2016年7月31日日曜日

ぼかし絵手紙

カールの絵手紙が最近上手になってきたなあと思っていたら、水分含ませてぼかす手法を試しているということだった。下のオタマジャクシがいい例だ。

このほか描いているほおずき、クローバー、草木、赤とんぼ(えらく太っているが)などもそうだだが、普通絵手紙ではちゃんと輪郭を描くのが本道でこれは使わない手法らしい。でも私は見た目の感じがよくて好きだな。




しかし後で見せられたネコのはにっこり顔でこっちもにっこりだ。もし送られるとしたらきっとこんな絵手紙が喜ばれるんじゃないかな。モデルがゲンちゃんでないのが残念だが・・。

2016年7月30日土曜日

カール、ダンスを踊る

昨日は当直で夜22時半までは忙しかった。当直看護師は光鳥Nsに夜だけのカッコちゃんNs。このコンビとはこれまでも忙しい当直が多く「また今夜もだよ」とお互いに苦笑いだった。ところがカッコちゃんが帰ってからはパタッと来なくなり、未明3時過ぎに私の入院患者がベッド脇で転倒し一過性に意識朦朧になり緊急頭部CT撮った以外は何もなかった。思えばこの前もそうだったような・・。うーむ、患者は彼女に「ツイ」ている。

当直に続く外来は割に楽におわった。ただし月末恒例のレセプト業務があり終わったのが14時半、ふーっ。

帰宅してさすがにぐったり。TV見ながら寝てしまった。気がつけばカールはいつの間にかいなくなっていた。ああ、もう出かけたか。今夜は明和団地の「明和ふるさと夏祭り」で日頃やっているスポーツジムのメンバーらとダンスを披露することになっている。19時半ごろに出番が回ってくると聞き、19時過ぎに家を出た。カールはこれの練習のせいか右前胸部を傷めて痛みを我慢しての参加だった。「他のメンバーに迷惑がかかるから」とのことだ。明和団地に行くのは10年ぶりくらいか。そうだデンコー父が大学病院に入院していたころこの近くを通ることがあった。やばかった屋の地下駐車場に行ったものの会場場所をよく知らずカラオケ音声の聞こえる方向に向かった。着くと、いかにも地域の夏祭りという感じで住民が集まっていた。ステージではすでにダンスが始まっていた。ただ私はカールの出番はまだ少し先と思っていてデジカメで出店に集まる人たちを撮影していた。「うーん、ホワイトバランスがおかしいなあ」とデジカメ不調を嘆いていると、聴いたことのある曲が流れていて・・。

「あ、あれはカールたちのダンスだ!」

既に登場しているのに勘違いも甚だしく別のチームと思っていた。慌てて動画を撮り始めた。黒ずくめにカラフルなハットをかぶり7人の年相応なレディたちがダンスをしていた。カールは?と見ればやはり腕の動きが少し悪いかな。このダンスのコーチはママさんでカールのすぐそばで踊っていた。セージの高校の同級生のママだって。表情、動きともにやはりカールよりは上手い。でも日頃の趣味をこうしてアピールできるっていいネ!

終わって私は先に帰宅した。ウナギを温めるだけだからと言われていたがカールが帰宅してから食べた。今日は土用の丑の日でしかも土曜だ。「ウナギもびっくりするくらい高くなっている」とのこと。私はウナギは大好き。資源枯渇しないようみんなで協力しなくちゃ。

2016年7月29日金曜日

「週刊現代」と「新型プリウス」

今日のこてる日記のアクセス数が444という過去最高の数になった。普段は100程度なのにこれはまた読者の多い誰かがリンクを張ったに違いない。調べると朝の8時台に363ものアクセスがあった。いったいどの記事に興味を示したのだろう。おおよそ推測がつくのは今年6月1日の「「週刊現代」のいうとおりにしたらぁ〜」であろうということ。今、医者の出す薬を飲むとこんなに危険という記事で週刊現代がキャンペーンを張っていて、それに対するはっきりした非難コラムだからだろうか。雑誌もこんあアドバルーンを上げると売り上げが伸びるらしく第2弾第3弾と同じような記事を載せている。そこにあの週刊文春が反対記事を載せて対抗していたようだ。それは私は読んでいない。新聞広告でやりあっているなと分かる程度だ。

記事の影響は現場にも多少あり中には名指しされた薬を止めたいと訴える患者も出てきている。私は自分の主張通り、「確かに副作用にはこんなのがあってそれを上まわるメリットがあるから処方するのだ」ときちんと説明するとまあ分かってくれることが多い。別の患者で「医者は薬会社と結託してもうけようとしている」と分かりやすい勘違いにハマっている人もいるが、内心「単細胞じゃないのあなた」と思いつつもきちんと説明してあげる。ま、週刊現代の主張を聞き入れるとしたら、至極まっとうな「きちんと説明と同意をした上で処方をやるべき」という点かな。そこを怠って患者の納得もなしに治療するようでは患者の信頼を得られず、治るものも治らない結果に陥るだろう。

さて、今年上半期で一番関心のあった記事は1月23日の「新型プリウス納車」であった。これは誰かがリンクしたというより、早くもプリウス納車した人の感想を知りたいという人が大勢いたということだろう。プリウスを買いたいもしくは買った人が知りたいのは新型オーナーの生の声だろうから。日記タイトルがそのものずばりだったんでアクセスが増えたんだな。でも、記事の中味はそれほどでもない。買ったばかりで簡単な印象しか書いていなかった。これだけアクセスがあると予想出来たならもっと詳しく、そして褒めあげてもよかった。前型もよかったがそれくらい今度のプリウスは気に入っている。実際、発表以来売れていて8ヶ月連続月間売り上げトップを快走している。見た目や燃費だけでなく車としての質が明かに体感できるほどアップしているところがすごい。かつてホンダ党でトヨタは避けていた私だがことプリウスに関してはさすがトヨタと言わざるを得ない。

そんなわけで今日はタイトルを検索されやすい二つにしてみよう。はてどのくらいアクセスが増えるかなー・・ふふ。

2016年7月28日木曜日

白血病患者を診る

午前に私の患者が鹿児島市内の病院に転院した。ちょうど1ヶ月ほど入院していたこの60才ほどの男性患者を私は救急車まで見送ったのだが、もう少し病状が悪化する前に専門医のいる病院に送るべきだったかなと少し後悔していた。というのも私の全くの専門外、白血病の患者だったからだ。もっとも骨髄移植も終わっており、前医の情報ではこれ以上改善のための治療法は特にないと書かれてあり、対症療法しかしていなかった。移植後の骨髄と本人の免疫がケンカしてしまう病気「慢性GVHD」と診断が付いた時点で専門病院に治療依頼すべきだったか・・。

しかし、見送った後、病棟のゴッタン師長が「あの患者さん、先生にえらく感謝していましたよ。それに青雲会病院も気に入っていて本当は移りたくなかったって」と言われ、少し救われた気がした。私の当直の時に救急依頼され「やっかいな患者だな」とは思ったものの、基本受け入れる方針だから診察してまずは入院させたのだった。ところがこれまで「白血病」と病歴を言っただけでたいていの病院に受け入れてもらえず多少の症状は我慢してきたのだとか。へー、それは聞いていなかった。今回はさすがに白血病治療後のお勉強をしたがいや難しい。白血病は普通の内科医には難しすぎる。今度は、お断り・・か?

(残念なことに3日後この患者は亡くなられた。大変な病気なんだ、白血病は)

2016年7月27日水曜日

野球もボウリングもサッカーも

昨日はいろいろ日記ネタがあったのに相模原の事件でそれ以外何も書かなかった。

まず、スライド発表のセッティングまでして準備万端だった医局会レクチャー「青雲会病院の憩室出血」はお流れになってしまった。たまーにあることなのだが、医局会で協議提案がありそれが長引き時間がなくなったのだ。ま、大した実害はない。それどころか、午前外来で可愛いんだ理事長に「血便の患者を診てくれ」と頼まれ大腸内視鏡をすると、それが憩室出血患者で「よし、これは来週のレクチャー発表に使える」とばかり、動画撮影やデータ更新をしさらに発表内容が充実することとなった。

検査の合間にネットで高校野球のスコアを逐一追っていた。昼休みに見たのは鹿実4番綿屋の同点ヒットとそのウラの樟南のダブルプレー時の1点得点場面だった。この時は鹿実谷村投手の制球が乱れていた。で、このあと仕事に戻ってまだ一波乱、二波乱あるだろうと思っていた。実は鹿実の宮下監督もそう思っていたようだ。しかしTVで見ていたカールが言うように「樟南の二番手ピッチャーがすごくよかった」らしい。「そこの差だったと思う」とのことだが、ということはサブアラドDrの病院の看護師の弟である鹿実二番手ピッチャーの出来が悪くて負けたってことか。春のセンバツでは先発で谷村のリリーフを仰いだもののそこそこ常総学院相手に投げていたけど春から夏にかけて成長できなかったようだ。サブアラドDrは「鹿実が勝ったら病院の職員ともども甲子園にレンタルバスで出かけよう」という話しも出ていたという。「レンタル代も50万するってよ」とかなり具体化していたようだが、それもおじゃんになった・・。

夜はまたT-MAXでボウリング練習。相変わらず好調で4ゲームで796、アベ199だった。何やかにやいっても週1の練習を欠かしていないからか。

帰宅すると、我らが団地の伊敷台中サッカー部が県大会の準決勝で育英館中をPK戦で破り決勝に進み、神村学園と対戦したとのニュースをカールから知らされた。第一声は「へーっ!」だ。チッチがいたのは5年前。あの時は県大会こそ出場出来たが決勝どころかベスト4にも行かなかったと記憶している。あの頃、試合会場まで行き、応援していたものだ。あれから5年経ったなんて信じられない。それで、過去のこてる日記を調べると、ベスト16で鹿屋東に0−6で負けていた。その鹿屋東は準々決勝で国分に0−7で負けている。その国分は準決勝で育英館に1−0で勝ち、決勝は神村に0−0決着つかずPK戦で敗れた。しかし決勝まで行くと九州大会に出場出来る。すごい。チッチもどこからか連絡が入りすでに結果を知っていた。

野球もボウリングもサッカーもスポーツは見てやって楽しいわ!さあて甲子園もオリンピックももうすぐ。ワクワクするねえ。

2016年7月26日火曜日

障害者がいるからこそ

明け方に起きて、TV付けながら医局レクチャーのスライド作りをやっていたらなにやら障害者施設で殺人事件が起きたとの報道があった。「何、15人死亡だって!?」後から19人死亡と判明したが当初はそうだった。思わず絶句だ。犯人は自首したとか。はてはて?夜が明けてその惨劇の実態が明かになるにつれ、犯人の独りよがりな動機が知れてきた。何かに不満がつのってきたのか、それが障害者は社会に無用かつ有害、従ってこれを抹殺することは世のためとかいう暴論になって実行したようだ。アホか!許せん。

私は以前も書いたような気がするが障害者(「障がい」と書くのはどうも座りが悪く敢えてこう書く)が無用、邪魔などという優生思想の論理は間違っている。例えば個人に当てはめてみよう。人は誰しも年をとる。年をとれば身体の一部、または全体が衰える。中には全く役に立たなくなるものもある。(ちなみに私は常に元気ピンピン、いやそんなことを言っているのではない)脳卒中で右腕右脚が敵わなくなったとしよう。そんな役に立たないものを捨ててしまえ、か?左目が見えない、ならば摘出するのがよい、か?役に立たなくても存在するだけでいいはずでは。

これを人類に当てはめてみよう。人が生まれるとき、一定確率で何らかの障害を持った人が必ず生まれてくる。いや一見健康そうに見えても何らかの欠陥は誰しも持っているものなのだ。それがひどく目立つ場合障害者と呼ばれる。彼ら彼女らがいなければ(人類全体からみれば一定確率で障害者が出るのだから)今度はあなたかあなたの子どもらにその障害者の役割が回ってくるかもしれない。障害者はそれを持たない一見健康な私たちの身代わりとなってくれているのだ。障害者は私たちの身体の一部とみていいのだ。そこをどうして傷つけていいという理屈があるのか。彼ら彼女らのために人類は社会は十分に生きていけるだけの施設、施しをして当然なのだ。この犯人のような悪の思想に少しでも共感してはならない。

私は死刑廃止論者でもないから、この犯人に宣告するは当然、死刑だ。

2016年7月25日月曜日

「ぼけもん碁」

朝礼で隣はラブカメ先生だった。「先生、あのー、ぼけもん碁ですか。あれはいったい何ですか」と聞かれ、一瞬ハテナと思ったけれどそれが「ポケモンGO」のことだと分かり、私もよくは知らないと断りつつ、スマホの実画面に重なってアニメの怪物キャラが出てきて捕まえるゲームだと教えた。捕まえてどうする?とそれから先は質問してきそうだったがそれは私にも分からないし、ラブカメ先生も突っ込んでは来なかった。NHKがこのとことニュースで毎回のように取り上げるものだからTVゲームすらやったことのない御仁までもが「ボケモン?」と質問してくる。任天堂も宣伝費用が相当浮いたのではないかな(笑)。

夜はレクチャー準備に追われて・・と書きたいところだが、実はまたもや寝てしまった。明け方に追い込んで作るしかあるめえ。このところスライド作りは余裕をもって作れていたが、また以前のようなぎりぎりバタバタに戻った。おっとこんなこと書いている場合じゃない、急がねば!

2016年7月24日日曜日

決勝決着せず

昼、あこネーサ母をかしましい病院に見舞って帰る時、よほど鴨池球場に寄ろうかとも思った。ちょうど鹿実対樟南の決勝戦が行われていたからだ。病院のTVで鹿実の4番綿屋が同点ヒットを放ち1対1になっていたところだった。しかしー。日射しに弱いしまだ医局レクチャーのスライドも作り終えていない身としてはそんな余裕はなく帰宅したのだった。

まさかそのまま1対1で延長15回引き分け再試合になるとは思いもしなかった。見に行っていたら日射しで焼けどをしてバカなことをしたと後悔しただろうか、えらい試合を見たとやがて良い思い出になっただろうか。TVで最後まで見てどっと疲れた。いや、内容は鹿児島の高校トップの試合としてよく締まったいい試合だった。ともに夏は18回出場し実績も記録もほぼ同じ、そして基本的に打の鹿実、投の樟南のチームカラーもよく出ていて、これくらいやれれば甲子園でも恥ずかしくない試合をするだろう。

で、再試合は明後日ということになった。それはいい。投手にとって日を置かずの連投は酷すぎる。まあ、結末はどうあれ、鹿児島の高校野球の歴史に残る試合になったと思う。そうそう、1塁ベースの塁審は近所のシモドースン君だった。なかなか彼とも話す機会がないんだよな。いつかこの試合のことを聞いてみたいナ。

2016年7月23日土曜日

福祉茸の日

TVで可愛い白いネコがソファに座り上目遣いで御主人を見ていた。ふとうちのソファを見ると・・なーんとゲンちゃんが同じ仕草をしているではないか。ハイ、ぱちり。

午後は見せたまえ雀荘で麻雀。今日は久々に福祉茸君を呼んで見せたまえ、サブアラド両Drとの闘牌だった。今日はサブアラドDrが好調で私と福祉茸君がマイナスを重ねていたが、私は突っ張っての放銃がままあるのに対し、福祉茸君は実によく我慢して暴牌は切らんぞという姿勢だった。我慢しすぎてチャンスを逃し浮上できないケースもあるが今日は長丁場、半荘5回目でプラスの2位になった彼は半荘6回目から怒濤のトップ街道となった。5回中4回三コロトップ、1回はドボン賞付きの2位と全く手が付けられない。こういうことがあるんだよねえ。そこそこの調子だった見せたまえDrがそのあおりを食ってマイナスに転じ私は低空飛行のまま。半荘12回目、見せたまえが大トップで迎えたオーラス、ラス親の私は渾身の逆転リーチをかけた。ピンフ高め三色ドラドラの手だ。
トップの見せたまえとは3万点もの差があり少しでも高い手を上がりたい。ダマで低めの2萬ロン上がりだとゴッパ(5800点)にしかならないしー。3索、3索と来て次ぎ待望の5萬をツモった。この時点で親ハネ18000点はある。裏ドラが1枚でも乗れば・・乗ったぁ−。
親バイ24000点を8千点オールでわずかだが見せたまえを逆転しトップで終わった。「ええーまさかそんなー」と、滅多にない逆転劇にがっくりの見せたまえDr。ここでトータルビリ交代だった。でも上がった上の手、ありえない手順ではあるが断ヤオ狙って聴牌崩していたら3索が雀頭になりそれがまた裏ドラになりリーチして一発で5萬をツモって親の3倍満36000点になっていたわー。この局は雀神からの私へのプレゼントだったんだな。

そして「まだあと2半荘やるぞー」と負け組の私と見せたまえが続行を希望し始まった13半荘目。親の私が非難ごうごうの6千オール、リーヅモドラ1ウラ3のカン5索待ちをツモり、
「またこてるの時間が来たな。いつものことだ」と見せたまえが呆れ顔になった。「へへー」と私もその気になって負け分をチャラに出来るかなーと目論んでいた。その後苦しいながらも見せたまえは親で挽回しようと奮闘していた。しかしそれは突然終わりを告げた。リーチしていた福祉茸君が力強く「ツモ!」と言って広げた手は・・何と四暗刻!親かぶりの見せたまえはドボンで終了。今度もトップだと思っていた私もぎゃふんとなった。↓は上がって大満足の福祉茸君。
ラスト半荘もトップ目を争いオーラス千点上がればトップという場面、サブアラドDrにリーチ即ツモドラ3のハネ満を上がられ逆転され2位に終わった。うー。トータルではサブアラドが1位で福祉茸君は2位。しかし今日は記憶に残る福祉茸君の日だったな。

2016年7月22日金曜日

チームパーフェクト2度目

うへー、今日もオラは人気者だぜー。午前中、救急患者2件を診てくれとさー。その後「昼ご飯が13時50分、17時30分までずっと忙しかった」と手帳には書いている。この調子なら痩せるべきなのに昨日の体重80kgってぇのは何なんだ。ストレス食いかな?

今夜は串木野でトリオリーグ。その前にスリウェルMRが来て、例の「復活」のトークに花が咲いた。もう後半途中まで見ていて気になる場面やストーリー展開、疑問に思った所など話すことがいっぱいあったようだ。その中で「一番の真犯人はXXじゃないかと思うんですけど・・」と指摘した登場人物はずばりその通りだった。しかし、せっかく視聴途中なので「ふうん、そう思う?」ととぼけることしか出来なかった。ま、そこが分かったところでこのドラマの面白さが損なわれるわけではないしー。

さて、串木野リーグでは絶好調の私、1ゲーム目221のチームスコア290、次は181で今一だったが、3ゲーム目5フレからストライク連発し最後までいっちまった。257でチームスコアも300パーフェクト!今年2度目で前回ほどの感激はないもののうれしさには変わりない。最後の投球ではやはり力が入っていたか、狙ったスパットより板目1枚は外側に投げてしまい、あ、しまったとアプローチで飛び上がった。しかしレンコンに助けられきれいにポケットに入りストライク。ふぅー、絶好調だとボールもピンも躍動してくれるわい。

2016年7月21日木曜日

200越え、そして80越え

朝は救急ピッチ当番だ。3人の救急患者があった。1人目は交通事故で軽自動車運転の患者が運ばれ、一見顔面の打撲痕がひどいが右腕を動かすと痛いとのことでレントゲンとCTを撮ったら右鎖骨が折れていた。入院。次は青雲会敷地内の老人施設「南青ハウス」入居中の高齢女性で、意識がない、いびきだけかいているとのことで運ばれた。この患者さんは病院にしょっちゅう受診していてつい2週間ほど前の当直でも私が診察し頭部CTで特に問題なしと帰したのだった(脳外科画像診断チェック済み)。今度も頭部CT撮ってみると・・明らかに頭蓋内血腫がある。専門外の私でも一目瞭然だった。ポンシンDrを呼び担当交代で入院となった。しかし以前も似たような疾患になり手術で回復した経緯があるが今度ばかりはお手上げらしい、「いずれ御看取りすることになるでしょう」と。3人目はこのところ毎度おなじみ熱中症の高齢者。点滴してよくなり帰っていった。

夜はヤマヒロDr、難ガター、タナカッツMRのメンバーでボウリング練習。このところ私は非常に調子がいい。3、4ゲーム投げれば必ず200アップゲームがある。練習最後のダブルス対戦でもタナカッツMRと組んで粘りもみせた。10フレ前で20ピン以上の差があり「そっちがミスして俺たちがダブル出さないとどうにもならない」とつぶやくと、何と難ガターさんがイージーミス。私がストライクで続くタナカッツ君が「珍しく」ストライク。本日一番の良い投球をして私の単なるつぶやきが本当になった。最後、私がストライクなら1ピン差逆転、9ピンで同点、それ以下は負け。投げた時はストライク!と思ったが9ピンで同点だった。しかしこれが相手は尾を引き次ゲームでは私たちの完勝。久々にダブルスでも勝った。いつもは私はその時の最低スコアのプレーヤーと組まされるのでなかなか勝てないのだ。勝利の飲み物は缶コーヒーにした。これを飲んであとはスライド作りだぁー。

しかし、帰宅後、驚愕の事態がっ。久々に体重計に乗ってみると・・ぬぁんと80kgをオーバーしていた。たしかゼロコーラダイエットを始める8年以上前がこれくらいあった。最近間食が多くなっていたからな。ぶるぶるっ、ダイエットの基本禁間食を徹底せねばっ!

2016年7月20日水曜日

山本周五郎とミスコンテスト

「青ベか物語」での浦安住民の生態、特に性についてはずいぶんおおらかである。それは子どもにまで影響があって大人の機微を子どもらは熟知しからかったりもするのだ。第5章「砂と石榴」では見合い結婚した妻が布団の回りに砂をまき夫の求めを拒否する話しで、結局分かれる羽目になった。女は実家への言い訳に自分のことは棚に上げて逆に「夫婦らしいことがなく、男として役に立たない」と言い訳した。こんな噂は瞬く間に広まり、にこまっちゃくれた少年少女たちは男の店「みその」の前を通るとき声をそろえてわめくのだ。「『みその』では幟(のぼり)もおっ立たない」と。事実は違うのだがこれでこの男性には嫁の来てがなくなりその父親は嫁捜しに奔走し・・とその後の顛末が語られる。

これらの短編が30章ほどあり、ただ今半分ほど読んだだけだが面白くてまた最初から読んでもいいかなと思えるほど。書かれたのは50年ほど前で時代背景は90年も前のことだが予想以上にいい。いっしょに買った「赤ひげ診療譚」は映画を先に見ているので後回しにしているがきっとそっちも面白いだろう。今ごろ山本周五郎ですかと言う?でも私にとっては新作と変わらない。読書の楽しみがまだいっぱい残っているってことだ。

そうそう、山本周五郎といえば今から30年ほど前、麻雀仲間だった歯学部のクスゲン君を思い出す。彼は学生のくせして社会人1年目の私らと麻雀をするほど強く、それに文系の匂いがぷんぷんする面白いヤツだった。例えば「間一髪」というセリフを言うとき、語源よろしく「間、一髪」ときちんと間をおいていた。それにミス鹿屋と付き合っていてデートと麻雀の両方がかち合ったとき、麻雀を選んだためミス鹿屋が車のドアをバチンと閉め、ぷいっっと出ていったシーンなどかつてのこてる日記のネタにもなった。そのミス鹿屋を評して、「あいつ、審査員の質問に対して「趣味は読書」と言ったら『何を読んでいるのか』と質問され『山本周五郎』と答えたらそれがえらく気に入られたのよ。でも山本周五郎はオレが勧めて読んでいただけなんだ」とさも自分のおかげとも語っていた。

へえ、山本周五郎の本を読むってことはミスコンテストにも有利なのか、と読んだことのない私は素直に思った。それ以来いつかは読んでみようと思っていたのである。ずいぶんと時間がかかったものだが・・。

2016年7月19日火曜日

憩室出血スライド作り

ついこの前退院したばかりの90才代女性患者がまた再入院した。いや、よくある寝たきりの高齢患者ではなく自活できておりボケもない。先月の入院でS状結腸の憩室から出血したのだろうと分かっていて今回もきっとそこからの出血と推測はついていた。憩室出血は分かっても腸内にたくさんある憩室のどこからか特定するのはなかなかに難しい。今日は絶対に見つけてやろうと大腸内視鏡を挿入したが・・。憩室出血は時間が経過すると自然止血され出血源が分からなくなりがちで今回も難渋した。でもどうにかそれらしき部位を見つけ結紮ゴムで縛り上げるEBL法で処置できた。これが三度目の正直、今度こそ再出血しないでくれよ。

実はこれが来週、院内医局会で私がレクチャーするテーマだ。昨年12月から大腸憩室出血患者が増えて月に2、3人は必ずいる。4割は再発患者で以前の出血源を処置出来ずに退院したケースが多い。消化器を専門にする病院でも出血源同定率が30%前後と低く完全に治療出来ずに帰ってしまうからだ。青雲会病院でも以前は低かったが昨年12月以降は80%を越えていることが分かった。それはなぜか。一つは私があきらめずに2回、3回と大腸内視鏡を繰り返し出血源を探すからなのと、昨年9月から副送水機能がついた大腸内視鏡に新調し腸管内を洗いやすくなったことが大きい。血まみれになった管腔や憩室を洗うことで格段に出血源を見つけやすくなった。

で、内視鏡写真をデジカメに撮ったり止血処置を動画にしたりとちまちまとスライド作り(の準備)をやっている。でも、このところ毎夜寝てしまうのよねえ。21時から22時になると眠たくてダウン。床寝かソファ寝だ。そんなわけで残り1週間になったのにタイトルの1枚しかできていない。明け方起きて続きをやればいいのについネット麻雀をやったりして・・。この調子なら仕上がりは発表直前やな・・。

2016年7月18日月曜日

エスパー、カール

カールとかしましい病院にあこネーサ母の見舞いに行った。現在術後リハビリをしていて入室病棟も7階になっていた。まだ昼前で見舞い時間でないため休憩室に移動し高校野球など見ながらご機嫌を伺った。
「(部屋にいる人は)みんな年寄りヨ」「半分ボケてて夜がうるさいわ」と母はのたまい、聞いていると、自分は中年でピンピンなのよと思っているよう。ハハ。

まだしばらく入院するとのことで病室を後にし、病院駐車場の出口に向かって車をそろりと動かしていると、カールが「あら?あのバイクから降りた出前のおばさん、テルくんらが雀荘で食べていた中華料理のおばさんじゃない?」と院内に入って行く腰がえらくまがったおばさんを指さした。ううむ、言われれば確かに似ている。雀荘「最高」では近くの中華料理店から私や見せたまえDrは中華丼、サブアラドDrは天津丼をよく頼んでいた。いつも腰の曲がったおばちゃんが「ありがとうございます〜」と持って来てくれていた。ある時、おばちゃんの年齢がいくつくらいだろうと話題になり、私は70才くらい、サブアラドDrは「いや、意外と若くて60才くらいだ」と意見が分かれ、ダイレクトに「失礼ですが年齢は何才くらいですか」と尋ねてみると「61才です」とサブアラドDrに軍配が上がったのだった。

へー、あの中華丼のおばちゃんか。「でもカールは会ったことないんだろ?」「うん、でもテルくんからよく話しを聞いていたからそうじゃないかなと思って」と言う。そこでちょうど昼飯時だし「最高」近くの中華料理店「再来」に行ってみることにした。車で10分とはかからない。いつも出前なので実際に入店するのは初めてだった。作りは普通の小さな中華料理店だ。私はいつもの中華丼、1年2ヶ月ぶりだった。カールは堅焼きそばにした。これ、具材は全く同じで下にご飯か堅焼きそばかの違いがあるだけだ。そして、パクパク食べていると、ふと玄関から人が入って来て、見ればあの腰の曲がったおばちゃんだった。思わず「さっきまでかしましい病院にいました?」と尋ねると「ええ」と言う。間違いなかった。「病院の方ですか」「いいえ、見舞いです」


それにしても、カールの眼力には恐れ入る。全く見たこともない人を状況と記憶だけで同定できるとは。この話しを夜サブアラドDrに教えると驚いて「エスパーやな」と評した。そうか、エスパーだったか。コワいわ。

2016年7月17日日曜日

「青ベか物語」

長島のクリニックの診療の合間にしていたもう一つのこと、それは新潮文庫の山本周五郎作「青ベか物語」を読み始めたことだった。クリニックのバタフジDrはパソコンやネットなどにはほとんど興味がない質(たち)で当然無線LANなどというシステムは院内には導入されていなかった。そこで私は暇つぶしのためにこの文庫本を持っていったのだ。

山本周五郎といえばずっと以前からその名前は知ってはいて代表作に「さぶ」「樅の木は残った」などがあり「赤ひげ診療譚」「青ベか物語」も名前は知っていた。黒澤明映画をよく見ていたので「赤ひげ」や「椿三十郎(「日々平安」が原作)」「どですかでん(「季節のない街」が原作)」などが映画原作になっていたからだ。それがきっかけか覚えていないが2003年7月9日に「赤ひげ」と「青ベか」を加治木の「さんかく」ブックスで購入していた。で、翌々日の7月11日に「青ベか」の出だし「はじめに」の章を読んだもののその後はぱったりだった。今はディズニーランドの場所として有名な千葉の浦安(本では「浦粕」)の昭和初期が舞台になっていると知ったのであるが、自宅にいるとネットにTVにビデオにと刺激的でやることがいっぱいありそのまま本棚の飾りになっていた。いや、飾りよりもひどくなぜか本の下半分は水に濡れてしまっていて固く波打ってしまっていた。読みにくいが読めないこともないか。

「青ベか」とは小さな「ぶっくれ舟」のことで出来損ないの舟だったが土地の狡猾なじいさんにうまく買わされ釣りや読書をするなどして作者はすごそうと観念する。そしてこの土地の人間やその生活ぶりを観察したものを数ページの30章ほどの短編にしたものが「青ベか物語」である。「蜜柑の木」がその最初のネタであるがこれが面白い。19才の純な青年が所帯持ちの30過ぎの女に惚れてしまいその後の顛末が描かれている。当時の漁村の風俗風習がリアルでいかにもありそうな話しだ。落ちも効いている。短編集の第二話にこの話しを持って来たのはいいね。阿刀田高が「短編集は第二話に一番面白い、自信作を持ってくるべき」と自身の短編集「ナポレオン狂」を例に出して語っていたのを思い出す。第一話は集の導入部でどんな系統の話しかを読者に示す意味があり、第二話が面白いか面白くないかでその後を読んでくれるかどうかが決まるからだという。その意味で「蜜柑の木」は、お、読んでみようという気にさせてくれた。

ああ、13年前にここまで読んでいればきっと一気に読んでいたことだろう。ネットが繋がらないというのもたまにはいいもんである。

2016年7月16日土曜日

イトカヨDrのAKBブーム

今日は長島のバタフジ先生のクリニックで内視鏡検査バイトだった。新幹線は7時24分発で普通に間に合うつもりでいたら信号待ちなどで意外に時間がかかりもしかしたら間に合わないかもとあせった。車をパーキングに駐めたのはが発車まで残り3分くらい、全速力で駆け上がった。チケットも前もって買っていないし残り時間を時計で確認する余裕もなかった。へろへろになりながら最後の階段を上がっていると場内アナウンスが聞こえた。「7時24分発博多行きつばめは間もなく発車します」おーい、まだ行かないでくれえ〜、へー、はー、ぜえぜえ・・。どうにか乗り込んで座席にへたり込んで10秒も過ぎたら列車は動き出した。ほっとすることもなく、ただただきつく、吐き気もした。出水に着いても気分不良は続き、迎えの車中でもいつもはおしゃべりするのに顔は青ざめたまま。長島についてしばらく仮眠を取った。9時過ぎてようやくいつもの体調に戻った。中年は全速力の無酸素運動をするもんじゃない、わ!

検査の合間はバタフジDrの机に置かれてあった「出水郡医師会報」(季刊)を何冊かパラパラめくって読んでいた。面白いのは会員Drの投稿「みんなの広場」だ。趣味やスポーツ、ご意見などあまり肩が凝らず読める。2013年新年号には出水のスチョル先生がホノルルの自転車レース「センチュリーライド」(100マイルおよそ160km走る)に参加したときの様子が書かれてあった。確かマイ自転車を送って参加したと聞いたことがあったナ。

その後、ふむふむと読んでいると、阿久根の鬱山病院のイトカヨという女医が「我が家のAKBブーム」と題して夫ともどもAKBにハマっていると投稿していて、きっかけは2011から2012年ごろのTV放送の西武ドームコンサートの模様を見たことらしい。それはちょうど私がAKBに興味を持ったほぼ同じ時期で私も西部ドームコンサートには大いに刺激され、ハマるきっかけの一つだった。この女医さんいくつくらいだろうと医師会の会員名簿で調べると私と同い年だった。全く知らないDrだが何かシンパシーを感じる。

青雲会病院を担当するMRでAKBに詳しいのはヨシタク君くらいで、彼に言わせると「そもそもDrでAKBや乃木坂の話題が話せるのはこてる先生くらいです」とのことだからそんなDrは結構珍しい部類に入る。会報にわざわざ書き、「今ではメンバーのほとんど把握するまでになり、1年経ってもブームは続いています」というから頼もしい。名前を覚えておき何かきっかけがあればぜひ対談したいものだ。

2016年7月15日金曜日

299

ボウリングでの付き合いもありかつ患者のサンシさんが私の外来に当たった。最近の私は病棟と内視鏡の仕事が多く久しぶりだった。で、受付番号を見て思わず笑ってしまった。

「299」

あはー、サンシさんやっぱりそれですかい。「え?」と首をかしげるサンシさん。299はサンシさんのボウリングの自己最高スコアだったのだ。ちなみに私は290。あとちょっとだぜ。

(うう・・ここまで書いてその後ソファ寝。書きたいネタはいくつもあったが仕事にボウリングにで疲れがピーク!)
(本日は本当は7月22日。話題のポケモンGOのの日本配信が始まった。青雲会病院にもさっそくポケモンが出現し、新しもの好きのアミヤンDrは「何匹もゲットしたよ」と廊下で見せてくれたヨ↓)

2016年7月14日木曜日

2007年「復活」のあの頃

前日ボウリング練習した際にスリウェル君から「今度の連休は何も用事がない、ドラマでも見ようかと思うが何かお勧めは?」と言うので、私にとってドラマといえば韓ドラ、恒例の「冬ソナ」(2002)、「復活」(2005)、「ファンタスティック・カップル」(2006)のいずれかを教えた。彼は恋愛ものは好きでないとのこと、一番好きなのは唐沢版「白い巨塔」なんだそうだ。ならば「復活」あたりどう?と大まかな内容を教えると「見ましょう」と本日夕方医局にやって来た。DVD24話分を私は医局にずっと保存していたのだった。

私は今夜は当直で第1話出だしの30分ほどを彼と一緒に見た。というのも「復活」は韓ドラには比較的珍しいサスペンス物で特に第1話は伏線だらけ、過去と現在の事件も交互に出てきたり、しかも韓ドラ見ない人には韓国人名もなじみがないだろうとて、私が解説しつつ、だった。まあドラマはなんでもそうだが1、2話で興味を持ってくれるかで決まる。「復活」も3話以降は徹夜するくらい面白いので(私は二度徹夜した)できるだけ興味を持ってくれるよう世話したわけだ。

「復活」は冒頭は推理もの、そしてサスペンス、恋愛、途中企業もの、最終的には復讐劇と多様な側面を持ちながら進み、主人公ソ・ハウン=ユ・ガンヒョク役のオム・テウンのがんばりに釘付けになる。5話以降はハラハラと切なさで特に面白い。私が何度も見直すのは7話の終わりの場面で、ここは視聴者の誰もが胸キュン、女主人公ソ・ウナ役のハン・ジミンのうるうる瞳にいったいこの続きはどうなると絶対に8話は見ないではいられない。ああ、これを見ていたのがちょうど9年前の7月の今ごろだったなあ。

というわけで当時の手帳を確認すると、2007年7月18日に第1話を見始め、同日当直で4話まで見ていた。うん?午前2時43分、男に日本酒のビンで殴られ左目の上に15mmの傷を負った女性患者が来ていた、ってか。さっさと済ませて医局に戻ったに違いない。驚いたことに翌19日には5話から14話まで一気に見ていた。ほとんど徹夜だ。「目がしょぼしょぼ」になっているとも書いている。そりゃそうだろう、眼精疲労を起こすわ。で、私にしては珍しく目薬を使うがうまく入れられないとも書いてあった。そして翌日も見続け21日の明け方最終の第24話を見終わったと。1話が1時間強あるので3日半、仕事以外はほとんどこのドラマを見ていたことになる。ただ深夜、明け方も寝ぼけても見ていたせいで実は17、18話を見落としていたことに気付かなかった。だから途中なんか登場人物たちのリアクションがおかしい、何で?と変だったのだ。後で見直し納得だった。

この年、2月の「冬ソナ」から始まった韓ドラ視聴がこの「復活」でますます深みにハマって年末までずっと続くのだった。ハマった時の自分ってほんとすごい、我ながらそう思う。

2016年7月13日水曜日

生前退位

ボウリング練習から帰る時のNHKニュースで「天皇陛下が生前退位のご意向」との報道があった。へーと驚いた。同時にいいんじゃないかと思った。陛下の御公務というのは国民の目に見えないところでも数多くあるという。国民の多くは60才代で定年を迎えるというのに80才を過ぎても死ぬまでなお働かねばならないと法律で決められているわけだからねえ。おっと、「天皇」は憲法でも最初に取り上げられているほどの重要事項、並みの国民の仕事と同一にはできない。今回は高齢で公務遂行が思うようにいかなくなりがちということらしいからそれほどの問題はないかもしれないが、生前退位が可能になると逆に辞めろと圧力がかかったり何かとトラブルが起きるかもしれない。そもそも天皇はもともと生前退位が原則だった。明治憲法以降こうなったわけだが日本国憲法になってもそれは引き継がれた。「象徴」だから死ぬまでそれであり続けろということだ。ここには天皇=人間の観点はない。天皇は人間である宣言を戦後行ったのであるから今回の問題は人間としての天皇をどう扱うかということだろう。

それにしてもー。このような重要ニュースがNHKのスクープ報道となったのはどういういきさつなんだ?宮内庁は「そのような話しは聞いていない」と言っているという。おやおや。NHKが放送するんだ、まさか何の根拠もないということはないはず。ということは明らかに現天皇の意向ということだろう。

私は退位もだが元号が事前の予定通りに代わるということのほうがずっと興味がある。現実の生活面では元号の方がずっと関わりがある。生前退位が決まれば当然元号も事前に決められるはず。きっと1月1日をもって元号も代わることになろう。その名称はいろいろな場面やネーミングに使われ影響は大きい。私は若い頃次の元号は何になるのかすごく興味があった。昭和末期、某男性誌で投稿コーナーがあり様々な案が読者から出されていた。その中で私が一番受けたのがある読者の出した案でそれは「早稲田」だった。理由がふるっている。

「慶応、明治、大正、昭和とすべて東京にある私立大学の名前が元号になっている。ならば次は『早稲田』がなるべきであろう」アハハ。

2016年7月12日火曜日

「コラン川」の由来

昨日はカールが新しく買ってきたアロハシャツを着て行った。これまでのカラフルなものではなく赤単色に近い色合いでついでにパンツもシューズも新しいものにコーディネートした。「上も下も考えて着ないとバランスよく見えないから」とはカール様の指摘だ。で、仕事も白衣は着ずにアロハで過ごしていたのだが外来、内視鏡室とだーれもおニューの装いに声かけしてくれない(ちなみに青雲会病院では白衣なしのアロハは構わないどころか推奨されて可愛いんだ理事長以下多くのDrが着ている)。2、3年前はアロハを着ていくとほとんどの人に「いいですね」とか「似合ってますね」とか言われたものだが、毎度のことになるとそうそうは声かけしてくれないのか。

と思っていたら、5階のチェリピアNsが「先生、素敵ですね」と初めて声かけてくれた。彼女はこの前まで今きれい病院勤務で先月こちらに入職したばかりだ。そうかそうか、アロハシャツDrには見慣れないから声を掛けてくれたんだな。素直でよろしい。ということでツーショット写真を撮った。このあと数人に声かけてもらえ一応満足したのであった。
内視鏡室でせっかくだから全身写真を撮ってもらっていたら背後にいつもの湖西種実Nsが顔半分覗きをやっていた。ハハ。

ひょんなことから、私の出身地である揖宿(いぶすき)郡頴娃(えい)町大川の知覧町境に流れている加治佐(かじさ)川の呼び名が気になって由来を調べてみた。

大川では加治佐川のことを「コラン川」と呼ぶのだ。以前から気になっていて、この前大川出身のトシ登り従兄が病院に来た時に彼は物知りなので尋ねてみたが彼もはっきりとは知らなかった。しかし、「ウカワ(大川)の人間しかコラン川とは言わんどー」という貴重な情報を教えてくれた。では少し北側のミンバイ(耳原)や川の由来である上流のカッチャ(加治佐)集落ではコラン川とは言わないのだろうな。
で、今日内視鏡検査の合間にほんの少しだけ空白タイムがあったのでネットで検索すると、12、3年前に2チャンネルで「揖宿郡の頴娃町っていかが?」というスレッドが立ちその中で私同様に「コラン川ってなんでそう言うんだろう」というコメントに対しある人が回答らしき発言をしていたのだ。それは対岸の知覧町門之浦(かどのうら)(地元ではカジュラと呼ぶ)の川の意味で「カドノウラの川」を「カジュラん川」と発音していたのが訛って「コラン川」になったというものだった。なるほど!それなら大川の人しかコラン川って言わないのも説明できる。すると門之浦の人たちはウカワン川というのか?いやいやそれはないな。そもそも大川という川の名が集落名だ、だぶってしまう。

長年の疑問がある程度解決できとてもすっきりした。以前あったように何十年も会っていなかった同窓生消息が分かったりするなど、ネットはこのような使い方をすると本当に便利、知りたがりの私にとっては負の側面も言われるけどメリットの方がはるかに大きいのだった。

2016年7月11日月曜日

ミッションコンプリート

昨日は参院選&鹿児島県知事選だった。知事選について事前に私とカールは現知事の伊藤氏と新人の三反園氏のどっちが勝つかで意見が分かれた。カールは「なにかかにや言ってもどうせ伊藤さんが勝つのよ」と言う。私は「いや、どうも彼は分が悪そうだ」と予想した。というのも新聞の予想記事を見ると接戦とか書いているが本来なら伊藤氏を支持すべき団体の一部が三反園支持に回っているとか書かれていた。仮に団体支持が五分だとすれば浮動票はどっちに行く?これはもう完全に三反園氏だろう。ここ数年、伊藤知事の強引な行政手法や女性侮蔑発言などマイナスイメージがあり、多選批判もある。

実は勤め先である青雲会病院は自主投票ではあるが知事にお世話になった経緯があり伊藤氏支持だった。それで浮動票の私も伊藤氏に1票を投じた。カールは多分三反園氏だったはず。実際に投票した反対側を当選と予想するというややこしい事態だったが、開票が始まるとあっという間に「三反園当確」が出た。あれれだ。そこまで差が付いていたんかい。ま予想が当たったのは私の方だったネ。

伊藤さんは敗戦の弁で最後に「ミッションコンプリートです」と締めた。日本語で「任務完了」の意味だ。自分はやるだけはやったと強気の姿勢を示したということか。まあ、それよりも私はこのミッションコンプリートという言葉に反応した。2年半ほど前、全く同じ名前のボウリングボールを持っていたからだ。海広しDrがそのボールで快スコア連発しているのをみて私もと買った。今でも海広しDrはそのボールで投げていてこの前277も出している。
ただ私とはミッションシリーズはやや相性がよくなかったようで数ヶ月で今のマスターマインドシリーズのボールに変えた。こっちは相当気に入って今のマスターマインドアインシュタインまで3個買っている。若干古くなったボールはスリウェル君、難ガターさんに譲り彼らもみんな好調だ。ボウリングボールは同一コンセプトのボールが最初に出るとその後半年ごとくらいに微妙に性質を変えて例えばミッションXXXと下に名前が付けられ販売される。ミッションも2010年に出て6年経ちこの前「ラストミッション」というボールが出てシリーズ終了かと思いきや、その後も出て今は「ミッションジェニシス」とゾンビのようにニューボールが出ている。

ま、ボウリングボールはナノデスシリーズのように10年以上続き40作以上も作り続けられるものもあるが、伊藤知事はさすがに今回で任務完了でしたな。

2016年7月10日日曜日

桜島、雲たなびく

明け方は昨日同様雷雨がすごかった。当直室の窓から写真を撮ると屋上が水浸しで「これって池?」と言いたくなるほど。
今日は当直明けでそのまま10号線を通って鹿児島のかしましい病院にあこネーサ母をまた見舞う予定だが、竜ヶ水あたりを通りたくないので真剣に高速から3号線という回り道を選択することも考えていた。しかし明けるとパタッと雨は止み、これなら大丈夫だろうと前回水曜日同様10号線を下った。

この前桜島を撮影したスポットに来ると、これがまた曇天の中、地上2、300mmくらいだろうか、水平状の層雲がきれいに横たわりこの時期ならではの素晴らしい景色だった。当然、車を止めて何枚か撮影した。
今回は私以外に2人も同じように車を止めて撮影していた。そう、思わず撮りたくなる。デジカメを常に携帯しているとこういうときいいわ。

あこネーサ母は前回と違いすっかり元気だった。同じ話を繰り返しがちなのと、「お隣さんは膝が悪くてどうのこうの」と私に何の病気かと聞いてくるのでやりづらいったらありゃしなかった。診察してもいないし例え推察できても言えるわけないよ。もろ聞こえているんだから。適当に話し相手になりそそくさと帰宅したのだった。

(7月17日夜9時からフジTV系で「HOPEHOPE~期待ゼロの新入社員~」が放送開始となった。これ、私が見ていて日記にも書いていた韓ドラ「未生(ミセン)」のリメイクだ。主人公はジャニーズ事務所のHey! Say! JUMPの中島裕翔で、といっても私は彼のことを全く知らない。さっきチラッと見たところ「未生」とほぼ同じ内容で役者の風体を見ただけであ、あの役ねと分かった。カールが「面白いネ」と言っていた。日本のドラマは朝ドラと大河くらいしか見ないが今回は比較の意味でも見てみるかな)

2016年7月9日土曜日

祝放送開始50年ウルトラマン

梅雨末期の豪雨パターンなのか、明け方は稲妻と雷鳴がすごかった。ピカピカゴロゴロ家の中だからこそ安心していられるが絶対に外は歩きたくないねえ。新聞配達の人たちご苦労さんだ。

朝から外来引き続き日当直だった。前回ほど忙しくはなく、夜はNHKBSで「祝放送開始50年 ウルトラマン大感謝祭」があって、途中から見て、ちょうどウルトラマンの最終回第39話「さらばウルトラマン」をやっていた。あのゼットンが登場しウルトラマンが死んでしまう回だ。私は毎週ウルトラマンを見ていたはずだがあまりこの最終回の記憶がない。急に最終回になったので見逃していたのかも。無論その後再放送やビデオなどで何度も見ているのでストーリーは知っている。50年前の作品だけれど今でも十分見られるのがすごい。この時期のウルトラQ 、ウルトラマンは映画的で30分という短いスパンでも作りがしっかりしている。(実際主に映画畑のスタッフが作っていた)

番組では人気怪獣や人気回の投票などで盛り上がっていた。人気怪獣では視聴者参加ボタンで私も赤ボタンを連打した。私はバルタン星人がやはり一番かなあ。どの怪獣が1位になるか見ていたが外来に呼ばれて結果は確認できなかった。(あとで調べるとゴモラとバルタンの争いになりゴモラが1位になったそうだ)

この他人気怪獣にはレッドキング、ピグモン、ジャミラ、レッドキング、ダダ、ゼットン、メトロン星人などが上げられていた。共通するのは造形力の素晴らしさだ。美術、デザイン担当の故成田亨氏の功績は本当に大きい。ウルトラマンや怪獣の人形やソフビが未だ人気を保っているのも氏のおかげだろうね。
氏は怪獣デザインの際に自らに以下の制約を課していた。
1.怪獣は妖怪ではない。手足や首が増えたような妖怪的な怪獣は作らない。
2.動物をそのまま大きくしただけの怪獣は作らない。
3.身体が破壊されたような気味の悪い怪獣は作らない。
そしてシンプルであるということにも気を使っていた。「新しいデザインは必ず単純な形をしている。人間は考えることができなくなると、ものを複雑にして堕落してゆく」とも語り、特にウルトラマンの造形ではそのポリシーが生かされている。

ビートルズ来日もウルトラマン誕生も今年でちょうど50年。半世紀経ったというその事実に驚く。私も年を取ったわ。

2016年7月8日金曜日

たまたま「ガッパ」を見て

昼休みにたまたまTVを付けたらNHKBSで「大巨獣ガッパ」をやっていた。もう終わるころでガッパ3体が空港にいて日本を去る様子だった。日活唯一の怪獣映画「ガッパ」は小学2年(1967)の時に見たという記憶をあるのだがストーリーなど全く覚えていない。東宝のゴジラ、大映のガメラなど怪獣人気に触発され当時すでに低迷していた日活が「満を持して」製作発表した映画だったが子ども心にも二番煎じ三番煎じ感はぬぐえずほとんど話題にならなかった。

ストーリーは子怪獣をさらわれた夫婦怪獣が取り戻しに日本にきて暴れ、最後は子怪獣を連れて帰るというもの。空港(羽田?)でのその様子を見ていて感じたことが二つ。
一つは怪獣の脚の動きがまったくそれらしくないということで明かに着ぐるみの人間が歩いていると観客は思ってしまう。ゴジラなんかはそこにものすごくこだわっていていかにも怪獣らしい(だれも見た人はいないのだけれど)動きで重厚さ、怖さがあった。1984年からの新ゴジラからは薩摩剣八郎という俳優がやっていてゴジラ俳優として有名になるほどであった。家族愛をテーマにした怪獣映画だったからかもしれないが怪獣はフィクションだからこそ恐怖を演出しないとなー。ガッパが一代限りで終わったしまったのは観客がリアルさを感じなかったのも一因だろう。ウルトラマンシリーズも初期のころは怪獣が現れると怖いと思ったものだったが、後期の作品は着ぐるみが暴れている感がある。ウルトラマン第3話「科特隊出撃せよ」でのネロンガの登場シーン、第31話「来たのは誰だ」の衣装ケースからケロニアが突然出てくるシーンなどは今見ても怖い。洋服着ようとしてこんな↓のが目の前に出てきたら・・。

あともう一つはこの映画のヒロインらしい女性の美しさだ。いかにも昭和の美人、いや今見ても完璧なくらいの美人ぶりで私は慌ててデジカメで写真に撮った。エンディングで山本陽子と分かった。中年以降の彼女しか知らなかったが25才のこのころはまさに女匂い立つといった風情で一瞬で目が行く。いやすごいもんだ。

2016年7月7日木曜日

レンコンに合わせる

朝、アミヤンDrに「こてる、昨日はラウンドワンでマイボール作ってボウリングを8ゲームやったら、ほら親指が痛くなって」と話しかけられた。マイボールを作るとは聞いていたがいきなり8ゲームもするとは。「気をつけて下さいよ。私も昔腱鞘炎で何ヶ月も投げられなくなったことがありますから」と軽く忠告しておいた。アミヤンDrとはどこかで一度いっしょに投げたいが彼の夜当直もあったりでなかなか難しい。

夜、スリウェルMRと山師だ分かる内科のヤマヒロDrとT-MAXでボウリング練習をした。ヤマヒロDrとは久しぶりだ。最近の私たちの練習日は水曜が多くその日当直やオンコールが多いヤマヒロDrとはなかなか一緒に練習できていなかった。今日のレンコンは右奥にボールを持っていければぐぐっと曲がりポケットによく入るが、スパット10枚目付近を通すと難しかった。それでコントロールはいいが曲がらない球質のヤマヒロDrは厚めに入ったりポケットにどうにか入るも10ピンが残ったりした。いつもの癖で10枚目付近を狙っていたのを思いきってそれより右に投げてみるようアドバイスした。すると奥で食い込むようになりストライクになる確率が高まった。

立ち位置と狙うターゲットは常にレーンコンディションによって変えねばならない。当たり前のことなんだが、マイボウラーはついつい身体になじんだ投球ラインに固執する傾向がある。先週の練習ではスリウェルMRに今回とは逆に中央付近に立って投げてみたらとアドバイスすると急激にストライク連発し200アップした。彼はそれまでその投球ラインが苦手で投げていなかった。でもボウリングはレンコンとケンカしては勝てないスポーツだ。ヤマヒロDrも「いやー、勉強になった」とのこと。
↓上から順にヤマヒロDr、10ボード付近の投球とライン変更後。次が私の投球ラインで最後が先週のスリウェル君の投球ライン。

今気がついたが、アミヤンDrもヤマヒロDrも昭和60年第二内科入局同期だった。あれから30年過ぎ、なぜかみんなボウリングをしている。何かふしぎ〜。

2016年7月6日水曜日

あこネーサ術後見舞い

当直明けできつい中、今日唯一ラッキーだったのは午後から休みを取っていたこと。あこネーサ母の手術が午前にあり午後見舞いに行くためだった。しかし仕事が溜まっていて2時を過ぎないと病院を出られなかった。国道10号線を下り磯海岸でときに今日は珍しく晴れていて桜島が非常にきれいに映っていたので車を止め写真を撮った。雨が降ったあとでチリやホコリ、降灰もなかったからだろう。海の青と空の青、白い雲の下桜島の緑が鮮やかだった。

鴨池のかしましい病院に着き、術後の個室に行くと、カールとヒラーキ弟がベッドそばにいた。あこネーサは麻酔は切れているはずだがまだぼーっとしていた。呼び掛けると返事はする。顔がややむくんで見えたがまあ大丈夫そうだ。

ヒラーキともそうしょっちゅう顔を合わせるわけでなく久々に見ると私より太って腹も出ていた。ウエストが「1mはないぞ」ってそれでも太りすぎやん。体重も80kgオーバーだというし。タバコも止めていないから「私の方がずっと健康的だ」と言いかけたが、カールにきっと反論されそうでぐっと言葉を呑み込んだ。

後から元院長のバタやん先生が来て手術のこともそこそこに世間話やゴルフ、趣味の釣りの話しで盛り上がった。だいたい毎週錦江湾での船釣りや堤防釣りをしているらしい。アウトドアだなあ。体調もよさそうだ。私はゴルフは止めているし釣りは1回もやったことがない。まあ今後もしないかも。今のところアウトドアをするかもしれないのは山登りでそれとてどうなるか。少し出たお腹を減らすにはアウトドア趣味がよさそう、といいつつ帰宅後はネット麻雀にそそくさと手が伸びるのであった。

2016年7月5日火曜日

当直は磯賀氏か日馬田氏か

昨日も忙しかったが今日はまた格別だった。平日当直があったからで、前日のケンケンDrから熱中症、脱水症患者が4人も入ったと聞き、今夜もそうかと思いきやその手の患者は1人だけ、怪我、転倒、虫刺されの患者など、朝方まで救急4台計8人が来た。雨は小康状態で先月のような雨の影響の崖崩れなどはなかったものの、明け方の起床して玄関で転倒したという超高齢女性患者が続けて2人やってきて、これでほとんど眠られず、加えて入院患者も心肺停止1人に気管挿管1人とそりゃ当直医の仕事をやりましたわ。当直した先生の名前は磯賀氏か日馬田氏か、今回は明らかに前者だった。

当直看護師はカッチャンNsでいつもは午後10時までの準当直なのを今晩が初めての一晩当直でその洗礼を受けたかっこうだ。でもいつもこうではないからネ。今度はきっと日馬田氏でしょう(希望的観測)。ふぁ〜い・・ねむ・・。

2016年7月4日月曜日

同じ気持ちだと伝える

月曜は内視鏡検査を担当せず病棟を自由に回れる日なので比較的ヒマのはず・・だったのだがとんでもなかった。予定入院が2人、緊急入院1人、前日の非常勤Dr当直で入院になった高齢患者(なんと白血病だ)の主治医要請が1人あり、一気に4人も入院指示を出さねばならず目の回る忙しさだった。おまけに今月から常勤でなくなったええのんか女医の代わりにスメア検査3人もあってー。

超遅い昼食を摂って午後からは少し楽できるかと思いきや、昨日入院したばかりの白血病の高齢患者が急変し御看取りをした。亡くなる直前、血液の専門家である村紘おじいちゃん先生にアドバイスを受け「この手の白血病は最後は脳内出血するパターンが多い」とのことで頭部CTを撮影したら出血班か転移巣か高信号域の多発巣がありこれが意識障害と呼吸抑制の原因とわかり「すでに末期、今日明日にも覚悟しておいて」と家族にも説明出来た。CTは治療の意味では有効性はなくても家族の納得と受け入れ感情にとって実に適切なタイミングでの検査だった。だいたい白血病の患者なんて年に1人も診ることはない。そばに専門家がいるって心強いネ。

夜は鹿児島市内のかしましい病院にあこネーサ母を見舞った。近々手術を受けることになっている。80才後半になっての手術は不安だろうがそこまで全身状態に影響のある手術ではないので心配しないように話した。それでも不安がるあこネーサに「やっぱり心配だよね」とまずは受け入れる態度で接した。すると軽く肯き表情が緩んだ。心配しないようにと諭すより「そうだよね」と同じ気持ちだと伝える方が効果があるみたい。今後もこの態度で接しよう。

2016年7月3日日曜日

ゲンちゃんに乾杯

カールが某銀行の勉強会に参加したところお土産にペンライトをもらって帰ってきた。見てみると赤いボディで伸縮可能なフレキシブルタイプのものだった。
「へー、初めて見たよ」と私。カールは「そうなのよ。それに先端が磁石になっていてこれって意味あるのかしら」と首をかしげる。そして冷蔵庫に先端をくっつけ「こんなことしても危なっかしいだけだしー」と苦笑いしている。
「おいおい、そうじゃなくてこれって狭いところに落ちた鉄製の小物を磁石で取るときに使うんだろ」と推測した。「あー、そっかー」などと会話していたが、ゲンちゃんが興味なさそうにキッチンの台で寝そべっていたので私はちょいと刺激してみた。引き延ばしたペンライトをそおっと近づける。うん?と緊張するゲンちゃん。
どんどん近づけるとさらにお顔がこわばってなんと2本脚で立ち上がったじゃないの。おいおい、ちっちゃなゴジラみたいだぞ。
ゴジラだったらここでペンライトを壊すか放射能を吐き出すところだが、弱虫ゲンちゃんが抵抗するはずもなく逃げちゃった。そして40分後また寝そべってだら〜んとしていた。まったくしょうがないねえー。そんなゲンちゃんにかんぱーい!

2016年7月2日土曜日

よど号事件と万博

珍しく仕事のない土曜で、録りだめビデオなど見ては消していっていた。NHKBSの「アナザーストーリー」「英雄たちの選択」など消していかないとハードディスクの容量がすぐにいっぱいになる。1ヶ月以上前の「よど号ハイジャック」「尾張藩第7代藩主・徳川宗春」はやっと消せた。最近は「アナザーストーリー」は欠かさず見ている。面白いテーマが多い。「エマニエル夫人」「仁義なき戦い」「パンダ輸送」「美空ひばり最後のステージ」次回は「ウルトラセブン」だと。たまらんぜ。

この中で「よど号ハイジャック」は事件発生が1970年3月31日で私が小学4年から5年に上がる時期のことでよく覚えている。何せ、翌日の4月1日は生まれて初めて飛行機に乗る予定だったから。日本初めてのハイジャックとかって言われてもそんな言葉すら知らなかった。家族そろって大阪で行われる日本万国博覧会や奈良を見物する旅行でうきうき楽しみの方が優っていた。大阪の親戚の家に着いても「まだ解決しないんだねえ」と毎日このニュースで持ちきりだったが、子どもの私はどうにか解決できるんでしょぐらいに思っていて山村新治郎運輸政務次官が身代わりになって乗客が解放されたことは全く知らなかった。ましてやその飛行機の中に日野原重明聖路加病院内科医長が乗り込んでいたことなど・・。

番組では韓国の管制官がよど号操縦士に北朝鮮と偽って韓国に着陸させたと証言していた。当時の朴大統領の命令だった。その背景には前年に大韓航空機が北朝鮮のハイジャックされ乗客乗員が帰ってこないという事情もあった。事件は4月5日に山村政務次官以下よど号が帰国できて一応の解決をみた。この日のNHKのよど号関連報道番組は視聴率40%以上を記録するほどだったらしい。私にとってまさしくよど号事件と関西旅行はリンクしている。万博でのアメリカ館で月の石を見るために立ち並んできついなあと思っていたがハイジャックされた乗員乗客に比べれば全くたいしたことはなかった。72時間も飛行機のシートに座らされるなんて・・。
その日私たちは夕方大阪からプロペラ機で帰る日でぐっすり寝てスチュワーデスに毛布を掛けてもらったことを覚えている。そうそう帰りの飛行機から甲子園が見えて箕島対北陽はどっちが勝ったんだろう、箕島優勝かなあとも予想していた。箕島が初優勝)。小学高学年、中学、高校、大学入学と人生の中でも成長と進路の選択に立たされていた私の1970年代、その始まりを象徴する事件とイベントでもあった。

(ちなみに当時59才の日野原先生は『人生を還暦前と還暦後に分ければ、私は、後半の人生を誰のためにささげるべきかを深く考えさせる大事件に出会ったわけである。国の内外を問わず、人々のためにささげる生き方を始める人生の転換が与えられたのだと感じ、その後、いつまでもその覚悟を持って生活してきた』と述懐している)

2016年7月1日金曜日

魚貝を焼く

終業後、カールと天文館はやばかた屋で待ち合わせした。7月になりバーゲンセールがありこの時期に私の服など買うのが恒例である。今回はこのところくたびれてきていた靴も買うことに決めていた。事前にカールが下調べし黒と茶の2足を選びあっさり購入した。パンツも紺系統ばかりだったので明るい茶系統のものを買った。終わって夕食を食べようと雑踏に踏み出した。やばかた屋駐車場近くの和食店「シルバータイガー」にめぼしをつけ行ってみたがあいにく予約でいっぱいだった。人気店は予約しとかないとな。

天文館通りに出てふらふら歩いて行くと、「大漁酒場KEN」という大衆居酒屋風の店の看板がありカールがさっさと入っていった。「いったことある?」「いいや、最初に目に付いたから」というだけで、幸いテーブルが空いていたのでそこに決めた。すでに午後7時半を過ぎていてよりよい店よりさっさと食べられる店がよかった。店内は魚類をあぶる煙が充満していた。なんと、自分で生魚や貝類を焼いて食べさせる店だった。ううむ、第一印象はちょっと苦手だなーというもの。どちらかと言えば魚より肉が好みだし魚貝類を自ら焼くなんてあんましやったことないしー。でもいまさらなのでカールのを見よう見まねであぶっていった。最初はサザエ、そしてホタテ。そしてハマグリ。

うん?意外に旨いね。イカの姿焼きもなかなかだった。寿司もそこそこで念のためと頼んだ唐揚げは今一で、ここは看板に偽りなしの魚が美味しい店だったのだ。


ぱっと入ってさほど期待しなかったが儲けもの気分で店を後にしたのだった。