型のREGZA65Z740XSは型落ちでその時点で全国最安値(19万円台)をゲットしたものだった。75型の型落ちも・・と調べると75Z870Mは29万円前後だった。型落ちにしては最新型と値段の差が1、2万円ほどしかない。ならば最新型だ。そうだその前の検討課題として画質がいいといわれる有機ELタイプはどうなのか?有機ELにすると同じサイズでも液晶に比べ10万円くらい値段が上がる。最近の液晶はmini LEDとかいうのを使って画質も向上してるそうだし、だが・・REGZAの有機ELには75型がなかった。これは決定的で論理的にREGZA75Z870Nにならざるを得なかったのである。2024年11月15日金曜日
入れ歯よい
今日は鹿児島で消化器系の地方学会が開かれていた。私は今回は参加しなかったが、本日内視鏡担当の非常勤オルドリバDrがスライド発表があるとのことで休みだった。そこで私が午前10時過ぎから外来業務を休止して内視鏡の手伝いに行った。多くは人間ドックの胃カメラで粛々と進んで行くも、12時過ぎに外科Drからちょっと面倒な依頼が来た。
「70代男性で入れ歯を呑み込んだんだそうです。レントゲンとCTを今撮っています。内視鏡での摘出が可能でしょうか」
部分入れ歯なら何回か取ったことはあるが・・レントゲンを見ると一応部分入れ歯だ。喉の奥から食道にかけて引っかかっているようだ。うーん。
こういう尖った部分のある異物は摘出する際に消化管の粘膜を裂傷させる危険性がある。食道には3ヶ所ほど狭くなる部位があり、喉と食道の境界部は特にそうだ。外科のDrがCTも指示していて少し待機の時間があり、その間文献など調べてみると、結構な確率で外科手術に回されて摘出というケースが多かった。しかしまあ見てみないことには始まらない。この患者さんは要介護4で認知もあるとのことだった。施設の職員が朝、入れ歯がないことに気づくも本人は「呑み込んでいない」と返事したそうだ。しかしどこにも入れ歯は見つからないので病院に連れてきた。結果は見事に呑み込んでいた。で、家族に「内視鏡で取れなければ手術も・・」と念のため釘を刺しておいた。あ・・ちょっと例えが悪い。念を押しておいた。摘出するために鉗子も把持鉗子と使うかもしくはトラペゾイド鉗子でからめて取るか、はてはゴム手袋をうまく使って覆うようにして取る方法は・・なんてことも内視鏡室スタッフは話していた。いろんな思いが交錯する中、内視鏡先端にフードを付けて挿入が開始となった。
「あれ?」
意外にも口腔から喉のちょっと奥すぐに入れ歯は見えた。これは把持鉗子でつかんで引けば簡単に取れそう。
2024年11月14日木曜日
佐々木朗希を非難する前に
2024年11月13日水曜日
国分生協病院懇親会
2024年11月12日火曜日
「ガメラ対ギャオス」
2024年11月11日月曜日
昭和の子ども
最近、青雲会病院の年報冊子が届いた。メインは各部署の実績などが記されている。私も消化器内科部門を書いた。それとは別に、可愛いんだ理事長とラブカメ理事の一文が冒頭に載っていて、特にラブカメ先生の人生80年を振り返っての内容「傘寿を迎え、わが身を振り返る」が面白かった。
先生は昭和19年(1944年)生まれで鹿児島市は天保山の近くで生まれたという。そしてすぐに母親の実家の大口に疎開したそうだ。なんと、その時期カールの母親ギボヒサコも沖縄から大口に縁故疎開していた。その頃ヒサコは小学4年で古い写真1枚が残っている。↓の写真はおそらく昭和21年3月の頃の小4のクラス写真だろう。みんなおかっぱ頭でどの子がギボヒサコか不明である。
戦後2年くらいまでは母と娘3人息子1人は大口にいて、沖縄に帰ったのが昭和23年初めくらいで、昭和17年生まれのヨーコバーバなどその時は鹿児島弁しかしゃべれなかったそうだ。ただし、生まれ育った那覇市は規制もあり、すぐには帰れず、当時沖縄の政治、人流の中心だった石川市(現うるま市)に移った。それは沖縄に残っていた父親(カールの祖父)が勤めていた「うるま新報(現;琉球新報)」社が石川市にあったからで、昭和23年夏に那覇に移転したのを契機に一家も本来の那覇市に戻れたということのようだ。ヒサコの母のミネキヨさんは大口の写真屋の男性に「あなたの旦那さんは沖縄戦でどうせ亡くなっているはずだから私といっしょにならないか」なんて迫られたエピソードもあったとか。
ラブカメ先生の話に戻ると、記憶があるのが今も上荒田にあるルンビニ幼稚園の4、5歳頃からで、進駐軍のジープを追いかけてチューインガムを投げてもらって喜んでいたことを鮮明に覚えているという。なんと、戦後の子どもたちによくあるシーンではないか。ギブミーチューインガム!ギブミーチョコレート!きっと下の写真の中にラブカメ少年もいたのだろう。
荒田八幡の電車の通る場所は少し小高くなっておりそこは子どもらの格好の遊び場だったそうだ。そしてその次にこう書かれていた。「また、自転車で飴を売りながら走る紙芝居に夢中であったことも鮮明に覚えている」
うわ〜、これも戦後の子どもたちの楽しみの一つであったとよく本や記事に書かれてある。そしてこの紙芝居というのが私が小学校低学年の昭和40年前半まででほぼ廃れたのだが、私はかろうじてその紙芝居屋さんを見たことがある。その頃はもう滅多にいなくて天文館公園で見かけたのは1、2回だけだった。おっちゃんがカチンカチンと拍子木を鳴らすと子どもたちが集まってくる。しかしすぐには紙芝居は始めない。5円か10円くらい払うと割り箸に水飴とパリパリした薄いお菓子をくるりと付けてくれる。つまりは水飴代を払えば紙芝居を見ることが出来るんだ。だから子どもたちが7、8人からそれ以上集まるとようやく紙芝居は始まる。だが、私は払った記憶がない。払わなくても遠くから紙芝居を見ることは出来たのである。
ラブカメ少年の小学生時代は昭和20年代だからテレビもない時代だ。最盛期には全国で5万人ほども紙芝居屋はいたらしい。少年が熱中したのもわかる。私の小学生時代は当然テレビやマンガ全盛で紙芝居屋は非常に珍しく、逆にそれで記憶に残っている。ラブカメ少年は八幡(やはた)小学校に入った。なんと丸坊主の頭にDDTの粉を撒かれたんだと。いや、これも戦後に行われていたノミ、シラミ退治の一事業だった。発疹チフス予防に効果がありそれで命を救われた人も大勢いるだろう。ただ、この薬剤はその分解物(DDE、DDA)が、環境中で非常に分解されにくく、また食物連鎖を通じて生物濃縮されることがわかり、そのためわが国では1968年(昭和43年)に農薬(製造販売)会社が自主的に生産を中止し、1971年(昭和46年)には販売が禁止されている。ただDDTの発明者であるP.H.ミュラー博士(スイス)は、1948年にノーベル医学・生理学賞を受賞しているくらい有効な薬剤であった。
さらに入学すると方言をしゃべることに厳しく指導を受けたんだそうだ。「方言を話したら「方言を使った人」と書かれた札を首からぶら下げられた」という。沖縄でもあったいわゆる方言札だ。沖縄の場合、差別の問題もあってこれはよく問題になるが、鹿児島や東北でも同様の指導はあったのだ。実は昭和40年代の私の小学校(鹿児島市松原小学校)でも方言札こそなかったが、その週の努力目標に「方言を使わないようにしましょう」などといった指導がよくなされていた。今では方言は貴重な地方の文化として扱われているというがねぇ・・。
ラブカメ少年は、「この時代、学校での勉強に関する記憶は全然なく、道路での陣取り合戦や荒田八幡(あらたはちまん)神社で暗くなるまで遊びまわったことが懐かしい」と書いてある。私も天文館公園や松原神社で暗くなるまでよく遊んだ。その頃の遊びが今となっては財産にすらなっていると思える。あの頃は「引きこもり」って子どもはほどんどいなかった。塾に行くこともなく友だちと遊びまわることで、人との付き合い方や何もなくても工夫すれば楽しみなんていっぱいあることを自然と学んでいたのだ。勉強は後からでも出来る。しかし小学時代の遊びはその頃にやっていないと後からでは出来ないものなんだ。
私とラブカメ先生とは15歳の差があって、さすがに疎開や進駐軍、DDTは経験していないが、同じ昭和の子どもとしての共通項、共感を覚えたのだった。
2024年11月10日日曜日
日曜の昼前、お昼、昼後
今日の昼は外食しようとは決めていたが、さてどこにするかでなかなか行き先が決まらなかった。で、こんな時は「左膳」にしようって以前日記ネタにした(2021/6/27「そうだ「左膳」にしよう」→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2021/06/blog-post_27.html)ように、カールが「左膳にしよっか」で「ああいいよ」と決まって午前11時過ぎに家を出た。11時半ごろに着いたが、幸いさほど並んでおらずスムーズに店に入れた。
カールは冬季限定メニューと大きくメニュー用紙にあった「牡蠣天そば」を注文、私は定番の左膳定食にした。
天ぷらとそばという日本人にはなじみの食材をほどよい値段で上品にまとめていてどの品をを頼んでもまずは裏切らない。今回も美味しかったです。私たちが帰るころは待合で客が並んでいた。店を出てその足で与次郎の「ニトリ」に寄った。私は特に買うつもりのものはなく、カールが「足ポカクッションっての買いたい」とのことだ。何だそれ?
そろそろ寒くなるころで、椅子に座って下半身が寒い時にこれに足をツッコむといいらしい。1290円で2個購入した。帰宅すると、駐車場から庭の枇杷の木にはたくさん実がついているのに気がついた。うわ〜、このままではまた小さな実ばかりになりそう。もう少し経ったら摘果やな。それでも実を残しすぎる癖があり、今回はちゃんと摘果して来年は大きな美味しい実を付けてもらいましょう。2024年11月9日土曜日
インプラント
午前中、鹿児島中央駅近辺にある「薔薇」歯科に行った。実は3月に部分入れ歯にした左上の4番5番の歯の代わりにインプラントを入れてもらうことにしたのだ。インプラントって仕上がればほとんど日常の食生活で困ることはないし便利でいいのだが、いかんせん部分入れ歯と違って値段がお高い。3月は歯痛がひどく、とりあえずは部分入れ歯でもいいかなと思っていたが、毎日の取り外しがやや面倒なのと食感に違和感がやはり残り、カールが「お金かかっても今のうちにインプラントにしておいた方が絶対にいい」という強力なプッシュもあり、半年以上経ってようやく決断した次第。
薔薇歯科にしたのはインプラントを年間200例以上手がけているといういうし、姪っ子のアサちゃんが歯科医として勤務する歯科グループの医院ということもあってだ。最初にマネージャーのスロープライクさんという担当女性が問診を行った。それは普通に終わったが、彼女の自己紹介の紙があり、ちらほらと眺めると、「趣味」の欄に「韓国ドラマ鑑賞」というのが目に止まった。
「おおこれは」と韓ドラの話題を振ってみた。「私も韓ドラは大好きなんですが、何かこれはというお勧めのドラマは何かありますか」と尋ねた。すると、すぐには口に出て来ないようすだったので「じゃー、私から言いますと」とここは最近のドラマがいいだろうと、今年見たドラマの中でまずは一押しの「ほら、女主人公が夫や友人の裏切りにあって死んでしまうのだけどタイムスリップするドラマで・・」と言うと、「ああ『私の夫と結婚して』ですねー。いやー、私も今それを言おうとしたんですよ〜」と笑って答えてくれた。そして「他にも『涙の女王』がよかったです」とのこと。「涙の女王」は私は第1話の途中まで見てそれ以降を見ていない。しかし、大ヒットしたドラマで出ている役者もキム・スヒョンなど一流どころばかりだ。いずれ見ようとは思っていた。その後、歯科衛生士の歯の診察や歯科医のレントゲン&CT撮影、そしてまた歯の写真撮影などあって、インプラントにあたっての治療法とどのくらいの治療費がかかるなど詳しい説明があった。それらを聞いていて最初にマネージャーに「今の御自分の歯を自己採点するとしたら何点くらい付けますか」に適当に「70点くらいかな」と答えていた自分が少し恥ずかしくなった。レントゲンなどで指摘される自分の歯を客観的に見れば50点もないのではないか。インプラントを考えている歯2本だけでなくまだいくつも治療が必要な歯があることに気づかされた。しかし、お値段を考えればまずは今一番困っている左上2本のインプラント治療を頼むことにした。
2時間以上かかって歯科医院を出たが、骨移植も必要になり合計の治療費は高いなあと思う。義歯で我慢すれば100分の1の値段で治療は終わるのに・・。いや、ここは値段を言っても仕方ない。日本では予防歯科が大事という考えがあまりにもなさ過ぎると歯科医院で言われたがもっともだと思う。今まで放置していた自分が悪いのだ。治療は来月受ける予約をした。全てが終わるまで半年以上かかるらしい。ふう、でも作ってしまえば今の不具合も解消されるはず。部部入れ歯を利用した期間とほぼいっしょだ。あっという間ぜよ〜。
2024年11月8日金曜日
佐伯鶴城出身とな
2024年11月7日木曜日
ハナビの効用
朝夕が寒くなった。今夜はこの秋初めてガス暖房を入れたよ。でもさー、つい2日ほど前の日中はエアコンで冷房にしていたんだよ。さっき「秋」って書いたけど、最近は秋がない。あっという間に夏から冬だぁ。
夕食の後、ハナビがテーブルに上がって私のノートパソコンの前に来てお邪魔しに来た。甘えるように寝そべるので、顎やら額やらをなでなでしてあげると実に気持ちよさそうにする。
そのうちハナビは自分の手や指をちゅぱちゅぱし始めた。母親がどんなネコかは知らないが乳離れが上手く出来なかったんだろうねぇ。↓私も真似してみた。私はパソコンが使えず少し困ったが、しばらくはハナビのするがままにさせた。そのうちパッと飛び降りて、今度はゲンちゃんがくつろいでいるソファに上がった。ゲンちゃん、何だよとにらみつける↓。しばらく緊張が続いてにらみ合いだ。2024年11月6日水曜日
わざと出血させて憩室出血を止める
2024年11月5日火曜日
「退会」欄で偲ぶ
久々に病院で仕事して、受け持ち患者が病状悪化していないか気になっていたが、下血していた患者はみんな出血が止まっていたし、悪化の人も少なくてほとんどいなくてよかった。ところがー。タクミDrから「この前、下血で入院させた患者なんですがー」と大腸憩室出血疑いの男性患者の大腸内視鏡を頼まれた。うわ、この2週間で何人目の大腸憩室出血よ。で、夕方検査したが、案の定出血源は見つからなかった。S状結腸に憩室多発ありそこからとは分かったが特定するのは難しい。しかしこの患者さん、数年前に2回目の内視鏡で出血源を突き止め止血処置をしている、今回も1回であきらめる私ではない。しばらく絶食点滴で我慢してもらい今度出血したら絶対見つけてやるぅ。
11月号の鹿児島県医師会報を眺めていたら、「退会」欄に二人知っている先生がいた。一人は枕崎の病院の大御所だった街一先生で、直接話をしたことはないが、鹿大第一外科出身で可愛いんだ理事長の先輩にもあたり青雲会病院の忘年会に毎年来られていてお顔は知っていた。もう一人は人藤斎先生で、9月4日に亡くなられていた。人藤斎先生は循環器が専門で出身科も違うが、学生時代にバスケ部のコーチをしてくれたことがありお世話になった。それとは別に、そのころの私は自分が医師を目指す意味が持てない頃で、先生に正直に「医師という仕事にあまり意欲も興味もない」ということを口走ったことがあった。すると先生は「何を言っている。医師という職業は自分がちょっと頑張ればすぐに患者さんに反映されて結果が出るもんなんだ。それって他の職業よりずっとやりがいの持てるいい職業なんだよ」と諭された。それは非常に印象に残っていて「なるほどそうか」と納得したのだった。
出水のスチョル先生は大学病院時代に人藤斎先生が直接の指導医とのことで、最近呼ばれて自宅までお見舞いに行ったんだそうだ。末期の病気で「もう助からない」と言われたんだとか。私が医師になり大学病院ですれ違った時には「おお、こてる君」といつも声をかけてもらっていた。確かまだ70歳前半くらいでだったはずだが残念だ。ご冥福をお祈りいたします。
2024年11月4日月曜日
昔懐かし「峠の釜めし」
新幹線で鹿児島中央駅に降りて、すぐに駐車場へは向かわず、お土産横丁に寄った。病院へのお土産を買うためだ。鹿児島以外で学会があったのになぜに鹿児島で買う?それはちゃんとした理由があるが、そもそ荷物になりがちなお土産はあまり持ち歩きたくない。鹿児島で買えば持ち運ぶ手間が省ける。たださすがに選ぶ時はありきたりなのが多くて困った。で、私が食べたことのない安納芋ランドグシャ「さつまがさね」というのを選んでみた。人気No1とも書かれてあった。これを各病棟や外来、人間ドック、他などへ贈るのに都合1万円をゆうに越えたが、多少なりとも迷惑を掛けたのでこれくらいは仕方ないね。
一旦帰宅してから病院に寄って各部署にお土産を配った。そして今度は空港へ。ココちゃんへのおひな様人形を買って上げに千葉に行って帰って来たカールを迎えるためだ。車に乗せて「夕食はどこか外で食べようか」とカールに言うと「それがねー」と彼女は声を落とした。実は銀座に売っていた「峠の釜飯」を夕食用に2人分買っていたのだそう。しかし、購入後トイレで落としてしまって1個釜を割ってしまったんだと。カールは昔埼玉に住んでいて「軽井沢に行った時に横川という駅で友人が『ここの釜飯って絶対美味しいよ、買おう』と言われたの。最初は駅弁なんてと思ったけど食べたらホントに美味しかった」という思い出があり、最近NHKのローカル線の番組でも出ていて懐かしく思っていて買ったんだという。今は横川駅に列車も止まらず駅では買えないらしい。へーえ。
帰宅して改めて開けたら、やっぱり釜が割れてご飯にちょっと破片が混じってしまっていた。それでもどうにか食べられた。昔ながらのオリジナル商品だという。
カールの青春時代を私も疑似体験しつつ、釜飯を美味しく食べたのだった。残った釜はまた再利用で一合飯を炊くことも出来るとか。ありがたや〜。