「今風ですね」「何か車の名前みたいだな」「ああ、ええとセ・・リカでしたっけ」「うん、トヨタのセリカとカリーナって兄弟車があったがそれの合成みたいな名前だ」
そう、私は初めての車が白いカリーナ(二代目)だった。ハードトップという2ドアで真ん中にピラーのない当時流行っていた型の車だった。私が高校3年で受験勉強をしている時、デンコー親父が「いいか、こてる。お前が国立の医学部に入ることが出来たら車をしかも新車で買ってやるぞ」と発破を掛けてきた。ただ、そんなことを言われても高校生にとっては別に車なんか興味もなく、ただ早くつらい受験勉強から解放されたくて頑張っていただけだった。首尾良く合格出来てもすぐには車に興味はなかった。1年生後半になって自動車学校に通いだし、路上運転をし始めた頃になって、俄然車に興味が湧いてきた。確か新車を買ってくれると言っていたな。親父はトヨタにずっと乗っているし、まあトヨタの中から手頃な車を選びたい、とカリーナという車に目星を付けた。免許を取ったのは1979年1月で早速車選びに入って親父に「カリーナがいい」と伝えていた。
ある日、学校から帰ってみると、車が来ていた。デンコー「おい、てる、これでどうだ」と見たら、何とカリーナはカリーナでも中古の初代カリーナだった。しかも色が茶色のダサいヤツ。私は最初からオートマチックトランスミッションを希望していたこともあって「イヤだ、これは。それにとーちゃんは新車を買ってくれると言っていたじゃないか」と、ぶーたれた。新車がいいなんて私ではなく親父が元々そう言っていたのだ。約束が違うじゃない。↓はネットから拾ってきた画像だが、まさにこの車と同じ型、同じ色だった。さすがに親父も仕方ないと思ったのか新車のカリーナを買ってくれることになった。しかし当時は排ガス規制のためにエンジンがパワーダウンされていて加速が弱い車種が多かった。それも分かっていたのでカリーナの排気量1600cc、1800cc、2000ccの中で私は1800ccを希望した。オートマチックはパワー不足も予想されたからだ。しかし親父は「だめだ学生のお前にぜいたくはさせられん」と1600ccでいいと主張した。その時のセールスマンも「1600でオートマはまず出ない。初めて売りますよ」と言っていたくらいで、1800は5万円高いだけだったが、親父はゆずらなかった。新車を買ってもらうという点は約束違いでもなく私は受け入れるしかなかった。
車は春休み3月下旬に届いた。しかしその時私は親戚のバタフジ従兄のいる滋賀医科大に遊びに出かけていて、初めて乗ったのは数日後だった。まあ初めてのマイカーで単純に嬉しかったな。ただ、先に試乗していたデンコー親父がこんなことを言いやがった。「あん(あの)車はアクセル踏んでも全然スピードが出ん(出ない)。どんくさいのはお前に似たからだ」な、なにーーっ!だから排気量をもうちょっと大きくして欲しいと頼んだんじゃない。それを私のせいにするとは・・。全くゴーイングマイウェイ、自分がえらくて他人をけなすのは全く平気なデンコーらしいエピソードであった。
それを聞いたずっしり師長は「面白いお父さんだったんですね」だって。違うってばー。
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