「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移転しました。
2025年3月6日木曜日
ネコの夢をみた理由
2025年3月5日水曜日
「私、今、ドラマを見て泣きたいの」
夕方、4階病棟で仕事を終えようとしていると、近くに島棚王NsとマリンNsがいたので、「おう、今日はいっしょに夕食なんてどう?」と声を掛けた。すると、マリンNsが「今日は遅出なんで・・(帰りが19時になるので)」と躊躇していた。彼女らとは3年くらい前にいっしょに食事に行ったことがあり久しぶりなんで、島棚王さんが「先生、19時まで待ってくれたら大丈夫ですよ」と乗ってきた。それくらいなら待てるわと急遽まとまった。で、それまでの時間はちょうどこてる日記を書く時間にぴったしでうまい具合に書き上げ、19時過ぎ私の車で姶良のとんかつ屋「万作」に行った。まあ、ここなら間違いはない。
私は極上黒豚とろロースかつ膳(一番高い)にし、彼女らは海老フライが入ったかつ膳にした。そして恒例のゴマすりを開始だ。これ、いつも思うが「人に胡麻を擦る」という動作の語源がよく分かるよねぇ。↓白がマリンNs、黒が島棚王Ns。
ただ値段は以前より1、2割上がっていてこれは仕方ないな。そもそもこの30年ずっとインフレが抑制されていたのが不思議なくらいだった。もっともそれにともなって給料も上がらないと話にならないが・・。食べつつ、去年まで青雲会病院にいたヤマミューさんがこの前結婚式を挙げた際に、出席者に元や現青雲会看護師がたくさんいて、その集合写真から青空美NsやエイアイNsの現況、彼女らがこてる日記に登場した際の話題など延々続いた。島棚王Nsは「私のこてる日記登場名の山鳥Nsってのはあんまし気に入ってない。5階病棟のミヤビーエムNsってのは受けた、最高」っていうから今回から島棚王に変えたわ。気に入ってもらえずとも受けるのは間違いないハズ。その他、まあ若いなりの話題がちらほら出た中で、島棚王さんが「私、今泣けるドラマが見たい。そんな気分」というのでその後は韓ドラの話題で盛り上がった。もっとも私がNetflixをただで見られるのはマリンNsのおかげだし(マリンちゃんは私からUーNEXTをもらっている)韓ドラネタは鉄板だったんだ。2025年3月4日火曜日
ここに集いし同期4人
夕方、1ヶ月ほど前に日記ネタにした(2025/2/3)マッコーDrが面談に来院した。彼は4月から週1の非常勤で勤務する予定である。その時の日記で常勤を外れるからと書いたがそれは私の勘違いだった。今勤務している鹿児島市内の病院は週4日常勤は変わらず、別の病院の非常勤が外れるからということだった。なるほどそれなら納得がいく。彼には上部下部の内視鏡と人間ドックでの診察などを主にやってもらう予定だ。私もより3歳年上で髪は染めているようで眼鏡も掛けていたが、実年齢より若く見え相変わらずのイケメン、いやイケオジか( ・_・;)。
医局ではちょうどダヒロDrもいて久しぶりに会い、「去年ゴルフをした時に『青雲会に来ませんか』と言ってましたよねー」と語るもマッコーDrは覚えていなかったようだ。いや、今回もたまたま金曜日の内視鏡担当Dr枠が2月から急に空いたためマッコーDrの希望と合致し決まったわけで1年前なんかこっちに来る気などさらさらなかったはず、青雲会なんて気にもかけていなかったってことだ。かくいう私も青雲会病院(当時は青雲病院)のことを知ったのは入職する1年ほど前で、姶良を車で通りかかった時に偶然見かけて、カールに「へー、青雲病院ってあるんだ」と語ったくらいで、その時にまさか1年後に就職するなんてこれっぽちも思っていなかった。2000年にここに来て、その後丸25年もずっと勤務し続けるなんて思っていなかった。
マッコーDrとは大学入学から数えて丸47年、5月から常勤が決まったオンザビーチDr(2025/2/20日記で紹介)も同期入学の縁だ。10年以上前から非常勤のアミヤンDr合わせて同期入学が4人もそろったか。おおよそ半世紀前にはまだ青臭い学生だった4人が青雲会でそろう。なにがしかの縁だろう、大事にしなくては。
2025年3月3日月曜日
茶の里Nsの子どもらが今ハマっているものとは
2025年3月2日日曜日
湯島天神の奇跡
今回の千葉行きは気候が暖かく晴れていてよかった。明日から関東地方は寒くなり雪もチラつくそうだからツイている。今日の夕方に私は帰り、カールは残ってセージファミリーやマーヤ母らと明後日以降に小旅行の予定だ。
それで今日は「湯島天神(湯島天満宮)に行かない?ちょうど梅が見頃みたいよ」とカールがいうのでOKしていた。彼女は学生時代に埼玉や東京で生活していて、試験の前にはよくお参りしていたいう。久しぶりに行ってみたいとのことだ。だが朝食が終わってすこし余った時間を私は天鳳を一半荘やってしまったのだ。最近すこぶる調子がよくてヒマがあればちょくちょく打ち、たいてい1位2位でポイントも急回復してきている。だがこの半荘、意外に時間がかかった。カールは「もう早く行こうよ。なんで出かける前に麻雀なんかするのぉー」とぷりぷり。途中で止めてもいいが、私はトップ争いをしておりそれはもったいない。カールのなじりと周囲の冷たい視線を浴びながらも「もうこの局で終わるから」とラス前、オーラスを打ちづけた。で、クイタンのみで聴牌し対面が当たり牌の2ピンを出したので、これでようやく終わり、トップだぁと思った瞬間、ラス目の親も上がり宣言をした。なんとダブロンで親の連荘となりまだ終わりにはならなかった。この後もしぶといラス親は連荘を続け、業を煮やした私は親以外なら誰でも上がってOKという打ち方をし、トップ争いをしている下家に放銃し、結局2位で終わった。
ようやく出発できることになったが、予定より1時間ほども遅れてしまい、ご機嫌ななめのカールをなだめつつJRで御茶ノ水駅を目指した。そこから乗り換えて湯島駅に着くと、湯島天満宮は歩いてすぐだった。実はその名前は知っていてもどこにあるのかは初めて知った。上野の近くで不忍池も近くに見えた。その池も名前は知っていたが私は行ったことがなかった。天満宮は私の思っていたものよりずっとこぢんまりとしていた。太宰府天満宮くらいの大きさかと。曜日も天気もよくて参拝客がいっぱいいた。そして梅もちょうど見頃で近づくとほんのり梅の香が漂っていた。
露店もあり野点(のだて)もやっていてさらに結婚式も宮内でやられていた。梅の木も様々な種類が植えられ華やかさ満点だった。露店で日頃は何も買わないカールが珍しく「かりんとう」を買っていた。「セージが好きだから」だって。買うとくじ引きがあってカールの一人前のおばさんは当たって「うわー御利益があったわぁ」と喜んでいたが、カールは残念はずれだった。だがー。この後、奇跡が起こる。こんな奇跡、全く想像も予想もしていなかった。しかもこの湯島天神内でそれは起きたのだ。カールが「帰りは別の出口から出ようか」と3つある坂のうち、来たときは別の方向へ向かった。もう少しで階段に近づくというその時、カールが「あ、あの人、プードルのオバさんじゃない?」と言ったのだ。「え!?」とそっちを向くと確かに一昨日京浜急行で見かけたプードルオバさんだった。中年過ぎで髪は茶髪、すこし肌色はややくすみ、胸にプードルを抱えている。すぐに戻り、カールの写真を撮るふりをしてそのオバさんとプードルを写真に収めた。カールも撮られるふりをして協力してくれたよ。一昨日のあの時、すっごく写真を撮りたかった一般の人にこの広い東京でまた出会えた奇跡、そして写真を撮ることが出来た奇跡。いやー本当に驚いた。あの時、カールに「ぜひ見てみて」と言わなければ彼女も今日は気づかなかっただろうし、何より天神様へのお参りと梅を見ようと思わなければ再び会えることもなかった。そう、私が麻雀をしてここに来るタイミングが遅くならなければ、ばったりもなかっただろう。
この後、近くで昼食し、不忍池、寛永寺を見て、上野からアメ横商店街をぶらぶら歩き(アメ横も私は初めてだった)、そこでカールと別れ、私は羽田空港へ、カールはまた船橋へ戻った。いわば上野地域の散策をしたわけだが、ずっと後になっても思い出すのは、プードルオバさんとの奇跡的な邂逅(かいこう)、これが一番だろう。これが今日のネタになるのも当然であった。2025年3月1日土曜日
今日は楽しいひな祭り
2025年2月28日金曜日
プードルは撮れなくても
17時半には羽田に着き、京浜急行で品川を目指した。終末の通勤列車でもありほぼ満員であったが運よく座席には座れた。しかしカールとは席は離ればなれのままだった。周囲を見ると、私と居眠りしている男性以外、みーんなスマホを見たりいじったりしていた。私の隣の高齢男性もチラッと見たら、乗り換え案内の画面をいじっていた。いや、世はまさにスマホ時代と言ってもいいね。
ふと、対面の茶髪のオバさんを見たら、なんと膝に乗せた袋の中にトイプードルが入っていてその頭と顔だけちょこんと覗かせていた。電車の中でじーっと温和しくしている。可愛いー。きっと賢いんだろうね、ここでキャンキャン吠えたら迷惑だって分かっている風だった。品川で乗り換える必要があって電車を降りたが、デジカメで写真を撮りたかったよ〜。で、すぐにカールに「ほら見てみて、可愛いから」とホームから電車の中を見るよう仕向けると、カールも「あら可愛い」と。私が「写真撮りたかったがさすがに出来なかった」と言うと「隠し撮りは絶対に良くないけど、『可愛いから撮らせてー』って言えば大丈夫だったと思う」と言われたが、大勢の客もいる中でそれを言う勇気は出なかったわ。まあ、仕方なかった。
船橋駅のビル中のファミレスの「不二家」で夕食を摂ってからセージに連絡し車で迎えに来てもらった。家に着くとさっそくココちゃんがお出迎えだ。あー、可愛いねぇ。
ほんと赤ちゃんの笑顔って最高だ。まだつかまり立ちしかできないがハイハイでは活発に動き回る。ふむ、プードルも可愛いが人間の赤ちゃんには敵わない。さっきとは打って変わって写真を撮りまくる私であった。2025年2月27日木曜日
理事長講演&食事会
可愛いんだ理事長が夕方製薬会社のMR向けにリモートでの講演会を行った。青雲会病院から外来の30症例以上集め、診察と画像や検査データを交えてどのように治療したかを解説、説明していくやり方で、以前医局会で行ったものに症例を増やし、個人情報にも留意して1時間ほどしゃべり続けた。最後は「もう口が疲れたぞ」とのボヤキも出るほどだったが、モニター越しにMRらからいくつか質問も出るなど、なかなか有意義な会だった。
で、終わってすぐに「『鎮座のまんま』で食事をするから」来るようにと言われ、ちょこっと病棟指示を出してからすぐ隣の和食店での夕食会に参加した。この会を担当したMRとそこの所長さん、カワゼンDrと5人で食事をし、今回の会のことや薬品の効能や医療界のことなどいろいろと話題が出た。その中で昨今の製薬会社情報で「うちの製薬会社は日本では中堅クラスですが、今や大手の会社はMRをかなり減らす方向で動いています」と教えてくれた。最大手の某製薬会社など鹿児島県にたった3人しかいなくなってしまったそうだ。これには驚いた。そういえばそこは最近病院に来ていないわ〜。リモートで代用したりするようになったということもあるが、MRの人海戦術で薬情報をDrにアピールしまくるというのがもう古い時代のやり方になっているようで、それとコスト削減の意味もあるらしい。ふむ、なるほど・・。
ただ、そう言われても私は、きめ細かな薬の情報をMRから直接聞いて「なるほど」とか「そうかいう場面で処方すればいいのか」とヒントをもらえることが多い。たまには私の趣味や嗜好であるボウリング、麻雀、囲碁などでたわいもない会話をすることもあり、メールやリモートTVだけではなかなかそこの会社の製品になじみが出ないんだよなぁ。今回は可愛いんだ理事長が、車の一時停止違反で反則金を払ったばかりでなく、後日認知検査も含めた運転テストも受けさせられた話題を出すと、「私も一時停止違反で捕まって」と某MRとカワゼンDrがばらし、私も「年末に信号無視で・・」とほぼ全員が違反切符を切られていることが分かった。みんなで苦笑いし「なんでそんなに危なくないような一時停止なんかで隠れて捕まえようとするのか」などとK察の横暴(?)に不満をぶつけ合ったりした。共感。
2時間ほどで会は終わり、私は「じゃー失礼します〜」と挨拶だけし、そそくさと車で帰るふりをして、実際は病院に舞い戻った。月末のレセプト業務が残っていて、明日は午後は年休を取る予定で、いつも月末にはちゃんと済ますように心がけているため、どうしても今夜やり終えておきたかったんだ。すでに明日で2月が終わってしまうんだよ。たった3日とはいえいつもの月より全く余裕がない。まあ、美味しい和食が食べられたから居残り業務もよしとしましょうか。
2025年2月26日水曜日
孫自慢
2025年2月25日火曜日
カールの幼なじみの息子は実はJUONだった
カールがこてる家のLINEに「今夜の踊るさんま御殿を見てー」と連絡があった。何でも子どもの時からの幼なじみの息子がその番組に出るということだった。
へー、この若者はいったい誰?カールに言わせるとミュージシャンということだ。「ほう、さんまの番組に出るということは結構有名なんやろな」と私が感想を言うと、カールは「私もよく知らないけど友人が可愛がっていて今度番組に出るとのことで20時から見ようかなと思って」という。番組が近づくと、こてる家LINEでも息子らが反応し、セージが「だれW」テルが「誰だW」とハテナ印だった。そんなに有名な歌手ではないのかしらん?で、番組が始まってこの男性ミュージシャンは「JUON」という名前であることが分かった。それが分かれば今の時代ネットですぐに検索し詳細が判明される。FUZZY CONTROL(ファジィ・コントロール)というロックグループのボーカルとギターを担当しているとか。今度はチッチが「奥さん吉田美和なの?すご」「(そういえば)この人、前にモニタリングにも出ていた」、セージも「良だ美和の旦那?マジで?」と徐々に正体が分かっていき、私がさらにWikipediaで調べたところ、なんとあの「私は泣いています(1974年)」の歌で有名なりりぃの息子だとあった。なに?!ということはカールがいうところの幼なじみの子どもではないじゃない。いったいどういうことだ?「じゃぁ誰なのよ」とチッチの投稿があってしばらく、カールもその幼なじみに確かめたようだ。「息子だけど、旦那さんの前の奥さんが、りりぃだって」「私も、初めて知った!小さいときから、幼なじみの彼女と居たから、その息子だと思っていた。私が子育てで忙しく、沖縄に行ってなかったから(詳しい事情を聞かされていなかったとのこと)。旦那さんの連れ子だったんだって!」カールはずっと幼なじみの実子だと勝手に思い込んでいて、ついさっきそうじゃないって知ったのだった。
2025年2月24日月曜日
当直終えて
2025年2月23日日曜日
ドラマから彼の国の実情を思う
もう一つ思い出した。昨年9月25日に「胸くそ悪い記事ってこんな記事のことをいう」と日本の某ジャーナリストが「すでに日韓はあらゆる面で逆転した。それを物語るのが、グアムである」と韓国を持ち上げ日本をけなす記事を書き、私は猛反論したことがあった(→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2024/09/blog-post_25.html)。日本のジャーナリストの中には「日本はダメだ、日本は遅れている」と言いたがる傾向の人がいるのである。まあそれは置いておき、韓国が日本を凌駕しているなんて論説が間違っているかは、たとえば昨年の韓国の中央日報誌に出ていた「韓国籍を捨てて海外移住をする韓国人の多さが日本とは比較にならないほど多い」という記事を読んでも分かる。
2025年2月22日土曜日
放置ドラマ「ザ・グローリー」2年ぶりに続きを見る
今日2月22日はニャンニャンニャンから猫の日だってか。うちのネコらもゲンちゃんとハナビ、仲がいいとは言えないけれど適度な緊張感をもって過ごしている。
世間では三連休らしいが私は土曜午前の外来勤務があった。これがまた忙しかった。2人の入院指示出し中に緊急内視鏡が重なった時に、院外電話があって「コロナ陽性の人の入院依頼がありますけど」と来た時がストレスのピークだったな。結局コロナの人は断ってどうにか乗り切った。
夜は久しぶりにNetflixでの韓ドラを見た。実は2年前に全16話中8話まで見ていて放置していたソン・ヘギョ主演の「ザ・グローリー〜輝かしき復讐〜」を第9話から見始めたのだ。なんでそんな中途半端なことをしたかというと、このドラマネット配信のみで前半8話が配信された後、3ヶ月経ってから後半の8話配信だったからだ。そうとは知らず8話まで見てしばらくしたらドラマのことを忘れていて、後で思い出した時にはなかなか配信ボタンをクリックするのが億劫になっていた。だってそれだけ経てばストーリーや登場人物なんて半分くらいは忘れているでしょ。放置してしまい、その間2年で20作以上も他の韓ドラ作品を視聴していたわ。2025年2月21日金曜日
「霧島市立医療センター」今と昔
夕方、国分の京セラホテルで「第18回始良地区地域連携NetWorks情報交換会」に出席した。実はこれ、加治木温泉病院が主催で前回は昨年10月3日にもあり、その時は私は別の会議の影響もあってだいぶ遅れて駆けつけての参加だったと日記にも書いた。今回は20分前には到着し席に着いた。その席もやはり中央前のテーブルだったが、今回はメインのゲストは霧島市立医師会医療センター院長の河野嘉文先生だった。加治木温泉病院のリハビリ部門の発表の後、河野院長が今月リニューアルオープンした医療センターの概要を紹介、アピールするスピーチを行った。古かった建物をほぼ全部建て直し、先進機器の導入、そして鹿児島県では初めての病室の全室個室など新病院といってもいいほどの新改築になった。
河野院長は「旧病院では猿や猪が出没していましたが・・」とスライドで院内に野生動物が出没するなどの状況であったと少々の笑いとともに説明をしていた。そしてロボット支援手術、PETーCTやICU・CCU増設など紹介され、地域の基幹病院としての充実ぶりがよく分かった。直近の利用者アンケートもあって「さっそく少々のクレームも出てきまして・・」といくつかそれを取り上げていた。↓に列挙してみる。・外来待合の椅子が少ない
・バス停の椅子がなくなった
・無料のお茶がなくなった
・会計待ち時間が長い
・会計の近くにトイレが必要
・A〜Fのブースではなく番号にしてほしい
・駐車場が足りない
・設備は一流、対処は二流
「無料のお茶」はそもそもがなくてもいいはずだし、「椅子が少ない、駐車場が足りない」については「実は従来なら患者1人につき付き添いは1、2人程度だったのが6、7人も付いて来ているケースがかなり多い」らしく、実は新病院の見学がてらの人が多いそうだ。会計待ち時間もクレームでは1時間と書かれてあったが実際にチェックすると約20分であったそうだし、会計の近くのトイレも確かにすぐそばにはないが10mちょっと歩けばトイレはあるそうで、「A〜Fのブース」問題については「それなら『いろはにほへと』にしましょうかねぇ」とのことだった(笑)。ま、「設備は一流、対処は二流」との指摘には「今後努力改善していきます」とのことであった。まあ、クレームだけ取り上げれば以上のようになるが実際はお褒めの言葉のかなり多いそうでなによりだ。
後でテーブルでの河野院長の話で「うちは平均在院日数は10日未満に抑えなくていけない」と聞き、大変だなと思った。医療センターは完全紹介型の病院ゆえに次から次へと患者さんを受け入れては出していかねばならないわけで、ある程度改善すればまた紹介元に帰すか介護施設へ転所させねばならない。平均在院日数が10日を超えると基準を満たせず収入が減らされる仕組みなのだ。青雲会は同じ急性期病院でも紹介状なしでもOKでかつ高齢者の入院もかなり多くとても10日未満に退院とはいかない。
実は私は今から38年前に前身の国立療養所霧島病院時代に半年間勤務したことがあった。それまでにいくつかの大きな病院に勤務したことがあったが当時の霧病は一番雰囲気が違った病院だった。病院内には「民間移転反対!」などのビラも貼られていたし、職員も看護師さんたちがみないわゆるおばさんばっかしで20歳代は病棟に1人か2人くらいしかいなかった。患者さんも長期入院が多く、3年4年はおろか10年近く「住んで」いる人もいた。看護師さんが「あの人はもう帰る家がもうないそうですよ」とこそっと教えてくれ驚いたものだ。また、私は消化器内科として内視鏡検査をせねばならなかったが、そこにあった大腸内視鏡は見たことないくらいの古い機種で(無論電子内視鏡ではなくファイバースコープ)、硬くて操作性も劣り、私は半年の間一度も回盲部まで到達出来なかったのだ(今ではあり得ない)。
そして今から25年ほど前の2000年7月にとうとう「霧病」は閉鎖となり、隼人町立で運営は姶良郡医師会が行う病院(当時は隼人町立医師会医療センター)として再出発となった。偶然ではあるが、私は青雲会病院に就職したばかりではあったものの、立ち上げの最初の9ヶ月を週1日水曜日に内視鏡検査担当になった。内視鏡医が不足気味で大学第二内科に依頼があって当時の内視鏡室のボスの松ピカ先生に「最後のご奉公」として頼まれたのだった。毎週、胃カメラ7、8名、大腸内視鏡4、5名をやっていたな。今度は回盲部までは100%入ったヨ。雰囲気も国立病院時代とは結構変わって来ていて、河野院長によると「国立時代は人件費率が80%(!)もあったのが、医師会への移管時は40%にまで落とせた」そうだ。もっとも20年以上経ち、さすがに今はそんなに低い人件費率ではないそうだが、80%というのは単独では経営維持出来る数値ではない。病院の人件費率は50%台が妥当で60%を越えると経営が厳しくなると言われている。80%とは普通はとっくに倒産レベルで、国からの補助が合ってこそ成り立っていたのだろうが、さすがに国も面倒見切れなくなったってことだ。
ちなみに昨今の建設費人件費高騰の煽りで当初移転予算は100億円くらいの予定が150億から160億近くまで膨れ上がったそうだ。河野院長曰く「どうにか予算を出してもらえた」そうで、他県のケースでは病院移転や新築が白紙撤回や中止になったなどのニュースもあり、今後の病院経営の厳しさを加治木温泉病院(玉昌会)の高田理事長も語っており身が引き締まる思いだった・・。
2025年2月20日木曜日
そんなことまで覚えているんですか
3月4月は年度末年度始めということでドクターの移動も多い。そこで次年度くらいから青雲会病院での勤務を希望するドクターの面接も最近数例あった。病院とドクターの相性や要望などを聞いて互いにマッチングすれば就職となる。
本日の面接の相手は外科でそこそこの経歴を持っていて現役で某中核病院の部長を務めているドクターだった。年齢も私とほぼ同じ、ていうか鹿大入学年がいっしょで同級生でもあった。ただ、途中で学年が違ってしまい、卒業後はたまに挨拶することはあっても会話はほとんどしたことがなかった。
面談は順調に進み、可愛いんだ理事長も受け入れに問題はない様子で5月くらいから青雲会の一員として勤務ということになりそうだった。それはいいとして雑談に近い時間帯で、私は「そういえば、先生は大学入学時の自己紹介文に出身校と一浪した時の予備校で面白いことを書いていましたね」と切り出した。それはYMCA(Young Men's Christian Association:キリスト教青年会)の予備校に通っていたとあり、その時はまだ西城秀樹の「ヤングマン」が出る直前でYMCAとはなんぞやと私は思っていた頃だ。そのYMCAを彼はわざと「You must come again」と略していたのが可笑しかった。YMCA界隈ではよく使われる言い替えらしいが、浪人生にとっては受験に失敗して「あなたはまたここに来るべきだ」との意味になる。それを言うと、彼も記憶にあったようで「ようまたそんな昔のことを・・」と驚いていた。
さらに、彼が面談終わって理事長室を出ようとした時に、これは私もふと思い出したのだが、なにかの医療系の冊子で彼が面白い文章を書いていたのを確認してみた。それはある医療行為を「NHKのプロジェクトXのナレーション田口トモロヲが語っているつもりで読んで下さい」と綴っていたのだ。「へえ、面白いことを書くなぁ」と印象に強く残っていて「あれは医師会の雑誌でしたっけ?」と尋ねると「いやー、確かに書きましたけど、ようそんなものまで・・」と驚いて「あれは同門会の年報誌に書いたものです」と答えてくれた。それには私もちょっと驚いた。外科の同門誌まで私は読んでいたのか・・。たぶん20年ほど前の医局にその同門誌があったのだろう。その手の冊子があれば私は興味を持って読む方だ。ついこの前も某内科の同門誌を読んだばかりでなかなかに興味深かった。私の鹿児島大旧第二内科の同門誌より読み応えがあったくらい。2025年2月19日水曜日
お茶生産 鹿児島が日本一に
南日本新聞の朝刊一面は「鹿児島県産荒茶 初の首位」というものだった。「2024年が2.7万トンで静岡を抜く」すごーいというものだった。
昔から鹿児島は静岡に次いで茶葉の生産は全国2位というのは知っていた。私の出身が頴娃、知覧ゆえに実家に帰る時は茶畑を見ながらなので鹿児島はお茶王国でもあるとは子どもの頃から実感はしていた。しかし、以前のニュースで生産は増えてもお茶全般のノウハウや施設はまだ静岡には敵わないとも指摘があった。で、この見出しの横に生産量グラフが出ていた。↓をよーく見てみよう。
あれれ?!鹿児島の摘栽面積、荒茶生産量ともにこの20年はさほど変化がないじゃない。それに比べ静岡は摘栽面積が毎年減り続け、それに伴って生産量も減量して来ている。20年前は倍以上の生産量だったのが40%以上減少しているのだ。これって鹿児島が増えたというより静岡の衰退が原因と分かる。もともと鹿児島は平坦な土地に茶畑があるのに対し、静岡は丘陵地帯にあって作業効率が悪い。そもそも日本人は急須にお茶を入れて飲む習慣がぐっと減ってきているところに農家の高齢化で鹿児島に比べ機械化が進まずお茶生産から離れる人が増えているのだろう。紙面の下の「解説」でも同様の指摘だった。確か以前の南日本新聞には「静岡のお茶関係者が鹿児島の平坦で大規模茶畑を見ると皆驚く」との記事もあった。夕方のローカルニュースでもこれは大きく取り上げられていた。喜ぶ鹿児島県関係者の中には「日本一の山は富士山と誰も知っているが二位の山は誰も知らない。だから今後も鹿児島のお茶が日本一であるよう努力する」と語る茶農家の人もいた。うん、日本第二の山は「北岳(3193m)」と私は知っているが、多くの日本人は富士山の一位に比べ10人に1人も知らないだろう。そして静岡のローカルニュースもネットで見てみた(↓2枚参照)。やはり一位陥落には悔しがっていたなー。そして解説も静岡と鹿児島の茶畑の形状の差が大型化、効率化の差を生み、それが茶葉生産の総量への影響を及ぼしていると明快であった。2025年2月18日火曜日
ちょっと目を離した隙に
うひひ、毎回消化器内視鏡の話題を続けているが、昨日の下血患者は大腸憩室出血でちゃんと出血源を見つけたのよ〜。
ほぼ出血は止まっていて出血源は見つけにくい状況にも関わらず、丁寧な観察で横行結腸にあった憩室が犯人と突き止めた。最初見つけた時はまさに露出血管って形状で正直嬉しかった。見つければこっちのもんだから・・。
上の写真を見ればまあ素人でも穴ぼこの中に小さな露出血管があってこれが出血源と分かるかと思う。で、この後、手順通りにクリップを掛けて、スコープをいったん抜き、結紮ゴムデバイスを取り付ければ終わる。10分もかからないはずだった。だがクリップを掛けようとしてちょっと目を離した後、私はその出血源憩室を見失なってしまったのだ。「あれ、さっきこの付近にあったはずなのに・・」と探すも見つからない。回盲部に戻ってスコープを引き見直すもなくて、ついには直腸にまで来てしまった。はあ?スコープを置いてパソコンの内視鏡写真をもう一度見直したりした。上行結腸から横行結腸に絶対あるはずと思ってさらに二度三度見直したかな。ようやく見つけ直した時、上の写真とは全然違う形状に見えた。ていうか、正面視出来ていたのが言わば横顔しか見られなくなっていたのだ。今度は見失わないようにすぐ近くに目印クリップを掛けておいた。↓の黄色矢印がさっきの憩室だったのだ。憩室の存在すら分かりづらくなっているではないか。送気やスコープのねじれなどで簡単に見た目が変わってしまうんだ。ここまで来るのに30分も経過していた。
憩室に直接クリップを掛け、その後ゴムバンド結紮法(EBL)を実施した↓。大腸憩室出血の専門家を自認する私でもこの疾患は全く油断ならないと改めて思うことだった。2025年2月17日月曜日
下血で腹痛あるなし、どっちが重症か
週明けはやはり忙しい。金曜日終業間際に来た下血患者(急性直腸潰瘍出血)の処置が上手くいっていなくて再度大腸内視鏡を行い、今度はしっかりと止血余地が出来た。さらに大腸内視鏡で言えば、前立腺癌の放射線治療(陽子線治療も含む)で下血が出るようになったという初老男性の大腸を見たら案の定、直腸に新生血管が出来ていてこれをアルゴンプラズマ止血で処置した。鹿児島は指宿に陽子線治療の専門施設があるからか、去年も4、5人は同様の治療を行っていて毎年一定数の合併症治療が生じている。↓テクニック的にはそれほど難しくはないが多少の根気がいる治療法だ。
明日も他Drから下血症状の中年男性の大腸内視鏡が入っていた。以前大腸憩室を指摘されているというから先週に続いての大腸憩室出血か?そちらはテクニックがどうのというより出血源憩室をいかに見つけられるかが勝負だ。よいタイミングで検査をすることが大事で本来なら出血のあった今日実施がよかったが件数枠がもうなかった。ま、明日は明日の風が吹くってか。だが下血で多いのは虚血性大腸炎や痔出血などだがこれらは内視鏡治療せずに済むことが多い。治療が必要な下血は腹痛を伴わないことが多く、今日話題にした下血治療疾患3種はいずれも腹痛はほとんどない。これは一番の重大疾患といえる大腸癌もいっしょだ。痛みがない出血の方が放置すると重症になりやすいってなんだか哲学的でもありますな。
2025年2月16日日曜日
瓶詰めを開けたゾー
朝、ふと気が向いてモモの瓶詰めの蓋開けにまた挑戦した。実はこれ、カールの山梨の友人コマミさんから送られて来たのはよかったが、二瓶あったうちの一瓶の蓋が固くて2週間前から毎日ようにチャレンジするも開かず、ここ4、5日は放っておいたのだった。ちょうどTVで果物の瓶詰めのシーンが出てきたのでふと思い出した。なんだか今日は出来る気がするぅ〜。
そんな予感が当たってか、あんなに固かった蓋が少し動き、とうとう開けることに成功した。カールに「開かないんだけど・・」と言われれば、そこは男子。これまで男子らしく頑張って開けてみせてきた。しかし今回のモモの瓶詰めは難敵だった。当然ゴム手袋を嵌めて力を込めて開けようとしたのだがびくともしなかった。カールが「すこし温めるといいかも」とやってくれたがそれもダメだった。ネットで様々な方法が伝授されていて、それらも試し毎日チャレンジするもダメ、こんなに固い蓋は初めてっていうくらいだったのだ。
コマミさんの家はかつて果樹園を営んでいたが、跡継ぎがおらず叔父にゆずったそうだ。それでも夏にはモモの実を毎年送ってくれている。ただ昨年はカメムシにやられて果実ではなくカットして瓶詰めで送ってくれていた。1本目は開けられ既に食べたが2本目が開かずこの冬にまで保存されたままだったのだ。
瓶の入口を見れば若干糖分の残りのようなものがくっついている。はあ、これが開かなかった原因だったか。もしかしてちょっと最近は暖かくなってきていたからか?先週先々週は寒かったしー。で、念願のモモの缶詰を食べたのかというとさにあらず、また蓋を閉めて保存に回ったのだった。うちにはまだこの前もらったサワーポメロがたくさんあり、そっちが優先なんだ。
このポメロも実家の庭の木産で何本があるうちで一番出来のいい木から獲れたものらしく確かに美味しい。食後のつまみに食べているがまだまだ食べ終わりそうにない。モモはそうだね、3月ごろがいいかも。桃の節句もあることだしねー。