2014年2月28日金曜日

弾丸!マスターマインド

残された時間約2時間、果たして姶良から国分へ行きマイボールを作ってさらに串木野まで間に合うのか。

昼に国分スターレーンから「注文していたマスターマインドが入りました」との電話連絡が入った。頭を早回転させ「今日の6時から6時半頃ドリルに伺います」と予約した。そうすれば串木野でのトリオリーグに間に合いニューボールを試すことが出来る。注文して10日近く経ち一刻も早く投げたかった。で、その準備で病棟や外来業務を早めにこなし終業時の17時半には病院を出ようと画策していたのだが・・。

ちょうど終業するその頃、たいてい来るのよねー、緊急内視鏡の依頼が。喀血か吐血か分からないが血を吐いているとのことで脳外、外科から相談があり、ううむここで検査となるとその後は入院も担当でドリルはあきらめざるをえないかも。ムッちゃんNsらがすぐに準備し私も鞄を側に置いたまま内視鏡に入った。挿入するなり喀血と分かった。食道や胃内には血がついていなかったからだ。逆に喉頭には血がついている。原因疾患は分からないが呼吸器精査となれば青雲会病院では対処が難しい。しかしこの時間に救急で受け入れてくれる病院がすぐにあるか。18時になり私も迷った。信号Drも困っていた。ずっと前にブンイン病院が受けてくれたことがあったが・・。(その後信号Drがその後を対応してくれ市内の病院に転院出来たと後で聞いた。)

私は病院を出てどこかで夕食でも取ろうかと時計を見ると18時10分過ぎくらい、もしかするとぎりぎり間に合うのじゃないか。加治木から高速に乗りいつもの隼人西ではなくて隼人東に降り、車中でビスコとコーラで夕食の代わりにし国分スターレーンを目指した。18時50分過ぎに着きサンプルとなるミッション・コンプリートを出し「すぐにドリルできるか」と頼んだ。一応OKでそれは良かったが30分弱かかるのでその間リーグですぐに投げられるようテーピングし腹の足しに自販機からアイスも買って食べた。ドリルが終わったら即インサートテープを入れ微調整をした。こうしないとマイボールといえどもまともには投げられないのだ。そして大急ぎでまた東回り高速へ。鹿児島インターから西回り高速に入りぶっ飛ばして串木野を目指した。19時50分頃だが投球開始は20時半ごろなのでどうにかなるか・・。


20時20分頃ようやく到着。すぐにリーグ戦は始まった。練習ボールもできなかった。普通、本番の試合にまっさらのニューボールを使うことはあり得ない。事前練習するのは必定だ。さらに私はニューボール第一投目はいつも動画保存しているので第1フレームをコンピロ君に撮ってもらうことにした。どこを狙うかも分からず指の微調整も完全ではない。記念すべき第一投は厚めに入り2、6、9、10の嫌な4本残りで9番ピンが残り結局オープンフレームにしてしまった。ふぅ。しかしである。わずかに時間にテープ調整と狙い所を修正し2フレから4連続のストライクラッシュとなった。このマスターマインドというボール、現在発売されている中でも最も曲がりが出てピンアクションもいいとされているのだ。リーグ戦のように事前に手前レーンにオイルがしっかり入っているコンディションには有効だろうという読みで使ってみたが、終わってみれば1ゲーム目210というスコアで2ゲーム目も207、3ゲーム目はスプリットミス2回出し173だったがいきなり結果を出してくれた。

いやー、鹿児島県を東へ西へ弾丸横断した甲斐があったぜ!

2014年2月27日木曜日

どんだけーボウリング

昨日スリウェル君からCメールで「T-MAXでタシケント君らと投げています。自己最高231が出ました!」と喜びの報告があった。ほうほう、曲がるボール、レッドタブーにして1週間経過し早くもニューボール効果が出ている。タシケント君はニューボール云々よりフォーム改造に余念がなくまだスコアアップに結びついていないとのこと。ただ彼の自己最高は確か231よりは上でまだ自分の方が上回っていると言いたげだった。で、今夜は私が練習するというと彼らもまたT-MAXにやって来た。ニューボール持って調子いいと連日でも投げたくなるもの、私もそうだった。

でも今夜のT-MAXはオイルが枯れ放題でレーン半ばに達する前にボールが曲がってしまう悪コンディションだった。5ゲーム投げて一番いいスコアが169、最低が113。トホホである。113の時など6フレから10フレまで5連続スプリットってあんた、マイボウリング人生で記憶にないよ。当然MR軍団も昨日のような200アップは誰もおらず最後の最後スリウェル君がターキー賞を取ったのが見せ場だったかな。私は久しぶりにターキー賞を取れなかった。タシケント君もフォーム改造がいい具合でボールどすんがなくなりスムーズにボールが前に出るようになった。タナカッツ君はボールの軌道が定まらず停滞気味。まあ今日のコンディションではスコアは出ないがこうして練習を続けることで徐々にうまくなっていく。来週の防火ボウリング大会もそこそこ期待出来るだろう。

そういえば今夜国分スターレーンで青雲のリハビリスタッフだけでボウリング大会をすると言っていた。30人以上参加で3ゲーム投げるとかで初めての試みだそうだ。3人チーム戦で女子には20ピンハンディ、個人賞も設定とかつての姶良郡医師会ボウリング大会風だ。私も参加したかったが止めた理由がボウリング練習だったわけで、さらに明日は串木野のトリオリーグとどんだけーだ。

2014年2月26日水曜日

反論したくても

インターネット上の仮想通貨ビットコイン取り扱いの日本の会社マウント・ゴックスが経営破綻したという。このようなネット決済が出てきた背景にはそれなりの理由があるはずで一概にこのビットコインを否定するものではないがどうも投機目的でこれに乗っかった連中がいるようでそれならば自業自得といえよう。だいたい数年しか経っていないシステムでしかもあやふやな背景もあるのに何百万も投資(投機)する気が知れない。そんな連中はあいつの10万が1000万になったと聞けばいても立ってもいられないのだろう。20年以上前のバブル時代を思い出す。ま、これがきっかけでこのちょっとした狂騒は落ち着くかとは思う。これにもめげず生き残るようならこのビットコインシステムもたいしたもので世の中の通貨概念を変えるほどのものになるかもしれない。ま、お金の動きに弱い私は手を出すことはないだろうが・・。

夜は県医師会での胃癌検診の勉強会に参加した。第二内科出身の多摩市煮両兄弟先生の報告、講演があって久しぶりに胃の勉強も出来た。内視鏡だけでいい加減に観察してよしという態度はいけないよとのことで確かに丁寧にきちんと観察していかねばならないと感じ入った。

ただ胃癌の現況報告での解釈で一つだけそれは違うでしょと思ったのが、胃癌患者の減少が単純にピロリ菌感染者(胃癌発生の大きな誘因である)の減少だけではないのではないかという意見。私の解釈では胃癌減少の大部分はピロリ菌陽性患者の減少にありなのだ。

多摩市煮弟先生曰く、昨年某新聞に「『40才代以上で80%ものピロリ菌感染者がいる』と書かれてあり(ピロリ菌感染者が減少していないのならば)検診に関わる人たちのこれまでの貢献もあるのでは」とのこと。でもその新聞の記事は20年前の北大の浅香先生が報告した時のデータのはずだ。現在では40才代のピロリ菌陽性患者数は80%どころか50%もいない。青雲会病院では人間ドックなどで40才代の胃カメラを多数しているがピロリ菌陽性者は半分以下で多くて3割程度かと思っていたら倉敷中央病院の2011年のデータでも40才代は30%程度という報告でこれなら合点がいく。

だいたいマスコミは最新データを必ずしも披露するとは限らない。1992年の浅香データは非常に有名で詳しくは知らない記者がさも最近のデータと誤って記事にした可能性が高い。青雲会病院の年代別データがあれば一言言っても良かったかなと思った。やっぱりきちんとデータを整理しておく必要がある。でも忙しさにかまけてこれがなかなかやれないんだよなぁ。

2014年2月25日火曜日

あれは「勢い」だったのさ

4月から青雲会病院もDPC(Diagnosis Procedure Combination=診断群分類)導入となりその勉強会&講演が終業後に会議室であった。診断群分類包括評価と言って病気の診断名によって診療報酬が決まる制度で数年前から準備をしていて今度のタイミングで参加することになった。話を聞いていると厚労省に管理されるみたいでなんだかやだなって感じなのだが今後の医療制度を考えればやらねばならないそうだ。ただ講演も後半はうつらうつらでぼけーとしていた。支払い報酬などお金や計算の話になるとどうも苦手でいかん。

帰宅して一息ついた後はサブアラドDrと連絡取り合って天鳳をした。タイミングが合わないとお互い別の卓に入ってしまうので電話しつつせーのでボタンを押し都合2回対戦することが出来た。最初は久しぶりに私がトップでサブアラドDrは3位。半荘おいてその次ぎはサブアラドトップ私が3位と全くの引き分けに終わった。うむ、「お互い六段同士だからねー」と私が言うと「持ちポイントはまたオレの方が上だからな」とサブアラドDr。こだわるナー。まあ、そのうちみるみる下がって行くはずよ。六段になると同じラスでも-120Pとなりトップの+75P、2位の+35P合わせても追いつかない。打ち方を慎重にしないとすぐに降段の憂き目に遭う。そんなこんなで現在840Pでまだ六段基準の1200Pには行かず。昇段Pの2400はまだまだはるか先だ。上り調子の時はこんなに苦しまなかったのに、あれは本当の力ではなく勢いだったのかも。スポーツや芸事にはそんな時期があるとも聞く。八段まで上がったのは単なる勢い、落ちそうでなかなか落ちない六段が本来の力なのかもと思うこの頃である。

2014年2月24日月曜日

虫の居どころ

朝の外来で「お尻がむずむずして虫がいるみたいだから薬を出して欲しい」という高齢女性が来た。本当に蟯虫のような虫だったのかは確認は出来ず定かではない。蟯虫は仮に体内にいてもそれほどひどい悪さをするわけではなくはっきりしない中で駆虫薬を出すのもどうかと思ったが結局処方することにした。1回飲めばほぼ虫下し出来る。実際に駆虫できるかどうかより寄生虫ノイローゼとでもいうべき患者の気持ちが整理出来る意味合いの方が大きい気がした。

私も小学5年のころお尻がかゆくなるときがあって自分のお腹の中には蟯虫か回虫か寄生虫がきっといると思い込んでいた。おまけにぐるぐる音がする。虫が動いているんだ、ああ、どうしようって。その音が弟や親に聞こえやしないか気になって仕方なかった。保健室には気持ち悪い虫がうようよいる体内模型もあってそれを見るたび落ち込んでいた。

そんな折り、寄生虫検査が学校であった。ああ、来たよ。きっと自分は呼ばれる。先生に薬を飲みなさいって言われみんなにばれる時が来るんだ。まるで罪を受けるような気持ちで結果を数日待った。しかし呼ばれなかった。陰性だったのだ。あれ?と思うと同時に本当かなと疑問も湧いた。しかしいるはずだからと再検査を申し出る気も起きず、しばらくすると寄生虫のことは考えなくなった。今思えば寄生虫ノイローゼだったのだろう。お尻のかゆみも虫のせいだったか怪しいしお腹の音も普通の蠕動運動に伴うものだと今なら冷静に判断できる。子供時代のある一時期の気の迷いみたいなものでこのケースに限らず勝手な思い込みや勘違いはみんなも経験したことがあるのではないだろうか。多くは忘れたり矯正されたりして大人になっていく。今日はそれを思い出したよ。

2014年2月23日日曜日

昇段祝いとは

そうだ、昨日は麻雀をしたんだった。サブアラドDrが六段昇段をしたことを開けたいゾ、アサヌン両MRに教えると、新六段は「いやいや」と少々照れ気味であった。「今日は昇段祝い麻雀ですな」と私。かくして和やかな雰囲気の中で闘牌は始まったが・・。約12時間後、結果はサブアラド新六段の一人負け。私が久しぶりに大きく勝ちMR二人はちょい浮きで昇段祝いとはこういうことだったのである。

テルが所用で帰省していたのでチッチともどもT-MAXでのボウリングに誘った。テルは即OKで、この間など譲ってもらったマイボールを使って「ラウンドワンで28ゲームも投げたんだ」とこんもりした右腕の力こぶを見せた。28ゲームとはすごい。時間帯によっては投げ放題システムなのでテルに限らずここぞとばかりに学生さんは投げまくるらしい。でも関節や筋肉を痛めることもあるので無茶は禁物やでー。

T-MAXの5Fレーンはこのところハイスコアが出やすいコンディションで10枚目より右にしっかり出せばポケットに入りやすい。しかしテルは最初の3ゲーム100を超える程度しか出せず「おかしいな」とつぶやく。しかしその後179、181とスコアを伸ばし始め「ここからなんだよな」とまだ投げたそうだったがT-MAXでは千円サービス券付きでこれくらいがいい加減のゲーム数だ。ニューボールになって2回目のチッチは全くふるわず、唯一の見せ場は3ゲーム目にターキーを取ったことくらい。まあボールの素性は良くすぐ慣れて兄貴に追いつくのも時間の問題だろう。

子供は大きくなればオヤジとは遊びたがらないものだが、いっしょに小2時間汗を流してみて改めてボウリングはコミニュケーションツールとして最適と思った。

2014年2月22日土曜日

臨死経験値

明け方、隣接する老健青雲荘から連絡が入った。膵腫瘍末期でこの間まで青雲会病院に入院していた高齢男性の状態が思わしくなくそろそろ厳しいということのようだが問題は娘さんがまた病院に転院させて欲しいと訴えているということだった。電話で聞いた時からそれはもうあり得ないと思った。娘さんが老健に駆けつけたというので私も行き、紙カルテで事前におおよその病歴をみてから患者に接した。で、呼吸が弱くむくみもあり利尿剤を指示した。そして娘さんに今から病院に移ってやれることはほとんどなくするとすれば点滴や気管内挿管だが助かる可能性もまずなく患者さんに無理強いさせるだけだと諭すように話した。納得され、私は一旦病院に戻ったのだがそれから1時間半ほどしてまた連絡が入った。心肺停止状態だという。病院と老健は内部でつながっているのですぐにまた駆けつけ看取った。やはり転院させなくて良かったのだ。

病院に戻ると信号Drがいたのでさっきのいきさつを話した。すると「最近はおじいさんおばあさんといっしょに住まなくなってその死ぬ様子を見たことがなく経験していないからでしょうね」との見解だった。なるほど。なかなか肉親の死が近いのを理解出来ないというかいつまでも生きていてくれるような錯覚に陥っているような家族が多いのはそのせいか。私などは小さい頃いっしょに住んでいたアキエ、デンシローの死で身近にそれを感じていた。今は祖父母の死も親戚のおじさんが亡くなったくらいにしか感じられないのかもしれない。担当していた90才以上の患者が亡くなった際にその家族に怒られたりなじられるような態度を取られたことが何度かあるがそういうものなのだと思うようにしよう。人はそれぞれ経験値が違って当たり前なんだとね。

2014年2月21日金曜日

「ないごっかー」

いやーすごいね。この日の朝、救急で運ばれて来た高齢女性はヘモグロビン(Hb)が3.2g/dlしかなかった。生きているのが不思議なくらいの低い数値だ。意識不明になってこたつで動けなくなっていたところ民生委員に発見されたのだ。3日前の新聞がそのままだったという。お年寄りの独居は毎日声を掛け合う習慣がないとそのまま孤独死ということになりかねない。この人は2週間後の今でも入院中ではあるが原因疾患が分かりもちろん輸血もして幸い一命はとりとめた。

夕方、サブアラドDrから電話が来た。「こてる先生かい、先ほど六段になりやした、はっは」何と、天鳳でついさっき六段昇段を果たしたというのだ。現六段の私とついに並んだことになる。しかもポイントは最初1200から始まるので落ち込んでいる私より4、500ポイント上になり見かけ上上回っていることにもなる。いやー、尻に火がついたぜよ。

話し終わってふと携帯の履歴を見ると見せたまえDrからもついさっき受信があったことに気付いた。これはピンと来た。先月麻雀してから1ヶ月ほども連絡していなかったからそろそろ麻雀の誘いがあってもいいはずだということだろう。でもちとまずいなあ。実は明日サブアラドDrの他MR2名と麻雀をする約束をしたばかりだったからだ。いや、見せたまえDrでも何の問題もなかったのだが今回は開けたいゾ、アサヌンのMR二人とが久しぶりだったので敢えて彼には連絡しなかった。それほど打ちたかったのなら彼を誘っておけばと少々悔いつつ電話を掛けてみた。

「ないごっかー」

何と、自分から用があったのに私に「何事よ」とけしかけてきよった。1ヶ月もお呼びもしないでーとのご不満の意思表示だ。いやー、忙しくてねー(これは全くのウソではない)、それに2月11日は予定していたのに急遽当直も入ったりしてさー(まさしくその通り)、明日も用があってねー(事実だが内実は麻雀・・)。「毎週毎週いつ連絡が来るかと思っていたら今週も来やしない。どうなっている?」いやいや、お前がそんなにやりたがっているならどうにかセッティングしないといけないな、また連絡するから待っていてー。「ふむ、そうか、待っているゾー」頼む立場なのにずいぶん態度がでかいがこれは学生時代から変わらない。メンツ集めの役を私がするのもね。

どうにか切り抜け、すぐさまサブアラドDrに連絡し見せたまえDrのイライラの様子を伝えた。「そうか、でも今となっては明日の面子を変えるわけにもいかんしなぁ」と予定変更はなし。これはMR二人にも悪いし意見は一致した。問題は次ぎ以降だ。今回彼をすっぽかしたことをぽろりとどうしても漏らしてしまいそうで・・。それと彼のためにも来週是非とも麻雀をセッティングしよう。土曜日しか空いていないのでその日が勤務のダイボDrには頼めない。ううむ、面子集めの奇才を自認する私もまたしばらく気をもむ日々が続くなあ。

2014年2月20日木曜日

成績悪くても実力伸びる兆候

夕方、感染症委員会の合同会議が七五調病院であるため難ガターさんらと出かけた。病院廊下を歩いているとタシケント君がMR活動で医局前に立っているではないか。「会議が終わったらスターレーンで投げる?」と誘うと「望むところです」ときた。「スリウェル君にも電話してみて」と言い残し会議に出た。終わって難ガターさんは帰り、私はスターレーンへ寄った。スリウェル君は熊本で研修が終わったばかりだったが鹿児島から駆けつけて来た。ふふ、ニューボール作りたての君たち、投げたいんだよなぁ、分かる分かる。

フロアに行くと中年女性ボウラーが「あら?」と私を見た。あー、キャスラーさんだ。久しぶり。3年ほど前は青雲会病院に委託勤務していたが他所に移ってからはやはり疎遠になっていた。聞けばそのころからボウリングはしていなかったけどここ数ヶ月復活しリーグ戦に参加しているという。サウスポーからきれいなフォームで200近いスコアを出して健在のようだ。

今夜もタシケント君はフォーム改造しつつニューボールに慣れる練習でスリウェル君は奥でボールが曲がるためまあまあの様子だ。ただスターレーンのコンディションは私にも難しくここというラインを見つけられなかった。スリウェル君も「よく分かりません」とぼやき渋い顔だった。タシケント君はガターも多く一見はちゃめちゃだったけれどもがきつつ浮上のきっかけをつかもうとしている。アベ125くらいという初心者並のスコアが返って不気味。伸びるためには一旦成績が下がるくらいがいい。今までドスンと落とし気味のフォームでもそこそこ投げられていたけどあれでは限界で伸びしろがない印象だった。そして「明日も練習しない?」とスリウェル君を誘ったのにはびっくりだ。毎日でも投げたい、それも実力アップ時にある傾向で20数年前の私もそうだったなー。

2014年2月19日水曜日

連鎖反応

昼の外来で久しぶりにAKBオタクの永竹さんを診察した。毎月来ているのだが3ヶ月ほど会えていなかった。「この間のHKT鹿児島コンサートは行ったの」と尋ねると当然といった感じで「昼夜2回とも行きました」とのこと。私も行きたい気もしたが永竹さんのようなオタクが近くにおらず一人では行く気はしなかったと言うと「今度はいっしょに行きますか」だって。いい年した中年がアイドルに向かって声援張り上げる姿も傍目には変だろうがねー。ま、一度くらいは確かに見に行きたいものだ。永竹さんはAKBネタで興奮してくると相変わらず声が大きく結局外来Nsがカーテン開け唇に指を当てる仕草をみて「あ、悪いですから」と引き下がった。いや決して悪いお方じゃないのは分かっていますよ。(⌒о⌒)

夜はMR3人、難ガターさんと国分スターレーンでボウリング練習をした。いつものT-MAXでなかったのは3月にある防火ボウリング大会を踏まえてでもあるが、スリウェル君にニューボールを作らせるのが一番の目的だった。早速並べられているボールを見定めして、色合いやデザインは彼の好みが派手目、そしてとにかく曲がるボールが欲しいってことで、値段も1万5千円ほどの比較的お手頃色も赤そしてこれは絶対曲がると私が勧めたのがハンマー社のレッドタブーというボールだった。3年近く前に出たボールで当時から曲がるボールとして有名だった。それが決定するとタシケント君も刺激を受けたかボールを物色し始めた。彼も比較的曲がり見た目気に入ったチャレンジSというボールを選びドリルしてもらうことになった。こりゃ連鎖反応だな。

ただ、今日のスターレーンのコンディションはオイルが多く難しかった。私のボールで一番曲がるネクサスですら右側に立って真っ直ぐ投げないとポケットに入らない。タシケント君などせっかくのニューボールが全然曲がらないので呆然としていた(せっかく新調したのに意味ないじゃんって)。まあコンディションもあるが彼の場合は投球フォームがボールをドスンと落としてしまう癖がありその影響が大きいとみんなから言われさらに混乱していた。でもいい機会だ、フォームも見直した方がいいと納得したようだ。スリウェル君は奥でぐぐっと曲がってくれるため早くもニューボールの恩恵を感じたようだ。タナカッツ君はまだまだボールを握る癖、腕の振りで脇が開く癖などでスコアには結びつかない。難ガターさんは縦回転の多い球質を変え少しでも曲げてストライク率を高めようと努力している様子がはっきり分かった。で、最後にノーミスの210を出してにっこりだ。私は2ゲームめに198を出したのがちょいとした見せ場でまだまだって感じだった。

終わってボウリング場スタッフに「ブランズウィック社のマスターマインドってボールはないの」と多分ないだろうと思いつつも尋ねてみた。現状で一番曲がるボールの一つだ。やはりなかったが「注文できますよ」とのことだった。へー、それなら頼んでみようか。実はいつもネット注文&ドリルしているイエパニには15ポンドが売り切れで手には入らないと思っていた。他所のショップにはあるも購入してドリルをここで頼むと持ち込み料5千円がネックだ。注文してもらえるなら5千円は不要でイエパニに頼むのとほぼ同じ料金で作成できる。即、注文しますって頼んだ。何と私までまたもやニューボールに動いた。先月ミッション・コンプリートを作ったばかりだというのに。とにかくこのボールで曲がらなきゃ仕方ないというのが欲しかったのだ。(ミッションはネクサスより少し曲がらないタイプだしー)いやはや、連鎖反応しまくりっ!

2014年2月18日火曜日

早帰りしてはいけない日

土曜勤務をする代わりに平日午後早帰りがあり、あまり忙しくない日を選んで帰ることにしている。今日はそのつもりで早め早めに仕事をし一旦帰宅準備までしていたのだが、どうも雲行きが怪しくなって来た。まずDr二人の体調が悪く二人とも早退、外科Drも手術が遅くなり夕方はDr不足が危惧されたからだ。結局帰らず外来や病棟の仕事をちまちまとしていた。夕方5時ごろピッチ当番のええのんかDrが診ていた患者をそのまま帰宅させてええのんかという打診が私にあった。ゲートボールをしていて意識消失となった高齢男性だった。脳血管障害はなさそうで貧血もHbが13台とわずかにあるも騒ぐほどの数値ではない。ただ朝から黒色便があったというエピソードが引っかかった。もしかして胃潰瘍出血でもあって血圧低下しての症状では思った。まだ診療時間内だし食事を摂ったあとでも今日の今胃カメラをした方が無難でしょうと私が引き受けた。こんな時躊躇なく検査態勢に入れるのが青雲会病院のいいところだ。10分もしないうちにどくどくと出血をしている胃潰瘍を見つけ内視鏡止血を施すことになった。いやー、帰さなくて良かった。その人の入院手続きをしている最中に今度は救急要請があり診てみるとひどい脳出血患者だった。まだ午後6時頃だったのでシマッチDrに連絡すると電子カルテで画像確認後交代してくれ入院加療となった。

結局早帰りしてはならない日だったようだ。特に胃潰瘍出血患者はこの人のために残るよう定められていたのだろう。

2014年2月17日月曜日

リアル砂かけばばあ

朝の外来も終わろうとする頃、施設入所の高齢女性患者が入ってきた。「うわっ」一目見るなり心の中で「砂かけばばあだっ」と思った。白髪、ぎょろ目に四角い顔、ゲゲゲの鬼太郎に出てくる砂かけばばあそのものだった。診察をしどんな処方を出したかは覚えていない。ただ認知があるとのことでその硬い表情を記録しておきましょうと写真を撮った。最近はいろんな所見をデジカメに収めるのは普通になってきている。ただ写真を撮る瞬間、あはっと笑い、さっきまでとはまるで違う表情になった。まるで別人で砂かけばばあの片鱗もない。しかし少し経つとまた元の砂かけばばあに。この写真をスタッフに見せるとほとんどの人が似ていると言ってくれた。「そっくりー」「下手なCGより本物っぽいじゃないですか」などなど。一番的確だったのは「リアル砂かけばばあですね」だった。このサイトで見せられないのが残念だ。

山梨が雪で孤立しているとの報道だ。カールの山梨の友人も「野菜不足でねー」というのでこっちはあるので送ろうかと思ったがトラックも通らないんじゃ無理ってことだった。さらにセージが友人らと休みでスノボーに行こうと計画していたのだが大雪のせいで行けなくなったと残念がっていた。雪のせいで雪遊びが出来ぬとはまるで8.6大水害で水道が使えなくなった時と同じだ。水のせいで水が使えぬ、土砂が貯水池に入ったせいだった。皮肉とはまさにこのようなことを言うのだろう。

2014年2月16日日曜日

呼吸困難さんいらっしゃい

朝からうだうだと家で過ごし夕方から当直だった。

早速外来のノロNsから連絡が入り20代女性の呼吸困難救急が入るという。その年齢なら過換気症候群だろうと予想したらまさにその通りだった。たいていは落ち着かせるだけで自然と収まり帰宅するだけの最初だけいかにも救急という竜頭蛇尾パターンをとるが、この人はなかなかはぁはぁぜぇぜぇが収まらず久しぶりにペーパーバッグ法を試させ、それでも終わらないので点滴つないで鎮静剤を使いようやく収まった。

夜、今度は高齢女性の呼吸困難が来た。この場合は過換気症候群の可能性はまずない。聴けば喘息持ちとのことで確かに気管支狭窄音がありすぐにネブライザー吸入と点滴を指示した。しかし反応なく相変わらず呼吸困難が続くため入院させることにした。その間も幾人か患者を診ていたが病棟Nsからどうにも症状がよくならないだけでなく今にも息が止まりそうとのことですぐに上がり気管内挿管をした。いやー、危なかったねえ。重積発作でほっとけば危ないところだった。最初は同じ救急の呼吸困難でも即帰れる人、人工呼吸器につながる人、結果はえらく違うものやなー。(後者は1週間ほどして抜管可能となり今はほぼ正常となっている)

2014年2月15日土曜日

症例研究会2014

土曜午前は外来診察で午後からは年に1回の病院の症例研究会だった。私は今回は前半、外来・病棟の発表4例のコメンテーターという役割だった。司会に近い役割で事前に発表の概要スライドを見ておかねばならない。昨夜はその中でも6F病棟のが内容、表現とも今一の出来で見にくいスライドだった。本来はラブカメ教授に添削してもらうのが急な都合で出来ずにいたらしい。4Fはすっきりまとまっていると思ったら2回も添削を受けていたと聞き納得だ。しかしだ、発表を聴いてびっくりしたのは6Fで見にくかったのが一新され内容も病棟とリハビリの連携をいかに改善したかというのがよく理解できるように大幅変更されていた。そこんところはしっかりコメントして誉めてあげた。発表者のかじゆうNsに後で尋ねるとリハビリスタッフにスライド変更を頼み仕上げたらしい。やるねえ。言ってて良かった。

後半のコメンテーターはシマッチ院長で、特別講演は一外科出身の湧き鉄Drが「地域枠制度と総合診療医制度」というお話でラブカメ先生が座長を務めた。Dr不足は医療機関の切実な問題だ。地域枠がうまく軌道に乗るにはまだ4、5年はかかりそうだ。早く来てー。

2014年2月14日金曜日

前田敦子を知らない・・

昨日今日と女性芸能人と全くの同姓同名患者がいた。一人はAKB不動のセンター(だった)前田敦子、もう一人は西岡純子だよぉ~ってのはどこのどいつだぁ~い。前田敦子は以前別人で会ったことがあり今回のは別のスタッフが院内で会ったそうだがどちらもの中高年の女性である。だいたいが昭和時代にはどこにでもいそうなごくごく平凡な名前だ。ところでその名をシマッチ院長は知らなかったそうで「誰や」と答えたとか。AKBとかアイドルに興味なくても普通知っているでー。私と1才違いなのに。私はAKBグループなら少なくとも50人以上は顔と名前を一致させられる自信があるがそれも50代男性では例外的かな。もう一人の西岡純子さんは私が外来で診察した人だ。よっぽど芸能人がらみの話題を出そうと思ったが止めた。ちょっと忙しかったからだ。

昼は可愛いんだ理事長から治療を頼まれた高齢男性の対応に悩んだ。心臓がらみで入院をさせよとのことで心電図や症状を見るにどうも心筋梗塞くさい。金曜日は循環器専門Drも不在でこのままICUのない青雲会病院で入院治療するのは不安だ。家族に会うと私が言う前に「カイリョー病院へ転院出来ないか」と頼んできた。4、5年前救急で青雲に運ばれた時、当直の先生が心筋梗塞だと診断してすぐにカイリョー病院に転送してくれ一命をとりとめたことがあり今回もその時と同じ胸の痛みだという。で、以前のカルテを見たら何とその当直医はこの私だった。ちょっとした偶然。すぐにカイリョーへ電話し循環器内科へつないでくれるよう頼んだ。あそこは第一と第二の二つの循環器内科があるが前回は第二だったとカルテにあったのでできればそちらをとも頼んだ。そこで応対に出た循環器Drが沖縄で私の部下だった田秀君とはラッキーだった。事情を話すと即受け入れOKで公的依頼でも顔見知りというのは心強い。日頃の行いがいい(?)とこういうこともあるね!

夜は串木野でトリオリーグ。ミッション・コンプリートで初参戦で海広しDrとはフィンガーのゴムの色で見分けがつく。投げてみてそこそこ曲がり動きの予想がつきラインの取りやすいボールと分かる。曲がりはネクサスがあるがそちらはレーン奥での動きがアグレッシブ過ぎるときがある。マイボールを持たない人にはなかなか分かってもらえないだろうけどボールのそんな違いでスコアが大きくアップダウンするのだ。ボールが増えると悩みも増えるナァ。

2014年2月13日木曜日

10万円を稼ぐ

洗濯機を前回買い換えたのはいつのことだったろう。

最近、やたらと警告音がなりしょっちゅう一時停止してしまうのでカールが「寿命かしら、買い換えかなあ、新しいのっていくらくらいするのかしら」とぼやいていた。台のモニターに警告番号が出ていて台が水平になっていないとのことだが、調べてもきちんと水平になっている。カールがネットで調べると排水孔が詰まっていてもその番号が出るらしく、買い換えする前に物は試しとSトラップ排水孔に使う棒状のクリーナーを買ってきた。千円もしないやつだが、排水孔に水を入れこれでごしごししてみると泥状のカスが出てくる、出てくる。こんなのが詰まっていたらそりゃ動かなくなるわ。二人でえちっらおっちらと重い台を動かし手も汚れながら作業したけれどうまくいけば何百円で十数万を浮かすことができたかもしれない。お金は稼ぐだけが能じゃない。安く済ませることも稼ぐと同じくらいの価値を生むのだぜ。

その後1週間、ピタッと警告音も一時停止もなくなった。つまりは我々の勝利。やったー!

2014年2月12日水曜日

ボウリングの道険し

昨日、当直をしたことで病院の計らいで今日は朝から休みをもらうことが出来た。もっとも病棟や当直明けの雑務で病院を出たのは10時も後半のあたりだった。で、散髪を済ませ、昼は西田の「GO」でラーメンを食べた。タウン情報誌に野菜がいっぱいのっかていたのを見てわざわざ行ったのにあれは期間限定だったようで普通の豚骨ラーメンだった。

夜は恒例のT-MAXでのボウリング練習。今日はタナカッツMRのマイボール投げを見るのが主でいろいろ指導するが彼もなかなかいい球が投げられなかった。ボールを落とし気味で指に掛からない。多少かかっても縦回転に近いためボールがフックしない。指に掛けようとすると握りすぎて左側へとんでもない球が飛んで行く。ううーん、初心者に教えるのは難しい。

私もニューボールのミッション・コンプリートはその前のネクサスより曲がりが少しだけマイルドなため最初ストライクが続かずダブルは出るもターキーには失敗し続けたため、業を煮やしてターキーチャレンジではネクサスに変えてしっかりサービス券をゲットした。後半はミッション・コンプリートでもストライクが続くようにはなってほっとした。

いつものメンバー、タシケント、スリウェル、難ガターさんらこのところ皆伸び悩みでそろそろボールを一新するかフォームを見直すかが必要かも。ボウリング道もこれでよしということはなかなかないものだ。

2014年2月11日火曜日

スピードスケートのオランダに思う

この日、朝からの日当直はわりにヒマでソファ寝でほどほど仮眠も出来た。夜は当直看護師のネークチダ君らとダベる暇もあり彼が外来のタッピーNsのものまねと称して歩く姿や挨拶する姿を動画に撮ったりして楽しい時間を過ごすことも出来た。(この動画はこの後数日みんなに見せ『これ誰のものまね?』で結構な息抜きになった。即分かる人、なかなか分からない人、ヒント出して分かる人など様々でタッピーNs本人にも受けていた)

ソチオリンピックはスピードスケートをやっていて長距離はオランダが金銀銅独占をやってのけ、へーえと思うもこの後まさか500mや団体も独占につぐ独占でほとんどオランダ大会になるとは思わなかった。朝のTV解説者が当初「ここという時の気合いがすごかった」などとピント外れの指摘をしていて、そんな精神論じゃ説明出来ないだろうと思った。「氷が少し柔らかくそれはオランダの人が設定した」というのもあれだけ多くのメダルを各選手が取ったとなれば説得力に欠けていて、きっとスピードスケートに対する国民の熱気、層の厚さに加えかなり対策を立てていたからと私は推測する。あるスピードスケートの国民大会があって某有名選手は「もしオリンピックと重なったなら私はそちらへの出場を選ぶ」というほどのものらしい。日本では考えられない。あ、もし日本にあてはまれば、野球少年の高校生に「甲子園優勝と金メダルとどちらを選ぶ」と尋ねたら前者を選ぶ場合に相当するかも。日本も野球熱があってこそWBCで毎回活躍できるんだろう。とすれば、スピードスケートって今後もオリンピックでは大活躍はそうそう出来ないんだろうな・・。

2014年2月10日月曜日

忙中、忙あり

明日が建国記念の日で休みと休みの間の月曜ってことで案の定患者が多かった。特に新患が多くシマッチDrが休みでもありずっと仕事が続き昼ご飯は午後2時半を過ぎていた。過ぎれば食事は片付けられるため外来スタッフが気を利かして保存を頼んでくれていた。入院患者指示を一旦保留して食事に上がり今度は内視鏡室に行きまたもや別の大腸憩室出血患者の検査をする羽目になった。滅多にないケースなのになんか流行でもあるのかな。そしてそれが終わる頃また病棟から昨日止血した憩室の患者が下血したとの連絡がー。ううむ結紮療法でも止まらないのか。しかしこれでダメなら手術も考慮と伝え再度同じ治療法を行った。午後6時を過ぎていたがまだ病棟のラウンドをしておらず自宅に「遅くなる。9時くらいになるんじゃないか」と電話連絡をした。所属長会議には当然出席出来ず、病棟患者の診察や検査指示などで仕事が終わったのは予想通り9時過ぎになった。

忙しかったけれどまあ明日は休みだから・・・となればいいのだが体調不良で休みのDrの代わりに私が日当直することになったのだ。うわはは、そうは甘くはないのだよ明智君ってことで忙中また忙あり。まだまだ試練の道は続くのだった。

2014年2月9日日曜日

ハードディスク容量を減らす

昨日の大腸憩室出血患者がまた下血し当直明けではあったがスタッフを呼んで緊急内視鏡をした。掛けたクリップをしっかり残っていたにも関わらず隙間から出血があった。憩室にふたをするようにクリッピングしてもダメだったかー。憩室の孔が深く血管も太かったのかもしれない。直に露出血管を噛めばよかったのだが血がにじむ状況下では視野が取れず無理だった。そこで出血部位を吸引しつつ硬性ゴムで絞扼するという食道静脈瘤に使うデバイスを用いて止血してみた。以前学会でポスター発表されていた方法だ。それで一応止血されたようでシホねえと服緑Nsらともどもほっとした。相手は小さな血管でも動脈なので結構な出血量になる。人によっては意識を失うことすらある。全く油断ならないわ。

帰宅後はさすがに疲れていてぼーっとTVで撮りだめビデオを流し見などして過ごした。バラエティーやP★LEAGUE、囲碁番組などでドラマはこういう時はちょっとおっくうでそのためどんどん溜まっていきハードディスクの残り容量を圧迫する原因になる。見始めて次の展開が気になるとどんどん進むんだけどね。ドラマ観賞には疲労がなくて少し時間がありかつ気合いが必要ってことだ。

2014年2月8日土曜日

憩室出血は入院が無難ですよ

朝は5時半に家を出て病院に向かった。前日当直のええのんかDrが所用で早く当直を切り上げるための臨時代役だ。その後、外来や昼から明日朝まで救急当番が組まれていた。何人か受けた患者の中で近隣の「他県地クリニック」からの大腸憩室出血は緊急内視鏡をしクリップで憩室を何個も挟み込みうまく止血できたかのように思えた。自宅に超高齢の認知症母親を抱えるその男性患者は処置後入院回避できないかと尋ねてきたが、きちんと理由を話し入院を納得させた。止血出来たと医師も患者も思っていても再出血したことが過去に数回あって油断出来ない。で、案の定、半日経ったら再出血しまたもや緊急大腸内視鏡となったのだった。

ネット麻雀天鳳に4代目天鳳位が誕生した。「すずめクレイジー」というハンドルネームの人で実に約2年ぶりの快挙だ。天鳳では十段になるのも相当なことで尊敬されるがその上の天鳳位は二百万ID以上記録されている中からまだ4人しか達成されておらず一躍有名人だ。私は八段が最高で現六段、近づくことすらできない。少しでも昇段できるようチマチマと打ちましょうかねえ。

2014年2月7日金曜日

公園は思い出の中に

毎回病院の忙しいことを書いているが今夜は珍しく可愛いんだ理事長とラブカメ先生が消化器内科Drらと天文館で会食をとのお誘いがあり、あいにくグッちんDrは所用で来られず私とブックリバーDrが行くことになった。

しかし夕方高齢女性が一過性の意識レベル低下、胸痛で救急搬送されて来て、私が対応すると胸部大動脈瘤の解離が疑われ、CT撮影後確認のために緊急放射線科読影を依頼するとそれに間違いなく一旦解離するも早期閉鎖したタイプ(そんなのがあるとは知らなんだ)とのことで入院となった。問題は積極的治療(バイパス手術)が必要なら青雲会病院では不可で鹿児島の国立医療センターか循環器外科のある病院に紹介しないといけない。しかし年齢で80才を過ぎるとなかなか紹介しづらい。患者の息子(これが私の知っている人だった)と話しして手術は望まないとの確約で送らず内科的治療で対処する、要するに私が主治医として頑張るとなった。むむむ、この大動脈解離、私あんまし経験ないんですけど・・。でも最近は図太くなったというか、循環器内科Drに相談したり、手術しないなら血圧管理をしっかりやれば誰が診たっていっしょ、ぐらいに思うことにしている。会席で可愛いんだ理事長に話すと同じようなことをおっしゃっていた。何がなんでも最高の医療を受けるべきとかたくなになれば鹿児島市はおろか福岡や東京まで治療しに行くべきってなってしまう。高齢で認知もあり自分が何でここにいるのか覚えない患者に最高の医療を施すのは必ずしも最高の結果とはならない気がする。

結局だいぶ遅刻して和食の店「あきせん」に着いた。近くに天文館公園があり久しぶりに見ると洗練され私の子供の頃とは全く別物に変わっていた。戦前は私の母校の薔薇待つ小があったところでその記念碑も建てられていた。公園を斜めに横切る川(どぶ川なのに名前は清滝川)は完全に覆われ初めて来た人はまずそれとは気付かないだろう。プールもテニスコートも跡形もない。私が来てもそこが天文館公園とは気付かないかもしれない。6年間毎日のように遊んだ懐かしき天文館公園は記憶の中にのみ存在している。

会席は理事長が元教授をいじる場面が多く、ちょっと他の人は真似出来ない芸当だ。私も一杯くらいはビールでも飲もうとしたら理事長が「やめとけ」と一言。青雲に来た頃は「こてる先生が酔っ払ったところを見てみたい」なんて言っていたのに見切られたなぁ。で、ソフトドリンクと和食で過ごしたっす。9時半頃にはお開きで遅くならずに済んだ。理事長の手術以前は毎回0時過ぎだったがこれはこれでよしっですネ。

2014年2月6日木曜日

お勉強会で食べる

夜は姶良地区の漢方の勉強会が院内であった。年に2回くらい講師を招いての講演がメインで近隣のDr、薬剤師なども参加する。今回は今に時期に合わせ風邪症状に使う漢方薬の話題だった。その内容はここでは特に書かない。前半は聴けていたし後半も聴いていたはずだが背後にいた職員によると寝ていたと証言する。嘘ばっかし言ってー。こくりこくりしていたというのは見間違いであれは頷いていたのっ。

協賛の「積む蘭」からパンとお茶が出されていた。毎回のことだしダイエット中でもあるので私は今日の夕食は電話していらないとカールに伝えておいた。以前はパンも食べて夕ご飯もしっかり食べていた。出されたパンは「河南」という店のものでサンドイッチ風のものなど数点あり、それを食べながら聴いていたのは私以外に数名いたくらいでみんな持って帰るみたいだ。私は目の前に食事が出されれば反射的に口に入れるタイプだ。お腹の空く時間なのにみんな我慢出来るな、行儀がいいというか。

第2内科で私よりは年齢は上だが入院年では2年後輩のDrが亡くなったとFaxが届いていた。どういういきさつで亡くなったのか全く知らない。数年前内視鏡グループの某Drが同じくらいの年齢で亡くなったのはアルコールが原因だった。ともかくも病気になりやすい習慣は変えていかねばー。

2014年2月5日水曜日

おニューは違います

ネットで注文していた電話Fax(パナソニック製)が届いた。10年ぶりくらいに新調したのだが開けてみるとえらく小さい。今まで使っていたもの(シャープ製)がでかく見える。しかも新品は真っ白でお古は黄ばんでいるのが一目瞭然。今まではあまり気にしていなかったのに並べるとよく分かる。だいたい10年もすれば見た目でも新しさが分かるってことだ。デジタル製品は10年どころか3、4年でも明かな差が出る。器械がそうならじゃー人間は?と言いたくなるが、そこはそれ亀の甲より年の功ってことで・・(^^;

(2014/2/20:寝てしまって目が覚めたらフィギアショートプログラムは浅田真央の出番だった。出だしのトリプルアクセルが肝心だって聞いていたのにー。失敗して時点で暗雲、さらに回転不足も素人目にも分かった。しっかし16位ですかぁ。残念だけど金メダルどころか入賞も危うい位置。4年に一度の大舞台で実力を発揮せねばならぬという難しさと残酷さよ)

2014年2月4日火曜日

社会保険協会健康づくりボウリング大会

社会保険協会健康作りボウリング大会に参加した。場所は国分スターレーンで2チーム参加し青雲会チームAは私、難ガター、サンシさん、チームKはタシケント、スリウェル、タナカッツのMR3人だ。この大会は2年連続チーム優勝し一昨年は私は個人でも優勝していた。今年も好調で1ゲーム目7フレで143と200アップは狙えそうなスコアで、難ガター、サンシさんが今ひとつ伸びがなくてもきっと優勝か準優勝できると思っていた。しかしイージーミスもあり191に終わりポイントゲッターのサンシさんもダブル3回あるもスプリット2回にミス2回で179、難ガターさんは150も行かず雲行きが怪しくなった。

チームKのスリウェル君はこの手の大会は初参加でたまにストライク出すも後が続かない。しかもオイルが少し多いにも関わらず右に膨らませる投げ方で曲がらないとぼやいていた。私ですら右に立ち真っ直ぐ目に投げているというのに。1ゲーム終了くらいにやっと立ち位置を変え2ゲームにダブルを出した。でも遅かったなあ。タナカッツ君はT-MAXに預けていたマイボールドリルが間に合わず撃沈。タシケント君もミスがあってチームKは7位で何の賞品も貰えなかった。

で、チームAはというと2ゲーム目にレンコンが変化したのにみんな対応できず3人合わせてスプリット9個もでて私が137、難ガター150、サンシ154でこれまた撃沈。どうにか3位には潜り込み賞品だけはゲットした。優勝はノーサイチームAで個人でも230越えするなどダントツだった。ううむ、今年は譲ったってことだ。

終わっての食事会は恒例のアシビー国分店で。スリウェル君が悔しがっていたなあ。もっと自分は投げられるということなんだ。ふふ、たった2ゲームでもジツリキは出るもんだよ。「センセー、次の大会ってないんですか」とはややる気満々だ。「3月には防火ボウリング大会があるからそれまでまた練習しよう」どうやらボウリング熱がまた再燃本格化の様相だ。

2014年2月3日月曜日

PM2.5、桜島が見えない

朝の通勤、やたら景色がくすんで見えた。姶良に着いて南方をみても桜島が全く見えない。単なる靄(もや)ではなさそう。これは中国あたりから来た微小粒状物質(PM2.5)だったようだ。こんな空気じゃ外に出る気も起きない。最近は高山の樹氷も真っ白ではなく濁って見えるらしい。溶かせば油が浮いて黒ずむという。少し前に屋久島の樹氷を取ってウイスキーにその氷を入れロックで飲むという人がいたそうだが、さる賢者から「止した方がいい」とアドバイスされ訳を聞いて納得したとか。40年以上も前の1969年から1970年は公害、公害の話題で明け暮れ、子供の怪獣映画にまで公害怪獣(ヘドラ)が登場した時期だった。それ以降改善改革が進みこのところ大きな話題は出なくなった。中国もそうした洗礼を浴びてクリーンになってもらわねばならないが、40年も待ってられるかなぁ。

2014年2月2日日曜日

三菱鉛筆は三菱ではない!

九州新幹線に「Please」という車内誌がある。その2月号には佐賀県出身で三菱鉛筆の創始者である眞崎二六(まさきにろく)が紹介されていた。このPleaseには毎号、一般には知られているとは言いがたい九州出身のひとかどの人物を数ページに渡って紹介している。これがなかなかの好記事が多い。

江戸末期に生まれた眞崎二六は明治初期パリ万博で鉛筆を見てこれを日本でも作ってみたいと思った。紆余曲折あっても死ぬまで鉛筆作りに心血を注ぎ、亡くなった後も子孫や従業員が引き継ぎ今でも鉛筆、ボールペンなど日本を代表するメーカーとして続いている。私の愛用のボールペンも三菱のジェットストリームだ。元は薬品会社の販促品でもらったもので、医者というものボールペンに困ることはまずなく自分がミニ販売できるくらいMRからもらうことの多い品なのだが、医師になって初めてボールペンの芯を購入したくらいお気に入りになった。

初期の頃、芯作りに最適な材料が鹿児島は加世田の黒鉛と栃木の烏山の粘土だったというのも私の地元近くだったということで面白かったが、何といっても今回の最大の驚きは「三菱鉛筆」が「三菱財閥や三菱グループ」と何の関係もないという事実だった。三菱鉛筆のロゴには「uni」の他にあのスリーダイアモンドのマークがちゃんとあり三菱グループの会社だと疑うほうがおかしいくらい系列の一つと思っていた。「眞崎鉛筆」が眞崎家の三つ鱗の商標をもとに三菱のマークを考案し明治36年に商標登録申請し認められた。三菱財閥が申請する10年も前のことだった。全く同じものゆえその後どうするかとなったようだが、商品が競合しないことなどから並立が認められたようだ。同じようなケースは熊本県の弘乳舎が販売する三菱サイダーがあり三菱財閥が登録する以前から使われていたためで、マークの無断使用には厳しい三菱もこれは認めざるを得ないということだ。「眞崎鉛筆」は戦後はGHQに財閥と間違われ解体されかかったこともあったが、誤解であるとして免れ、一般には三菱の鉛筆と言われていたため昭和27年に「三菱鉛筆」と社名を変更しそのためますまず系列と紛らわしくなった。でも三菱グループ入りを勧められたことがあるもそれは断り、今に至るまで距離を置こうという気概さえ感じられるのも面白い。頑固で職人気質であった眞崎二六の気質が今につながっているからかもしれない。いやー、読んでいてなんだかすごくためになった気がした。

たかが車内誌、しかし含蓄があり一般誌に優るとも劣らずこのまま継続して欲しいものだ。

2014年2月1日土曜日

外来新年会

2月になった。今月は土曜外来が3回組まれている。患者は相変わらず多く中にはインフルエンザの人もいる。医療事務のモリッチさんの夫が風邪症状で来た。症状はそんなにひどいとは思わなかったが事務の高麗さんとカラオケに行ったという話に引っかかった。高麗さんがインフルエンザで休んでいるのを知っていたからで念のためと検査を出した。その結果が出る前に病棟患者急変で上に上がっているとピッチに「インフルエンザA型が出ました」と連絡があった。あらま、やっぱりね。で、タミフルを口頭指示した。

その連絡があって間もなく今度は「(外来Nsの)光鳥さんも熱があってきつそうです」と聞かされた。彼女は今日は休みだったが昨日から体調悪そうで私も「インフルエンザじゃないか」と言うと「私は風邪を引いたことがないんです」と強がっていた。今日は夕方から外来の新年会があってそれに出るためインフルエンザではないと証明するために診察に来たらしい。これも口頭指示で検査の指示を出した。で、結果はクロ。ほうらね。

外来業務が終わっても仕事は終わらない。この時期にあるのがレセプト記載だ。1月は高齢患者が多く今回は特に4F病棟が10名ほど病状詳記を書かなくてはならない。疲れもあって全部は出来ないものの少しでも済ませておこうと電子カルテの前に座るとサーバー調整で13時半からパソコンをダウンさせるという。はあ、一旦帰宅だな。夕方、また姶良まで出向いて新年会に参加しよう。

新年会は病院の飲み会でよく利用される居酒屋「雲助」であった。飲み放題で比較的年配者が多い外来ではいい選択だろうが私は下戸でしかも車で来ているからあんまし恩恵はない。料理はごく普通だったが焼き鳥やもつ鍋もあってまずまず美味しかった。Drはシマッチ院長、眼科のブラロック、遅れて非常勤のナマテツと4人の参加だった。日頃会う機会の少ない部署の眼科、透析の職員らとも会話が出来、これはまさに飲み会の効用だ。お酒がすすむに連れにぎやかさも増し、特にシマッチDr院長、ニシマキNsさんらの声が響いていた。私は出される食事をひたすら食べまくって最後に鶏皮の串が出てきた時には「おいおいまだこれがあるんか」と一口食べただけでそれ以上は入らなかった。飲まないけれど食べ過ぎに要注意、また明日から何十回目のダイエットだわっ。